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前を歩く狐の尻尾がふわふわと揺れている。その名のとおり深い青の毛並みが先にかけて艶やかな白銀に色を変える。衝動的に触れたくなる柔らかな動き。思わず手を伸ばすとすっと消える思わせ振りな動き。あぁ罪だ。
優しい笑顔につられてついてきてしまったが、…信用してよかったのだろうか。どこか夢見心地でまるで重力を感じない。思考は常に浮いたままだ。
「足下、気を付けてください。たまに木の根が飛び出ていることがありますから」
「あっ、はい」
どうであれ、あそこでいてもどうすることもできなかったのだから、この状況には無理にでも納得する他ない。それにしても、長谷爽音とは本当に私のことなんだろうか。
━━そうやって」
「へっ?」
足が何かに引っ掛かる感覚。バランスを崩した体が前へと倒れる。
「うわぁぁ!」
必死に前へと伸ばした手を紺が引き上げ、抱き込むように体を支えた。
「あっ…?」
「よそ見をしていると転んでしまいますよ」
上からのぞき込む綺麗な金色の瞳。なんとなくそのまま目を会わせているのも気まずい。
「す、すみません」
「それと、私のことは信用していただけると幸いです」
「いやっ、別に疑ってなんか」
驚いて顔をあげると紺は微笑んだ。
「それにしては緊張されているようでしたが」
首を傾げる紺から恥ずかしさと気まずさでやはり目をそらしてしまう。
「すみません」
爽音の赤くなった顔に紺は気がついたように体を解放し、声を出して笑った。
「謝らないでください。大丈夫。案内役は爽音さんの都での生活をサポートするお仕事ですので」
「都での生活?」
何のことだろう。身に覚えのない話だ。
「はい。爽音さんにはこの魂の都で暮らしていただきます」
「はい?」
…意味がわからない。
「爽音さんの魂はこの都が引き取りました」
「魂を…どういうことですか」
「歩きながら話しましょう。足下気を付けて」
桜並木はまだ終わりが見えない。
「落ち着いて聞いていただけますね?」
頷いて見せると紺も了解の意を込めて頷き返し、そして口を開いた。
「爽音さんの魂は、現在爽音さんの体にはありません」
「魂がない? …死んでしまったということですか」
急に知らない土地に出た。それは爽音が死んで、実は天国に来たということだからだろうか。あまりにも突飛な話だ。
しかし紺はゆっくりと首を振った。
「正確にはお亡くなりになったわけではありません。魂の交換が行われたのです」
「魂の交換?」
「先に申し上げておきますが、ここは天国ではありません」
「もしかして地獄ですか?」
何したんだろう。地獄に落ちるようなことをした覚えはないけど。
「心配しなくても地獄ではないですよ。しかし少し質の悪い場所かもしれません」
紺は一呼吸おいてその言葉を口にした。
「魂の吹き溜まり」
それはどうにも聞こえが悪く不安を煽る。
「魂の交換とは、天界で転生を待つ魂と下界の汚れてしまった魂とを入れ換える作業です」
紺の話では、どうやら魂の交換で肉体から取り出された罪人の魂が、ここ魂の都にたどり着くらしい。
「ちょっと待ってください」
一つ、とても気になることがある。
「どうしましたか?」
「私はいったい何をしたんでしょうか」
そんな場所に連れてこられるようなことをしたのか。思い出せない。
「それは…」
紺は眉尻を下げた。
「そう、そこなのです。我々魂交換係は貴女に謝罪しなくてはいけません」
「なんでしょうか」
「実は職員の一人が誤って貴女の魂を刈り取ってきてしまったのです」
「誤って?」
「はい。爽音さんの魂に大きな汚れは見られません。我々は会議により選出された魂のみ、都へと案内し新たな生活を提供しています。しかし手違いにより爽音さんの魂までがこちらに導かれてしまったのです」
紺は謝罪の言葉を述べる。
「じゃあ帰れるんですね」
それも手違いなのであれば早急に。なにもしていないのにそんな悪党の暮らす町に連れていかれるなんてまっぴらごめんだ。
しかし紺は困ったように首を振る。
「それはできないのです」
「どうして? 死んだわけではないんでしょう? 私、冷蔵庫にケーキ残してきてるんです。早く食べないと妹に食べられちゃう」
他にもやり残したことがたくさんあるような気がする。いまいち思い出せないけれど。
「既に門が閉まってしまいました」
「門?」
「爽音さんが通っていらした門ですよ。もっとも、無意識のうちにこちらへいらしたようなので覚えていないかもしれませんが」
紺はその場に立ち止まり、歩いて来た方向を指差した。
「爽音さんが振り返ったとき、既に門は消えていたことを覚えていますか」
消えたかどうかは定かでないが、門なんてものを見た覚えはない。
「帰れないんですか」
申し訳なさそうに頷く紺。嘘をついているような顔には見えない。その耳はシュンと萎れ、本当に困っているようだ。
「私は、どうすればいいの?」
駄目だ。濡れ狐のような顔を見ているととても辛そうで、救ってやりたくなってしまう。現世に未練がないわけではないが、なぜか今は残してきたはずの大切なもののことが思い出せなかった。父の名前、母の名前、妹のこと、学校のこと、将来のこと。細かく思い出そうとするとどうも靄に包まれる。
「この都で暮らしていただきたいのです。美しい都です。とても、暮らしやすい」
「でも、私働いたことなんてないんですけど。部屋だって自分で借りたことなんか…」
大学一年目の十八才。やっと身辺の物事に慣れ始め、バイトだってしようかどうか考え始めたばかりだった。新しい環境で、それも一人でやっていけるだろうか。
爽音とは対照的に紺の顔がほっとしたのか少し柔らかさを含んだ。
「問題ありません。衣食住他必要なものはこちらで用意させていただきます」
「えっ、本当ですか」
「はい、手違い特権です」
紺が僅かに笑顔を取り戻す。再び歩き出した紺に並んで爽音も歩き出す。爽音の歩調に合わせてくれているのがわかる。
全てが保障される、か。考えてみればここでは勉強もしなくていいのだ。好きなことをのんびりと。それもいいかもしれない。
「もちろん働きたいときなどは声をかけていただければ紹介します。欲しいものがあればこちらで用意いたしますが、生き甲斐としてということもあるでしょうし」
何も心配はいらないと紺は言う。
「あの、私すごく人見知りなんですけど」
元々人付き合いが得意な方ではない。紺とこんなにまで話せているのも状況が状況だからであり、怖い人なんて絶対無理だ。
「安心していただいて大丈夫です。私がサポートいたします。何でも言ってください。案内役は魂をサポートするお仕事ですから」
優しい笑顔につられてついてきてしまったが、…信用してよかったのだろうか。どこか夢見心地でまるで重力を感じない。思考は常に浮いたままだ。
「足下、気を付けてください。たまに木の根が飛び出ていることがありますから」
「あっ、はい」
どうであれ、あそこでいてもどうすることもできなかったのだから、この状況には無理にでも納得する他ない。それにしても、長谷爽音とは本当に私のことなんだろうか。
━━そうやって」
「へっ?」
足が何かに引っ掛かる感覚。バランスを崩した体が前へと倒れる。
「うわぁぁ!」
必死に前へと伸ばした手を紺が引き上げ、抱き込むように体を支えた。
「あっ…?」
「よそ見をしていると転んでしまいますよ」
上からのぞき込む綺麗な金色の瞳。なんとなくそのまま目を会わせているのも気まずい。
「す、すみません」
「それと、私のことは信用していただけると幸いです」
「いやっ、別に疑ってなんか」
驚いて顔をあげると紺は微笑んだ。
「それにしては緊張されているようでしたが」
首を傾げる紺から恥ずかしさと気まずさでやはり目をそらしてしまう。
「すみません」
爽音の赤くなった顔に紺は気がついたように体を解放し、声を出して笑った。
「謝らないでください。大丈夫。案内役は爽音さんの都での生活をサポートするお仕事ですので」
「都での生活?」
何のことだろう。身に覚えのない話だ。
「はい。爽音さんにはこの魂の都で暮らしていただきます」
「はい?」
…意味がわからない。
「爽音さんの魂はこの都が引き取りました」
「魂を…どういうことですか」
「歩きながら話しましょう。足下気を付けて」
桜並木はまだ終わりが見えない。
「落ち着いて聞いていただけますね?」
頷いて見せると紺も了解の意を込めて頷き返し、そして口を開いた。
「爽音さんの魂は、現在爽音さんの体にはありません」
「魂がない? …死んでしまったということですか」
急に知らない土地に出た。それは爽音が死んで、実は天国に来たということだからだろうか。あまりにも突飛な話だ。
しかし紺はゆっくりと首を振った。
「正確にはお亡くなりになったわけではありません。魂の交換が行われたのです」
「魂の交換?」
「先に申し上げておきますが、ここは天国ではありません」
「もしかして地獄ですか?」
何したんだろう。地獄に落ちるようなことをした覚えはないけど。
「心配しなくても地獄ではないですよ。しかし少し質の悪い場所かもしれません」
紺は一呼吸おいてその言葉を口にした。
「魂の吹き溜まり」
それはどうにも聞こえが悪く不安を煽る。
「魂の交換とは、天界で転生を待つ魂と下界の汚れてしまった魂とを入れ換える作業です」
紺の話では、どうやら魂の交換で肉体から取り出された罪人の魂が、ここ魂の都にたどり着くらしい。
「ちょっと待ってください」
一つ、とても気になることがある。
「どうしましたか?」
「私はいったい何をしたんでしょうか」
そんな場所に連れてこられるようなことをしたのか。思い出せない。
「それは…」
紺は眉尻を下げた。
「そう、そこなのです。我々魂交換係は貴女に謝罪しなくてはいけません」
「なんでしょうか」
「実は職員の一人が誤って貴女の魂を刈り取ってきてしまったのです」
「誤って?」
「はい。爽音さんの魂に大きな汚れは見られません。我々は会議により選出された魂のみ、都へと案内し新たな生活を提供しています。しかし手違いにより爽音さんの魂までがこちらに導かれてしまったのです」
紺は謝罪の言葉を述べる。
「じゃあ帰れるんですね」
それも手違いなのであれば早急に。なにもしていないのにそんな悪党の暮らす町に連れていかれるなんてまっぴらごめんだ。
しかし紺は困ったように首を振る。
「それはできないのです」
「どうして? 死んだわけではないんでしょう? 私、冷蔵庫にケーキ残してきてるんです。早く食べないと妹に食べられちゃう」
他にもやり残したことがたくさんあるような気がする。いまいち思い出せないけれど。
「既に門が閉まってしまいました」
「門?」
「爽音さんが通っていらした門ですよ。もっとも、無意識のうちにこちらへいらしたようなので覚えていないかもしれませんが」
紺はその場に立ち止まり、歩いて来た方向を指差した。
「爽音さんが振り返ったとき、既に門は消えていたことを覚えていますか」
消えたかどうかは定かでないが、門なんてものを見た覚えはない。
「帰れないんですか」
申し訳なさそうに頷く紺。嘘をついているような顔には見えない。その耳はシュンと萎れ、本当に困っているようだ。
「私は、どうすればいいの?」
駄目だ。濡れ狐のような顔を見ているととても辛そうで、救ってやりたくなってしまう。現世に未練がないわけではないが、なぜか今は残してきたはずの大切なもののことが思い出せなかった。父の名前、母の名前、妹のこと、学校のこと、将来のこと。細かく思い出そうとするとどうも靄に包まれる。
「この都で暮らしていただきたいのです。美しい都です。とても、暮らしやすい」
「でも、私働いたことなんてないんですけど。部屋だって自分で借りたことなんか…」
大学一年目の十八才。やっと身辺の物事に慣れ始め、バイトだってしようかどうか考え始めたばかりだった。新しい環境で、それも一人でやっていけるだろうか。
爽音とは対照的に紺の顔がほっとしたのか少し柔らかさを含んだ。
「問題ありません。衣食住他必要なものはこちらで用意させていただきます」
「えっ、本当ですか」
「はい、手違い特権です」
紺が僅かに笑顔を取り戻す。再び歩き出した紺に並んで爽音も歩き出す。爽音の歩調に合わせてくれているのがわかる。
全てが保障される、か。考えてみればここでは勉強もしなくていいのだ。好きなことをのんびりと。それもいいかもしれない。
「もちろん働きたいときなどは声をかけていただければ紹介します。欲しいものがあればこちらで用意いたしますが、生き甲斐としてということもあるでしょうし」
何も心配はいらないと紺は言う。
「あの、私すごく人見知りなんですけど」
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