【完結・R18】記憶をなくした元伯爵令嬢は、今日も優しい公爵様に甘く愛されて幸せです【番外編追加】

堀川ぼり

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一章

知らない人と知らない家

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 目を覚ますと、最初に視界に入ったのは見慣れない天井だった。
 見慣れないと言ったけれど、どんな景色なら見慣れているのか問われても、きっと私は答えられなかったであろう。

 ――ここがどこで、今が何日なのか。

 それ以前に、私は自分の名前すらハッキリと思い出せない。
 ゆっくりと上半身を起こすと、少しだけ体が痛む。どこか怪我をしているのだろうか。
 そんなことを思いながら視線を横に向けると、知らない男性に顔を覗き込まれてひゅっと息を呑んだ。
 銀色の前髪から覗く琥珀のような瞳は、不安そうに私を見つめている。

 しばし顔を見つめ合って、数秒。
 少しだけ震えた大きな手が、ゆっくりと私の頬に触れた。

「セシリア……?」
「……あ、の……」

 今呼ばれたのが、私の名前なのだろうか。
 しかしそれを尋ねるよりも先に、目の前の男性は弾けたように私を掻き抱く。
 強い力で私を抱きしめる彼の体は、まだわずかに震えていた。

「よかった……。本当によかった……! もう、このまま目を覚ましてくれないのかと思った……!」

 泣いているように聞こえるが、抱きつかれているため彼の顔は見えない。どうすればいいのか分からず、戸惑いながらも両手を持ち上げ彼の背中に回した。
 慰めるように背中をさすると、数秒経ってから「はぁ……」と深く息を吐いて、その男性はゆっくり私との距離を開く。

「セシリアが死んでいたら、僕も一緒に死んでいた」
「え……?」

 ぽかんと口を開けて彼を見つめる私に、目の前の男性は苦笑しながら私の頭を撫でた。
 悲しそうに笑う姿が印象的で、なぜだかひどく胸が締め付けられる。

「セシリア……君の名前だよ。分かる?」

 聞き覚えのない名前。
 知らない――と伝えるために、ゆっくりと左右に首を振る。
「やっぱり」と口を動かした男は、緩慢な動きで立ち上がり、私に向かって柔らかく微笑んだ。

「もう一度医者を呼んでくるよ。すぐに戻るから、セシリアは少し待っていて」
「……はい」

 細い声で返事をすると、「良い子だね」と子供を褒めるように言って、ふわりと笑いかけられた。
 先ほどの取り乱した姿とは正反対の、落ち着いていて優しい声。
 凛々しい眉が少しだけ下がり、私に向けられる黄金の瞳が優しく細められる。
 柔らかい雰囲気と、美しい銀糸の髪に映える整った顔立ち。立ち姿やちょっとした仕草に、隠しきれない気品が溢れている。
 名前を聞きそびれてしまったけれど、いったい何者なのだろうか。

 すぐに男に連れられてきた医者に診察された私は、いくつかの質問を投げかけられた。
 その結果くだされた「記憶を失っていますね」という医者の診断を、銀髪の男性は最初から予想していたのだろう。すべて分かっていたとでも言うように、凪いだ金色の瞳が私を見つめている。

「……あの、記憶がないって言われても、私はどうすれば……?」
「しっかりと言葉が話せていますし、意識もはっきりしています。ただご自身に関する記憶だけが抜け落ちているようですから、日常生活を送るのに支障はないでしょう。いつも通りに過ごしていただき、記憶が戻るのを待つしかありません」
「は……」

 医療の力では何もできないという宣言をされ、不安で押しつぶされそうになった。
 そんな私を慰めるように、銀髪の彼は私の背中を優しくさすって「大丈夫だよ」と声をかけてくれる。
 何が大丈夫なのかちっとも分からない。

「暗い顔をしていても記憶は戻ってきませんよ。まずはいつも通りに生活を送り、記憶の鍵を手に入れることが重要です。頑張りましょう」

 励ますようにそう言った医者の言葉に、力無く頷いて視線を落とす。
 知らない人に囲まれているのに、周りの人は一方的に私のことを知っているのだ。この状況が、もうすでにたまらなく怖い。

 まずは現状の把握をしたほうがいいということで、とりあえず必要最低限のことを医者から教えてもらった。
 私の名前はセシリア。旧姓は、セシリア・レヴィエ。現在二十一歳。
 伯爵家の生まれで、三年前にドミナール公爵家へ嫁入りしたらしい。

 そして、そんな私の結婚相手が、この銀髪の男性。ルシアン・ドミナール様。現在二十八歳。
 国庫の財務を一手に担う公爵家の当主であり、王家からの信頼も厚い好青年とのことだ。

 明らかな身分の差に、どうしてそんな人が私の夫になったのかと経緯を尋ねる。両親を失い路頭に迷いかけた私を救うため、ルシアン様のほうから結婚を申し出てくれたらしい。
 そう説明してくれた使用人の隣で「僕がセシリアのことを好きになっただけだよ」と、ルシアン様は照れくさそうに笑って言った。

 使用人の証言によると、どうやら私は階段で足を滑らせ、転がり落ちた先で強く頭を打ってしまったらしい。
 体の至る所が痛むのは、その時に打ちつけた怪我なのだろう。丁寧に手当てされているが骨は折れていないらしく、そのことに少しだけ安心した。

「必要な薬はこちらに。定期的に検診に参りますが、何かありましたらその都度お呼びください」

 ルシアン様に向かい深々と頭を下げた医者は、最後に私にも一礼をして部屋から出て行った。
 医者の残した消毒液や包帯、塗り薬。解毒剤というラベルの貼られた瓶は一度使用人に回収され、室内には私とルシアン様だけが残される。
 彼が私の旦那様だということは分かったけれど、今の私にとっては初対面の男性だ。二人きりにされると落ち着かない。
 何を話せばいいのか分からず、綺麗な顔がこちらに向けられているだけで緊張してしまう。

「……る、ルシアン様、あの……」
「そんなに硬くならなくてもいいよ。セシリアにとってはいきなり知らない場所に連れてこられたようなものだし、すごく不安だと思うけど……僕を含めて、ここにいる人間はみんなセシリアの味方だよ。怪我も、ゆっくり治していこうね」
「……っ」
「どんなに些細なことでもいいから、困ったことがあったら何でも言って」

 今日会ったばかりの知らない人。
 それでも、優しく頭を撫でられるだけで、心に募った不安が少しだけ溶かされていく。

「あ……ありがとうございます」
「僕の方がお礼を言いたい。無事に戻ってきてくれて、本当にありがとう」

 何に対してのお礼なのか分からず、首を傾げてルシアン様と視線を合わせる。
 私が生きていることが嬉しいと――彼の美しい黄金の瞳は、言外にそう伝えてくれていた。

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