猫とランチ

ゆい

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猫のランチ散歩 in 銀座 「光と影のポルチェリーノ」

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東京・銀座。高層ビルと老舗の商業建築が並び立ち、季節を問わず人の往来が絶えないこの街の一角に、猫のレオンはいた。
グレーのスーツに、細い黒のニットタイ。胸元には小さなシルバーのタイピンが光り、つややかな毛並みが歩くたびに自然と揺れている。前足にはいつものように革のブリーフケース。銀座通りから一本裏手に入った、舗装も細くなった静かな路地を、レオンは迷いなく進んでいた。

数軒のブティックと骨董品店の間に、控えめな真鍮の看板がある。
《Porcellino(ポルチェリーノ)》——小さな猪、という意味だ。
木製の扉は無塗装のまま時を重ねたような色合いで、取っ手には鉄の鋳物。傍らには真鍮の鈴が吊るされていて、風が吹くと、かすかにチリンと鳴る。レオンが扉を押すと、やわらかい音を立てて開いた。

中に一歩入った瞬間、レオンの鼻腔をくすぐったのは、仄かに漂う檜と珈琲豆の香り。
床にはオーク材の幅広フローリングが敷かれ、自然な節目がそのまま残されている。壁は白い漆喰、ところどころにモールディングが施され、装飾過多にならないよう、色調は全体にアイボリーで統一されていた。天井からは、グレージュのコードで吊るされたガラスのシャンデリアが下がり、光を柔らかく屈折させていた。

店の中央には、大きな丸テーブルがひとつ。無垢のマホガニー材が使われ、表面には蝋が塗られたような自然な艶。そこに並べられたのは、季節の花々を活けたグラスの一輪挿しと、オーナーが集めたという洋書が何冊か。
レオンはその横を通り抜けると、窓辺の席に向かった。

そこは、通りに面した大きなガラス窓に沿うように置かれた、背の低いヴィンテージの革張りアームチェアと、アンティークのライティングデスクを改装したテーブルがある。テーブルの天板は艶を失いつつあるウォルナットで、角には真鍮の金具がつけられている。引き出しは鍵付きで、その小さな鍵穴さえも、どこか懐かしさを感じさせる造りだった。

椅子に腰かけると、柔らかすぎず硬すぎない座面が身体を受け止め、レオンの姿勢は自然と整った。クッションにはグレイッシュな刺繍があしらわれており、指で撫でるとわずかな立体感が伝わる。

店員がやってきた。深緑色のリネンエプロンを身に着けた青年は、レオンの顔を見ると穏やかに微笑んだ。
「お帰りなさいませ、レオンさま。お席の温度は、ちょうどよろしいですか?」
「うん。少し窓を開けてもらってもいいかな。」
「かしこまりました。」

窓が少しだけ開け放たれ、夏の始まりを告げる銀座の風が店内に差し込んだ。
街の喧騒はここまで届かず、風はビルの谷間をすり抜けるように穏やかで、ほんのりとした舗装の香りと、遠くからの花の香りが混じり合っていた。

しばらくして、ランチが運ばれてくる。
銀色のトレイの上には、陶器のプレートが一枚。淡いグリーンがかった白磁に、縁だけがほんのり金彩。手に持つと重すぎず、しかし適度な重厚感があり、触れた指先に小さな凹凸が伝わる。

料理の上には、香ばしい蒸気が立ち上っていた。
レオンはフォークとナイフを手にし、ナプキンをひざに置くと、ゆっくりと一口目を運んだ。

……じんわりと、味が広がる。
外側はうっすらと香ばしく焼き目がつき、中は驚くほど柔らかく、ほどけるようだった。
舌に最初に触れるのは、控えめな塩気とハーブの香り。次に広がるのは、素材そのものが持つ自然な旨味。そしてそれらを包み込むのは、どこか土の香りを思わせるような、滋味のある風味だった。

噛むたびに、異なる層が現れる。
食感も、表面の軽いカリッという歯触りと、内側のふんわりとした舌ざわり。
その両方がひと口の中に調和し、まるでひとつの物語のように構成されていた。

テーブルに添えられたカトラリーレストは、シンプルな黒い陶製で、端に小さく店のロゴが刻まれている。ナイフをそこにそっと置き、レオンは一度深く息をついた。

カフェの奥には小さな音楽が流れていた。
アナログのレコードから紡がれるビル・エヴァンスのピアノが、音の粒となって空間に溶けていく。
壁際に置かれた古いスピーカーから出る音は丸く、どこか時間の厚みを感じさせた。

ふと、隣の棚に目をやると、陶器のティーポットが並べられていた。
どれも色が異なり、ひとつひとつに焼きのムラがある。だがそれが、手作りの温もりとして空間に馴染んでいた。レオンは、これがこの店の魅力のひとつだと感じていた。すべてが“過不足ない”。

食後、コーヒーが運ばれてくる。
カップはイタリア製の白磁で、内側にごくうっすらと青みがかった釉薬が差されている。ソーサーは同じシリーズだが、縁にだけ細くラインが入り、控えめな意匠になっている。

香りは深く、まるでカカオを思わせるような苦味と、花のような酸味が合わさっていた。
ひと口含むと、まるで銀座の夜の記憶のように、ゆっくりと広がって、消えていく。

「今日も、見事だったな……」

誰にも聞こえないように、レオンはぽつりと呟いた。
窓の外では、白いシャツの男が一人、ビルの影に吸い込まれていった。

時計を見ると、まだ午後の2時。
猫はブリーフケースを手にし、ゆっくりと椅子から立ち上がる。
レジの前を通ると、オーナーの女性が笑顔で頭を下げた。
「いつも、ありがとうございます。」
「こちらこそ。きっとまた、すぐに来るよ。」

扉の前まで来て、レオンは一瞬、振り返る。
光が差し込む窓辺の席と、遠くから響くピアノの音。それらすべてが、まだそこにあることを、確かめるように。

扉を開け、レオンは銀座の路地へと戻った。
陽射しは少しだけ傾き、街は静かに午後の顔を見せ始めていた。

猫の足音を、石畳がやさしく受け止める。
その背中を、小さなカフェのガラス窓が、今日もそっと見送っていた。
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