メゾン・クローズ 光と闇のはざまで

平坂 静音

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 可愛いドレス、数学の教科書、枕の下にしのばせた恋愛小説――少女時代が遠くなっていくのをコンスタンスは今、痛いほど自覚した。

(戻れなくなるかもしれない)

 ふと、頭にひらめいたその想いは、すさまじい恐怖となってコンスタンスの全身をつらぬく。

(でも……)

 そして、つぎにコンスタンスの頭にひらめいたのは、今なら間に合う、という想いだった。

(今なら……今すぐ、ここから出て、玄関へ向かっていけば……。この家から出れば)

 そうすれば、もとのドレスや数学の教科書の待つ世界へ戻れるだろうか。

 コンスタンスは泣きそうになった。

 戻れる場所はないのだ。家にも学校にも、もはやコンスタンスの居場所はない。

(わたしには、もう行く所がないんだわ)

 椿姫のマルグリットやカルメンのように男を頼りにして生きるしかないのかもしれない。

(『家なき娘』のペリーヌみたいに小屋で自活するなんて、無理だし)

 物語のペリーヌは湖のちかくの小屋に住みつき、ほとんど野宿生活をやりこなすが、はたしてあんなことが本当にできるものなのだろうか。

(あれは……でも、田舎だったから)

 今のパリで少女が野営生活などできる場所などあるだろうか。あったとしても、そうなるとその少女は、最初の夜から街娼としての仕事をせざるをえない。仮に田舎であったとしても、身寄りのない娘がひとりで小屋に寝泊まりしていればかなり危険だ。

 南東部で「フランスの切り裂き男」と呼ばれる通り魔が横行したのは五年ほどまえだ。いくら平和な時代といっても、都会でも田舎でも常に犯罪はあり、犠牲になるのはたいていは、力なくか弱い者たちなのだ。ましていつの時代も少女というのは、恐ろしい人間たちの餌食にされやすい存在だ。

 ペリーヌや、「レ・ミゼラブル」のシャルロットのように保護者のいない娘が生き抜くのは過酷なもので、そういった薄幸はっこうの娘たちが幸せを得るのは、ほとんど夢物語のなかだけだろう。
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