龍蘭帝国奇談夜話

平坂 静音

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風歌月舟 三

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「どうした? 話はついたか?」
「これは若様、このようなところまで」
 初老の座頭が腰をおとして頭をさげた。ならうようにして一座の者がみな身をひくくするなか、伊蘭樹だけはぎゃくに頭をもたげた。
「せっかくのお召しですが、おことわりさせていただきます。栴檀樹様がいらっしゃるのに、しゃしゃり出ては、芸人同士の義理を欠くことになりますので」
 御曹司がおもしろそうに目をかがやかせた。育ちの良さを思わせる色白の頬、黒い眉、とおった鼻筋に、形の良いうすい唇。
 眉目秀麗というのは、こういう顔かと思わせるような白皙はくせきの美男子である。噂では武芸にも秀で、詩才にもめぐまれ、ときおり遊里で気に入りの妓女に即興で恋の詩をおくったりもするとか。黒い玻璃はりにも似た瞳には、すべてに恵まれた人間だけが持ちうる強烈な自尊心と、自信、希望、そして傲慢さがきらめいている。
「俺が招くのであるから無礼にはならぬ。遠慮はいらぬ、栴檀樹とともに舞うがいい」
「ですが……」
「なんだ、栴檀樹に負けるのが怖いのか? 乞食芸人ふぜいとはいえ、伊蘭樹は都で名うての踊り手と聞いていたが、どうやら俺の聞きまちがいのようだな」
 乞食芸人ふぜいという言葉が伊蘭樹の胸をゆさぶった。そこまで言われて退いていいものだろうか。挑まれて挑みかえさないようでは、それこそ名がすたるし遊芸の神にも顔むけできない。伊蘭樹は唇をかみしめた。
「あい、わかりました。今都きっての栴檀樹様のまえに、お目汚しかとは思いますが、ようございます。つたないものですが伊蘭樹の踊りをお見せしましょう」
「おお、それでこそ。さ、来い。伊蘭樹という名まえを聞いたときから、俺の栴檀樹と一度ならべてみたかったのだ」
 名木と毒樹をくらべて興がる好事家そのものの言葉と気持ちなのだろう。
 そういうあつかいには慣れているし、実際、伊蘭樹も栴檀樹という名前を聞いたときから興味をひかれ気になっていたのだ。
 名が売れ出したのはどちらも同じころだったかもしれないが、けっして意識して意図して名づけたものではない。偶然にも対照的な芸名をもつ二人の芸人が同時に都人の口にのぼるようになったのだ。誰しも、それならばこの名手二人をくらべてみたいと思うだろう。おそかれはやかれ、こういう場をむかえていたのかもしれない。
 伊蘭樹は覚悟をきめた。
 十六のこの歳まで、ただひたすら捨て身の覚悟でひとつの道をつきすすんできた。退いたことも、迷ったこともない。自分の踊りは、技は、誰とくらべても、誰のまえに出しても恥じるものではない。伊蘭樹は櫓をのぼった。

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