双珠楼秘話

平坂 静音

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匂い負け 一

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「あら、もうお食事のお世話は終わったの? 若旦那様はまだお部屋にいらっしゃるんじゃないの?」
 厨房ちゅうぼうで皿洗いを手伝っていた輪花に、香玉が話しかけてきた。
「ええ……」
 決まり悪げな顔をしていたのかもしれない。香玉は悪戯っぽい笑みをつくった。
枇嬋びせんさんも外にいたわね。ということは、お二人だけでお楽しみなのね。あら、やだ、あんた赤くなってるわよ」
「からかわないでよ」
「いいじゃない。若夫婦が仲良くして悪いことなんて何ひとつないんだからさ」
 粗末な木の椅子に腰かけると、香玉はやはり木の卓上から残りものの料理を皿に取り寄せて、遅い食事をはじめた。たいした物は残っていないが、それでも呂家の豊かな台所事情をかたるように、使用人の食事にしては充分なものだ。
 使用人の食事というのは、あるじに出された食事の残り物である。もともと御前に出される食事の量は膨大で、残った物が使用人の食卓にいく。それも最初は盟宝めいほうや枇嬋、桂雲けいうんのような上役が取り、次に輪花や桂葉のような側仕えが取り、さらにその残りが下男や下女に与えられるという。
 最初にそれを桂葉から教えられたとき輪花はかなり傷ついたが、都の宮殿でも、どこのお屋敷でもそういう仕組みになっているのだと知った。
(あんたが林家にいたときだって、あんたの食べ残しを、その家の使用人が食べていたんじゃないの?)
 桂葉にそう指摘されると、確かにそうだったのかもしれないと思った。当時は下女がどんな食事を取っているかなど、気にもかけていなかったが。
(私って、けっこう世間知らずだったのね)
 ほろ苦い気持ちを噛みしめながら、輪花は厨房の脇に置いてある水瓶みずがめから、粗末な土器に水をくんで、香玉の前に置いてやった。
 香玉は平気で、一番最後の残り物となる料理を食べている。輪花が何を感じているか気づいたのか、香玉は箸を止めて笑った。
「私はあんまり贅沢は言わないの。もともと貧乏人だからね」
「でも、香にはいつも気を使っているのね」
 思っていることを読みとられてばつが悪く、輪花は話題を変えようとした。
「ええ。これ、新しく作ってみたものなのよ。どう?」
 香玉は胸内から桃色の香袋かおりぶくろを取り出した。桃色の布地には紅い椿の刺繍がほどこしてあり、香玉の歳を思うと派手過ぎるのではと感じたが、輪花は何も言わず、笑ってみせた。
「いい匂いね」
「中に香餅こうへいを入れているのよ」
 ちいさな丸形のお香である。
「香料は何なの?」
麝香じゃこうよ」
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