妖しい、僕のまち〜妖怪娘だらけの役場で公務員やっています〜

詩月 七夜

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第十一章 大妖六番勝負

【百四十一丁目】「どれ、お手並み拝見といこうか」

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あやかしサミット」における「大妖たいよう六番勝負」もいよいよ大詰めである。
 これまで…

 第一戦目 vs「獣王」小源太こげんた隠神刑部いぬがみぎょうぶ) 「肝比べ(変化対決)」に勝利
 第二戦目 vs「霊王」玉緒たまおさん(天狐てんこ) 「知識比べ(脱衣クイズ勝負)」に勝利
 第三戦目 vs「海王」勇魚いさなさん(悪樓あくる) 「根競べ(水上アスレチック勝負)」に勝利
 第四戦目 vs「妖王」神野しんのさん(神野悪五郎あくごろう) 「美比べ」(ファッション対決)に勝利
 第五戦目 vs「鬼王」紅刃くれはさん(酒呑童子しゅてんどうじ) 「鬼ごっこ」(生死問わず)に勝利

 という感じで勝利を重ねてきた。
 正直、ここまで勝ち続けることが出来るとは思わなかった。
 何せ、相手は全員が神話・伝承に名を残す大妖だ。
 それ故に、全ての勝負が敗北寸前の辛勝だった。
 けど、三池みいけさん(猫又ねこまた)や釘宮くぎみやくん(赤頭あかあたま)といった面々が助っ人として参戦してくれることになり、一度も負けることなく、こうして最後の勝負を迎えることが出来たのである。
 そして、その奇跡の連勝の前に立ちはだかるのは…

「どれ、お手並み拝見といこうか」

 不敵な笑みを浮かべ、そう言ったのは山本さん(山本五郎左衛門さんもとごろうざえもん)。
 サミット会場となっている「百喜苑ひゃっきえん
 ここはその一角にある屋外練武場「破天はてん」である。
 そこには、僕…十乃とおの めぐる飛叢ひむらさん(一反木綿いったんもめん)達の特別住民ようかいの面々と、これまでに対戦してきた大妖達が勢ぞろいしていた。
 そんな中、山本さんと対峙しているのは僕と飛叢さん。
 山本さんはインドから中国、そして日本へと渡り歩き、数多の妖怪・魔物を従えるほどの実力者でありながらも、その正体は一切不明。
 「魔王」の異名を持ち「最も危険な大妖」として名高い存在だ。
 その実力もここに揃った大妖の中でも最強に近いだろう。
 とにかく、手ごわい相手であるのは間違いない。

「では、いま一度ルールを確認するぞ」

 このサミットの進行役であり、大妖六番勝負の裁定役でもある御屋敷みやしき町長がそう切り出した。

「今回の『力比べ』では、飛叢よ、お主がぼうの助っ人になる」

「…おう」

 対峙する山本さんを見据えたまま、飛叢さんが短くそう応える。
 その眼は真剣そのものだ。
 相手は稀代の大妖なのだから当然だろう。

 当然なんだけど…

 何というか…最近の飛叢さんは「彼らしくない」と僕は思う。
 普段の飛叢さんはもっと血気盛んで喧嘩っ早く、負けん気も強い。
 そして、何よりも自信家だ。
 例えどんな強大な相手を前にしても、それは揺らぐことはない。
 でも、ここ最近…特に「あやかしサミット」が始まってからは、妙に覇気が無い。
 どこか上の空だったり、遠回しに気弱な台詞もあった。
 その様子に同僚である鉤野こうのさん(針女はりおなご)達も気になっているようである。
 何よりも、この面子の中では皆を鼓舞するムードメーカー的な存在が飛叢さんだ。
 その彼が本調子ではない様子に、皆がどこか不安そうだった。
 そんな僕らの心配をよそに、御屋敷町長がさらに続ける。

「そして、この勝負の勝敗は坊と飛叢が、どんな形でも山本に『参った』と言わせれば勝ちとなる」

 それが山本さんが打ち出した今回の勝負方法「力比べ」だった。
 そして、今回の勝負は本当に気が抜けない。
 「魔王」と名高い山本さんだけど、その実力は古来より好敵手ライバルである神野さん同様、明らかにはなっていない。
 彼の伝承が記された「稲生物怪録いのうもののけろく」の中では、かみしも姿の武士の姿で登場。
 そして、多くの魔物を従えて帰る際、彼の乗った輿こしから巨大な腕が出ていたことのみが記されている。
 そんな得体の知れない相手に真正面からぶつかっても、玉砕するのは目に見えている。
 第一、ただの人間でしかない僕は戦力外だ。
 でも、飛叢さんなら、機動力も高いし、特別住民ようかいの中でも特にスピードに優れているから、勝機を見出すことは出来るかもしれない。
 とにかく、僕は二人の邪魔にならないようにし、飛叢さんに全てを託すしかない。
 御屋敷町長が続けた。

「じゃが、そのリミットは半刻(30分)じゃ。それまでに逆に坊たちが『参った』と言ったり、山本を降参させることが出来なかった場合は、そこで坊たちの負けじゃ。よいな?」

「は、はい!」

 僕は緊張した面持ちで頷いた。

「こっちも構わんよ」

 顎を撫でながら、薄笑いのまま頷く山本さん。
 相変わらず、余裕綽々よゆうしゃくしゃくといった様子だ。

「では、始めるぞ。いよいよこれが最終戦じゃ。両者とも正々堂々、悔いのないようにな。それでは…始め!」

ピーッ!

 御屋敷町長が警笛ホイッスルを鳴らす。
 同時に、飛叢さんの身体がふわりと空中に浮いた。
 彼の妖力【天捷布舞てんしょうふぶ】によるものだ。
 この妖力により、飛叢さんは空中浮遊・高速飛翔を可能とする。
 そして…

「いくぜ、魔王さんよ!」

 飛叢さんが右手を一閃すると、その腕に巻かれていた木綿のバンテージが解かれ、数条に分裂する。
 これが【天捷布舞】のもう一つの能力だ。
 腕のバンテージに飛叢さんの妖力が通うことにより、それは変幻自在に動き、硬軟合わせた性質を発揮する。
 つまり、従来どおりの布の柔軟さや鋼の如き切れ味を発揮できるのである。
 加えて、その精緻せいちな動きは、飛来する銃弾すら掴めるのだ。

「これでも食らいな…!」

 まるで“八岐大蛇やまたのおろち”のように鎌首をもたげたいくつものバンテージの先端が、派手にうねくりながら山本さん目掛けて殺到する。

「ほう、なかなか早いな…」

 凄まじい速度で飛来するバンテージに、山本さんが感嘆の声を上げる。
 しかし、避けようもない距離まで迫ったそれを、山本さんは何と回避した。

「嘘でしょ…!?」

 見守っていた僕は思わずそう声を上げる。
 飛叢さんのバンテージは、間違いなく山本さんが回避不可能なスピードで迫っていた。
 でも、そのことごとくがまるで虚像の山本さんを通り抜けるように貫通したのだ。
 僕が知る限り、飛叢さんのバンテージが狙いを外すなんて初めて目にした。
 とにかく、物理的にはあり得ない現象だった。

「そうくると思ったぜ…!」

 けど、飛叢さんはひるんだ様子も見せない。
 代わりに、左手を引き絞るように手元へと引き寄せる。
 すると、山本さんの周囲の地面から無数のバンテージが噴き上がった。

 い、いつの間に…!?

 驚きに次ぐ驚きだ。
 たぶん、飛叢さんは最初に繰り出したバンテージが躱されることを読んでいたんだろう。
 だから、誰もが右腕のバンテージに目をいくように派手に繰り出したのだ。
 同時に、その間隙をぬって左腕のバンテージをひそかに地中に潜り込ませ、山本さんを包囲。
 そして、仕上げに山本さんを捕縛。
 つまり、最初の一撃は完全におとりで、本命は二番目だったわけだ。

「ほう…!?」

 突然足元から現れたバンテージに、初めて少し驚いた様子を見せる山本さん。

「まだまだ…!」

 一方の飛叢さんが、再度右手を振るう。
 すると、最初に繰り出されたバンテージが後退し、角度を変化させつつ、今度は急上昇した。
 そして、飛叢さんが再度右腕を振るうと、それらは純白の豪雨となり、山本さん目掛けて降り注ぐ。
 すごい…!
 フェイクだと思われた最初のバンテージを、飛叢さんはとどめとして再度繰り出したのだ。
 先の先まで読んだこの勝負センスは、喧嘩慣れした飛叢さんならではだ。
 実際、足元からのバンテージは、今度こそ山本さんをがんじがらめに捕縛した。
 そこに、上空から追撃のバンテージが襲い掛かる。
 もはや絶対に躱せない状況となった。
 だから、誰しも勝負の決着を予想したはずだ。
 そして、飛叢さん自身も自分の勝利を確信したように吠えた。

「もらった…!」

 脱出不能なまでに拘束された山本さんの頭上にバンテージが迫る。
 けど、当の山本さんは、それを落ち着いた表情で見上げていた。
 そんな山本さんの表情を目の当たりにした僕は、背筋に寒いものが走るのを感じた。
 だから、直感的に叫んだ。

「飛叢さん、退いてください!」

 が、その言葉は間に合わなかった。
 捕縛されたまま、山本さんが自然体で一歩踏み出す。
 すると、全身に絡んでいたバンテージからまるで縄抜けしたかのように、山本さんは呆気なく脱出した。
 同時に、捕縛対象を失ったバンテージが、力なく地面に落ちる。

「なっ!?」

 驚愕する飛叢さん。
 見守っていたギャラリー一同も、驚きに目を見開く。
 そんな中、山本さんが右腕をゴキリ!と鳴らしつつ、不敵に笑った。

「いいねぇ…」

 瞬間、山本さんの右腕が爆発的な質量を生んだ。
 恐ろしい“鬼”のような巨大な腕と化したそれは、一振りで飛来したバンテージをあっさりとつかみ取った。
 さらに驚愕の表情になる飛叢さん。

「…この野郎」

 歯噛みする飛叢さんとは対象的に、山本さんの笑みが深くなる。

「若くて活きのいい奴は、俺の大好物だ」

ブォン!!

 まさに悪夢のようだった。
 バンテージをつかんだ山本さんが、巨腕を軽く引っ張っただけで、空中にいた飛叢さんが一気に引きずり下ろされ、地面へと叩きつけられたのだ。
 凄まじい地響きと土煙が上がり、周囲を覆い尽くす。

「きゃあああっ!!飛叢さんっ!!」

「飛叢兄ちゃん!!」

 一連の攻防を見守っていた三池さんと釘宮くんが悲鳴を上げる。
 あまりさん(精螻蛄しょうけら)はオロオロしっぱなしで、鉤野さんは未だ先の勝負でのショックで正気に戻っていない。
 普段は飄々ひょうひょうとした沙牧さまきさん(砂かけ婆)も、珍しく険しい表情をしている。

「チッ…山本のおっさんめ、嫌になるくらいに見せつけてくれるぜ」

 一部始終を見ていた大妖達の中で、小源太がそう言いながら舌打ちをすると、玉緒さんも口元を袖で覆いながら、

「珍しゅう意見が合いますなぁ、小狸はん」

 そう言うと、玉緒さんは鋭い視線で続けた。

「それにますます強なってる気ぃしますわ、あの魔王はん」

「フッ…『魔王』の異名は伊達じゃないってか」

 勇魚さんが何故か嬉しそうに豪笑する。
 その横で、紅刃さんが軽く肩をすくめた。

「勇魚様ったら、随分と嬉しそうですわね」

「おうよ!強い奴ほどがあるからな!」

 そう言いながらニヤリと笑う勇魚さんに、紅刃さんも笑みを返す。

「うふふ、否定はしませんわ。わたくしも山本様とまみえた時のことを思うと『マッカラン』の40年物をいただいた時のように血が騒ぎますもの」

 そして、瞳を爛々と輝かせる二人。
 そこには明らかに好戦的な意思が感じられる。
 そんな二人にとびきり妖美な笑みを浮かべるのは、山本さんの好敵手ライバルである神野さんだった。

「あらあら二人共、身をわきまえなさいな。山本アレの首は私が予約済みなのだから♡」

 そこまでにこやかに笑うと、一転、神野さんの身体から身震いするほどの殺気が立ち昇った。

「…そう、千年以上も前からね」

 そう付け加えた神野さんの目には、途方もない敵意があった。
 そもそも「稲生物怪録」によれば、神野さんと山本さんは魔物の王の座をかけて対立していたと伝わっている。
 恐らく好敵手ライバルの実力を目の当たりにし、その因縁を噛み締めているのだろう。
 一方の僕といえば、大妖達のそんなやり取りに戦慄せんりつしていた。
 これまで彼らが見ていた顔は、畏怖こそすれ、どこか親近感を抱くものだった。
 時折見せるどこかコミカルなその言動に、思わず気が抜けたこともある。

 けど…それは錯覚だった。

 山本さんの力を目にした大妖達の様子は、一様に心胆寒からしめる程の殺気と恐ろしさに彩られていた。
 日頃、人間離れした特別住民ようかいの皆さんと接している僕ですら、身体の震えを止めることが出来ない。
 改めて、よくもこんな物騒な方々を相手に勝ち抜いてこられたものだ。

「おーい、もう終わりか?」

 立ち込める土煙を見据えながら、山本さんが場違いなくらいにのんびりした声でそう呼び掛ける。
 一方、飛叢さんが墜落した場所からは、呻き声一つ上がらない。

 ま、まさか…考えたくないけど、飛叢さんは今の一撃で…

「しまった…あんまり活きがいいから、ついやり過ぎたか」

 そう言いながら、ボリボリと頭を頭を掻く山本さん。
 僕は立ち尽くすしかなかった。
 喧嘩百戦錬磨を誇る飛叢さんの武勇伝の数々は、よく知っている。
 好戦的な妖狼達の女ボス“鍛冶かじばば”率いる狼軍団との大乱闘。
 同じく乱暴者で知られる鬼“三吉鬼さんきちおに”との一騎打ち。
 他にも、数々の喧嘩で勝利を収めてきたのだ。
 その飛叢さんが、こうもあっさりと敗北を喫するなんて…

「予想よりできる奴だったが…これで幕かな」

 巨腕を元のサイズに戻してから、山本さんが肩を鳴らしつつ、そう呟く。
 そして、僕の方へ向き直った。

「さて…坊主、お前はどうするね?」

「う…うう…」

「魔王」の視線に当てられた僕は、呻くしかできなかった。
 あの飛叢さんですら軽くあしらう相手に、ただの人間である僕なんかでは絶対に勝てっこない。
 天地が引っ繰り返っても不可能な話だ。
 僕は握り締めていた両手の拳から力を抜いた。
 そして、うつむいたまま言った。

「…僕は絶対に貴方には勝てません」

「…」

「山本さんにも分かりますよね?ここまで勝ち進んで来れたのも、三池さんや沙牧さん達のお陰です。僕は大したこともできず、ただ助けられ、震えているだけでした」

「十乃君…」

 僕のその台詞に、三池さんが泣きそうな顔でそう呟く。
 山本さんといえば、特に感慨を抱いた風も無く僕を見ていた。

「…そうだな。お前一人だったら、ここまで来るのは到底不可能だったろうさ」

 一転、その目が鋭く光る。

「で、だ。ここいらで負けを認めるってことでいいか…?」

 心なしか、その声にはわずかな苛立ちがこもっていた。
 僕に大妖たる山本さんの心の内をうかがい知ることは出来はしない。
 だが、恐らく彼はこう思っているのかも知れない。

「せっかくの勝負なのに、あっさり負けを認めやがって」と。

 話は唐突にさかのぼるけど。

 永らく人のいる場所から避けられて開催されてきた「あやかしサミット」…それが今回に限ってこの降神町で開催されることになった原因がある。
 以前、秋羽あきはさん(三尺坊さんじゃくぼう)から聞かされた話によれば、その原因とは大妖達が僕自身に興味を抱いたかららしい。
 彼女の話によれば、平凡な人間であるこの僕が、度重なる特別住民ようかい絡みの事件に巻き込まれながらも、何度も生還していることが大妖達に知れ渡ったからなんだそうだ。
 そして、サミット中に唐突に始まったのがこの「大妖六番勝負」である。
 その目的も「僕の資質を確かめるため」となっていた(提案者は沙牧さんだけど)。
 結果、大妖達はそれぞれ自身が納得のいく形で僕達に勝負を挑んできた。
 僕達としても、大妖達に勝ち、認めてもらうことで信用を得ることが出来れば、暗躍する「K.a.Iカイ」や「muteミュート」に対する心強い味方になってくれるかも知れないという打算がある。
 なので、この六番勝負に勝つことは、重要な価値を持っていることになるわけだ。
 そして、ここまでの勝負全てで僕達は勝利を収めてきた。
 結果、大妖達は僕達に理解を示してくれた。
 でも、この山本さんとの勝負はこれまでのものとはまったく毛色が違う。
 「力比べ」の名前のとおり、純粋な力と力のぶつかり合いだ。
 小手先の知恵やからめ手などは、踏み込める余地もない。
 それだけに、僕達の勝機は持ち前のスピードを生かした飛叢さんの速攻のみだった。
 しかし…奇襲を交えたその速攻も、山本さんには通用しなかった。
 思わず奥歯を噛み締める僕。
 勝つことは出来なくても、せめて僕が戦力になっていれば…

「答えろ、坊主。『参った』するか?それとも…」

 一度閉じられた山本さんの目が開かれる。
 そこには、今まで見てきた山本さんの穏やかな顔とは全く異なるかおがあった。
 といっても、人間としての外見に変化はない。
 だが、その目が違った。
 それまで普通だった山本さんの目は、血のような真紅の色を放ち、その中で大小数多あまたの黒瞳が蠢き、一斉に視線で僕を射抜く。
 まるで昆虫の複眼みたいだった。

「このまま続けるか?俺は別に構わんぞ?」

「ひっ!?」

 僕は叫びそうになり、慌てて悲鳴を飲み込んだ。
 そこにいるのは、人の姿をした「異形」だった。
 僕を見据えるその異形の瞳が放つ恐怖の波に押されるように、思わず一歩二歩と後退る。
 途方もない恐怖を前にしたせいか、もはや歯も噛み合わんばかりに、僕の身体が震え出した。
 そんな僕へ、山本さんは静かに問いただした。

「どうした?答えろ、坊主」

 山本さんの声音が、低くなる。
 早く…早く言うんだ…!
「参った」って!
 でないと…

「『負け』を認めるか?」

 三度、山本さんが尋ねてくる。
 常軌を逸したその威圧感に、僕は腰が抜ける寸前だった。
「稲生物怪録」で山本さんと相対した稲生 平太郎は大層勇気があり、山本さんやその配下の妖怪達を目にしてもまったく動じなかったというが、改めて感服させられる。
 よくもこんな異形を目の前にして、ひるまなかったものだ。

「さあ、答えろ、坊主。それとも、急に口がきけなくなりでもしたか?」

 山本さんが鋭い牙を覗かせる。
 更に迫力が増し、僕の膝が折れかけた。
 もう…だめだ…
 これ以上、山本さんの迫力に耐えられそうにない。
 僕は何の取り得もない普通の人間だ。
 勇気溢れる平太郎になんかなれるはずも…

 …いや。

 待て。

 待て、待て、待て…!

 稲生 平太郎。

 そうだ。

 彼はどうやって…?

「口を開けなくなったのなら、その口、俺が引き裂いて開けるようにしてやろうか?」

「…ぼくは…ません」

 僕の呟きに山本さんがいぶかしげに眉を寄せる

「あん?」

「敗北は…認めません」

 ともすれば爆発しそうな心臓。
 まともにしゃべるのも辛いくらい喉がカラカラだ。
 それらを何とか押さえつけつつ、僕はもう一度言った。

「山本さん、僕は負けを認めません」

 沈黙の後、山本さんは薄く笑った。

「フッ…身体は盛大にブルッてるようだが…?」

「それでも、負けは認めません」

 僕のその一言に、山本さんが柳眉りゅうびを逆立てた。

「坊主、いいことを教えてやろう。俺は若くて活きのいい奴が好きだが、往生際の悪い奴は大嫌いなんだ。今のお前のような奴は特にな」

「…」

「で、そういう奴は俺の手下共にエサとしてくれてやることにしている」

 そう言いながら、山本さんは地面を一度踏み鳴らした。
 すると、山本さんが踏みしめた場所から、辺り一体に黒い波が走る。
 同時に地面が黒く染まり、泥のようにうねり出した。
 そして、その中から数多の影が這い出してくる。

 毛むくじゃらの大入道がいる。
 業火を吐き散らす行灯がいる。
 逆さになって、長い髪の毛で這いずり回る女の生首もいた。

 それら異形の群れが、僕を取り囲むように召喚されたのだ。

「う…わ…」

 思わず声を上げる僕に向かって、異形達がニタニタ笑う。
 そして、そろって飢えを満たすことができる歓喜の哄笑を上げた。

「十乃兄ちゃん!」

「十乃君、早く逃げて…!」

 釘宮くんと三池さんが叫ぶ。
 そして、僕を助けようと足を踏み出したところで、沙牧さんが伸ばした手に押し止められた。

美砂みさ姉ちゃん!?」

「どうして止めるの…!?」

 血相を変える二人に、沙牧さんが首を横に振る。

「落ち着いてください。この勝負において十乃さんの助っ人は飛叢さんのみ。それ以外のメンバーが乱入すれば、ルール違反で十乃さんの負けになります」

 冷静にそう告げる沙牧さんに、三池さんが食い下がった。

「でも、あのままじゃ、十乃君が…!」

「大丈夫。問題ありません」

「…え?」

 硬直する釘宮くん達に沙牧さんは続けた。

「分かりませんか?あそこにいるのは、十乃さんですよ?」

 そう言うと、沙牧さんは薄く笑った。
 一方、僕はじりじりと迫ってくる異形の群れから目が離せなかった。
 これは何という光景だろう。
 僕は夢でも見ているんじゃないだろうか?

「坊主、これが最後のチャンスだ」

 真紅の凶眼を光らせつつ、山本さんが笑う。

「『参った』しろ。でないと、本当にこいつらの腹の中に納まることになるぞ?」

「う…うう…」

「さあ、答えろ。『参った』ってな」

 蠢く異形達の包囲の輪がさらに狭まる。
 妖怪達が一斉に邪悪な笑いを浮かべた。
 そして。

「うわあああああああああああっ!!」

 辺りに僕の絶叫が響き渡った。
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