龍蘭帝国奇談夜話

平坂 静音

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風歌月舟 六

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(やっぱり、お手つき、なのかな?)
 栴檀樹は、今はおとなしめの白い袍衣ほういに黒裾のいでたちで、酒瓶をたずさえしずかに御曹司のそばに立っている。その様子は屋敷につかえる侍女としか見えず、これが都きっての舞姫かとは思えぬほど地味である。
 客間にとおされてすぐ彼女を見た伊蘭樹は、一瞬、我が目をうたがった。
 あれが、つい先ほどまで自分と対等にわたりあって神技とも見まがうほどの舞をこなした名手と同一人物なのだろうか。
 そして、その理由が見えてきた。
 すっかりめだたぬ風体になっても、なお栴檀樹の白い頬には桃の花と実を思いださせる艶やかさがある。そのほのかに淡い薄紅うすべに色のかがやきは、御曹司が酒をもとめて彼女をかえりみる瞬間、いっそうつよくかがやくのだ。
(ああ……。そうか)
 恋をしているのだ。御曹司に。
 ただたんにお手つきだとか、それも勤めのうちと割りきっているのではなく、真実、この娘は御曹司を恋し、慕っているのだ。
(なんだよ、やっぱり下界の男の方がいいのかよ)
 裏切られた、という奇妙な憤慨が伊蘭樹の頭によぎった。普段ならばめったに口にできない美酒も山海の珍味も、すこしも美味しいとは思えなくなった。むしろ気持ちはどんどん沈んでいく。そしてそのことに気づいた瞬間、自分でもおどろいた。
(まるで、栴檀樹に恋しているみたいじゃないか)
 馬鹿馬鹿しい、と打ち消してはみたものの、否定すればするほど不思議な想いは胸のおくからこみあげてきて伊蘭樹をとまどわせた。
 すっかり枯れはてた古井戸をまえにして、役立たず、と腹立ちまぎれに覗きこんでみたら、その闇底に、思いもよらず清水がこんこんと湧き出てくるのを見つけたような、それは自分でも意外でおどろくべき発見だった。 
 極貧の生まれと異種の子ということから、伊蘭樹は幼いころから大人たちに軽んじられ、いじめぬかれて育ってきた。芸で身をたてるようになる以前から食べるために男たちに身体を売ってきた。
 いや、売るなどという自分の意思など持ちようもないころから、そこらの好色な男たちに未熟な身体をいじくりまわされ、いいようにされ、去りぎわに彼らが餌でもあたえるように放りなげてくる干からびた果物や干し肉、ときにさめた饅頭などにむしゃぶりつき、どうにかして幼い日を生きぬいてきたのだ。
 見目良い顔だちに目をつけた座頭にひろわれてからは、それこそ血のにじむ鍛錬と努力によって芸をものにしてきた。そのあいだにも先輩にいじめられたり、嬲られたり、朋輩同士の争いや足のひっぱりあいで、泣きもすれば、相手を泣かしもしてきた。
 人との付きあい、まじわりというものは、伊蘭樹にとっては、生きていくための交換条件とりあいでしかなかった。
 愛情や恋情などという甘ったるい絵空ごとは、はるか銀河のかなたほどに遠いもので、人前で幾百、幾千回、恋の歌をうたい、恋慕の舞踊を披露しながらも、心のなかでは人と人とが真実愛しあい、恋し、相手のためなら我が身もかえりみず自らをささげるというような歌物語など、一度たりともこのうつつの世に、この濁世にあるわけがないと信じこんで生きてきた。
 見た目こそ十六歳、花のさかり、若葉の季節でありながら、伊蘭樹の魂は千歳をへて、すれて、ひねくれ、かわききった老人のようだった。
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