明媚な狐の交換魂

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 もっと早く言ってくれればいいものを。あれから急いで味噌汁を流し込み、残ったおかずを口に詰め終えると必要な準備を済ませ部屋を出た。足早に階段を下りていくとロビーの片隅に立つ紺の姿が見えた。先に下りていたシュウナンと談笑しているようだ。
 紺は階段を下りる足音に気づき近寄って来た。
「お早うございます」
昨日と同じく優しい物腰で、怒っている様子はない。
「すみません遅れて」
「いえいえ、私も早く着きすぎてしまいました。焦らせてしまったようで。朝ご飯は食べられましたか?」
「はい、美味しかったです」
紺はゆったりと微笑んだ。
「それはよかった。今日は爽音さんのお家へ案内しようと思います。いいでしょうか」
「はい」
「では鍵を。シュウナンさん、預かっていただいてもいいでしょうか」
紺は鍵を受けとると近くに待機していたシュウナンに呼び掛けた。
「かしこまりました。では手続きもこちらで済ませておきますので」
「ありがとう。助かります」
紺が鍵を渡し軽く礼をする。
「では、行きましょうか」
「はい。シュウナンさん、ありがとうございました」
「こちらこそ。またいつでも遊びに来てください。チーズケーキ、用意しておきますので」
いってらっしゃいませ、とシュウナンの笑顔に見送られ歩き出す。

 ホテルを出ると紺は町の奥の方へと歩みを進めた。
「お家ってこの近くなんですか」
「そうですね、そう離れてはいません。すぐに着きますよ」
 町は桜の花が青空に映え、夜とはまた別の顔を見せる。大通りから小路にそれると、景色もまたがらりと変わった。石畳はいつのまにか終わりを告げ、水路を挟んで二本の道がずっと向こうまで続く。脇には木造家屋が並び、視線を動かすと至る所に働く人々の姿があった。出店のようだ。
「ここにもチーズケーキはあるって聞きました」
ふと思い出したので口にしてみた。紺はやはり親しげに笑みを浮かべている。
「お好きですか」
「チーズケーキに限ったことじゃないですけど。冷蔵庫に残してきちゃったんで」
「そうでしたか。それは悪いことをしました」
「いえ、…うん」
いいこと思い付いた。
「どうかしましたか?」
「紺さんは甘い物好きですか」
紺は不思議そうな顔で戸惑いながらも首を縦に振った。
「はい。たまに食べる程度ですが」
「紺さんに案内してもらいます、チーズケーキの美味しいお店。あっ、もちろん今日じゃなくていいです。また今度」
忙しい、だろうか。
「わかりました」
紺は先程よりも深く笑った。
「お店、探しておきます。近いうちに行きましょう。爽音さんの気が変わらないうちに」
楽しみですね、と付け加える辺り紺さんはいい人だ。そう爽音は思う。しかし慣れない相手と話すのは疲れるもので、交わしたばかりの約束に小さな後悔も感じていた。
 遠くに小さな橋が見える。鮮やかな赤色の向かいの道へと繋がる橋。川には小さな魚がいるようで釣り人と思われるシルエットが一人、中央に腰掛けている。上では雲がゆっくりと流れ、通りに日陰と日向を交互に作り出す。のどかな景色だ。
「昨夜はよく眠れましたか」
無意識のうちに欠伸をしていたらしい。紺に歩きながら尋ねられた。
「はい、ベッドもふかふかでした」
嘘だ。実を言うと夜明け前には目が覚めて、夢ではなかったショックに悶えていた。そのまま再び眠ることもできずに、布団にくるまり時が過ぎるのをじっと待っていた。
「そうでしたか。実は爽音さんを一人でホテルに残してしまったことを少し後悔していたんです。何事もないようでよかった」
紺は安心した様子で再び前を向く。
 柔らかな春風が視界に花を踊らせる。
「そういえば、シュウナンさんがこの町には時間がないっておっしゃってました」
「そうですか、シュウナンさんが」
「…ずっと春なんでしょうか」
この散っている桜も途絶えることはないのか。飽きは来ないのか。
「夏は来ますよ」
「夏だけですか?」
「すみません、伝え方が悪かったようです。秋も冬も。そしてまた春が来ます」
どうやらこの世界にも四季はあるらしい。秋には紅葉も見られると紺は言う。
「季節は移るのに、時間は止まっているんですか」
「はい。ここには死に直結したものは存在しません。逆に言えば人が亡くならないこと以外は爽音さんがいらっしゃった世界とそう変わりません」
「死に直結したもの?」
「例えば、髪は伸びますがシワは増えません。同じように体の成長は起こりにくいので身長も伸びません。皆さん風邪はひきますが重い病気にかかることもありません」
「人が死なない町ですか」
明日も明後日も時間に追われるということはまずないのだろう。時間の制限から解放された世界、魂の都。
「それを皆さんは受け入れてるんですか」
紺はすぐには答えない。少し時間をおいて、ゆっくりと口を開く。
「この町で暮らすことが一種の戒めなのかもしれません。百年たっても二百年たっても消えることができないというのも果てしないものです」
吹き抜けた風が二人の間に花を散らす。
「じゃあずっと、悪い人のままですか」
紺は爽音から視線をはずした。遠くを見つめる横顔は見ていると物悲しい。聞いてはいけなかっただろうか。
「…暗い話はまた後にしましょう」
紺は足を止めた。
「つきましたよ」
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