5 / 12
4
しおりを挟む
ここは天界管理局。管理局といってもビルのような建物があるわけではない。シックな黒雲で統一された、これも一つの世界なのだ。
多くの局員が家路へとつく中、狐の半獣が一人、波を縫うようにして逆方向へと向かっていた。その足取りは早く、表情もどこか険しい。
脇目も振らずただ奥へ奥へと波を割って歩く。
局員の波もまばらになった頃、その半獣は巨大な扉の前へとたどり着いた。赤、緑、青様々な色を使い金で豪華に縁取られた扉は、どこにくっついているわけでもない。その向こうは黒雲も終わり、世界が終わっている。ただそこには何に支えられることもなく扉だけがそびえ立っている。半獣はそれを躊躇なく叩いた。
押し開けるまでもなく扉はひとりでに動き出した。なんと中にはさらに空間が広がっているようだ。
「失礼致します」
半獣は驚いた様子もなく深々と礼をし中へと入っていく。
中では黒雲が階段のように上へと連なっている。それを上って行くと玉座の間に抜けた。そこには黄金の毛を持つ美しい猫の半獣が座っていた。彼の名はエンマ。天界に昇る魂の管理の総責任者であり、この世界の絶対神だ。
「なに?」
右手に傾国の乙女を侍らせながらエンマは横目に来訪者を見た。
「あれ、紺くんじゃない。珍しいね、僕のところに来るなんて」
驚いた様子で彼は、甘えた手つきですがる乙女の黒髪をとかしつけながら、興味深そうに玉座に片肘をつき身を乗り出した。
「どうかした?」
紺と呼ばれた半獣は大きく息を吐き出し、緊張の面持ちで口を開いた。
「なぜ、あのようなことをなさったのです」
「うん? なぁに?」
エンマは何を言われているのか覚えがないようで首をかしげている。
「なぜあの娘の記憶を消したのかと聞いているのです」
「ん? …あぁ、そのことね」
彼は途端に興味をなくしたようで、背凭れに音を立てて身を預ける。
「お答えください」
抑揚のない冷たい声だ。紺の言葉からは感情が読み取れない。
「いいじゃん、その方が君だってやり易いだろう? 変に暴れられても困るし」
「こちらの不手際で招いた事態です。無闇に隠蔽してしまわれるのはいかがなものかと」
エンマは不思議そうに首を傾げた。
「隠蔽なんてしてないよ? ただちょっと記憶をいじって都合の悪いことを言えなくしただけ、わかる?」
「しかし、やはり勝手に消してしまわれるのは━━」
「うるさいなぁ」
エンマが紺の言葉を遮った。
「君のそういうところ嫌いだなぁ。なに? 誠意がどうとか言いたいの? くだらない。さすが、人間出身」
エンマは吐き捨てる。
「全部君のためだよ。君では彼女の記憶を消せないだろう? 臆病だからね。彼女のことを考えても消してしまう方がよかったんだよ。感謝してもらいたいくらいだ」
彼は心からそう言っているようだった。その事は紺も理解している。しかし、
「あの娘は記憶をなくしたことで混乱しています。なにも名前まで消さなくとも」
「まぁ、確かに。ちょっと消しすぎちゃったかもね。久しぶりだったしなぁ」
爪の汚れを取りながら彼は笑った。
「記憶を戻すことはできませんか」
「できるよ。でもしない」
「なぜでしょうか」
「言っただろう、君のためだよ」
「あの娘の抱くであろう不安をお考えになりましたか」
「さぁね。でも、それを宥めるのが君の仕事だろう? 必要なら愛欲に踊らせたっていい。こんな風に」
彼は乙女の横髪に指を滑り込ませると、その唇に彼のそれを重ね、ぞわりとするほどに優しげな笑みを浮かべた。
「手玉に取ればいい。それができるくらいの容姿は持ってるだろう?」
乙女の頬は赤く染まり、キスをされた口はどうしようもなく緩んでいる。哀れな娘だ。乙女が今いるその場所で、つい昨日は違う娘が泣いていただろうことを紺は知っている。
「………」
「えー、怒ったの。つまらないなぁ」
「やはり私には貴方様という方は理解できかねます」
「いいよ、別に。難しいことは考えなくても。僕の言うとおりに動いてさえくれたら」
不気味な微笑みが紺を捉える。
「あっ、そうそう。彼女の魂持ってきちゃった彼? 下界のじいさんの魂と取り換えたから。後は死を待つのみ、って感じだねぇ。じいさんの魂適当に処理しといて」
「…狙ったのかもしれませんね」
「かもね。紺君もその気になったらいつでも決まりを破っておいで」
じゃあね、と手を振られる。それ以上は話す気はないようだ。
「…失礼致します」
紺は礼をし、足早に階段を下りていく。
紺の姿が扉の向こうへと消える頃エンマはもう一度乙女にキスをした。
「そんなに駄目なことかな?」
鼻が触れる位置で囁かれた乙女は頬を紅潮させ、小さく首を振った。
「せっかくのムードが台無しだね」
「門番をつけてはどうでしょう。もう邪魔をされたくないの」
乙女の甘える声にくすぐられエンマは微笑んだ。
「それもいいかもしれないね」
その答えを聞いて嬉しそうに笑う彼女もまた、明日にはきっとその足元で泣いている。
多くの局員が家路へとつく中、狐の半獣が一人、波を縫うようにして逆方向へと向かっていた。その足取りは早く、表情もどこか険しい。
脇目も振らずただ奥へ奥へと波を割って歩く。
局員の波もまばらになった頃、その半獣は巨大な扉の前へとたどり着いた。赤、緑、青様々な色を使い金で豪華に縁取られた扉は、どこにくっついているわけでもない。その向こうは黒雲も終わり、世界が終わっている。ただそこには何に支えられることもなく扉だけがそびえ立っている。半獣はそれを躊躇なく叩いた。
押し開けるまでもなく扉はひとりでに動き出した。なんと中にはさらに空間が広がっているようだ。
「失礼致します」
半獣は驚いた様子もなく深々と礼をし中へと入っていく。
中では黒雲が階段のように上へと連なっている。それを上って行くと玉座の間に抜けた。そこには黄金の毛を持つ美しい猫の半獣が座っていた。彼の名はエンマ。天界に昇る魂の管理の総責任者であり、この世界の絶対神だ。
「なに?」
右手に傾国の乙女を侍らせながらエンマは横目に来訪者を見た。
「あれ、紺くんじゃない。珍しいね、僕のところに来るなんて」
驚いた様子で彼は、甘えた手つきですがる乙女の黒髪をとかしつけながら、興味深そうに玉座に片肘をつき身を乗り出した。
「どうかした?」
紺と呼ばれた半獣は大きく息を吐き出し、緊張の面持ちで口を開いた。
「なぜ、あのようなことをなさったのです」
「うん? なぁに?」
エンマは何を言われているのか覚えがないようで首をかしげている。
「なぜあの娘の記憶を消したのかと聞いているのです」
「ん? …あぁ、そのことね」
彼は途端に興味をなくしたようで、背凭れに音を立てて身を預ける。
「お答えください」
抑揚のない冷たい声だ。紺の言葉からは感情が読み取れない。
「いいじゃん、その方が君だってやり易いだろう? 変に暴れられても困るし」
「こちらの不手際で招いた事態です。無闇に隠蔽してしまわれるのはいかがなものかと」
エンマは不思議そうに首を傾げた。
「隠蔽なんてしてないよ? ただちょっと記憶をいじって都合の悪いことを言えなくしただけ、わかる?」
「しかし、やはり勝手に消してしまわれるのは━━」
「うるさいなぁ」
エンマが紺の言葉を遮った。
「君のそういうところ嫌いだなぁ。なに? 誠意がどうとか言いたいの? くだらない。さすが、人間出身」
エンマは吐き捨てる。
「全部君のためだよ。君では彼女の記憶を消せないだろう? 臆病だからね。彼女のことを考えても消してしまう方がよかったんだよ。感謝してもらいたいくらいだ」
彼は心からそう言っているようだった。その事は紺も理解している。しかし、
「あの娘は記憶をなくしたことで混乱しています。なにも名前まで消さなくとも」
「まぁ、確かに。ちょっと消しすぎちゃったかもね。久しぶりだったしなぁ」
爪の汚れを取りながら彼は笑った。
「記憶を戻すことはできませんか」
「できるよ。でもしない」
「なぜでしょうか」
「言っただろう、君のためだよ」
「あの娘の抱くであろう不安をお考えになりましたか」
「さぁね。でも、それを宥めるのが君の仕事だろう? 必要なら愛欲に踊らせたっていい。こんな風に」
彼は乙女の横髪に指を滑り込ませると、その唇に彼のそれを重ね、ぞわりとするほどに優しげな笑みを浮かべた。
「手玉に取ればいい。それができるくらいの容姿は持ってるだろう?」
乙女の頬は赤く染まり、キスをされた口はどうしようもなく緩んでいる。哀れな娘だ。乙女が今いるその場所で、つい昨日は違う娘が泣いていただろうことを紺は知っている。
「………」
「えー、怒ったの。つまらないなぁ」
「やはり私には貴方様という方は理解できかねます」
「いいよ、別に。難しいことは考えなくても。僕の言うとおりに動いてさえくれたら」
不気味な微笑みが紺を捉える。
「あっ、そうそう。彼女の魂持ってきちゃった彼? 下界のじいさんの魂と取り換えたから。後は死を待つのみ、って感じだねぇ。じいさんの魂適当に処理しといて」
「…狙ったのかもしれませんね」
「かもね。紺君もその気になったらいつでも決まりを破っておいで」
じゃあね、と手を振られる。それ以上は話す気はないようだ。
「…失礼致します」
紺は礼をし、足早に階段を下りていく。
紺の姿が扉の向こうへと消える頃エンマはもう一度乙女にキスをした。
「そんなに駄目なことかな?」
鼻が触れる位置で囁かれた乙女は頬を紅潮させ、小さく首を振った。
「せっかくのムードが台無しだね」
「門番をつけてはどうでしょう。もう邪魔をされたくないの」
乙女の甘える声にくすぐられエンマは微笑んだ。
「それもいいかもしれないね」
その答えを聞いて嬉しそうに笑う彼女もまた、明日にはきっとその足元で泣いている。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる