龍の都 鬼の城

宮垣 十

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第Ⅱ章

地獄  二

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 目前には柳営を囲む龍が、山の峰々に長大な姿をさらす。龍の背には、将家の軍であることを示す無数の黒旗が翻り、鼓楼では守兵を鼓舞するため、人の丈の三倍はある巨大な軍鼓が叩かれ、鉦が甲高い音を響かせていた。
 父の仇を討てと先陣を任された常成は、馬を駆って陣前を走り、刀を抜いて兵達へ叫ぶ。
「吾等菅家は、その名響きたる精兵。吾等が戦ぶり、八道諸侯にしかと見せようぞ」
 兵達が武具を上げながら、それに応えた。
「敵は数こそあれ、寄せ集めの百姓兵と聞く。怖れること無し。鉛玉を喰らわせ、吾等が槍の先に掛けよ」
 更に、兵達は唸った。
 本陣の鐘が鳴る。総攻めの刻限である。鐘が三つ鳴らされると、子母砲が轟音をあげ、地が揺れる。更に五十挺もの大鉄炮の音、これも常成等の頭を越えた、柵内からの遠当てである。兵を子母砲と大鉄炮が発する黒煙が包み込む。

 条衛は永陵山の城壁上にいた。守城の要となっていた条衛は、双鳳門の守備を副将に任せると、敵が主力を集めたここに陣所を移した。周囲の壁を直率の兵二百が守った。塁上に配する数少ない弓衆である。
 石築地の裏には、至るところに膨大な量の礫が積まれていた。条衛が兵ばかりではなく、柳営の民、それこそ女子供まで使って、川や海縁りから運ばせたものである。もとより、禁軍の兵は少なく、五口の守備に主力を置いたため、城壁上に配するのは民から徴した兵を主にせざるを得ない。弓を扱えるはずもなく、替わって石を打たせることにしたのだ。引地(いんじ)というが、荒縄を巻いてまわせば、五十間は飛び、なかなかばかにならない。さらに龍口の洞門同様、壁の直下に寄る兵を倒すため、大石と、無数の大釘を打った丸太、角柱、切り株を吊り置いた。
「敵の陣立てはいかが」
 壁下から馬道を冬門が登ってくる。城壁の内側には、山を穿った無数の蔵兵洞が並び、兵の多くが隠れていた。城壁上には、禁軍の兵、条衛の部曲を中心に、必要最低限の兵しか置いていない。兵を敵の砲火から守り、また恐怖を抱かせない工夫だ。
「少弐、貴殿の持ち場はここではないはずだが」
「何、持ち場はこのすぐ下、今は物見にて」
 長城に沿い、峰の中腹に設けられた馬場道に禁軍黒備えの騎馬が控えている。いざとなれば馬ごと城壁に通じる馬道を駆け上がる手筈になっている。
「「将家の盾」の戦ぶりを見せていただこうと思いまして」
 条衛は言葉を返すことなく、敵陣を見ている。子母砲のものと思われる鉄炮塚が二つ、また土俵の影に、数十の大鉄炮が並んでいるのが見えた。
 敵方の陣列の前を、刀を担ぎ疾駆する騎馬武者が見える。頭には水牛の角を付けた頭成りの兜。
「あの旗は菅家・・・。ではあの武者は・・・」
「貴殿の討った大常の子であろう。父に似て見事な武者ぶり・・・・」
「斬馬刀や長柄鎌を持った兵がおりまするな。よほど馬に懲りたようで」
「今回、禁軍は壁の外には出さない。出しようもないが」
「公子は、後詰めにずいぶんと不満そうでしたが」
 真宗の率いる黒母衣衆二百は、遊軍として、さらに後方の大路に控えさせてある。
「公子は戦場を軽く見ておられる。今度はあのようなこと、許されぬぞ」
「もちろん、この身と黒母衣衆を楯とするつもりでおりますれば」
 先の禁軍による襲撃で、将家の士気を鼓舞するのに、公子の参加を欽宗と条衛に強く懇願したのは、冬門であった。だからこそ、禁軍五百騎を楯とすべく、黒一色の備えの中に黒具足の公子を隠し込んだのであり、自らは囮として白具足を着込んで戦に臨んだ。
 もっとも、戦場にあって自ら陣頭に立ち、敵を射た公子に、兵の士気がこれ以上無い程に奮ったことも確かなのであり、眼前の菅家の親子がそうであるよう、将たるもの自ら陣の先頭を駈けるべきと、公子を育てたのは、他ならぬ守り役の条衛なのであるが・・・・。
 敵がざわつき、本陣の鐘が鳴った。
「くるぞ、持ち場に戻られよ」
 雷鳴のような砲声が轟き、地が揺れた。僅かの間をおいて、子母砲の石弾が山腹に着き、大鉄炮の玉も次々と城壁に当たりはじめ、塁壁が揺れる。冬門は、馬道の坂へ向かう間も無く、兵達と石築地の裏に身を隠すしかなかった。驚いたことに、条衛は塁上に立ったままだ。冬門は、子母砲の石弾が山腹に当たる、胃の腑に響くような嫌な音を数える。子母砲は当たれば凄まじいことになるが、そうそう命中するものではない。また、砲身が熱を持つので多くは撃てない。大きな鉄炮塚は二つ見えた。母砲一に対し、子砲は普通三、撃たれても合わせて六つというところだろう。
 四つ目を数えたところで、五つめが塁上の石築地に当たった。冬門と条衛がいる所から五間と離れていない。三間に渡って石築地が砕け、兵八人がもっていかれた。同時に築地と石弾の破片があたり一面に飛散する。冬門も思わず地に伏せた。とても顔を上げていられない。六つ目が山腹に当たる音を聞いて我に返り、面を上げると、仁王立ちになった条衛が見えた。
 「将家の盾」の名(もっとも本人は、そう呼ばれるのを好んではいないようであるが)は伊達ではない。決して大きいとは言えない太宰の躯が、盾というよりは柳営の岩壁そのものに見える。冬門は舌を巻いた。土煙の中に立つ太宰の姿を見て、塁上の兵達もどよめく。
「何をしておられる。疾く、持ち場に戻られよ」
 条衛の声がかかる。気を取り直した冬門が、鎧の土埃を払い、坂を降ると、入れ替わりに蔵兵洞に隠れていた兵達が、城壁に駆け上がっていった。敵方からは突撃を命じる銅鑼が鳴り響いている。
 冬門は、公子と小萩のことを相談しようと思っていたのだが、言いそびれた。もっとも、戦場で、条衛がその種の話をするとも思えなかったが・・・。
「くるぞ、くるぞ、急げ」
 臨時の物頭となった禁軍徒士の怒声が飛んだ。鼓楼の軍鼓を叩く音も守兵を鼓舞すべく、激しくなる。
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