エインクシェル

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 不思議な夢を見た。見たこともない場所にいて、白い髪の男が立っていて。なんだか足元を掬われた気がしてとても不安になって。
 そんな夢を終わらせるために俺は目を開けた。
「あっ、起きた」
「うわ、まじか」
鼻がくっつきそうなほどのぞき込んでいる少女には見覚えがあった。
「ヴェルガ様お目覚めになりました。あれ? ヴェルガ様?」
少女はくるりと向きを変えると俺の視界から消える。
 なんだか頭がすっきりとしない。それに喉にも違和感がある。
「寝ちゃったんですか」
体を起こすとソファーに座ったまま眠っているあの白い男がいた。少女は忍び足で近づいていく。ソファーの真ん前に立つとその場でゆっくりとしゃがみ込む。
「はぁぁ…」
「起こさないの?」
「しーっ!」
「えっ、なに」
少女は膝に肘をついてヴェルガを見上げる。……見上げている。
「かわいぃぃ…」
少女の口からため息と同時にほろりと漏れでた。本人は彼に夢中で気づいていないらしい。口許が緩んでいる。
「ねぇ、ちょっと」
声がかすれた。ベッドから立ち上がろうとすると不意に力が抜けた。
「うふぁっ」
床に落ちベッドの側面で体が跳ねる。口から息が漏れた。
「ジン様っ」
少女は驚いた様子で大きな声をあげる。
「──んう、…メリッサか。どうしたんだい?」
「ヴェルガ様っ、ジン様がっ!」
目が覚めた様子のヴェルガは伸びをすると、こちらに視線を向けた。
「おや、気がつきましたか」
立ち上がったヴェルガはこちらに歩いてくる。メリッサはあわあわと首をあちらに向けこちらに向け、
「メリッサ、食事を持ってきてくれるようクーボップさんにお願いしてきてくれ」
「かしこまりましたっ」
メリッサは慌てて部屋を後にする。
 ヴェルガは俺の横に立つとどこからか水差しを取りだし、それを俺の口に注いだ。冷たい水が喉を滑り落ちるのが何とも言えない。
「…こ、ここは?」
まだ少し嗄れた声だが幾分かはましになっただろうか。
「覚えていませんか、オッシュニカ城の客間です。私が来たときにはもう貴方は眠っていました」
「眠ってた? …まだ夢が覚めな──」
「もう三日です。夢からはとっくに覚めていますよ」
「じゃあなんで」
あんたがこんなとこに? そう言おうとしたところで扉が勢いよく開いた。
「ヴェルガ様っ」
飛び込んできたメリッサの後ろには食事の乗ったカートを押す大柄の男が付いていた。
「お待たせしました」
男は白い歯を見せて笑った。
「早かったな」
「丁度そこまでいらしてました」
「そろそろ朝食の時間ですので」
「気遣い感謝します。ジンくん、立てますか?」
「えっ? あ、あぁ」
ヴェルガに支えられてベッドに座り直す。
「メリッサ、そこのテーブルをこっちに持ってきてくれるか」
「はいっ」
メリッサは窓辺の一人テーブルをヴェルガの前に置く。
「たんと食べてください。なんてったって三日もお休みになってたんです。体もへたってますよ」
そう言うと男はテーブルに豪勢な料理をいくつも並べた。香しい香りが鼻をくすぐる。気づいたときには口の中にぎっしりと詰め込んだ後だった。
「よく噛んで食べないと」
男は嬉しそうににこにこと笑う。
 俺はモグモグと口を動かし
「───!」
慌てて口を押さえた。
「どうしましたか?」
落ち着け…俺は今…何を食べた? 
「ジンくん、大丈夫ですか?」
「…味が、味がしない…?」
口の中の気持ちの悪いモノ達を体が拒む。ひどく不味いものを口に入れた気がしたが違っていた。味がないのだ。
「…うぅ、ま──」
言いきる前にヴェルガが俺の口を塞いだ。
「クーボップさん、すみませんがホットミルクを用意していただけますか? メリッサも飲むかい?」
「は、はいっ!」
「では二人分、お願いします」
クーボップは俺の方をまじまじと見た。
「お口に合いませんでしたか」
「味が──」
「メリッサ、クーボップさんを外へ。好きなだけ作ってもらいなさい」
「はいっ!」
ヴェルガの指示で怪訝な顔をしたクーボップをメリッサが退場させる。扉を閉める直前彼女は振り返ると大きく頷いて見せた。
 静かになった部屋でヴェルガは大きなため息と共に俺の口から手を離した。
「っふぁぁ。不味い」
「害はありませんので飲み込んでください」
ヴェルガは向こうから椅子を取ってくると俺の向かいに足を組んで座った。
「どうして」
「はっ?」
「口に合わないはずがない」
「味がしない飯なんて初めて食べましたよ」
味付けがないんじゃない、素材の味さえ姿を消している。口の中に感触だけが不愉快に残る。
 ヴェルガは眉根を寄せて皿の肉を一欠片口に放り込む。
「ふん…」
しばらく考えた後、笑みを溢した。
「なるほど」
「…なんですか」
「適応外なのでしょう。貴方の味覚がこちらの世界に馴染んでいない」
まただ。
「適応ってなんですか。…俺が見えてない、でしたか? そんなことないじゃないですか」
クーボップもメリッサも、俺の言葉に反応していた。俺のことが見えていたはずだ。
「見えるようになったのです。二日目の昼頃でしょうか、メリッサが貴方を見つけたのは。味覚もまたその類でしょう」
じきにに戻りますよ。他人事のようなその言葉に少し苛立ちを覚えた。
「じきっていつですか、こんなところに連れてこられて飯もろくに食えないだなんてふざけてる」
「…そんなこと、言わないでください」
ヴェルガはそれでも笑った。ただそれは、少し悲しげで。言いようもなく儚い様子が俺を躊躇わせた。
「そんな顔したんじゃ、俺が悪いみたいだ」
一匙を口に運ぶ。やっぱり不味い。
「食べてください。三日間食べてないんですから。栄養はとっておかないと」
ヴェルガはもう一欠片肉を口に放る。
「それに、全部食べないとクーボップさんが大変なことになってしまう」

「お待たせしました」
扉が開いたのはヴェルガが最後に口の端についたソースを拭った直後だった。
「ギリギリセーフです」
目配せしてそう呟くと、ヴェルガはさっと立ち上がり二人を迎えた。
「ヴェルガさまぁ…」
不安げに眉尻を下げながらメリッサは部屋の隅に控える。
 クーボップがテーブルにティーセットを用意した。ホットミルクが湯気をたてている。隣には俺の分の紅茶も置かれた。
「全部食べてくださったんですか」
クーボップは皿をカートに片付けながら俺の顔を見た。
「お口に合わなかったのかと思い心配しておりました」
「あっ、いえ」
向かいに座り直したヴェルガが俺の足を小突いた。意味ありげな笑みと目が合う。
「…美味しかったです。とても」
「それはなにより」
クーボップはそれまでのぎこちない表情をふっと崩すと早々に部屋を退出した。

「なんなんですか」
ヴェルガは優々と足を組みミルクに口をつける。
「クーボップさんが自信をなくされたらしばらくは城の者皆が食事にありつけなくなってしまうのです!」
危険が去って飛び出してきたメリッサがヴェルガの座っていたソファから答えた。手にはクーボップに渡されたホットミルクがある。
「どうするのですか、皆が飢え死んでしまったらジン様に責任がとれるのですか?」
「なんで俺が…」
紅茶を口に含むが、やはり味はしなかった。
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