阿古屋

平坂 静音

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天児 一

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 さらなる夜。
 浅い眠りのなかでくつろいでいたわたくしは、かすかな呼び声に目がさめました。
「……おねえさん、起きて」
 誰かが閉め忘れていたのか、半開きの蔀戸しとみどから覗いているのは、いつかの千手でございました。わたくしはぼんやりする頭をふりながら、声の方へ這うようにしてすすみました。
「いったいどうしたの、こんな夜更けに?」
「もうすぐ夜明けだよ。おねえさん、すぐに逃げて」
 千手の身体のわりにはいたいけに見える顔は真剣そのもので、わたくしはいっぺんに眠気を忘れました。
 なにかしら、ただごとでない気配がします。すぐ近くでいっしょに寝ていたはずの山吹のすがたが見えないこともあって、いっそう不安な心持ちになりました。
「どうしたの? なにかあったの?」
 よもや山賊か夜盗でもあらわれたのでございましょうか。時折、犠牲になった旅人や村人の死骸がながれてきたのを見たことを思い出して、わたくしは戦慄しました。あれは本当に恐ろしい光景でした。
 さいわい今宵は右大臣様の従者も泊まりこんでおられます。すぐ男手を呼びにいこうとしたわたくしの単衣ひとえのたもとを、千手がひっぱりました。
「おねえさん、あぶないの。すぐ、逃げて」
「え?」
「し、しずかに。こっち、来て」
 幼児のように舌足らずな口調でせかされ、わたくしはそのまま千手に手をひかれるようにしてひさしをすすみ、妻戸をぬけ、廊下を歩かされました。
 事情がわからぬまま、それでも千手の奇妙な迫力に押されるようにして闇のなかのお邸をさまよっているうちに、ほのかな灯りがわたくしの目を刺し、そこに尼君と山吹、そして右大臣様のお姿をみとめました。
「だまっていて」
 千手は唇に指をあて沈黙をうながします。
 わたくしは立ったまま夢を見ているような不思議な心持ちでございました。
 奇妙なことに、近くにいるようなのに、三人からはわたくしが見えていないようで、まったく気づかぬままに話しつづけているのです。
「……やっぱり、阿古屋にするしかないのでしょうか? せっかく姫様もお気にめされて、可愛がられていらっしゃるというのに」
「尼様、仕方ございません。歳といい姿かたちといい、あの娘は姫様によく似ております。もう、今からあらたな天児あまがつをさがしている暇はございません。なにより、阿古屋は乙女でございますし」
「やはり乙女か、惜しいのう」
「殿、こんなときにまた」
 山吹が苦笑しました。わたくしはその妙に馴れ馴れしい口調に、山吹が右大臣様のお手つきであることをさとりましたが、そのことよりもなによりも、天児という言葉が気になりました。天児とは幼子の災難を負わせるための、布と綿でこしらえられた人形のことであったと思います。わたくしが天児とはどういう意味なのでございましょう。
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