メサイア

渡邉 幻月

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受難の始まり

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稲妻のようなものが走ったのを、カインは見たような気がした。手に激痛が走る。と、同時にカインの体は弾かれ、不意を突かれ無防備な状態で反動で地面に倒れる。柔らかい土と芝生が衝撃を吸収してくれたこともあって、ダメージは最小限に抑えられた。
 カインは起き上がると、何事があったのかを確認するため泉に近付く。
「んん? 何?」
よくよく泉を見ると、キラキラとした幕のようなものに覆われていた。
そのキラキラとしたものは、次第に輝きを失っていく。
「あ、え? なんだ、これ?」
全く訳が分からない。まだ痛みの残る右手と泉を何度も見比べた。

ふと、過去の記憶が甦る。
『結界って言うのがあって──』
八年以上も前、ヨナタンが任務について語ってくれた内容の中の一つ。結界について。
危険な場所には、一般人が入り込まないように結界が張ってあると言っていた。見えない壁のようなものが、行く手を阻むと説明された気がする。
 でも、それとは別にメサイアが張ったわけではないのに、所々に結界があるとも言っていた。
それは、メサイアの結界と違い、触れると電撃系のダメージを食らうとか。メサイアが管理している結界とは別物であるが故、彼らにもどうすることもできないのだそうだ。結界が何を守っているのかはどれだけ手を尽くしても未だに分からない、そう昔ヨナタンが語っていた。
「あの時の話のヤツ、かな…」
まだ痺れの残る右手を見詰めてカインは呟いた。

ともかく、泉の結界もあってカインには消えたルシフェルの後を追うことはできなかった。
これからどうするべきなのか。カインはルシフェルの言葉を思い出していた。何かヒントになることはないかと。

「あの、銀色の髪の男の名前はルシフェルって言ってたな。」
と呟いてカインは親指を折る。
「オレが勇者で…」
「そんで、ルシフェルの双子の弟がミカエル。」
「ミカエルの選んだ勇者が、アベル。」
「アニキは、アンチ・メサイアになってた。」
カインは指折り数えながら、話を整理し始めた。
「あと、あの泉が異界と繋がってて… そして、確か、」
泉を見詰めて、息を呑んだ。
世界が、闇に堕ちる。そう言っていた。

「闇に、堕ちる?」
カインにはその言葉の意味が分からなかった。
毎日のように、夜は来る。月の無い夜は、それこそ闇夜。夜空はどんなに星に彩られたところで、地上は夜の闇に沈んだまま。
 それと、何が違うのかと。
今まで知っていることを総動員しても、ルシフェルの言う世界が闇に堕ちるというその意味を察することはできなかった。

だが、どうやら、それを阻止するために選ばれたのだ、とカインは思い至る。
「でも、どうやって?」
どうして世界が闇に堕ちるのか、結局のところよく分からない。だから、どうすれば良いのかも分からない。

カインは、溜め息を吐いた。
誰を頼れば良いのだろう、泉を見詰めながら考える。
 ルシフェルが一番力になってくれるはずだが、何の因果か消えてしまった。異界から来ているような口振りだった。ここには長く居られないのかもしれない。
 アベルには近付けそうもない。本人はどう思っていようと、ミカエルとあのジュードという司祭が自分を遠ざけるだろう。

 アニキは…
「オレに会いたくないかな…」
カインは自嘲気味に呟いた。

勇者だった自分には、会いたくないと思っているかもしれない。憎んですらいるかもしれない。
ついさっきまで、ミカエルに選ばれたアベルに嫉妬した自分のように。
自分は、結局ルシフェルに選ばれた勇者だったけど。だから、今はアベルへの嫉妬心は消えてしまったし、どちらかと言えば心配している。
だけど、アニキは…
カインは深い溜め息を吐いた。もしかしたらこの八年間、音沙汰無かったのは… あの時不用意にルシフェルのことを話してしまたったからなんだろう。オレかアベルが勇者かもしれないと察して、さっきのオレのように嫉妬に身を焦がしたのからかもしれない。
そこまで考えて、カインはもう一度深い溜め息を吐いた。
そうして、ふと気付く。
知らない場所に、ただ一人置き去りにされていることに。ここは、安全な場所なのだろうか。辺りを見回す。自分以外の気配は感じないことに、ほんの少し安堵する。
影が長いことに気付く。いつの間にか昼を過ぎて、ぐずぐずしていると夕暮れ時すらすぐに過ぎてしまうだろう。

一番近い町までどれくらいだろうか?
カインはバッグの中から地図を取り出した。ここがどこか分からない以上、それが役に立つかは皆目見当がつかないが。
溜め息を一つ。そして、気を取り直してカインは歩き始めた。ここでぐずぐずしても仕方がない。とにかく、どうにかしなきゃいけない。

チカっ。チカチカッ。
泉が光った。が、既に背を向けていたカインはそれに気付かないまま歩いていく。

「ちょ、待って!」
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