龍の都 鬼の城

宮垣 十

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第Ⅱ章

地獄  三

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 子母砲と大鉄炮の撃ち方が終わった。銅鑼が鳴り響き、黒煙を潜って、寄手の兵が山際に殺到する。常成がその先頭を駈けた。竹束で囲った箱車を兵が押し、山際に着けた。鉄炮衆が隠れ、塁上の兵を狙う。飛んでくる矢の数は多くない。その替わり凄まじい石礫の雨が降りそそいでいた。槍衆は手持ちの半楯で、石礫を防ぎながら走ったが、油断すると、飛んできた石に、楯ごと打ち倒された。
 山際には、城壁に茂った竹木を払った時に出た材で、逆茂木や虎落、乱杭が作られていたが、寄手は夜陰に乗じ、逆茂木を切り、乱杭を抜いて、所々に通路を付けていた。逆茂木の中の道に兵が殺到すると、そこに矢が集中する。守城の将は、少ない射手を効果的に使うため、わざと道を作らせたのだ。それでも寄手の兵達は、厚板の持ち楯を手に、逆茂木を抜けていく。山裾の逆茂木を押し抜け、斜面を駆け上がろうとした兵の足を、何かが貫いた。矢竹だ。守城側は、山の斜面に生えた矢竹を刈り取る際、わざと斜めに削ぎ切っていた。削ぎ切られた矢竹の原が、山肌のいたる所に広がっていた。立ちすくむ兵に、さらに矢石が降りそそぐ。
 常成もまた、矢石の雨に乗馬を失い、逆茂木の影にあった。楯持ちの兵達が、三方を楯で囲ってくれている。常成は兵に、楯と竹束を敷いて道を作るよう指示を出す。ここで退くわけにはいかない。
 安家の陣で、鐘と銅鑼が鳴った。業を煮やした安家本軍が出てきたのだ。毛人が放たれ、寄手の兵を追い越し、あるいは山際の味方を蹴散らしながら、逆茂木を越えて城壁に迫る。
 四つ足の毛人は速い。石の雨も、削いだ矢竹の原も全く気にしない。瞬く間に、山腹を駆け上がる。
「毛人を先に放ってくれれば・・・」
 常成は臍を咬む。これでは菅家を含め三家の兵は、ていのよい矢石除けではないか。
 毛人の長毛と軟らかい皮は、矢も石も弾いてしまう。たちまち、壁下に取り付いた毛人は、跳躍し岩壁に取り付こうとする。守兵は、前もって壁に吊しておいた巨石や丸太を落とした。巨石が直撃した何頭かを仕留めたが、激しく飛び跳ねる大半の毛人には当たらない。ある毛人は、守兵が落とした丸太を振り回し、塁壁や石築地を叩く。あるいは、長い腕の先にある鋭い爪が石築地をつかみ、毛人の重みを支えきれずに崩れ落ちた。壁の上をかすめた爪が、守兵を攫っていく。
 やがて、一頭の爪が塁壁を掴んだ。鉞を持った兵が走り寄り、その重い刃を打ちおろす。鈎爪のついた腕のみ残し、叫び声と一緒に巨大な体が壁下に落ちた。さらに守兵が、山裏の蔵兵洞に隠しておいた油壺を運び、毛人に落とした。油まみれになった毛人に、次々と松明が投げつけられ、火だるまになった毛人が山腹を転がり落ちた。
 山上で毛人が暴れている間、山裾にあった菅家の兵は、矢石が毛人に集まったのを幸い、陣を立て直しかけていた。山際に竹束を連ね、鉄炮衆や槍衆が隠れた。山腹の削ぎ竹の原には、楯板や竹束を敷いて道を付けつつあった。壁を越えるための長梯子も用意したのだ。しかし、ここに火に包まれた毛人が落ちてきたのである。半狂乱になった肉塊は、怪力と鋭い爪で、周りにいた兵や仕寄りの道具を見境無くなぎ倒していく。若い常成には、大常のような毛人への備えが無かった。自陣で暴れる毛人に打つ手が無い。斬馬刀や薙ぎ鎌を持った兵が向かうが、跳ね飛ばされてしまう。毛人は、多くの兵を巻き添えに、死ぬまでのたうち回り、やがて動かなくなった。硝煙に加えて、毛と肉の焦げる嫌な臭いが、戦場を満たした。

 ここにきて、安家本陣で、更に鐘が打たれた。安家の鉄炮衆二千が、竹束車と共に、陣列を前に押し出し始めた。
 山上の炮楼からは、これに応えるように、次々と龍勢が射ち放たれた。龍勢は、大陸から伝わった兵具の一つで、松を刳り抜き竹のたが箍を嵌めた筒に、長い竹の尾が付いている。筒には火薬が詰められ、火を着けると、轟音と煙を吐きながら飛んでいく、自ら飛ぶ火箭の一種である。その轟音を龍の叫びに、たなびく白煙を龍の躯に喩え、龍勢と称する。本来は、空に打ち上げて狼煙として使い、あるいは陸から軍船に放ち港を守るための兵器だが、条衛は壁を守る弓兵の不足を補うため、南海道の綱主(商人)を通じて可能な限りの数を購入し、各炮楼に配してあった。
 龍勢の発する火炎と白煙は凄まじい。狙いを定め、一度火を着けたら、炮楼の兵は楼から飛び降り、楼下の蔵兵洞に隠れる。龍勢の炎と煙を浴びては無事には済まない。通常は、敵方に向け斜め上方、ちょうど鉄炮や子母砲の遠当ての様に放つものであるが、条衛は、山裾に取り付く敵に向け、下方に放つように命じてあった。
 火を着けると、火薬を入れた筒が、長い尾を引きずりながら、山腹をのたうちまわって走っていく。城壁から何匹もの龍が、白く長い胴をくねらせながら敵方へ向かっていく。
 山腹を駈けた龍勢は、寄手の兵や竹束を薙ぎ倒し、陣中で破裂した。あるいは兵の何人かを串刺しにしながらなおも、のたうちまわる。火を噴きながら、鉄炮衆の陣を走り、玉の込められた鉄炮や、兵の身に着けた玉薬を暴発させ、さらに多くの兵を傷つけた。
 戦乱の世は三百年にわたる。この戦に集まった家の兵達が経てきた戦の数は並の物ではない。しかしながら、ここにはその誰も見たことのない戦場が現出していた。火だるまになって荒れ狂うケモノ、陣中を駆け回る巨大な火の矢。
 常成の目前で、恐怖に負けた兵が、兜を脱ぎ刀を捨てて、叫びながら後ろの安家の陣に向かって走っていった。発狂したのだ。山腹を駆ける足が、削ぎ竹で傷つくのも気にするふうではない。後陣に控えた安家の鉄炮から放たれた玉がその兵を貫いた。
 安家の鉄炮衆は、筒先を山上ではなく、山裾に向けている。明らかに三家への督戦である。これ以上の恥辱は無い。常成は吶喊の銅鑼を打ち鳴らさざるを得ない。
 陣を立て直す暇も無いまま、菅家の兵は、まだ漂う白煙をついて、山腹に並べた楯板の道を駆け上がる。わずか数条の道に幾百の兵が集中し、守城側に格好の的を与えることとなった。長槍と長梯子を担いだ兵が、駆け上っていくが、混乱で持ち楯を失った兵が少なくなく、矢石を防ぐすべ術が無い。山際の竹束は、ほとんど薙ぎ倒され、援護の鉄炮衆は、倒れた竹束や仲間の屍を積み上げ、身を隠すのがやっとである。逆に、城壁の上は、援兵が着いたのか、明らかに矢数が増えている。狙いも正確だった。
 それでも、何とか壁に取り付き、長梯子を架けようとした兵の上に大石が落とされた。針の山を登ろうと、楯と兵の屍で出来た攻城路に集まった兵に、無数の大釘を打ち付けた丸太が転がされ、阿鼻叫喚の地獄を作り出した。
 夕刻、安家本陣から退き陣を知らせる鉦の甲高い音が聞こえた。寄手は大きな犠牲を払ったにもかかわらず、遂に龍の脇腹を突き破ることが出来なかった。
 この時までに、三家合わせて一万八千の兵は、石壁と後陣安家鉄炮衆との間で、それこそ石臼で挽かれるように、磨り潰されてしまっていた。鳩家と西家で無事だった者は二千ばかり、先陣を任された菅家では、生き残った者は怪我人を含めて千人いない。恐ろしいことに、家督を継いだばかりの常成さえ行方知れずという有様だった。

 日没直前、敵が柵へ引き上げ始めたのを見て、条衛は守兵に鬨の声を上げさせた。他の五口他への寄手は、引石の礫と矢で足止めしたところに、龍勢を放つと、早々に退き、陣を固めてそれ以上近寄らなかったという。勢子は勢子でしかなかった。
 知らせを受けて、息せき切って駆けつけた真宗は、城外を臨んで言葉を失った。
 薄暮の中、たちこめる硝煙と肉の焦げる臭い。大石に頭を潰された兵、削ぎ切った矢竹の原に串刺しになった屍、黒焦げの死体。そこには、かつて寺で見せられた地獄絵図そのままの光景が広がっていたのである。針の山、火炎地獄、血の池地獄。無間地獄・・・・。
 傍らに立った条衛が言う。
「敵とはいえ、良き士をかような方法であまた数多討ち死にさせました。さぞ、無念でありましたでしょう。武門の倣いとは申せ、百度地獄に落ちても、この罪は拭えますまい。」
 条衛に比べ多弁なはずの冬門は、黙したままである。
 味方の犠牲も皆無とは言えない。兵を守る石築地は方々が崩れ、兵の死傷も少なくない。特に、敵に姿をさらす機会の多かった弓を扱う者が、鉄炮に倒れていた。
 ともかくも、龍の胴は、敵にその堅さを見せつけた。
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