同調、それだけでいいよ

あおなゆみ

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第4章 嫉妬や執着の青春は

19話

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 その後の高校生活で私は、理花子と言葉を交わすことはなかった。
たまに廊下ですれ違った時、お互い意識するかのように目が合うことがあるだけ。
私にとってはそれが、彼女との友情である気がしていた。
普通の友情とは決して言えない。
その暗黙みたいな、内密のような、それでこその親密さは、長年一緒にいただけでは説明のつかない、私達だけの関係性だ。
嫌いだったはずなのに、それだけでは言いようのない何かに変化していた。
その何かが何なのか、いつか分かるのだろうか。

 彼女は高校卒業後にも、私の夢に現れ続けることになる。
それは呪い的に付き纏うけれど、私の青春でもあった。
苦しくてもそれは、学生時代の思い出なのだ。
彼女は私を傷付けた。
でも渡しの場合、それは致命傷ではない。
トントンと優しく撫でたなら、ある程度落ち着くくらいの、そういう傷の類なんだと思う。
仁井くんの、私が好きになったあの癖を、自分のものみたいにして、理花子との思い出の傷を癒やした。
そうしたら、彼女を責めるばかりではなく、私も誰かを傷付けていたであろう青春を振り返り、反省することができる。


 そして、仁井くん。
理花子と別れた仁井くんに、目に見えて分かる変化はなかった。
もし仁井くんが振った側ではなく、振られた側だったのなら、私は水飲み場にでも呼び出し、その失恋の悲しみに耳を傾けてあげたかった。
もしくは、放課後に二人で会おうと、提案だってしたかもしれない。
だけど現実では、仁井くんが振った側なのだ。
 “同調、それだけじゃ嫌だ”。
本当にそう言ったのだろうか。
私は司への同調、それだけでいい。
仁井くんは、理花子への同調、それだけでは無理だった。
共感がほしかった・・・
それはつまり、彼女との同調ではない、私との共感が良くて別れたということなのか。
私が仁井くんの気持ちに何かしら変化を与えたのかも知れない。
仁井くんの気持ちを沢山、想像してしまう。
だけど私は、期待に似たその気持ちをかき消そうとした。
理花子に別れを告げたのは、私とは無関係の決断だ。
自分にそう言い聞かせ続ける。
 そして時が経てば経つほど、私は勝手に、仁井くんに裏切られた気分にさえなっていった。
理花子への恋を貫き通してほしかった。
せめて、高校を卒業するまでは。
卒業さえしてしまえば、私の知らないところで別れるなり、結婚でも何でもしたら良かったのだ。

 この頃、私の誰かに読まれることを意識して書かれた日記の内容が、荒れていた。
親しくないクラスメイトが読んだとしても、私が書いている登場人物が誰なのか、特定できてしまうほど詳細になっていたし、文字を見ただけで、憤りや不安や焦りが伝わってきた。
つまり、誰かに読まれたらまずい日記へと変化していたのだ。
あまりにも私的で、感情的だった。
 
 その衝動の流れから私は、過去の日記を読み漁った。
そして、少し後悔した。
日記を読み返したことについてではなく、その内容の薄さにだ。
仁井くんとの修学旅行での思い出や、学校の水飲み場での出来事。
その詳細や感情を、私の中だけにとどめることを喜びと感じているのは確かだが、やはり記憶の鮮明度は弱まっている。
もっと、忘れないように書いておくべきだっただろうか。 
もっと、思い出したい。
あの時の気持ちをもう一度・・・
きっと、今みたいな暗い気分ではなく、明るい気分の時なら、鮮明に回想を行えるのかもしれない。
たとえ、勝手に修正してしまった部分があるにしても、自分の記憶を信じることができる。
でも、今はそれができない。
仁井くんが理花子と別れたせいでできない。
結局、感情次第で、変わる。 
そもそも明るい気分なら、縋るように日記を読み返す行為もしなかっただろう。
私は、あったかもしれない可能性に怯えていた。
芸能人に憧れるとか、そんな遠くて壮大なものではない。
私に及んだであろう範囲での、可能性に。
つまり、仁井くんと私が付き合っていたかもしれない可能性。
その、あったかもしれない可能性をゼロにするのが嫌で、司という大切な存在を少し、心のなかで疎かにした。
私は本当にズルいと思う。


 重要な、司。
司はやっぱり私とは似ていない。
それでいて。
それでこそ、好きだった。
司といると時々、映画のワンシーンの中にいるみたいな気分になる。
 初めて二人で映画に行った日の喫茶店。
あの時感じた、突然芝居に参加させられている感覚。
リアルなのに、どこか夢見心地。
私はそういう時、自分だけを映すカメラがあったとして、そこに映る自分の姿を想像した。
そして、どんな顔で好きな人のそばにいるのだろうと気持ちを昂らせた。
そういうのは全部、多分、司の積極的な性格のせい。


 卒業が近くなった頃、司は二つのことを私に宣言した。
一つは、仁井くんについてのこと。
 司と仁井くんは、前よりも距離を置き、だけど私と理花子のように離れることはなく、友情を続けていた。

「もう、詩音とのことは心配しなくていいよ。沙咲が俺のこと、助けてくれたから、大丈夫。アイツはもう、俺のコピーなんかじゃない。俺の感情はアイツのものにならない。沙咲への気持ちは、俺だけのものだから」

司の言った通りなら、仁井くんが本心で私を好きだった瞬間は、少しもなかったということになる。
それは違うと思いたいし、きっと違う。
でも、司にそう言われた時、自信をなくしたのも事実だ。
 仁井くんはもう、司の感情を奪わない。
司はもう、仁井くんに自分の感情を奪わせない、真似させない。
その正しいであろう関係性は、私と司の交際が順調であればあるほど、保たれるようだった。

 そして、もう一つ。
かなり、突然だった。
司は、

「俳優になる」

と、私に宣言した。
感情を押し殺して、噂話に耐え続けるのが性に合わないと言っていた司は、圧倒的な魅力である憧れをなかったことにし、それに耐え続ける方が性に合っていないと言った。
父親の名前を伏せ、もう、死ぬまで伏せ、頑張りたいと。
そういうところを見れば、私に似ていないと断言できる。
司や理花子は有言実行タイプ。
私や仁井くんは不言実行タイプ。

 俳優になると言った司に私が言ったのは、

「司の出るドラマとか映画、早く観たいな」

という、彼氏を喜ばせるには物足りない言葉だった。
人としても、イマイチな気がする対応。
応援でも、反対でもない、曖昧で色のない位置を守る私。
司は、

「ありがとう」

と言い、恥ずかしそうに俯いた。
恥ずかしそうに見えたけれど、本当は、私の発言が期待外れで俯いたのかもしれない。
私はその時、司にもっと好かれたいと思った。

 もしかしたら。
私は司といるから、不言実行タイプの役割を貫こうとするだけで、仁井くんと一緒にいるなら、有言実行タイプになるんじゃないか。
ない性質を埋めようと努力するのではないか。
ふと、そんなことも考えたりした。

「今、何考えてた?」

仁井くんのことをそうやって考えてしまった時に、司は聞いてきた。
私はその時の冷えた感覚を忘れられない。
一途に見せかけて一途じゃない、そんな自分が恥ずかしくなった。

「夢を語れるのって凄いなって思ったの。私はただ、少しでも条件の良いところで就職できればいいな、としか思ってないから」

私は自分の芝居の上手さに驚いた。
理花子の機嫌をとるために培った演技力?
今までならその答えで納得できていたはずだ。
でも、違う。
司という、青春の真ん中にいたその人物を、自分だけのものにし続けたいという、欲望からきた必死の演技。
その答えがしっくりくる。
自分だけのものというのは、付き合いたいとかずっと一緒にいたいとか、そういう分かりやすい気持ち・・・
ずっと心に守り続ける場所。
何があっても・・・の場所。
その分かりやすさはもしかすると、表彰台の一番高いところ、一等賞なのかもしれない。
司が私の一等賞。
それならきっと仁井くんはそもそも、一等賞ではなくて、特別賞だったのだ。

 だからといって、司にとっての一等賞が間違いなく自分だ、なんて過信したり、豪語したり、見栄を張ったりしない。
決して、してはいけない。
一等賞を獲れるように、努力し続けるべきだ、 
司だけは思い出にしたくない。

 私は。
間違いなく私は、司が好き。
私は、私と違う、司が好き。

卒業が近づいた頃に司が、

「大学出てから活動するなら、海外でスタートした方が、やっぱりいいよね?」

と聞いてきた。

高校三年の私に、何が言えるだろうか。
司がどれほど本気でそれを私に聞いているのか、分からない。
私をなぜか不安にさせる質問だ。
私達には、特に司には、可能性がどれほどあるのかも判断できないほどに、選択肢が多過ぎる。
それなのに、私みたいな人間は、選択肢が二つくらいしかないみたいに、思い込み、振る舞う。

「司は、どうしたいの?」

「そりゃあ日本で始められたら、楽でいいよね」

「うん」

「英語、喋れるわけじゃないし」

「アジア圏の他のところとかは?」

「それもアリだな」

「司はきっと、どこの国でもOKなビジュアルだよ」

司は笑ってくれはしたけれど、真剣な顔になり、

「そうならいいけど。でも、海外に行くこと考えたら、日本で努力するのが楽に思える」

と言う。
私は司の真剣さに合わせようと思った。

「圧倒的な魅力」

「ん?」

「司、俳優は圧倒的な魅力があるって言ったでしょ」

「うん」

「その言葉、好き」

「そう?」

「うん。羨ましい」

司は少し黙って、何かを考えた。
その表情が、司のお父さんに似ていた。
前に観たドラマでお父さん、つまり俳優の松木聖司が刑事役だった時、事件を解明する為、ホワイトボードの前で悩む姿を思い出した。

「俺が俳優になったら、俺の真似をする人がいるのかな」

「いるかもね。良い映画とかドラマを観たら、登場人物に影響されてつい、真似したくなっちゃうものだから」

「ってことはさ、俺は親父の真似をしてるだけなのかもしれない」

「それは・・・」

「多分、違くない。仁井詩音が俺の真似したのなんかは可愛いもんで、俺のは本当のコピーだから」

「私は違うと思うけど・・・ただ、司のお父さんが俳優として凄いってことだよ」

「まあ、そうかもね」

司は悲しそうだった。
それを隠そうとする彼の息遣いに、そのことに気付く自分に、彼への気持ちの大きさを感じた。

「好きだよ」

それが私にできる、伝えられる唯一の言葉だった。
司の夢に、私は触れられない。
あまりにも私とは違う世界。
でも、恋愛面で。
そこには、私と司だけにしか触れられない何かがあるはずだと思った。


 勇気を振り絞らなくても、ある程度簡単に、好きな人に好きと伝えられるようになった頃。
仁井くんとも、話すことがないまま、卒業式当日を迎える。
さすがにその日には、廊下の先にいた仁井くんの横顔を見つめないわけにはいかなかった。
例え司に気付かれたとしても、やめることはできない。
そんな衝動で。

「だって、好きだった人だから」

とか

「もう一生会えないだろうから」

とか、彼氏に言うなんて有り得ないような言い訳しか用意できていなかった。
それでも私は、仁井くんを見つめ続けた。

 廊下の先。
そこにいる仁井くん、私と仁井くんの距離、今日が最後かもしれないという焦り。
仁井くんに振られたことを教えてきた理花子の意図を考えてみたりもした。
見つめるのをやめられない原因は、もう一度だけ話したいという、シンプルなものなのかもしれない。
 でもあの日、私は何の迷いもなく理花子に言ったのだ。
司が好きだと。


「沙咲?」

私に声を掛けてきたのは、白瀬ちゃんだった。
仁井くんから目を離したくなくて、あの白瀬ちゃんに対してさえ鬱陶しさを感じてしまう。

「何?」

ようやく白瀬ちゃんの方を見ると、少し心が落ち着いた。
私はもう、仁井くんを見たらダメかもしれない。

「何見てたの?誰か探してる?」

「いや。この景色も最後なんだなって思って、しみじみしちゃってた」

「そっか」

白瀬ちゃんは、嘘つきを見るような目で私を見た。
目の前の嘘つきに気付いていないフリをする白瀬ちゃん。
私は少し怖くなって、

「卒業しても、忙しいとは思うけど、会おうね」

と、柄にもないことを言ってみる。
模範的過ぎる、卒業後に会わなくなる同級生へのメッセージみたいに響く。

「もちろん」

白瀬ちゃんは、間違いなくそう言った。


 その後、私には呆気なく、これといった感動もなく、卒業式は終わった。
長い式が、私の心に冷静さを与えてくれることを期待していたのに、涙するクラスメイトを見たり、校長先生からの言葉を聞いていたりすると、むしろ言いたいことや、言えなかったことが溢れてきてしまう。

 体育館からそれぞれの教室に戻って行く。
私は緊張し始めていた。
二人で話す機会を見つけなくてはならない。
それも、今日。
今日でなくては意味がない。
青春が失われつつある中で、未来が怖くてたまらない。

 私はもう一度、心の中で自分に問い掛ける。
私の青春にいる、司、仁井くん、理花子、白瀬ちゃん。
目立ってそこにいる、四人。
その中で、誰との後悔が一番怖い?
言えば良かった、言わなければ良かった、が誰に対してなかったら嬉しい?
その答えは、その人の顔はどのくらいで思い浮かんだ?
もしかして、問い掛け終えるよりも前に、答えは既に決まっていた?
 きっとそう。
多分、心のどこかで予感していたから。
自分の思い通りにならなかった、その人に対する気持ちが、残り続け消えてくれない、これから先のことを。

 でも、私は。
持ち主がすぐに分かってしまう日記みたいに。
最後に尾田先生に宣言したように。
今、大切な人と同じ空間にいられる時に、本音を伝える。
ほんの少しでもいいから。
伝えたい。
私にとってのその人だけではなく、その人にとっての私に、最後の変化を与える為に。
その人の心に、残り続けられるように。


 私は、私を、その人に残した。
だから、卒業してしばらく経ち、その人の近況を知ることができなくても、静かにその現実を受け止めることができた。
あの優しさを思い出すだけで、幸せだと思えた。
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