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第4章 嫉妬や執着の青春は
17話
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新たな噂が、学年中、さらには学校中を巡っていた。
物凄い速さで。
私は司と付き合っているから、その噂をすぐに知ることができた。
もう、情報屋も必要ない。
白瀬ちゃんは、前の私ほどではないが噂に疎く、私がその噂を教えてあげることになった。
それも、自分が噂の張本人なのに、だ。
まず一つは、尾田先生が学校を辞めるという噂。
次に、教師も辞めるという噂。
そして、最後のメイン。
教師を辞める理由は、私と恋をしているから、というもの。
恋をしているから?
どこでどう、そういう表現になったのかは分からないけれど、それなら、付き合っているから、で良くないか?と思う。
それとも、まだ、付き合ってはいないという設定になっているのか。
いや、前に、私と尾田先生の交際疑惑が浮上したことがあったはずだ。
でもとにかく、そんなデマに困ってしまう。
司は怒っていた。
それは言葉ではなく、表情でだった。
放課後、ファミレスに行き、私はそんな司を観察していた。
「その怒りの表情、絵になってるよ」
私がそう言うと、
「本当?それならいいけど」
と、司は微笑んだ。
でも本当に、絵になっていた。
別に、私の噂が流れて怒っている、司の気持ちに酔いしれていたわけではない。
確かに司は怒っていたけれど、そこには慣れが含まれているような、諦観さえ感じさせる何かがあった。
歳の割に達観しているような、私が触れたことのない領域。
私が知らない何かを知っている司の表情が、美しかったのだ。
「ねえ、俳優になりたいと思ったことないの?」
言葉にはしなかったけれど、それ今聞く?みたいな顔をされた。
「思ったことはある」
躊躇いもなくそれを教えてくれたことが、嬉しかった。
「親父の事務所の人にスカウトっていうか、俳優やらないかって聞かれたことはあるよ」
「そうなんだ。でも、断ったの?」
「うん。沙咲はさ、定時の仕事したいって思う?」
「えっ?あー、したくはないかも。でも、私はそういう仕事しかできないと思うし」
「同じ時間に同じ場所に出勤して、同じ顔ぶれ、同じような毎日・・・そうじゃなくて、その日によって起きる時間も違う、作品毎に違う出会いがある。そんな仕事をしている人が近くにいれば、そっちの方がまだいいと思ってしまうこともある。それに、あんなにチヤホヤされてるのを見てしまったら、軽い気持ちで足を踏み入れたくもなる」
「じゃあ、どうして?」
「どうして断ったかって?うーん。さっきも言ったけど、表向きにはチヤホヤされてるように見えるだろ、芸能界なんて。だから、チヤホヤされたい欲望だけで進んでしまいそうで、嫌なんだ。今の俺は。全ては、チヤホヤされたい欲望。チヤホヤされたい欲望は人類の欲望って思ってる」
「人類の欲望って・・・」
「大袈裟じゃない。それに、誹謗中傷、根も葉もない噂。そんなのが、そんな余計なものが多過ぎる」
怒りを口にはせず、諦めの含む表情をしていた司。
父親が俳優で、物心がついた頃から、根も葉もない噂に悩まされていたのかもしれない。
父親に対する世間からの評価に怯えていたのかもしれない。
そういう経験から、噂に対して反抗したってどうにもならないと分かっているのだろう。
それが達観して見える彼の姿なんだと思った。
司は一区切り置いて、少し恥ずかしそうに話し始めた。
「本当は俳優に憧れている。だって、圧倒的な魅力があるだろ」
「圧倒的な魅力か・・・」
「漠然とした答えだけど、そうなんだ。だから、たまに後悔する。断ったこと」
司は自嘲気味に笑う。
「今からだって。全く遅くないじゃん」
「でも俺はその道には行かない。もし行くなら絶対に、この国では進まない」
「海外でゼロから始めるの?」
「あ、ごめん。あんまり深く考えないで言っちゃったんだけど、そういう意味になるよな。ただ、親父から逃げたいってだけ。嫌いだからじゃなくて、見てらんないって感じ。感情を押し殺して・・・沙咲の噂話に耐えてる今みたいにし続けるのが、性に合ってないんだと思う」
「噂なら、平気だよ。だって私には、司がいるし。私より、尾田先生に申し訳ないっていうか。多分、修学旅行の時に二人で話してたのを誰かに見られたのがきっかけだと思うの。私がちょっと相談してて・・・」
「尾田先生のことは、何も聞かないよ。尾田先生にも守られるべき秘密があると思うし。でも、理花子とのことは聞かせてほしい。そこには俺もある程度関わってもいいと思ってる」
司は諦観ではなく、優しさから、尾田先生の話を聞こうとしなかった。
私にはそう思えた。
「うん。理花子とはもう、離れることにしたの。二人で話して決めた。それがお互いの為。今までごめんねって言われたよ」
「そっか。俺が見つけた、理花子に従うしかない沙咲はもういないってことだね」
「うん。もう、大丈夫」
「それなら良かった。あと、尾田先生との噂だけど。消すことはできないけど、少し抵抗してみてもいい?沙咲が迷惑じゃないなら」
「迷惑じゃないけど、逆に司に迷惑が」
「それはない。それだけはない」
司の怒りの表情は勢力を落とし、勇ましさを感じられる表情へと変化した。
私が最初に好きになった司の姿がこれなのかもしれない。
放課後、映画デートに行ったあの日の、司の姿。
「尾田先生のことだけどね」
帰り道で歩きながら私は、司が尾田先生の話題は嫌がるかもと、恐る恐るだったけれど、話し始めた。
「教師を辞めるっていうのは、多分本当だと思う」
「そうなの?」
「うん。もちろん、理由は噂とは違う」
「沙咲、大丈夫だから。俺、噂くらいで揺らがないように、一応訓練されてるから。親父のお陰で」
「うん、分かった。先生のことはこれ以上詳しく話さないけど、私が尾田先生に救われたってことは、知ってて欲しい。それで、今から伝えることは、司はもちろん、そういう周りの人達のお陰で伝えられることだから」
「何?」
私は初めて、伝える。
初めて、伝えたい。
「私・・・」
「待って、それは・・・ダメだな。ごめん、格好悪いね。良い話なのか悪い話なのか、先に教えてもらおうとしたんだけど。ごめん。話して」
司の肩をトントンと優しく撫でたいと思ってしまう。
でも、そんなことはしない。
それは私の優しさじゃない。
私は司の目を真っ直ぐに見つめ、恥ずかしくても、恥ずかしさで誤魔化さずに言った。
「私、司のことが好き」
その発言を予想していなかったのか、司は思いっきり顔を赤くした。
「私、本当に、司と付き合えて嬉しい」
今すぐ司を抱きしめたくもなったけれど、さすがにそれはできなかった。
「ありがとう。嬉し過ぎる」
私とは違って司は、躊躇いなく、私を強く抱きしめた。
「私も、嬉し過ぎる」
これが、私の好きな優しさだと思った。
この強さこそ、司の優しさなんだ、と。
司は、噂に少し抵抗してみると言った。
だから私はその夜、妄想を繰り広げてしまう。
多分、抱きしめられたことも影響している。
グラウンドで、私と司が付き合っていると叫ぶのではないか。
校内放送で、交際宣言と、噂に対する宣戦布告をするのではないか。
司ならやりかねない。
でも、“抵抗してみる”ではなく、“少し抵抗してみる”と言っていたから、そこまで大ごとにはしないつもりだろう。
とにかく私は、そんな妄想を考えてばかりで、デマの噂に対する落ち込みなんか忘れてしまっていた。
その夜は、特に、本当に幸せだった。
次の日。
司がどう抵抗するのか、一日中気が気じゃなかった。
時間は過ぎ、結局今日は何もしないのかな、と思っていた。
でも、帰りの挨拶が終わると、一番に司が立ち上がり、私の元までやって来た。
すぐに帰ろうとしていたクラスメイトさえも、私達の方を見てしまうほど、司は堂々と近づいて来たのだ。
私の前まで来ると、いきなり私の腕を掴んだ。
「帰ろ」
そして、私の手を引っ張り、立ち上がらせ、しっかりと手を繋ぎ直すと、私を連れて教室から出て行く。
すぐに教室内から、クラスメイト達のお喋りや歓声が聞こえる。
無言で廊下を歩き、階段のところに着くとようやく、
「少し、抵抗」
と言い、私を見て、微笑んでくれた。
「ありがとう。司」
「内緒の恋、やめちゃってごめん」
「そんなのいいよ」
小さな抵抗。
いや、私にとっては大きな抵抗が、どれほど嬉しかったか。
物凄い速さで。
私は司と付き合っているから、その噂をすぐに知ることができた。
もう、情報屋も必要ない。
白瀬ちゃんは、前の私ほどではないが噂に疎く、私がその噂を教えてあげることになった。
それも、自分が噂の張本人なのに、だ。
まず一つは、尾田先生が学校を辞めるという噂。
次に、教師も辞めるという噂。
そして、最後のメイン。
教師を辞める理由は、私と恋をしているから、というもの。
恋をしているから?
どこでどう、そういう表現になったのかは分からないけれど、それなら、付き合っているから、で良くないか?と思う。
それとも、まだ、付き合ってはいないという設定になっているのか。
いや、前に、私と尾田先生の交際疑惑が浮上したことがあったはずだ。
でもとにかく、そんなデマに困ってしまう。
司は怒っていた。
それは言葉ではなく、表情でだった。
放課後、ファミレスに行き、私はそんな司を観察していた。
「その怒りの表情、絵になってるよ」
私がそう言うと、
「本当?それならいいけど」
と、司は微笑んだ。
でも本当に、絵になっていた。
別に、私の噂が流れて怒っている、司の気持ちに酔いしれていたわけではない。
確かに司は怒っていたけれど、そこには慣れが含まれているような、諦観さえ感じさせる何かがあった。
歳の割に達観しているような、私が触れたことのない領域。
私が知らない何かを知っている司の表情が、美しかったのだ。
「ねえ、俳優になりたいと思ったことないの?」
言葉にはしなかったけれど、それ今聞く?みたいな顔をされた。
「思ったことはある」
躊躇いもなくそれを教えてくれたことが、嬉しかった。
「親父の事務所の人にスカウトっていうか、俳優やらないかって聞かれたことはあるよ」
「そうなんだ。でも、断ったの?」
「うん。沙咲はさ、定時の仕事したいって思う?」
「えっ?あー、したくはないかも。でも、私はそういう仕事しかできないと思うし」
「同じ時間に同じ場所に出勤して、同じ顔ぶれ、同じような毎日・・・そうじゃなくて、その日によって起きる時間も違う、作品毎に違う出会いがある。そんな仕事をしている人が近くにいれば、そっちの方がまだいいと思ってしまうこともある。それに、あんなにチヤホヤされてるのを見てしまったら、軽い気持ちで足を踏み入れたくもなる」
「じゃあ、どうして?」
「どうして断ったかって?うーん。さっきも言ったけど、表向きにはチヤホヤされてるように見えるだろ、芸能界なんて。だから、チヤホヤされたい欲望だけで進んでしまいそうで、嫌なんだ。今の俺は。全ては、チヤホヤされたい欲望。チヤホヤされたい欲望は人類の欲望って思ってる」
「人類の欲望って・・・」
「大袈裟じゃない。それに、誹謗中傷、根も葉もない噂。そんなのが、そんな余計なものが多過ぎる」
怒りを口にはせず、諦めの含む表情をしていた司。
父親が俳優で、物心がついた頃から、根も葉もない噂に悩まされていたのかもしれない。
父親に対する世間からの評価に怯えていたのかもしれない。
そういう経験から、噂に対して反抗したってどうにもならないと分かっているのだろう。
それが達観して見える彼の姿なんだと思った。
司は一区切り置いて、少し恥ずかしそうに話し始めた。
「本当は俳優に憧れている。だって、圧倒的な魅力があるだろ」
「圧倒的な魅力か・・・」
「漠然とした答えだけど、そうなんだ。だから、たまに後悔する。断ったこと」
司は自嘲気味に笑う。
「今からだって。全く遅くないじゃん」
「でも俺はその道には行かない。もし行くなら絶対に、この国では進まない」
「海外でゼロから始めるの?」
「あ、ごめん。あんまり深く考えないで言っちゃったんだけど、そういう意味になるよな。ただ、親父から逃げたいってだけ。嫌いだからじゃなくて、見てらんないって感じ。感情を押し殺して・・・沙咲の噂話に耐えてる今みたいにし続けるのが、性に合ってないんだと思う」
「噂なら、平気だよ。だって私には、司がいるし。私より、尾田先生に申し訳ないっていうか。多分、修学旅行の時に二人で話してたのを誰かに見られたのがきっかけだと思うの。私がちょっと相談してて・・・」
「尾田先生のことは、何も聞かないよ。尾田先生にも守られるべき秘密があると思うし。でも、理花子とのことは聞かせてほしい。そこには俺もある程度関わってもいいと思ってる」
司は諦観ではなく、優しさから、尾田先生の話を聞こうとしなかった。
私にはそう思えた。
「うん。理花子とはもう、離れることにしたの。二人で話して決めた。それがお互いの為。今までごめんねって言われたよ」
「そっか。俺が見つけた、理花子に従うしかない沙咲はもういないってことだね」
「うん。もう、大丈夫」
「それなら良かった。あと、尾田先生との噂だけど。消すことはできないけど、少し抵抗してみてもいい?沙咲が迷惑じゃないなら」
「迷惑じゃないけど、逆に司に迷惑が」
「それはない。それだけはない」
司の怒りの表情は勢力を落とし、勇ましさを感じられる表情へと変化した。
私が最初に好きになった司の姿がこれなのかもしれない。
放課後、映画デートに行ったあの日の、司の姿。
「尾田先生のことだけどね」
帰り道で歩きながら私は、司が尾田先生の話題は嫌がるかもと、恐る恐るだったけれど、話し始めた。
「教師を辞めるっていうのは、多分本当だと思う」
「そうなの?」
「うん。もちろん、理由は噂とは違う」
「沙咲、大丈夫だから。俺、噂くらいで揺らがないように、一応訓練されてるから。親父のお陰で」
「うん、分かった。先生のことはこれ以上詳しく話さないけど、私が尾田先生に救われたってことは、知ってて欲しい。それで、今から伝えることは、司はもちろん、そういう周りの人達のお陰で伝えられることだから」
「何?」
私は初めて、伝える。
初めて、伝えたい。
「私・・・」
「待って、それは・・・ダメだな。ごめん、格好悪いね。良い話なのか悪い話なのか、先に教えてもらおうとしたんだけど。ごめん。話して」
司の肩をトントンと優しく撫でたいと思ってしまう。
でも、そんなことはしない。
それは私の優しさじゃない。
私は司の目を真っ直ぐに見つめ、恥ずかしくても、恥ずかしさで誤魔化さずに言った。
「私、司のことが好き」
その発言を予想していなかったのか、司は思いっきり顔を赤くした。
「私、本当に、司と付き合えて嬉しい」
今すぐ司を抱きしめたくもなったけれど、さすがにそれはできなかった。
「ありがとう。嬉し過ぎる」
私とは違って司は、躊躇いなく、私を強く抱きしめた。
「私も、嬉し過ぎる」
これが、私の好きな優しさだと思った。
この強さこそ、司の優しさなんだ、と。
司は、噂に少し抵抗してみると言った。
だから私はその夜、妄想を繰り広げてしまう。
多分、抱きしめられたことも影響している。
グラウンドで、私と司が付き合っていると叫ぶのではないか。
校内放送で、交際宣言と、噂に対する宣戦布告をするのではないか。
司ならやりかねない。
でも、“抵抗してみる”ではなく、“少し抵抗してみる”と言っていたから、そこまで大ごとにはしないつもりだろう。
とにかく私は、そんな妄想を考えてばかりで、デマの噂に対する落ち込みなんか忘れてしまっていた。
その夜は、特に、本当に幸せだった。
次の日。
司がどう抵抗するのか、一日中気が気じゃなかった。
時間は過ぎ、結局今日は何もしないのかな、と思っていた。
でも、帰りの挨拶が終わると、一番に司が立ち上がり、私の元までやって来た。
すぐに帰ろうとしていたクラスメイトさえも、私達の方を見てしまうほど、司は堂々と近づいて来たのだ。
私の前まで来ると、いきなり私の腕を掴んだ。
「帰ろ」
そして、私の手を引っ張り、立ち上がらせ、しっかりと手を繋ぎ直すと、私を連れて教室から出て行く。
すぐに教室内から、クラスメイト達のお喋りや歓声が聞こえる。
無言で廊下を歩き、階段のところに着くとようやく、
「少し、抵抗」
と言い、私を見て、微笑んでくれた。
「ありがとう。司」
「内緒の恋、やめちゃってごめん」
「そんなのいいよ」
小さな抵抗。
いや、私にとっては大きな抵抗が、どれほど嬉しかったか。
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