メサイア

渡邉 幻月

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修行:マルクトエリア編 【三日目~四日目】

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【三日目】
快晴。綺麗に晴れ渡った空が広がっている。気温も昨日より上がりそうだ。
「そしたら、今日は一人で戦ってみよー。」
おー! と、リリンは一人で張り切っている。
カインは、日に日に強くなる渇きに似た願望と戦っていた。昨夜の夢を思い出す。

「ダメだよ。」
アベルが勇者だと知った時、はらわたが千切れるほどの嫉妬に襲われたあの時に、聞こえてきたルシフェルの制止の声。あの時と同じ言葉を夢の中でルシフェルが言った。
「ダメだよ、激情に身を任せては。強くなりたいと、思うことはいいけれどね。」
優しく諭すように、彼は言う。
「どうして?」
「心を失くしてしまうから。心を失くしてしまっては、いずれ身も亡ぼす。」
カインの問いに答えると、頭を撫ででそうして彼は夢の中に溶けて消えた。

身を焼くような渇望に抗いながら、カインは戦う。

マン・イーター相手は油断さえしなければ攻撃を受けずに倒せるようになった。課題は一撃で仕留めること、だ。
ウサギ型の怪物は、タイミングを間違わなければ一撃で倒せる。が、スピードがあるので、そのタイミングがいまいち掴み切れないこともあり、ダメージを受けることがある。課題と言えば、スピードに慣れるといったところだろう。
問題のボブキャットだ。総合能力はマン・イーターやウサギ型を上回る。何とか一人で倒せるものの、傷だらけになるし一撃でトドメを刺すことも出来ない。
課題は山積みだ。
カインは足元に転がるボブキャットの死体を見て考える。
どうしたら、攻撃を受けずに済むのか。どうしたら、一撃で倒せるのか。
…どうしてリリンが一撃で倒せと言うのか。
最後の疑問だけは、分かったような気がした。ボブキャットの死体はボロボロだ。なんて無残な死体なんだろう。一撃で倒したウサギ型とは大違いだ。

多分。
ボブキャットの死体を見下ろしながらカインは考える。
苦戦なんかせず、一撃でトドメがさせたら怪物の苦しみは少なくて済む。オレも怪我が少なくて済む。
避けて通れない戦いなら、どうすればいいかは明白だ。

【四日目】
前日と打って変わって、しとしとと雨が降る。霧雨が、まとわりつくようにしとしとと。
「雨だねー。」
心底嫌そうにリリンが宿の部屋の窓から空を見上げている。
「今日はどうする? 雨だけど。」
雨の中で怪物と戦うことを考えると、カインもさすがに気持ちが萎えてくる。
「雨だとスライムが出現するみたいなんだよね。」
マルクトの怪物出現図を見ながらリリンが言う。
「そうなんだ。じゃあ、もう行くしかないってことだな。」
リリンの口調から雨の日でも避けては通れないと察したカインは、防具を身に着け始める。
「嫌、とか、めんどくさい、とか無いの?」
「それを言っても、行かなきゃいけないんだろ? それなら、言うだけ無駄だろ?」
「まぁ、無駄だねぇ。じゃあ、無駄に雨に濡れたくないからスライムの注意点だけいい?」
変なところ淡白だなー、カインが着々と準備を進めていく様子を眺めながら、リリンはそんなことを考えていた。
「さて、スライムなんだけど。これって、天使の中でも知能が低かった連中の成れの果てなんだって。大元がね。」
「知能が?」
「そ。天使にもピンキリあるってことだね。尤も、上位の天使はまだ至高天に残ってるけどね。で、このスライムなんだけど、ここに書いてあるように対象を溶かして食べちゃうんだよね。
生き物も鉱物もお構いなし。取り込まれたらアウト。うっかり触っても、溶けちゃうから気を付けて。」
広げた怪物出現地図からスライムを指さして、リリンはカインに説明する。
「…。それ、レイピアも溶けるってこと?」
「そうそう。」
「いや、そうそうじゃなくて。気を付けて、も変だよね。どうやって倒すんだよ、ソレ。」
「魔法の場合は燃やして蒸発させるのが手っ取り早いかな。物理の場合はね、核《コア》を破壊する、のが唯一の手段かな。」
一応、倒す手段はあるんだな、と、カインは胸を撫で下ろす。撫で下ろしたところで、はて、と思う。
「核?」
「そう、核。ニンゲンで言うところの心臓みたいなのね。」
心臓みたいなもの、と聞いてカインは核を破壊すればいいことに納得する。が、ふと疑問も湧いた。
「あのさ、核を破壊しないと倒せないって、他の怪物と違うよね。天使だった名残っていうか、まだ天使みたいな感じってこと?」
「そーゆうのとも違うかな。怪物のランク的にはスライムが一番下だよ。天使だった時も最下級だったんじゃないかな。力が弱すぎて、実体が安定してない感じ。だから核への攻撃以外、ダメージにならないってとこかな。」
肩を竦めてリリンが説明する。そして続ける。
「まだ天使みたいって言うか、上位のランクの怪物はね、いずれ戦うことになるけど、人間… メサイアたちは幻獣亜種って呼んでる。姿かたちは昔の面影はないけど、能力には名残があるかな。」
「幻獣亜種?」
「メサイアが討伐して回ってるのは、主に幻獣亜種なんじゃないかな。すごく厄介なヤツ。普通の怪物はキャラバンとかでも討伐できるしね。ま、幻獣亜種のことは今は気にしなくていいよ。」
リリンの説明を聞いて、ちらちらと胸の奥で燃え上がるものがあることにカインは気付く。
強くなりたい、誰よりも。深呼吸して、カインは気持ちを切り替える。
ルシフェルに釘を刺されたばかりだ。激情に呑まれている場合ではない。
「じゃ、行こうか。」
頭を緩く左右に振って、カインは頭の中も切り替える。まずは、スライムだ。

霧雨が小雨に変わっていた。
どっちが嫌か微妙なところだな、とカインは空を見上げる。これ以上酷くなるのだけは勘弁してほしいんだけど。
雨に濡れたら体は冷えるし服も重くなる。動きにくくなるのが容易く予想できた。

雨は植物にとって天からの恵みだった。昨日以前より動きが機敏なマン・イーターが視界に入って、そんな当たり前のことを思い出す。
「昨日までとは動きが違うね。戦ってみる?」
リリンの提案にカインは頷いた。あれを無視してこのエリアの修行をクリアしたことにはできない、と考えたからだ。
結果は思いの外苦戦した。動きも機敏になっていたが、雨のせいなのか蔓のような物を鞭のようにしならせて攻撃してくる。
始めは戸惑ったカインだったが、蔓をレイピアの鞘に巻き取ってどうにか倒す。
「天気で強さが変わるんだな…」
肩で息をしながら、カインはマン・イーターを見下ろす。

カインの呼吸が整うのを待って、スライムを探して歩き回る。

もぞもぞと動く、何か、が視界に入った。
不定形の、ゼリーのような、何か。
「あれがスライムだよ。」
指さしてリリンが言った。
「よく見て、色が違うところがあるでしょ? あれが核だよ。」
スライムは半透明だから核を見付けやすくていいよね、とリリンが笑う。
カインはスライムをよく観察してみた。周囲の草が溶けたのか焼けたのか、奇妙な形を残して無くなっている。半透明の体の中には千切れた草の欠片が見えた。
黒っぽい丸みを帯びた何かがある。チカチカと鈍く点滅するソレが、リリンの言う核なのだろう。千切れた草がスライムの不定形の体の中を漂いながら核に近付いているように見えた。
欠片が一つ、核に触れる。しゅるっと核に呑み込まれたようにカインには見えた。
ひときわ強く、核が光る。それに連動してスライムの体も淡く光った。
「見た?」
リリンがカインに声をかけた。
「あれが食事。スライムだけじゃなくて、実体の無いアタシたちや半霊体のメサイアなんかもあんな感じだよ。」
そう言われて、ケテルでの朝食を思い出した。全くイメージできなかった、彼女の食事の様を見せつけられた気分だ。
「さて、いよいよスライム戦だね。ぐずぐずしてると溶けちゃうから、それこそ一撃必殺で。核を狙うんだよ。」
リリンの言葉に頷いて、カインはレイピアを構えた。

スライムは遅いものの、不定形であるせいか予想外の動きをするところがカインには厄介に思われた。攻撃が掠ったところが焼けるように痛い。切り傷とも打撲とも違う。
”溶けちゃうから気を付けて”リリンの言葉がカインの脳裏をかすめた。溶けるって、こういうことか、とゾッとする。
動きは鈍い、攻撃しなきゃいけない場所も分かっている。レイピアの柄を握る手に力が入る。カインは肺の中の空気を全て出すように息を吐く。

スライムの体の中を漂うように在る核。
突き刺した瞬間、腕を取り込まれる。剥き出しの手の皮膚が溶ける。焼けるように痛い。
スライムの身は案外分厚かった、半固体のせいか核が奥に移動していた。考えてみれば有り得そうなことに、カインはイラっとする。服も溶け始めている。
イライラする。カインはさらに踏み込んで、ムリヤリ核を突き刺した。一度引くということは、思い浮かばなかった。
核を串刺しにしたのを見て、カインは手を引いた。
核が砕けたのが、半透明の体を通して見えた。スライムの動きがさらに鈍くなる。核の光が消えた。半透明だった体がじわじわと形を失っていく。
最後はスライムが溶けて、水のようになって、雨と一緒に地面に吸い込まれていった。残された核は、砕けて消えた。

カインは右腕を見た。手は焼けるような痛みに襲われている。皮膚が爛れている。服は溶けてボロボロだった。肘のプロテクターはリリンが上等だと言っていただけあって、特に劣化は見られなかった。
「前から思ってたけど。」
リリンは傷付いたカインの右手を癒しながら言った。
「キミって負けず嫌いだよね。引くのも大事だからね。」
最後の方の語気は強かった。
「そうかな?」
カインは首を傾げた。ほとんど無意識だった。
「あんまりいい事じゃないなら、直す努力はするよ。」
夢の中のルシフェルの言葉も思い出す。

雨脚がだんだん強くなってきた。
「今日はこれくらいにしとこうか。風邪ひいたら困るしね。」
リリンは空を見上げて、そう言った。それにランチも無理そう。と肩を竦める。

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