涙の跡

あおなゆみ

文字の大きさ
2 / 21
Episode2

しおりを挟む
 目が覚める、軽く伸びをする。
部屋の掛け時計を見ると、午前6時だった。

 この街に引っ越してきて一ヶ月が過ぎ、今日はアルバイトの初出勤の日だった。
夏が終わり少し涼しくなって、だいぶ過ごしやすい気温だ。

 私は大学を卒業後、就職はせず、コーヒー屋さんで3年間アルバイトをした。
大学は音楽学科で、作曲を専攻していた。
幼い頃から日本のいわゆるjpopが好きで良く聴いていた。
物心ついた時にふとこの曲達は誰かが作ったものだと気付く。
中学生だった。
今思えば気付くのが遅い。
誰かが作ったメロディーや紡がれた言葉に生まれて初めての気持ちになった。
夢見がちな私はあっという間に曲や詞をを作る事に夢中になった。

 大学にいる時は、先生に聴いてもらったりしたのだが、卒業すると聴いてもらう人がいなくなった。
あまりにも臆病な私は結局、大きな舞台を目指す事すら出来ず、曲や詞を作っては自分の世界に留めていた。
 はざまにいた。
伝える事をすれば、きっと良い方向に向かえるという前向きな気持ち。
それとは別に、今までの物が全て傷つけられてしまうのではないかという下向きな気持ち。
何か出来るはずと就職はしなかった。
結局は言い訳だけれど。

 引っ越して来てからの一ヶ月は街を歩いて気になるお店に入ったり、部屋で曲を作ったりした。
公園で木々の音を録音したりもした。

 気になるお店というのにはもちろん働いてみたいお店という意味もあって、その中に駅の近くの花屋さんがあった。
花が特別好きという訳ではなかったのだけれど、母の影響が少しあった。
母は花が好きだった。

「依子。お花は綺麗とか可愛いだけじゃないの。凄く現実を語ってくるのよ。それにお手入れも大変」

と言っていたのは覚えている。

「それに、お花ってあまりに純粋だから守ってあげたくなっちゃう」

とも言っていた。
父が亡くなるまで、母は仕事をしていなかったので、幼い私とずっと一緒にいた。
花の朝昼晩それぞれの姿を必ず眺めていた。
私もそれが当たり前だと思って、花と花を眺める母を見つめていた。
母は少しの言葉と柔らかい表情で、私に穏やかな気持ちを与えてくれる人だった。
またその気持ちを思い出したいと、花屋の面接を受け、無事に採用された。

 薄手のカーディガンを羽織って丁度良い季節。
7時に家を出た。
 お店に着くと店長さんともう一人の従業員の園田さんが丁寧に仕事を教えてくれた。
仕事内容が想像より大変で驚いた。
それでも親切に教えてくれる二人の役に早く立ちたいと一生懸命働いた。


 仕事を始めて最初の休日。
目が覚めると、もうお昼過ぎだった。
いつもは後悔するところだけど、今日は幸せだなと感じた。
とりあえずありもので昼食を済ませ、ぼーっとテレビ見る。
それから、なんとなく外の空気が吸いたくなり散歩する事にした。

 平日の夕方で、子供達の声となんとなくざわざわした空気があった。
港付近をゆっくり歩くと、カップルやママ友、そして子供がいた。
ベンチを探して辺りを見渡すと、前に行った公園から港に向かう広い階段を見つけた。
 するとそこに白色のTシャツにジーンズという格好をしたあの日の男の人がいた。
男の人は右隣にコーヒーらしきものを置き、左隣にカメラを置いていた。
詳しい事は分からないけれど、高そうなしっかりとしたカメラのようだった。
私がその斜め上辺りのベンチで休憩している間、ただただ遠くを眺めていた。
眺めているというより、遠くに見える街のさらに奥を見ようとしているような。
不思議な表情だった。

 きっとこの時から、私はその男の人の視線の先に見えているものが気になりだしたのだと思う。
もしかしたら、初めて会ったあの日から。
だから何かしらの力が働いて、あんな真夜中に知らない人を心配するだけでなく、声を掛ける事が出来たのかもしれない。
一目惚れと言うのかもしれない。
でも少し違う。
彼の空気感に魅力を感じていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...