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秘園哀歌 三
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「お嬢様、失礼いたします。お医者様がお見えでございますよ」
真紅の布幕が割られ、かすかにかおる伽羅におそわれ、侍女にうながされて室内に入ったとたん、そこはまさしく別世界だった。
「いつもの先生じゃないの?」
真紅の布幕のむこうには、さらに薄紅色の紗がはりめぐらされ、その紗がさらにまたふたつに割れると、秀蘭は文字どおり乙女の秘園にまよいこんでしまった気分になった。
患者を差別するわけにはいかないが、これはたしかに別格だ。
近所の娘を診るのとはまるで勝手がちがう。秀蘭は自分が禁断の花園に闖入した無骨者のような気がしてきた。人並みはずれた美貌と知性に恵まれてはいても、やはり彼もまた十代の若者であったのだ。若い娘の私室にはいることに緊張してしまった。
「いいわ、お入り」
黒檀の寝台で白い寝着に身をつつんだ娘、凛藍は左右に侍女をしたがえて、やや反抗的な態度で秀蘭を睨みつけてきた気がした。
気がした、というのは、素顔を直接見たのは一瞬のことで、かたわらの侍女が蝉の羽をはったような扇ですぐに女主人の顔をかくしてしまったからだ。この時代、富貴の女人は夫や家族以外にはめったに顔を見せないことになっている習慣のためである。
だが秀蘭はその一瞬で、どうやら花園の最奥に見つけたのは薔薇ではなく、蜂であったことに気づいた。そうとう癇のつよそうな娘である。
「こちら黄先生のところの一番弟子でいらっしゃる秀蘭先生でございます」
案内してきた女中が紹介したが、娘、凛藍は返事もしない。
「容態はいかがですか?」
「よくないから医者を呼んだのよ」
娘はおそろしくつっけんどんに言う。
「脈を拝見させていただきます」
「お下がり」
これは扇をかざす侍女に言ったらしい。侍女は一歩ひいてひかえる。あらわになった娘の顔を直視しないように秀蘭は気をくばった。
「喉は痛いですか?」
「ちょっとね」
「頭痛はどうですか?」
「まだすこし痛いわ」
「お腹は?」
「すこし」
やはりつっけんどんに言うと、いらいらしたように凛藍はそっぽをむいてしまう。
秀蘭はかすかに苦笑しそうになった。
秀蘭がまっすぐに目をむけるとたいていの若い娘が口早になったりしどろもどろになったりするのはいつものことで、かすかに相手の真珠色の頬が緋色に変じたのはけっして熱のせいではないだろう。
その様は伽羅の香や純白の絹、空蝉の扇にまもられてはいても、市井(しせい)の娘たちとちがうところのない、微笑ましい、すこやかな女の子に見える。
真紅の布幕が割られ、かすかにかおる伽羅におそわれ、侍女にうながされて室内に入ったとたん、そこはまさしく別世界だった。
「いつもの先生じゃないの?」
真紅の布幕のむこうには、さらに薄紅色の紗がはりめぐらされ、その紗がさらにまたふたつに割れると、秀蘭は文字どおり乙女の秘園にまよいこんでしまった気分になった。
患者を差別するわけにはいかないが、これはたしかに別格だ。
近所の娘を診るのとはまるで勝手がちがう。秀蘭は自分が禁断の花園に闖入した無骨者のような気がしてきた。人並みはずれた美貌と知性に恵まれてはいても、やはり彼もまた十代の若者であったのだ。若い娘の私室にはいることに緊張してしまった。
「いいわ、お入り」
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だが秀蘭はその一瞬で、どうやら花園の最奥に見つけたのは薔薇ではなく、蜂であったことに気づいた。そうとう癇のつよそうな娘である。
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「よくないから医者を呼んだのよ」
娘はおそろしくつっけんどんに言う。
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