虚ろな光

相田カラ

文字の大きさ
22 / 22
第二章 静寂の島

第二十一話 深層の手

しおりを挟む

 地下のさらに奥へ進むほど、空気は“音のない水”みたいに重くなっていった。

 灯りの揺れ方が変わる。
 炎がゆっくり沈むように、影が長く伸びる。

 イヴはずっと袖をつまんでいた。
 歩みは静かで、声もない。
 ただ、指だけがすこし強く、すこし弱く──深層の揺れをなぞるように動いていた。

(……中心が、近い)

 陶片の震えは弱い。
 なのに“奥へ行かせまいと引く”ような妙な抵抗だけがある。

 その違和感に気を取られたときだった。

 空気が、ふっと 千切れた。

 風でも音でもない。
 “層が一枚、剥がれた”みたいな静かな断絶。

「……え?」

 返事のかわりに、イヴの爪がルナの袖を強く引いた。

 目の前の通路が──沈むように暗くなり、

 次の瞬間。

 ルナの身体が後ろへ、ぐい、と引っ張られた。

 腕でも手でもない。
 生き物の気配もない。
 ただ、
 “存在の端だけ” をつかまれたような冷たい感触。

「……っ!」

 足が浮く。
 膝の力が抜ける。

 引かれているのは肉体じゃない。
 胸の奥、もっと深いところ──

 魂の“重なっている側”だけが、ずるりと引き抜かれるような感覚。

(痛い……!)

 声にならない悲鳴が喉で震えた。
 目の前の空間が暗い水面みたいに揺れ、

 引かれる。

 奥へ、
 もっと奥へ。

 イヴの手が離れた。

「……っイヴ──!」

 呼ぶ前に、空気が裂けた。

 沈黙した海みたいな静寂の中で、
 イヴの影がふっと揺れた。

 次の瞬間、

 光がはじける。

 眩しさじゃない。
 音じゃない。

 空気そのものが、逆向きに震えた。

 ルナを引いていた“何か”が、歪んで割れる。
 指一本ない存在が、形もなく消える。

 イヴがルナの腕をつかんでいた。

 その瞳は完全に覚醒していて、
 深い海の底みたいな冷たい光を宿していた。

「……さわらない」

 その声は淡々としているのに、
 空気をひとつ刺すような鋭さがあった。

 ルナは息をついた。
 胸の奥の痛みが、まだ脈動している。

「いま……引っ張られて……」

 言いかけて、口を閉じた。

 言葉にしたら崩れる。
 そんな気がした。

 イヴはルナの肩に手を置き、短く言った。

「……まだ、さき」

 陶片が震えた。
 緑の線は、さらに深い闇の奥──
 今の“手”が戻っていった方向を指している。

(あれは……
 “歪み”じゃない……
 もっと……根の方……)

 心臓の奥で、
 夢の断片がふっと浮かんだ。

 光の底。
 伸ばされた誰かの手。
 崩れる身体。
 泣き声。
 名を呼ぶ声。

 そして──

 「……もどって……」

 耳の奥で、かすれた声が触れた。

 イヴは聞いていない。
 風も鳴っていない。

 ルナだけが、ひとりでその声に触れていた。

(……誰……?
 私を……どこへ……?)

 答えは、まだ遠い。

 ただ、胸の奥で“重なり”が微かに軋んだ。


 ―――――
  陶片の震えは、地下へ進むにつれて細く、鋭くなった。
 歩くたび、石畳がわずかに反響して、その反響が“遅れて”返ってくる。

 奥の通路は、ほとんど光が届かなかった。
 灯りを掲げても、光が広がらない。
 ただ黒い壁に触れて、そのまま吸われる。

 イヴが立ち止まり、足元を見た。

「……おと、きえた」

 その通りだった。
 靴音がしない。
 呼吸だけが近く、鼓動だけが遠い。

(深い……ここ、世界の下に沈んだみたい……)

 奥の先に、ぽっかりと丸い空洞があった。
 天井は高く、壁は滑らかで、誰かが人工的に削った跡もある。

 中央だけが、淡く光っていた。

 円形の台座。
 ひび割れた金属。
 その周囲に散る、無数の“接合具の残骸”。

(……装置……? いや……“結ぶための何か”……)

 踏み込んだ瞬間、胸の奥がひどく熱くなった。
 体が覚えているような、触れたことがあるような痛み。

 イヴが袖をつまむ。

「……るな」

 呼ぶ声は小さいのに、引き止める強さだけは迷いがなかった。

「大丈夫。触れないよ、まだ……」

 そう言いながら、足が自然に前へ出ていた。

 装置の中央に、細い針のような突起がある。
 “何かを接続するため”の形。

 手を伸ばせば、届く距離。

 伸ばしてはいけないと分かっているのに、
 胸の奥が、ゆっくりと疼いた。

 ——そのとき。

 耳の奥で、ひとつだけ音が裂けた。

『……も……どっ……て……』

「っ……!」

 言葉になっていない。
 けれど確かに“誰かの声”だった。

 イヴではない。
 島民でもない。
 この場所のものでもない。

 もっと深いところ。
 もっと近い記憶。

 胸が緊張で強く跳ねた。

(また……呼ばれた……誰……)

 装置の上の金属が、ごくわずかに動いた。
 誰も触れていないのに、薄く震えた。

 イヴが一歩、前に出た。
 袖ではなく、今度はルナの手首を掴む。

「……だめ」

 その声は、いつものイヴの声だった。
 なのに、奥にある温度は“強い拒絶”だった。

「……大丈夫。ただ、ちょっと確かめるだけ」

 自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。

 でも指先がふるえた。
 装置の中央に吸い寄せられるように、手が動いてしまう。

 触れたら──戻れない。

 頭では分かるのに、胸の奥だけが正反対の方向へ傾く。

(……なに……これ……私……どうして……)

 触れる寸前、
 装置から細い緑の光が立ちのぼった。

 陶片の“緑”と同じ色。

 光はルナの指先の輪郭をなぞり、
 装置が彼女を認識したかのように静かに震えた。

『……もどっ……て……きて……』

 今度ははっきり聞こえた。

 声は泣いていた。
 懇願していた。
 呼んでいた。

 ルナの呼吸が止まる。

(……この声……知ってる……)

 触れそうで、触れない距離。
 装置の端が、ほんのわずかに開いた。

 イヴがさらに強く手を掴む。

「……るな、いかない」

 その瞬間、光が一度ふっと消えた。

 装置は沈黙し、地下の空気だけがゆっくり戻る。

 ルナは掴まれた手首を見下ろし、
 その温度に意識が戻った。

(……危なかった……)

 けれど、胸の奥の熱だけは消えていなかった。

 “触れたかった”。
 “戻りたかった”。

 どうしてそんな感情が生まれたのか、
 ルナ自身にも分からなかった。

「……イヴ、ありがとう。……もう少しだけ先を見る」

 イヴはゆっくり手を離し、ただ小さく頷いた。

 装置の奥へ続く黒い通路。

 陶片はまた震え始めていた。

 深層の核が──ほんのわずかに動いた。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……

タマ マコト
ファンタジー
王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。

3歳で捨てられた件

玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。 それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。 キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。

掃除婦に追いやられた私、城のゴミ山から古代兵器を次々と発掘して国中、世界中?がざわつく

タマ マコト
ファンタジー
王立工房の魔導測量師見習いリーナは、誰にも測れない“失われた魔力波長”を感じ取れるせいで奇人扱いされ、派閥争いのスケープゴートにされて掃除婦として城のゴミ置き場に追いやられる。 最底辺の仕事に落ちた彼女は、ゴミ山の中から自分にだけ見える微かな光を見つけ、それを磨き上げた結果、朽ちた金属片が古代兵器アークレールとして完全復活し、世界の均衡を揺るがす存在としての第一歩を踏み出す。

【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。

猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。 復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。 やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、 勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。 過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。 魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、 四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。 輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。 けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、 やがて――“本当の自分”を見つけていく――。 そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。 ※本作の章構成:  第一章:アカデミー&聖女覚醒編  第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編  第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編 ※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位) ※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。

神スキル【絶対育成】で追放令嬢を餌付けしたら国ができた

黒崎隼人
ファンタジー
過労死した植物研究者が転生したのは、貧しい開拓村の少年アランだった。彼に与えられたのは、あらゆる植物を意のままに操る神スキル【絶対育成】だった。 そんな彼の元に、ある日、王都から追放されてきた「悪役令嬢」セラフィーナがやってくる。 「私があなたの知識となり、盾となりましょう。その代わり、この村を豊かにする力を貸してください」 前世の知識とチートスキルを持つ少年と、気高く理知的な元公爵令嬢。 二人が手を取り合った時、飢えた辺境の村は、やがて世界が羨む豊かで平和な楽園へと姿を変えていく。 辺境から始まる、農業革命ファンタジー&国家創成譚が、ここに開幕する。

人質5歳の生存戦略! ―悪役王子はなんとか死ぬ気で生き延びたい!冤罪処刑はほんとムリぃ!―

ほしみ
ファンタジー
「え! ぼく、死ぬの!?」 前世、15歳で人生を終えたぼく。 目が覚めたら異世界の、5歳の王子様! けど、人質として大国に送られた危ない身分。 そして、夢で思い出してしまった最悪な事実。 「ぼく、このお話知ってる!!」 生まれ変わった先は、小説の中の悪役王子様!? このままだと、10年後に無実の罪であっさり処刑されちゃう!! 「むりむりむりむり、ぜったいにムリ!!」 生き延びるには、なんとか好感度を稼ぐしかない。 とにかく周りに気を使いまくって! 王子様たちは全力尊重! 侍女さんたちには迷惑かけない! ひたすら頑張れ、ぼく! ――猶予は後10年。 原作のお話は知ってる――でも、5歳の頭と体じゃうまくいかない! お菓子に惑わされて、勘違いで空回りして、毎回ドタバタのアタフタのアワアワ。 それでも、ぼくは諦めない。 だって、絶対の絶対に死にたくないからっ! 原作とはちょっと違う王子様たち、なんかびっくりな王様。 健気に奮闘する(ポンコツ)王子と、見守る人たち。 どうにか生き延びたい5才の、ほのぼのコミカル可愛いふわふわ物語。 (全年齢/ほのぼの/男性キャラ中心/嫌なキャラなし/1エピソード完結型/ほぼ毎日更新中)

侵略国家の皇女に転生しましたが他国へと追放されたので祖国を懲らしめます

think
恋愛
日本から転生を果たした普通の女性、橘美紀は侵略国家の皇女として生まれ変わった。 敵味方問わず多くの兵士が死んでいく現状を変えたいと願ったが、父によって他国へと嫁がされてしまう。 ならばと彼女は祖国を懲らしめるために嫁いだ国スイレース王国の王子とともに逆襲することにしました。

下賜されまして ~戦場の餓鬼と呼ばれた軍人との甘い日々~

イシュタル
恋愛
王宮から突然嫁がされた18歳の少女・ソフィアは、冷たい風の吹く屋敷へと降り立つ。迎えたのは、無愛想で人嫌いな騎士爵グラッド・エルグレイム。金貨の袋を渡され「好きにしろ」と言われた彼女は、侍女も使用人もいない屋敷で孤独な生活を始める。 王宮での優雅な日々とは一転、自分の髪を切り、服を整え、料理を学びながら、ソフィアは少しずつ「夫人」としての自立を模索していく。だが、辻馬車での盗難事件や料理の失敗、そして過労による倒れ込みなど、試練は次々と彼女を襲う。 そんな中、無口なグラッドの態度にも少しずつ変化が現れ始める。謝罪とも言えない金貨の袋、静かな気遣い、そして彼女の倒れた姿に見せた焦り。距離のあった二人の間に、わずかな波紋が広がっていく。 これは、王宮の寵姫から孤独な夫人へと変わる少女が、自らの手で居場所を築いていく物語。冷たい屋敷に灯る、静かな希望の光。 ⚠️本作はAIとの共同製作です。

処理中です...