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新床準備 一
しおりを挟む「おまえは、明日、いや今夜からにも婿殿にお仕えするように」
あらためて火玉の前に呼び出された輪花はそう命じられ、素直にうなずいた。室には誰もいないことが、いっそう輪花を緊張させた。
背もたれにきらびやかな紅い綾羅が掛けられた椅子に腰かけている火玉は、心なしか疲れているようだ。背後には蓮華模様のはいった紗が垂らされてあり、室を華やかなに見せているが、それでも主の顔に浮かぶ疲労は変わらない。太い眉が下がっている。
その眉ももう白くなりはじめていることに、輪花は女主人の老いを強く感じた。
考えてみれば、世間ではとっくに隠居して余生を楽しんでいる年代なのだ。だが式での挨拶も、客から受けるお祝いへの応答も、すべて火玉が勤めており、花嫁の母になる玉蓮は、それこそお人形のように静かに微笑んでたたずんでいるだけだった。
「とはいうものの」
そこで火玉は杖で、とん、と石床を叩く。
「お前の主が呂家、つまり私であることは忘れないように」
有無を言わさぬ言葉に、輪花はうなずきながら返事をした。
「は、はい。勿論です」
「何かあったら、すぐ私に知らせるんだよ」
この命令には即答できず、眉を歪めてしまった。それは……つまり、
(え? まさか私に密偵をしろということ?)
困惑を隠せないでいる輪花を見て、火玉は大袈裟に笑う。
「ほほほほ。何を考えているんだい、この娘は? 変な意味ではなく、大事な婿殿に何かあったら、つまりお加減が悪かったり、呂家に対することで不満や要望を漏らすようなことがあれば解決しなくてはならないから、すぐ私に知らせろということだよ」
「あ、はい。かしこまりました」
輪花は眉を元にもどして返事をした。
「それじゃ、お行き。今夜は大事な新婚の夜だ。心してお仕えするんだよ」
「は、はい」
緊張のしどおしで室の外に出ると、外では美しい三日月が輝いていて、ほんの少し輪花の心をほぐしてくれた。
輪花は主殿へとつづく石橋をわたりながら、庭の花や緑木の香をふくんだ夜気を吸い込んでみた。清々しさに心は完全にほぐれた気分だ。
月光が、石橋にところどころ浮き彫りされている横笛の模様を照らす。最初にその模様に気づいたとき、輪花はその洗練された芸術感覚に感心したものだ。そして、あらためて芸術というものは富があってこそ保持できるものだと思わされた。
(のんびりしていられないわ。急がなきゃ)
裾を散らしながら歩を進め、主殿の敷地内に入ると、香の匂いが鼻をつく。
この夜のために女中頭の桂雲が手配したのだろうけれど、少しきつい感じもする。
「あら、輪花、戻ってきたの? 遅かったわね」
桂葉が釣り灯篭に火をともしていた。
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