男装大正浪漫〜堺の街に香る恋と茶香譚〜

猫とろ

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二杯目

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「そこの井戸で身を清めろ。そのまま泥だらけの格好で家に上げたら畳や床が痛む。今から替えの着物と手拭いは用意してやるから」
言うだけ言うと、ふいっと庭の縁側から家の中に入り姿を消した。

そっけない態度だったけど、見ず知らずの私にこの待遇は破格のものだろう。
時期的にも井戸の水で体を拭いても風邪は引かないはず。ここは都会で山と違って空気もずいぶんと暖かい。

「それに泥だらけは気持ちが悪いしね」

よしと思い。懐に入れていた紙幣に気を使いながら、ポンプに手を伸ばした。

まずは手足の泥を流していると、藤井様がカゴを持ってきてくれて「この中にあるのは僕の古着や。これに着替えろ」と言った。
そして泥がちゃんと落とせたら勝手に家の中に入って来いと、言ってからまたすぐに家の中へと消えた。

一応、私はザンバラ髪をしていても女子ではある。体を清めるところをじっと見られては困ってしまうので、一人になるのは有り難かった。

藤井様の姿が見えなくなってから手早く、身を屈めて清める。

冷たい井戸の水は気持ちがよく。上を向いたら白銀の月。
夜でも明るい月光に心まで洗われるよう。
何よりもこの庭は灯籠に手水。梅や牡丹など、お花まで丁寧に手入れが行き届き、夜の綺麗なお庭で水浴びはとても気持ちがよかった。

「ちょっとお腹減ったけど」

まぁ、水浴びついでに水を飲んで空腹を誤魔化そう。

カゴに入った着物も古着だったが、清潔で生地も上質なものだった。
こんなにして貰っておいて、お腹が空いたなんて言えない。むしろお礼を言わなくてならないだろう。

──藤井様は何か、私にやって欲しいと言うことが気がかりではあったけど。
それでも待たせては悪いと思いながら、真っ白な手拭いで体をテキパキと拭いて行く。

それから汚れた着物も簡単に洗い。庭の隅に干した。
髪が短いと乾きがこんなにも早いんだと妙に感動しながら。サッパリして少しだけ体力も戻った。
おずおずとお邪魔しますと縁側から、灯りがついた家の中へと上がる。

足にはもう泥は付いてない。
家を汚すことはないだろうと思いながらも、白木の廊下に丸いランプが付いた綺麗な廊下をそっと歩く。
素敵な家の中に藤井様の影を探す。

「凄い立派な家。あ、振り子の壁時計もある。藤井様以外、誰も住んでないのかな」

人の気配を探るけど、家は静謐な空気に包まれひっそりとしていた。息を潜めるように静かに歩いた廊下の奥。

襖から光が漏れていて、そこから微かに爽やかな香りと重く甘い仄かな香りが鼻腔をくすぐった。

「良い香り。まるでお香みたい」

光と香りを頼りに襖へと近づくと、部屋の中には肘掛けに体を預けて、煙管を燻らせる藤井様がいた。

私は花魁なんて見たことがないけど、綺麗な着物を着て。月の光を束ねたような髪を纏わせる、藤井様に花魁の姿を重ねてしまった。

本当にこの人は日本人なのかな。
外国から来た人?

「不思議な人……」

そうして、なんだか襖の隙間からイケナイものを見ている気分になったとき。
藤井様が流し目でこちらに気がついた。

「盗み見は趣味か? あんまりええ趣味とはちゃうな」

「! ち、違いますっ。その、いい香りだったからうっとりしていたんですっ」

思わず襖の隙間から、それこそ盗み見をしていたかのような言い訳をする。

「なんの香りかわからん癖に。ま、そう言うことにしておいてやろ。早く中に入って来い。話したいことがある」

藤井様は気怠気にトンと、煙管の灰を木と鉄で出来た高価な煙草盆の中の器へと落とした。

その横にキラリと光る銀の十字架ロザリオがあった。
なんともオシャレな人だと思った。


それを見て「失礼します」と、おずおずと和室の中に入る。

藤井様のなんとも言えない雰囲気に気後れしないように、下座にぴっと正座をして。
膝に手を置いて、まずは御礼を言わなければと思った。

「私は千里と言います。この度は助けて頂き誠にありがとうございます。このように立派な着物まで用意して下さり、大変助かりました。つきましては藤井様は何か、私めに思うところがあるご様子。私に出来ることでしたら、なんなりとお申し付けください」

「……お前は武家の子供か?」

私の言葉に翠緑の瞳を瞬かせる藤井様。

「祖先は武家ではなく。商人だったと」

「いや。そんなことどうでもええわ。興味ない。礼なんていらん。名前は千里か。ええか千里。お前を助けたのは、ただの人助けちゃうねん」

「はい」

「実はな。一週間後に僕のクソ兄貴が主催するお茶会がある。お前はそのお茶会に僕の小姓として参加するんや。その茶会には堺の納屋衆、会合衆。さらには外国人も招いた──デカいお茶会でな。それを無茶苦茶にしろ」

「お、お茶会を無茶苦茶に?」

「そ。クソ兄貴のメンツを潰したい。本当は僕がやりたいくらいやけども、さすがに僕の仕事に影響でるから無理や。適当にならずモノ達に声を掛けて見たけど、納屋衆、会合衆を敵に回したくないと、怖気付く有様でな。ホンマ腰抜けどもが」

ふふっと笑い、口元の黒子に手を当てるのがなんとも妖艶。しかし、お茶会を無茶苦茶にしろなんてとんでもない。
堺の権力者。引いては大阪の有力者と思われる人達が集まる場で、お金を積まれても狼藉を働きたいと思うものはいないだろう。

「あ、あの藤井様っ」

「確かに、大人が暴れたらその場でエライ目に合う。しかし、千里みたいな子供やったらつまみ出して終わりやろ。僕の小姓だからと、お目溢しぐらいあるはず。それに警察も子供を捕まえても、しゃあないしな。だからお前を助けた。な? いい案やろ?」

「お茶会を無茶苦茶にするなんて、それは」

──私の精神に反します!

と、言いたいところをぐっと飲み込み。

「えっと、ですね。お茶会を滅茶苦茶なんて、それは大変なことだと思います。け、けどそんな凄い人達が集まる場所に私が暴れたとしても、すぐに取り押さえられてしまうのが、関の山だと思うのですがっ」

「お茶に下剤を仕込んだらいい」

「!?」

「あとは犬笛で野犬を呼び込む、爆竹を鳴らす。煙玉も撒き散らすか。ついでにちんどん屋も奇術師達も呼んでみよか。よし、そのあたりは僕が手配しとくわ」

にこりと微笑む藤井様。その笑顔に曇りはない。
本気だ。この人は本気でお茶会を潰そうとしている。

『手配しないでください! そんなお茶会はこの世にあってはなりません!』

と凄く叫びたかった。だって私はお茶を愛している。そうやって生きてきた家系なのだ。

だからこそ、藤井様がそこまでお茶会を壊そうとするのか気になった。
先程『クソ兄貴』と言っていた。お兄様と仲が悪くて嫌がらせをするにしても、藤井様の口から出た発言はいささか過激過ぎではと思う。

「その、ですね。どうしてお茶会を滅茶苦茶にしたいのですか? 何か訳でもあるのでしょうか?」

おずおずと尋ねると、藤井様の顔から笑みが消え。私を見つめる翠緑の眼差しが鋭くなった。

「お前には関係ない。僕がお前のことを詮索しないように、こちらを詮索するな。言われたことだけをしろ。まさかここまで聞いて『無理です』とか言うんか?」

「──いえ。過ぎたことをすみませんでした。無茶苦茶にするのは分かりましたが、その後私はどうしたら良いのですか?」

「どこへでも行け。混乱した茶会から逃げ出せるようにはしとく。さっき拾っていた紙幣があれば、どこにでも戻れるやろ」

「!」

紙幣を拾うところを見られていたと、体を硬直させる。

「その対価に見合う行動をしろ。千里が拾った額に『無茶苦茶』は見合うと思うけどなぁ?」

また微笑む藤井様。
しかしその瞳は笑っていない。

あぁ。私はとんでもない人に着いて来てしまったと思った。
しかし、ここで逃げ出すのも違う。お金を返しても今更だろう。

ぐっと膝の上に置いた手を握りしめる。

お茶会は──『和敬清寂わけいせいじゃく』の精神であるべきだ。私は脈々と受け継がれた大爺様の意思を大事にしたい。

あと一週間で藤井様お気持ちを変えれることは出来ないだろうか。
それか藤井様のお兄様に会って、このことを伝えてお茶会を中止に出来ないか。

せめてお茶会を無茶苦茶にしないように、私に出来ることをやってみようと思った。

それに、その間はアイツらから一時的にでも身を隠せる利点がある。

ふうっと深呼吸して、藤井様の視線を受け止める。

「わかりました。藤井様のご要望。承りました。しかし、つつがなくことを進める為にも、いろいろと私に会場の広さ。ご出席の方々などを教えて貰えませんか?」

まずは情報だ。
そして藤井様のお気持ちを知りたい。

「ええ子や。物分かりのいい子供は好きやで。それにしてもその喋り方々と言い、千里は中々……うん。面白いな?」

瞳の鋭さが僅かに緩み、翠緑の瞳がきらっと光った。

思わず魅力的な笑みだと思ってしまうと、気がゆるみ。きゅうっとお腹が鳴ってしまった。慌ててお腹を抑える。

「あ、す、すみませんっ!」

「腹が減っては戦はできぬってか」

その言葉に慌てるが藤井様は立ち上がり。私を見下ろした。

「僕は職業柄、嘘を見抜くのは上手くてな。千里はまだ戸惑っているようやけど──ウソを言っているようにも見えんし、頭の回転も良さそうや。そこを信用してここにいる間は食事ぐらい用意する。僕の小姓やしな?」

「あ、ありがとうございます」

そうは言っても、これは犬を手懐けるに近いものだろうと思った。

もしくは暇つぶし。戯れ。

そんな風にも感じた。

「とりあえず、お茶会までは小姓らしくこの家の家事でもやって貰おうかな。僕の自室以外は好きに使え。短い間になるとは思うけど。よろしくな千里」

「──はい。よろしくお願いします」

互いに言葉を交わしたが、心暖かいものではない。それでも私はこの藤井様の家に上がり込んでしまった。

これからの一週間。
お茶会の滅茶苦茶を阻止。
そして私はアイツらから逃げる算段をしなくてはならない。

なんだか一晩で、とんでもないことに巻き込まれてしまった気がする。
どちらも困難な問題だけども、これも私の運命なのだろう。受け入れて立ち向かうだけ。

『四規七則』
四規の一つ。動じない心。
七則の一つ。本質を見極める。

大爺様のお言葉には間違いはない。頑張れ私と拳に力を入れるのだった。
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