あの夏に僕がここに来た理由

便葉

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生活

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僕は、ここへ来てから、毎日同じ夢を見る。
ひまわりが、部屋の隅で膝を丸めて泣いている。
僕は自分がどこにいるのか分からないまま、彼女の名前をずっと叫んでいる。

「泣かないで、ひまわり…」


海人のここでの生活は、毎日がとても忙しかった。
宿泊客も日に日に増え、サチは食事の準備に追われるために、海人はその他の雑用を全部引き受けた。
朝から海水浴に行く人達が多いため、朝の八時が過ぎる頃には民宿はガランとする。
海人は休む間もなく仕事にとりかかると、サチが、海人を呼び止めた。

「ちょっと、休憩にしようか。
お客さんに美味しい水ようかんをもらったから、一緒に食べよう」

サチはそう言うと、テーブルに座り水ようかんを二つ並べて置いた。

「ありがとうございます」

海人は初めて食べる冷えた水ようかんに、心がウキウキする。
プルンとした食感はゼリーとはまた違い、頬っぺたが落ちる程に美味しかった。

「食べさせ甲斐のある子だね」

サチは笑いながらそう言うと、エプロンのポケットから封筒を取り出しそれを海人に渡した。

「これは、何ですか?」

「この三日間、よく働いてくれたから三日分のお給金だよ。
手持ちのお金がないんだろ?
これは自分で働いて手にしたお金なんだから、何でも好きな物を買えばいい」

サチはそう言いながら、水ようかんの空容器をゴミ箱に捨てた。

「本当にいいんですか? たった三日間しか働いてないのに…
本当に…
ありがとうございます」

海人は感謝の気持ちを込めて何度も頭を下げた。

「どんな事情があるかは知らないけど、あなたは良い子だよ。
お母さんがしっかり育てたのが、見れば分かる」

サチはそう言い残し、また厨房へ戻って行った。

「ありがとうございます… ありがとう…」

海人は頭を下げたまま、嬉しさで涙が溢れ出るのを抑えきれない。
時代は違えども、海人は母から厳しく育てられた。
どんな人間でも、何事にも一生懸命に取り組めば、人は必ず分かってくれる。
父がいない家庭環境の中、母はその事をいつも海人に言って聞かせた。
海人はそんな母に育てられた事を、心から感謝した。

その日の夕方、海人は裏庭に干していた布団を中へ取り込んでいると、自分を呼ぶサチの声がしたので急いで玄関へ行ってみた。
すると、そこにさくらが立っていた。
サチは「お客さんだよ」と言って、奥の部屋へ入って行く。
海人はあまりの驚きに、さくらに声をかけることができずにいた。

「海人さん、やっと、見つけた…」

さくらは安堵の表情を浮かべながらも、海人から視線を外さない。

「海人さん、一つだけ、私に謝らせて…
お兄ちゃんの自分勝手な思い込みのせいで、ひまちゃんと海人さんを傷つけてしまったことを、兄に代わって私が謝りたい。
本当にごめんなさい…」

さくらは、涙を浮かべていた。
海人はようやくまともに頭が働きだし、その言葉の意味をもう一度頭の中で考えた。

「さくらさん、僕は良平さんのことを憎んでなんかいないよ。
良平さんが僕にしてくれたことは、ひまわりさんのためであり、僕のためでもあるんだって今では理解できる。
良平さんのおかげで僕はここで働いているし、僕自身の存在を認めてもらえる機会を与えてもらったって思ってるんだ。
だから、さくらさんがそうやって謝ることじゃない、僕は逆に感謝してるんだよ」

さくらはそれでも納得できない顔をして、海人を睨みつけている。

「じゃ、ひまちゃんの気持ちは?」

ひまわりの事を話すさくらの声は震えていた。

「ひまちゃんがどんなに苦しんだか、分かってる?
一睡もしないで、海人さんをずっと捜し回って、体壊しちゃって…
私は、ひまちゃんのことを子供の頃からずっと見てきたから分かるの…
本当に、海人さんの事を愛してる…
だから…
だから、簡単に、ひまちゃんを置いてかないでよ。
海人さんのバカ…」

海人はひまわりの現状を聞いて、愕然とした。
海人を、夜毎、悩ませていたひまわりへの不安は的中していたから。

「ひまわりさんは? 今、どこに居るんですか?」

海人は大きな声でさくらに尋ねた。

「そこの海岸の岩場で待ってる。
まずは、私が、本当に海人さんがここに居るのかどうかを確かめに来たの。
もう、これ以上、ひまちゃんの落ち込む姿を見たくはないから。
海人さん、どうする? ひまちゃんに会える?
もし会いたくないのなら、私が海人さんはここには居なかったって、嘘をつくから…」

海人は、一瞬、凍りついて何も言えなくなった。
良平との約束が、まだ、きつく海人を縛り付けている。
でも、もう、そんなことはどうでもいい。

「大丈夫だよ、さくらさん。
僕も会いたい… 
本当は、会いたくてたまらないんだ」

海人は、サチに30分だけ外に出ていいかと尋ねた。
すると、さくらがサチとひそひそ話をしてからこう言った。

「海人さん、海人さんがいない間、私がお手伝いをすることになったから1時間休憩していいって」

さくらはいつもの人懐っこい笑顔でサチにお辞儀をして、海人に早く行ってと目で合図をする。
海人はサチとさくらに感謝しながら、急いで下の海岸に向かって走り出した。
砂浜を下った先に小さな岩場がある。
そこには岩の洞窟があり観光客が好んで訪れる名所になっていたが、今日のこの時間は珍しく人がまばらだった。
海人は、すぐに、ひまわりを見つけた。
岩場に腰掛け、帽子を押さえながら遠くを見つめている。
久しぶりに見るひまわりに、海人は再び心を奪われた。
何故なのかは分からないが、こんなにも心の奥底に根付いたひまわりを離しちゃダメだと強く思った。
僕がこの時代に来た理由は、ひまわりに出会うため、彼女を愛するため…
海人は、少しの間、ひまわりをずっと見つめた。
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