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ずるくて汚いだけの恋

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「ん……っ、ぁ、は……」

 ただ息をしているだけなのに、口から漏れる声が勝手に甘くなる。
 首の後ろに回された手にぐっと上を向かされ、最初は遠慮がちだった舌の動きも少しずつ変わっていった。
 ただ触れるだけだった舌がゆっくりと絡んでいき、軽く吸われると同時に小さく音が鳴る。少し離れたかと思うと角度を変えて続けられ、舌以外の場所も丁寧に撫でられた。
 気持ち良くて怖い。恋人でもない人とこんなに深いキスをしているのに、全然嫌だと思えないのはおかしいだろうか。
 結人と昔していた時も、私はこんなに気持ち良かった?
 過去の記憶を思い出そうとしても、頭が麻痺しているみたいでうまく働かない。
 ちゃんと呼吸は出来ているはずなのに酸素が脳に回らず、頭の中がふわふわしている感じがした。

「っん、は……ぁ、結人……」

 私が弱い部分を覚えているのか、ゆっくりと上顎を舐められると、それだけでまた一段声が甘くなってしまう。
 結人の服を握る指先に無意識に力が入り、まるで甘えてねだっているみたいだ。
 こんなに普通に応えていてもいいのか分からず、キスをする前に自分で言った事が頭の中をぐるぐるする。
 一度触れて終わるだけだと思っていたのに、こんなのはおかしい。試すためのキスで、ここまでするなんて予想していなかった。
 そう思っているのは嘘じゃないのに、どうして普通に受け入れてしまっているんだろう。

 気持ち良くて嫌じゃなくて、これ以上は何も試す必要なんてない。
 どうしよう、私。キスもキス以上のことも、きっと普通に出来てしまう。
 そんな事を思いながら薄く目を開くと、至近距離でばっちりと結人と視線が絡む。
 いつから顔を見られていたのか分からない困惑と恥ずかしさで、一気に頭の中が真っ白になった。

「え? あ、っや……」

 慌てて顔を伏せながら結人の胸を押し、空気も読まずに大袈裟に引き離してしまった。
 どうしよう。結人はどのタイミングから目を開けていたんだろうか。
 どんな顔をしていたのかなんて自分では見えないけれど、拒む気なんて微塵も無い顔をしていたと思う。
 試すなんて言って始めたくせに、そのまま流されそうだった。
 結人に触られるのが嫌なことじゃないと、キスどころかそれ以上のことをしても平気だと、溶けた顔を至近距離で見られていたら確実に伝わってしまう。

 無言の時間が数秒続いたあと、私に触れたままだった結人の手が静かに離れた。
 俯いたままだったから、結人がどんな顔をしているのかは見ていない。
 ただゆっくりと下ろされた手を視界の端で捉え、この手に触れられていた事を思い出して、また少し呼吸がし辛くなった。
 キスが終わった瞬間に、また全然触れてくれない。
 
「……ああ、ごめん。平気なのかと思って少し調子乗った。大丈夫って言われたわけでもないのにね」
「違っ、あの……な、なんか結人が目開けてたから、恥ずかしいからそれがいやで……」
「は?」

 それだけ言うと、少し迷ったように結人は言葉を止める。
 しばらくしてから名前を呼ばれ、顔を上げると眉間にぐっと皺を寄せている結人と目が合った。

「……俺が、目開けてたのが嫌なだけ?」
「へ……? あの、うん……」

 この返事は、結人にどう受け取られたのだろうか。
 キスが出来て、嫌じゃなくて、そんな私は結人の目にはどう映るのだろう。

 再会してからたったの一ヶ月で、結人に抱いていた苦手意識は大分薄れてしまった。
 数回食事に行って、話をして、いつ会っても大事にしてもらっているようで嬉しくて、あの頃と全然違う扱いに安心して、罪悪感と好意が芽生えた。
 それまでは思い出したくない記憶のはずだったのに、単純過ぎて自分が嫌になる。
 一緒に住もうという提案に頷いてしまうくらいには、この部屋に来たあの日の段階で、結人に対する嫌な気持ちはきっとほとんど無くなっていた。

「俺が和音に触るの、本当に嫌じゃなかった?」

 その問いかけに正直に頷くと、安心したように結人が息を吐く。
 嬉しそうに緩められた表情を見ていられなくて、俯きながらぎゅっと手を握った。
 キスをしたあとだから分かる。この感情がなんなのか、改めて自覚してしまう。
 これが恋だと、素直に言えたら良かったのに。
 結人に惹かれるこの気持ちは、恋と呼ぶにはあまりにもずるくて汚い。
 かっこよくて、いつも優しくて、困っている私を当然のように助けてくれて、まるで自分に都合が良い人だから好きになったみたいだ。
 優しくされて、好きだって言ってもらえることを私はどこかで喜んでいて、だけどその気持ちを好きだって表現していいのか分からなくなる。
 こんなに打算的に作られた気持ちを、「好き」なんて優しい表現で誤魔化していいわけがない。

「和音」

 私の名前を呼ぶ声が、どこまで甘くて優しい。

「それじゃあ、また俺と付き合ってくれる?」

 再度落とされた告白に返事をしようと口を開き、声にする前に一度閉じた。
 こんな状態で返事をするのは不誠実な気がして、好きだって気持ちはあるのに答えていいのか分からない。
 いや、分からないなんて嘘だ。
 都合のいい言葉で誤魔化して、付き合うなんて答えを出してはいけないと思う。

「……付き合ってからすることって、キスだけじゃないから」
「は……?」
「さっきも言ったけど、これ以上のこと、とか……ちゃんと出来るかまだ分からないのに、付き合うなんて返事出来ないよ……」

 きっと私はキスだけじゃなくて、セックスだって普通に出来る。だけどそんなの、今は結人に伝えるべきじゃない。
 これ以上のこと、と濁した言い方をしたけれど、それが何を指すのかなんて結人にも簡単に分かるだろう。
 キスは出来てもセックスは出来ないと、そう伝えたのと同義だ。

「……別に、和音がしたくないならしなくてもいいよ。絶対にしなきゃ駄目なことじゃないから、そんなの」
「でも、付き合ってたら普通に考える事でしょ?」

 私は心のどこかで根に持っていたんだろうか。
 いつぞやの結人に言われたことを無意識に口にしてしまい、その瞬間に分かりやすく結人の表情が曇った。

「……あ、えっと、今みたいなことしてるうちに慣れるかもしれないし、付き合うとかそういうのは保留にしようよ」
「そんなこと言うと、付き合ってなくてもキスはしてもいいんだって受け取るよ。いいの?」
「……うん、いいよ。キスは大丈夫だった」

 ここでキスも嫌だと伝えたら、触れる事さえしてくれなくなってしまう。
 私に遠慮する必要なんてないし、結人はもっと適当でいい。
 好きな時に触って、気を張らない喋り方をして、気を使われていなくても好きだって思えたら、私のこの気持ちにも少しは信憑性がある気がする。
 自分の気持ちが分からなくなるから、落ち度のない完璧な素敵な人でいるの、早く辞めてくれたらいいのに。
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