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最初の景色を少し進んでたどり着いた図書館と思われる場所。膨大な量の蔵書の奥に小さな扉が控えめに存在した。

 ノックと同時に返事を待たずに顔を出したソフィアにヴェルガは驚いたようだった。
「姫様、どうしてこちらへ?」
なにか作業をしていたらしく、椅子から立ち上がるとソフィアに恭しく礼をした。
「珍しいご訪問ですね?」
「えぇ、珍しい用ができたの。彼を連れてきたのは貴方なんでしょう?」
ソフィアの通った隙間から中の会話を聞いていた俺をヴェルガはちらりと見た。
「はい、私が連れて参りました。彼は古い友人でして…大臣殿には話を通しておいたのですが?」
「友人? そうなの?」
ソフィアは長い髪をふわりと揺らして俺を振り返った。
 俺は首を振った。いや、振ろうとしたときに気づいてしまった。ヴェルガは指を立てていた。
───くれぐれも内密に。
「ジン? どうかしたの」
首を振りかけてやめた俺はあまりに不自然だっただろう。
「彼は海を越えて来たのです。我が国とは作法が異なることもご承知ください」
「海? 違う世界から来たのではないの?」
「なんのことでしょう、話が読めないのですが」
ヴェルガは眉を潜めて見せる。
「でも…貴方以前からずっと調べものをしていたじゃない?」
「それは、隣国との貿易についての資料を集めるよう指示がありましたので」
さらりと受け流されたソフィアは俺に助けを求めた。
「どうして中に入っていらっしゃらないの」
「えっ…」
ソフィアがドアを広く開ける。
「ねぇ、どうしてなにもおっしゃらないの。ジンは別の世界から来たんでしょ?」
「俺は…」
本当のことがバレたらどうなるのだろう。不法入国とかになるのだろうか。牢屋行きか、それとも…
「…そんなこと言ってない」
「でも、ヴェルガに連れてこられたって」
「あぁ。でも、別の世界からだなんて…言ってない」
ソフィアの瞳の輝きがみるみる曇ってしまうのがわかった。
「…そうだった、かしら?」
「姫様、彼はまだ来たばかりでこの国のことはなにも知りません。なにか失礼があったのでしたら私からお詫び申し上げます」
ヴェルガの言葉などもう聞こえないかのようだ。完全に興味をなくしてしまったようで、どこか恨めしげに俺を見た。
「…なんか、ごめん…なさい」
「…いいのよ。私の思い込みだったのね。付き合わせちゃってごめんなさい」
ソフィアはドアに手を掛ける。
「お部屋までお送りいたします」
「いいわ、一人で大丈夫。お客様の相手をしてらして」
「…かしこまりました」
ヴェルガは困ったように笑う。そんな笑みを俺に向けられても困る。

 せめて、とソフィアを図書館の外まで送るとヴェルガは帰って来た。
「帰されてしまいました…」
結局ソフィアはヴェルガに送られることを拒否したようだった。
「なんで図書館にあんたの書斎があるんですか」
「…怒っていますか」
「は?」
「言葉を荒くしなくてもそれくらいはわかります」 
「…なんだ」
ずっとヘラヘラと笑っているから鈍感なのだと思っていた。
「怒らないと思いましたか」
ヴェルガは机に戻り腰掛けた。少し疲れた様子で首を傾ける。
「怒る…とは。泣いてしまったら、とは考えましたが…」
悩ましげに椅子に背中を預ける。
「貴方の嘘に付き合ったんです。本当のことを教えてください」
「ここは単に私が住み着いているだけで、私のものではありません」
「そうじゃなくて。なんで俺がこんな目に?」
「あぁ、そちらでしたか」
全くもってそっちなんだが。
「もう話すことは全て話したような気がします」
「本当のこと、です」
「もちろん本当のことをお話ししました」
「…本当のことを? 俺が帰れないということまで?」
ヴェルガは頷いた。
「どうして俺が…」
「友達が」
「えっ?」
「ほしかったのです。友人というものが」
「はぁ?」
俺はそんなことのために連れてこられたのか。俺の顔をみるとヴェルガは力なく首を倒した。
「…そういうことにしておいてください」
まただ。そんな顔をして笑う。寂しげで、頼りなさそうで。
 それ以上追求することもはばかられるほど儚い。
「…俺はこれからどうなるんですか」
「気が向いたら私の仕事を手伝ってください。それまでは好きにしてくださって構いません」
「帰ることは?」
「私が許しません」
ヴェルガは苦しげに笑う。
「ここでの暮らしは俺には合わない」
「すぐに慣れます」
「…なぜ俺なんですか」
「友人がほしかったからです」
またそれだ。
「……あの部屋は嫌だ」
「なぜでしょう」
「広すぎます。落ち着かない」
「…広くない部屋ですか。ふむ…」
辺りを見回しヴェルガは眉根を寄せる。
「ここでは狭すぎますね」
確かにここはあの部屋の四分の一にも満たない。だが広さで言えば十分以上だった。
「これくらいです。いや、これでも広いくらい」 
俺の言葉にヴェルガは意外そうな顔をした。少し考えてから口を開く。
「では、ここを使ってください」
「えっ、でもヴェルガさんはどうするんですか」
「私にもちゃんと別に部屋はあります」
「…そうですか」
ここが自室というわけではないらしい。
「と言っても、やはり仕事はここでしたいのでお邪魔はさせてもらいます」
「それは構わないですけど…」
人の部屋を借りるのだと思うと急に緊張した。
「気を使わないでください。嫌なら嫌と言ってくれればなんとかします」
「じゃあ帰り──」
「駄目です」
「もうなんでもいいです」
俺が諦めるとヴェルガは嬉しげに俺の後ろを指差した。
「そのカーテンの向こう側」
開けてみてください、というので天井から垂れている薄い緑のカーテンを横にずらす。
 そこには、やはり少し大きいがそれでもまともなベッドがあった。
「仮眠用のものですが。本当にそれで?」
「…これがいい」
「よかった。これで部屋が決まりましたね」
「…」
父さん母さん、俺はしばらく帰れそうにありません。
「そうだ、それと」
「なんですか」
ヴェルガはなにか重要なことでも言うように姿勢を正す。
 呆然と眺める俺にヴェルガは真面目な顔で言った。
「貴方のことを…ジン、と呼ばせてください」
しばらくじっと俺を見つめ、ふと恥ずかしげに視線をそらす。しかしまた気になるのか俺をちらりとうかがう。
 なんだこの茶番は。
「……勝手にしてください」

「では私のことはヴェルガと」
「結構です」
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