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第二章 静寂の島
第二十話 魂の欠片
しおりを挟む階段を降りるほど、空気が冷えていった。
湿気ではない。
もっと“乾いた何か”が、皮膚の表面を淡く削っていくような冷たさ。
石壁に沿って置かれた灯りは少なく、
光は地面に落ちたあと、ゆっくり沈んでいく。
まるで光そのものが、ここでは重くなるみたいに。
イヴは足を止め、壁に触れた。
指先がふるえたわけではない。
ただ、記憶を探すように。
「……おと……うすい」
その声は、普通の声だった。
けれど奥底に“懐かしさの形”だけが沈んでいる。
ルナは壁を見た。
古い線が刻まれていた。
絵でも文字でもない。
ただ“残すためだけに爪で引いた”ような、乱れた痕跡。
細い線のいくつかが──
まるで人のシルエットに見えた。
(……これ……)
触れた瞬間、胸の奥がざわ、と揺れた。
夢で見た光景の一部が、ここに重なった。
――光の底で
――“もどってきて”
――**
思い出そうとした途端、心臓の奥が刺すように痛む。
「……ルナ」
袖が引かれた。
イヴだった。
「……ちがう。ここ……“はじまり”じゃ……ない」
イヴの瞳は、壁の奥の“見えない層”を見ていた。
壁のさらに奥。
空気が一段薄くなるような──
そんな感覚が、二人の間を通り抜けた。
陶片が胸の袋の中で震えた。
方向はひとつ。
壁の裂け目の向こう。
「……中心、じゃない……」
ルナの口が、無意識に言葉をこぼした。
ここは入口。
ここから、何かが始まった。
でも“核”はもっと奥にある。
その深部だけは、島民すら触れていない層。
「行こう、イヴ。……まだ、この先がある」
イヴは返事をしない。
ただ袖をつまんだまま、ゆっくり頷いた。
――――
裂け目を抜けると、空気が変わった。
湿度も温度も同じなのに──
“重さ”だけが違う。
音が沈む。
呼吸が遅れる。
灯りが遠くなる。
広間の中央に、円形の石台があった。
その上には、割れた“欠片”が散らばっている。
陶片によく似た材質。
でも形が違う。
用途も違う。
(……これ……)
ルナの胸が軋む。
それは、禁呪の“道具”だった。
魂を割り、
分け、
重ね、
“別の器へ繋ぎとめる”秘術のための──
断片に指を伸ばした瞬間、
ルナの視界がぐらりと揺れた。
――光
――手
――崩れかけた身体
――何かを渡す
――何かを奪う
――「……**」
誰かが泣いていた。
叫んでいた。
でも音は途中で崩れて、意味を成さない。
痛みだけが、鮮明だった。
「……ルナ」
イヴの声が遠くで呼んだ。
その声だけが現実に引き戻す。
ルナは息を震わせた。
(……これが……禁呪……?
魂を……渡す……?
私が……?)
理解の輪郭は掴めない。
ただ“そういう形の術”だという確信だけが、胸の奥に沈んだ。
でも、イヴには言えなかった。
イヴの瞳だけが、じっと自分を見つめている。
言えば壊れる。
その直感だけは、なぜか確かだった。
「……なんでも、ない」
ルナはそう言い、微笑んだ。
イヴは、少しだけ長くルナを見ていたが──
やがて袖をつまんだ。
「……いこ。まだ……さき」
陶片が再び震えた。
緑の線が広間の奥へ、地下へ──
さらに深い層へ伸びていく。
(本当の核があるのは……もっと下……)
その先には、何があるのか。
夢の声の主が、
何を“もう一度”求めているのか。
分からないまま、
ルナはイヴの手を取り、さらに深い暗闇へ歩き出した。
石畳の下で、何かがかすかに脈打っていた。
魂の層が、重なる音を立てながら──。
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