僕の記憶に黒い影はない。

tokoto

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ルシューランにて

不安

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「俺はコーストだ」
コーストは握手を求めてきた。その手をそれぞれ握り返し挨拶を済ませる。
「君は?」
サリュは相変わらず男の側から離れない少女に声をかけた。彼女との距離は約四歩。怖がられないよう十分な間隔をとっていた。
「、、、むぅ」
つもりだった。
「なぁコースト、あの子の名前は?」
カルに尋ねられたコーストが困ったように頭をかく。
「いやぁそれがなぁ。俺も知らねぇんだよ。ずっと喋れないんだと思ってたし」
「はぁ? あんたここまで一緒に来たんだろ」
カルが呆れ声で詰め寄った。
「まぁまぁ、そう言うなよ。しょうがないだろう。言葉無しで通じちゃったんだから」
実際彼女とは今朝出会ったばかりだった。見たところひとりのようだったので声をかけたらついてきたのだ。サリュたちと状況はなにも変わらなかった。
「なぁ嬢ちゃん、話せないのか」
コーストが少女に顔を近づける。と、少女はかっと目を見開き瞬間的に距離をとった。手にはどこから取り出したのか短剣が握られている。その刃先を正確にコーストへ向け構えた。それ以上近づくことは許してくれないようだ。
「ごめんごめん、驚かせるつもりはなかったんだけどなぁ」
状況をわかっているのだろうか。当の本人はのんびりとした口振りで困ったように笑みを浮かべて謝罪している。
「お、おお落ち着いて」
サリュが慌てて手を振っている。その横でカルはそっと剣に手を添える。
「大丈夫だから」
しかしコーストは少女に微笑みかけながら後ろ手に二人を手で制止した。
「でもっ」
「大丈夫」
どちらに向けられた言葉だろうか。少女への訴えにもカルへの抑制にも聞こえる。
 コーストは言葉を続けた。
「なにも怖くないさ、陽気なお兄さんは名前を知りたいだけなんだ。怖いことなんてなにもないよ」
大丈夫。びっくりしたね。コーストは笑みを絶やさず繰り返した。
 しばらくすると少女の顔に迷いの色が現れ始めた。チラチラと辺りをうかがい、サリュ、カルの順に目を向ける。尚も短剣は握ったままだが、カルの手が剣から離れているのを確認し、その手は緩められた。
 やがて少女は逡巡しゅんじゅんしながらも剣を下ろした。いつでもその切っ先を向けられるよう手は準備をしたまま、とぼとぼとコーストに近づいて行く。
「気にしなくていいさ。怖かったんだよなぁ」
 コーストが穏やかな声音でそのたくましい腕を差し伸べた。
 その時だった。ひゅんと一陣の風が少女の腰まである髪を揺らした。流れるようになびくそれは日の光を存分に受け煌めく。その光景に隠された一瞬。彼はその瞬間を見逃さなかった。
「━━━エルフか」
呟きにもなれない空気が漏れる。
 あおられた髪の間にのぞく特徴のある耳。小動物のように尖ったそれはまさしく想像上の生き物エルフそのものだった。
 伸ばした腕が明確な感情もなく躊躇ちゅうちょする。
 そんなコーストの態度に少女は首を傾げ戸惑いの色を浮かべた。瞳が不安げに揺れている。
「エルフ、なのか」
最低限の伝わる大きさで少女に尋ねる。しかし返答はなかった。表情に敵意こそ見られないものの、少女は口は固く閉じられたままだ。
「なぁ、嬢ちゃん。俺の言ってることはわかるか」
質問を変えると今度は少女はゆっくりと怪訝な顔で頷いた。
「そうか。あぁ、そうかそうか、それはよかった」
ひとまず安心だ。思わず動揺してしまったが、過去のしこりを除けば、例え種族が違っても言葉が通じるのなら幾らかはましだ。それに少女は肯定していないのだ、まだエルフと決まったわけでもない。あれはあくまで伝承のなかでの存在なのだ。
笑顔の裏に感情を圧し殺し、思考を読まれまいと笑顔を作る頬に力を込める。
「何がよかったんだよ」
先程のコーストの問いかけは狙い通りというべきか聞こえていなかったらしい。話から取り残されたサリュたちには何が起こっているのか傍から見ているだけでは判断に限界があった。
「気にするな、こっちの話だ」
平静を装って返事をし、少女に向かって一歩時間をかけて踏み出した。互いにもう手を伸ばせば届く距離に入る。
「話せるかい?」
「、、、」
少女は答えない。他種族という可能性を除いて考えると、遠方の国からでも来たのだろうか。
「言葉は練習中か?」
少女は首を縦に振る。
「名前はまだ無理かい?」
どの言葉でも名前だけは唯一変化しないものだろうに。この子にはそれでも難しいだろうか。
「皆嬢ちゃんのことを知りたいんだがなぁ」
困ったような、泣きそうな顔をして少女は口を小さく開いた。掠れ出る小さな声は辺りに吹く弱々しい風にもかき消えそうになる。
「り、、ふぁー、な、」
「、、リファーナか、可愛い名前じゃないか。よく言えたなぁ、いい子だ」
コーストは再びリファーナに手を差し伸べた。もうけして揺らぐことのないよう気を強く張り、彼女が手を重ねるのを待った。
「、、、」
誉められたことがわかったのか白い頬を少し染めながら無言のままリファーナは両手で包むようにコーストの大きな手を握った。その両手からはみ出してしまった手をしげしげと眺め、何を思ったのか握る手に少し力を込める。
「リファーナだ、よろしく頼むぜ」
サリュとカルを振り返ったコーストは彼女の手を軽く引き二人に向き合わせた。
 呆然と事の成り行きをうかがっていた二人は、慌てて笑みを作り意味もなく姿勢を正す。
「僕はサリュだよ」
「よ、よろしくなリファーナ」
手を振りながら愛想笑いが震える。あれほど頑なに警戒していた彼女がコーストと手を取り合いこちらをまじまじと眺めている。あまりの様子の変わりように動揺が口元から漏れ出てしまう。一度は矛先を向けられたというのに、一体何があったのか。コーストのへらへらと笑う顔からはそれ以上の感情は読み取れない。
「リファーナは」
カルが意を決し口を開いた。
「話せないのか」
リファーナに問いかける。目が合うと彼女の瞳はやはり不安げに揺れた。
「あっ、えーと、、怒らないからさ」
そう付け足すとリファーナはこくりと頷いた。
「そうか」
腕を組むカルに代わり今度はサリュが声を上げる。
「じゃあ、コーストさんはどうやって?」
「いや、話せないってだけで理解はしてるようなんだ」
空いた手で頭をかきながらコーストは困ったように答えた。
「なるほど」
その返答に納得する。取りあえずこちらの言いたいことは伝わるようだ。朗報だが、最低限の情報の共有ができることはいえ不安は拭えない。かといって話すことのできない彼女をここに残していくことにも抵抗を覚えた。先程の行動が尾を引いて、何をするかわからないと警戒させる。
「じゃあ行こうか。いつまでも町の中にいちゃあ日が暮れちまう」
二人の心情を無視したコーストの一声で、疑問を抱きながらも一行は石門を潜り町を出た。
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