あの夏に僕がここに来た理由

便葉

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花火

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今日は花火大会の当日だというのに、海人は朝からひどい頭痛に悩まされていた。
日に日に増しているこの頭痛は、病気でも疲れでもない事を海人に訴えている。
そんな不安や焦りを、海人は、サチからもらった鎮痛剤と一緒に胃の中に流し込んでしまいたかった。
やつれた顔で朝の仕事をこなしていると、珍しくサチが海人に話しかけてきた。

「今日は、楽しんでおいで。
私の孫が着ていた浴衣があるから、それを着ていけばいいよ」

「いえ、いえ、大丈夫です。
というか、この恰好じゃダメですか?」

海人は、自分の服装を眺めながら聞いてみた。

「ひまわりちゃんは、浴衣を着るって言ってたよ。
いいから、浴衣を着てお行き。
孫と背格好は一緒くらいだから、遠慮しなくていいんだよ」

海人は頷いて、サチに無理に笑って見せた。

「今日はせっかくのデートなのに、一段と顔色が悪いね~
ハンサムな顔が台無しじゃないか。薬は飲んだかい?」

サチは、さりげなくいつも海人の心配をしている。

「はい、もう少しすれば効いてくると思うので、大丈夫です」

海人はサチに心配をかけまいと、わざと腕に力こぶを作って見せた。
サチは笑いながら「後で、浴衣を取りにおいで」と言って、去って行った。
そして、その場に誰も居なくなると、一気に虚しさが襲ってくる。
痛み、虚しさ、不安…
海人は、毎日、その恐怖の底なし沼に落ちないように、必死に足を踏ん張っている。
でも、今日はひまわりと花火を見に行く。
海人は頭の痛みを必死に堪えながら、その日の仕事をしっかりと片づけた。

海人はサチから借りた浴衣を着て、ひまわりが降りてくるバス停の前で待っていた。
不思議な事に浴衣を着た途端、少し頭痛がとれた気がした。
海人は遅れているバスを待ちながら、今日は、ひまわりにちゃんと話をしようと心に決めた。
ようやくバスが着いた。
浴衣を身にまとったひまわりは、一番最後に降りてきた。
白地に紫色の花模様の浴衣は、ひまわりにとてもよく似合っている。
長い髪はゆるやかに束ねて後ろで一つにまとめ、淡いピンク色の髪留めと帯の色が可愛らしいひまわりをより一層女の子らしく見せていた。
海人は、そんなひまわりに見惚れて息をするのも忘れている。

「海人さん、どう?」

ひまわりは、海人の前でくるりと回ってにっこり笑った。

「すごく、似合ってる…
綺麗、可愛いの言葉をどれだけ並べても足りないくらい…」

ひまわりは本当に目が離せないくらいに、とても美しかった。

「海人さんだって、すごく素敵」

ひまわりはそう言うと、海人の手を取り手を繋いで歩き出した。
二人は祭り会場になっている公園まで歩いて行くことにした。
ひまわりはとても楽しそうで、はしゃぎながらずっと一人で喋っている。
海沿いの道は祭りに向かう車で渋滞していたので、二人は丘の方の道を歩いた。
その抜け道は木々に囲まれた一方通行の道のため、車はほとんど通っていない。
ひまわりは、森の木漏れ日を浴びながら鼻歌を歌っている。
海人は、ひまわりの全てを、頭に焼き付けておこうと思った。
そして、このひとときを、永遠のものにしたいと強く願った。
どうすれば、このままずっと彼女の側にいられるのだろう…
そんな事を考える海人は、明らかに真近に迫る別れを本能的に感じている。
海人は何も知らない無邪気なひまわりを見ながら、今日は二人の最高の思い出になる一日にしようと心に決めた。
すると、ひまわりが急にしゃがみこんで、海人を呼ぶ。
海人がひまわりの足元を見てみると、ひまわりの下駄の鼻緒がほどけかけていた。
海人はしゃがんで上手に鼻緒を結び直した。

「海人さん、すごい。ありがとう」

そう言って下駄をはき直したひまわりに、海人はしゃがんだままキスをした。
ひまわりは一瞬驚いたふりをして、でも、笑いながらキスを返してくれた。
ひまわりの柔らかいくちびるを、僕は、一生、忘れない…

丘の方の道を歩いていると、小さな神社の前に人だかりができていた。
道行く人に話を聞くと、この神社の境内から花火がよく見えるそうだ。
ひまわりは体調の悪い海人のことを考えて、この神社で花火を見ることを海人に提案した。
海人はにっこり笑って静かに頷いた。

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