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しおりを挟む他の車種とは一線をかく、洗練されたデザインに目を見張る。フロントボディに張り付いている、紋章を模したエンブレムは高級車の証だ。
道ゆく人たちが早くもチラチラと興味津々に見ている。その気持ち、わかる。
こんな高級車を乗り回す人って。どんな人物か気になるよねと思っていると、その車の窓がスッと下がり。中から黄瀬社長が私を見つけてにこりと笑った。
その笑顔を見て『黄瀬君』と呼べばいいのか。
それとも『黄瀬さん』なのか。これからデートするけど、相手は上司には間違いないし。中々悩ましいと思った。
「迎えの時間はバッチリみたいだな。いつもとは違う服装で、最初誰か分からなかった。でも、凄く可愛い」
「あ、ありがとうございます」
「車に乗って。もちろん助手席で」
自然にそう言っただけなのに、ハイグレードな車が引き立て役になるほど、黄瀬社長の態度がスマートで照れてしまった。
『ウチの社長はカッコ良すぎる!』と改めて思いながら。私はスマートには程遠い感じで、ギクシャクと助手席に乗り込むのだった。
シートベルトを付けると車は滑らかに発進した。
高級車には仕事では何回か乗ったことはあるが、今日は緊張してしまう。
近所の見慣れた雑踏の景色ですら、いつもと違うように見える。
「お、お忙しいところ。誠に済みません。本日は何卒よろしくお願いします」
「今日の俺の仕事は終わっているから、今は社長じゃない。名前も好きに呼んでくれて構わない。もっと気を楽にして欲しいかな。今からはプライベートな時間だ」
黄瀬社長はくすっと笑って、片手でほんの少しネクタイを緩める。
「とは言っても俺は私服じゃなくて、仕事用のスーツだけどね。着替える時間か無かった。そこは許して欲しい」
「そんな黄瀬社長はいつも素敵なスーツ姿で──、」
と、言ったところで自分で苦笑してまい。言い直した。
「ありがとうございます。スーツ姿はかっこいいので問題ありません。社長相手に、いきなりタメ口とかは難しいから……黄瀬君……大人になったから黄瀬さんの方がいいのかな。うん。まずは黄瀬さんと呼んでもいいですか?」
ハンドルを握る黄瀬さんを見つめる。
「薫でもいいよ。紗凪」
一瞬だけ私を見て、黄瀬さんは私の名前をさらっと呼んだ。
その横顔に早くも胸がきゅんとした。
「そ、それはまだハードルが高いです」
ドギマギしてしまい、膝の上の鞄と紙袋の取手をきゅと握る。
「いつか呼んでくれるのを期待している。それと、本日の肝心なデートだけども。俺の気持ちを伝えたい場所がある。そこまで付き合ってくれないか?」
「はい。大丈夫です」
車の中で性急に言われるより、ちゃんとした場所で言われた方がいい。
車はどうやら高速へと向かっているようで、高速乗り口の前。赤信号になり。
緩やかに車が止まった。車内に静けさが広がる前に、黄瀬さんが私を見つめた。
「目的の場所まで三十分ほどで着く。その前にこれだけ言っておきたい。先日のホテルでの一件は決して、遊びで紗凪に触れてなんかいない。責任を取れと言うのなら、紗凪の気が済むようにどんな責任でも取るつもりだ。それだけは誤解しないで欲しい」
「は、はいっ」
「そのことについて、何か俺に言いたいことはないだろうか。触られて不快だったとか──」
悩ましそう顎に手をやる黄瀬さんに、そんなことはないと伝える。
「あのっ、その件についてはそう言ったネガティブなことはなくっ。本当にお世話になったというか。こちらこそ、ご迷惑を掛けて申し訳ありませんでしたとしか言えなくてっ。私は何も問題ありません。出来たら忘れて欲しいぐらいでっ」
「忘れるのは無理だな」
キッパリ言われて顔が熱い。
「そ、そうですよね。私も忘れられないです。あの場にいたのが黄瀬さんで本当に良かった」
「実はホテルのスタッフが偶然、紗凪達がエレベーターに向かうのを目撃していて。様子が変だったと俺にこっそり教えてくれた」
もう少し早く俺が二人に気付けばと、言葉を重くする黄瀬さんにそんなことはないと首を振る。
「あのとき。サプリで体が変になってしまったけど……私の心まではサプリで変になってはいませんから」
そう言うのが精一杯。
変な空気にしたくなくて。もう直ぐ赤信号も変わると思い、たたみかけるように喋った。
「そうだ。あと、退院するとき。もう支払い済みって聞いて驚きました。今からでも私が支払いをしたいのですが」
「気にしなくていい。今度俺が入院したら毎日見舞いに来てくれ。それでチャラだ。そうだな、差し入れもしてくれたらそれで充分かな」
くすっと笑う黄瀬さん。
私の話に乗ってくれて、サプリの一件はこれ以上広げない気遣いがありがたい。
あのとき。切っ掛けはサプリでもお互いが納得して触れ合ったのには間違いないから。こうして、ちゃんと黄瀬さんに向きあえている。
そして信号が青になり、また車が走り出すと私の口も滑らかに動いた。
「じゃあ、黄瀬さんが毎日コンビニで買っているハードグミを持っていきます」
「……なんでそれを知っているんだ」
ちょうど一般道路から高速に乗る入り口で、車のスピード落とした黄瀬さんが、ちょっと照れながらこちらをチラッと見て来た。
この人のこんな風に素が出るのは──とても魅力的だと思った。
「社長が社内のコンビニを使えば目立ちます。それに社長が食べたグミは女子社員がこぞって買うから、品薄になる現象が起きているんですよ?」
「グミ、眠気覚ましにはいいんだよ。いや、そうじゃなくて。差し入れは出来たら紗凪の手作りがいい」
その言葉に気持ちが華やかになり。持って来た紙袋を渡すのはこのタイミングかなと思って、白い紙袋をさっと胸元に掲げた。
「実はその、これ手作りクッキーです。何かお礼をと思って用意しました。あ、本当はデパートとかで買いに行きたかったんですけど。体調のこともあって家で大人していたから、久しぶりに作ってみたんです」
これも母直伝のクッキーレシピ。細かく砕いたアーモンドと少しだけシナモンを入れて香り豊かなクッキーに仕上げている。
心の中ではデパートにも負けないぐらい美味しいとは思っているけど、手作りは重たい女かなぁと思う自分もいた。
でも今日、黄瀬さんにお礼を何か渡したいと思っていたから、ちょっと勇気を出してクッキーを作って持って来たのだった。
何も反応がない黄瀬さんに「あ、手作りはNGの人かな」と思うと。
「──嬉しくて死にそう」
はっきりとそう言った。
「えっ」
「実はずっと、紗凪の手作り料理が食べたいと思っていた」
「そうなんですか?」
「俺の夢が一つ叶った。今すぐ抱きしめたいけど我慢する。クッキーありがとう。大事に食べる」
紙袋は後ろのシートに置いて欲しい。クッキーにシートベルトをつけたいぐらだと、無邪気に喜ぶ姿に私まで嬉しくなる。
クッキーを後ろの座席に置くと車は高速に入り、景色があっと言う間に流れていく。
当たり前だが黄瀬さんは運転に集中している。
しかし、これが渋滞だったら。
会話が途切れて手を伸ばされ。抱き締められたら──抱き締め返してしまうと、妄想してしまった。
そうか。私、社長としても黄瀬さんとしても惹かれている。
早くも社長と秘書の垣根を超えたのは私じゃないか。単純な女だとコツンと窓に頭を寄せるのだった。
そうして無言の車内でも心地よく、ずっと景色を眺めていても飽きないと思っていたが、どちらからともなく会話が始まり。
他愛のない会話から、自然と仕事の話題になり。キセイ堂の来期の新しいCMに俳優の『アンジ』を起用すると言うことを教えて貰った。
アンジはアイドル路線から俳優に転向した、ヴィジュアルが神がかったイケメン。人気俳優の起用に早くもCMに期待してしまう。
それに次は地方の伝統品をあしらった、和風限定パッケージコラボも決まり。ワクワクする案件ばかりで、スケジュールの組み方に腕がなると思った。
プライベートでも仕事の話題で盛り上がるとは、ワーカーホリック過ぎると互いに苦笑したところで、車は目的の場所に着いた。
そこは空港が近い場所。開港にあわせて沿岸部を埋め立て、整備されたポートタウン。高層ビルのゲートタワービルや大型複合商業施設やレジャー施設があり。海を望める夜景が綺麗なスポットとして有名な場所だった。
ポートタウンの駐車場に車を停めて、外に出ると
空はオレンジから濃いブルーに塗り替えられつつあり。遠い頭上に白い月が浮いていた。
「運転ありがとうございました。それにしても風が気持ちいいですねぇ。いつもビル風に吹かれているから海風は新鮮です」
「そうだな。視界が広いのはいい。行きたい場所はゲートターワービルのイルミネーション広場だ」
さぁ行こうと、ナチュラルに手を掴まれてエスコートされる。こう言うときリードしてくれるのは嬉しい。
帰るときもこの嬉しさのまま、気持ちが持続していたらいいのにと思った。
手を引かれて連れて行かれた場所はイルネミショーンが輝──かない。スッキリとした芝生とベンチが置かれた広場だった。
どうやら昔はイルミネーションが毎日夕方になったら点灯されていたようだが、今は省エネとコストカットから撤廃されていた。
それでもこざっぱりとした広場はポートタウンの明かりを一望出来て、微かに波の音も聞こえる。広場は落ち着いたよい場所だと思った。
黄瀬さんは街頭の下。ここが良いかなと、ガーデンベンチに腰掛けた。
ここが黄瀬さんが来たかった場所。
そして思いを打ち明けてくれる時がとうとう来たと思った。
私もそっと横に座り、黄瀬さんの次の言葉を待った。
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