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花梨
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だが、その妓女の必須条件である、凛とした傲慢さや、ひそやかな媚態というものが、花鈴にはない。
「そりゃ、愛嬌も必要だけれどさぁ……、あんたの場合は、気取りや驕りがなくても愛嬌があるとは言えないんだよねぇ」
遣り手婆は時折、もどかしげにその点を指摘する。
「あんたには……、なんていうのか、驕るにしても、靡くにしても、芯というものがない。それが難点だよ」
「ごめんなさい」
芯がないと言われても、どうにもしようがない。花鈴はとりあえず謝ってみたが、それよりも、気になるのは窓の外の人ごみだ。
普段はこの刻限なら、まだあまり人がいない通りも、今日は大勢の人影が黄昏まえの太陽にあぶりだされて、かわいた道で元気そうに踊っている。自分もあのなかに混ざりたい。いくら妓女でも、地面に描かれる黒絵は、他と違いはないだろう。
皇帝陛下ご生誕の祝賀の日、大通りの喧騒はどれほどのものだろう。花鈴はさっきから外へ出てみたくてうずうずしていた。
円窓のすぐ向こうでは、〝花梨〟の花が涼しげに微風に吹かれて、薄紅色の可憐な花びらをゆらしている。
花鈴の名は、この庭木にちなんでつけられた。おそらく花鈴がこの楼に来たのは花梨の花の盛りの今ごろだったのだろう。そして行儀作法、ひととおりの技芸を仕込まれて妓女となって、その名前の由来となった花梨の花がよく見える、楼の西の隅になるこの部屋をあたえられたのだ。
親がつけてくれた本当の名は花鈴自身も覚えていない。そもそも、親がいたかどうかさえも覚えていない。
そんな内心の感傷をふりはらうように花鈴は心中で叫んでみた。
(あー、外に出たい)
いくら借金でしばられている妓女たちでも、月に数日定められた休みの日には、下働きの下女か下男のお供兼見張りを連れての外出はゆるされている。そういう点は妓女たちは、深層のご令嬢や大家の奥方よりも、よっぽど自由がきくのだ。
「とにかく、夕方になって客が入ってきたら、あんたも、もうちょっと気合入れてがんばるんだよ。あたしは料理の下ごしらえを手伝ってくるから」
遣り手婆のおもな仕事は客のもてなしや妓女の世話だが、人手が足りていないので、そういった台所仕事も兼ねなくてはならない。
両開きの木の扉の向こうへ消えていく老女の灰色の背を見送りながら、花鈴は内心で安堵のため息をはいた。
(あー、やれやれ。やっと行ってくれたわ。もう、うるさいんだから、お婆さんてば)
花鈴は椅子から下りて立ちあがると、思いっきり両腕を伸ばした。卯の花色の衣の袖がめくれて白い肌があらわになるが、かまうものか誰もいないのだ。つかの間の自由を満喫すると、ついくだけた独り言がもれてしまう。
「敵は去った。良し!」
「そりゃ、愛嬌も必要だけれどさぁ……、あんたの場合は、気取りや驕りがなくても愛嬌があるとは言えないんだよねぇ」
遣り手婆は時折、もどかしげにその点を指摘する。
「あんたには……、なんていうのか、驕るにしても、靡くにしても、芯というものがない。それが難点だよ」
「ごめんなさい」
芯がないと言われても、どうにもしようがない。花鈴はとりあえず謝ってみたが、それよりも、気になるのは窓の外の人ごみだ。
普段はこの刻限なら、まだあまり人がいない通りも、今日は大勢の人影が黄昏まえの太陽にあぶりだされて、かわいた道で元気そうに踊っている。自分もあのなかに混ざりたい。いくら妓女でも、地面に描かれる黒絵は、他と違いはないだろう。
皇帝陛下ご生誕の祝賀の日、大通りの喧騒はどれほどのものだろう。花鈴はさっきから外へ出てみたくてうずうずしていた。
円窓のすぐ向こうでは、〝花梨〟の花が涼しげに微風に吹かれて、薄紅色の可憐な花びらをゆらしている。
花鈴の名は、この庭木にちなんでつけられた。おそらく花鈴がこの楼に来たのは花梨の花の盛りの今ごろだったのだろう。そして行儀作法、ひととおりの技芸を仕込まれて妓女となって、その名前の由来となった花梨の花がよく見える、楼の西の隅になるこの部屋をあたえられたのだ。
親がつけてくれた本当の名は花鈴自身も覚えていない。そもそも、親がいたかどうかさえも覚えていない。
そんな内心の感傷をふりはらうように花鈴は心中で叫んでみた。
(あー、外に出たい)
いくら借金でしばられている妓女たちでも、月に数日定められた休みの日には、下働きの下女か下男のお供兼見張りを連れての外出はゆるされている。そういう点は妓女たちは、深層のご令嬢や大家の奥方よりも、よっぽど自由がきくのだ。
「とにかく、夕方になって客が入ってきたら、あんたも、もうちょっと気合入れてがんばるんだよ。あたしは料理の下ごしらえを手伝ってくるから」
遣り手婆のおもな仕事は客のもてなしや妓女の世話だが、人手が足りていないので、そういった台所仕事も兼ねなくてはならない。
両開きの木の扉の向こうへ消えていく老女の灰色の背を見送りながら、花鈴は内心で安堵のため息をはいた。
(あー、やれやれ。やっと行ってくれたわ。もう、うるさいんだから、お婆さんてば)
花鈴は椅子から下りて立ちあがると、思いっきり両腕を伸ばした。卯の花色の衣の袖がめくれて白い肌があらわになるが、かまうものか誰もいないのだ。つかの間の自由を満喫すると、ついくだけた独り言がもれてしまう。
「敵は去った。良し!」
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