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第Ⅲ章
水軍 一
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年が明け、正月を迎えたが、将家では新年の総ての行事が略された。当主大君は虎城山にあり、公子、また諸事取り仕切るべき太宰と太宰小弐が戦陣にある事態が事態だけに、仕方無いことではある。それでも長城、御所他を守る士卒に餅が配られ、濁り酒が振る舞われた。また、男子を兵に出している民の家には、将家から餅が届けられる。御所の台所を差配している太宰の妻まつの配慮である。
緒戦、菅家の兵を破り「蘭陵君」と讃えられた公子真宗は数え十と四となった。
新たに七、八家の軍が加わった以外、敵方に大きな動きは見られない。新たな攻勢の兆しは無かったが、もちろん退く気配は微塵もない。
諸家の軍とも、山上に構えた陣の柵を厳しく固め、空壕を掘っているのが見える。夜になると煌々と火を燃した。城方の夜襲を警戒してのことであろう。
条衛は、土俵を積んで、塁壁を補修、補強させるとともに、夜を待って、壁に縄梯子を下げて兵を城外へ下ろし、敵の遺骸を可能な限り片付けさせた。遺骸は、山際の逆茂木の辺りに集めておく。集めた遺骸は数日の内に無くなっていた。休戦を申し入れた使僧は安家に切られたが、味方の遺骸を放置しておくことは、寄手もやはり忍びないらしい。ある夜など、山際に、濁り酒を入れた太鼓樽が三つ置かれていたこともあった。遺骸を集めてくれたことへの礼であろうか。条衛の元へ届けられたそれは、朱漆の地に黒漆で巴紋が描かれた見事な物で、大身の家の所有を思わせた。万に一つ、安家に洩れ伝わることを怖れたのか、脇胴の家の紋は全て削ってある。おそらくは、寄手となった三家の内、どれかの持ち物であろう。先の城攻めでほぼ潰滅したに近い三家は、その広い陣所を他家に譲り、狭い谷間に陣を移していた。あれだけの被害にもかかわらず、なお帰国は許されていない。太鼓樽の酒は、寒さに震えた兵が、毒味と称して少し飲んだようだが、別に何とも無いという。兵が口をつけた太鼓樽を持ってきた物頭は、何事にも用心深い太宰の怒りを怖れていたのだが、意外にも条衛は笑って、城外で働いた兵に褒美として与えるよう、物頭に言いわたした。
年が明けてからの両軍のにらみ合いは、一月に及んだ。その間も、敵陣にある旗幟は増えていく。遠国の家や、日和見を決め込んでいた家からの着到である。数はすでに十八万は越えただろう。にもかかわらず、どの軍も山上に陣を占めると、壕を掘り、柵をまわして、固く守って出てこようとしない。陣内に高い井楼を上げては、しきりにこちらを窺っている様子である。
やがて、かつての鴻館、安家本陣を軸として、その東西に諸陣を繋ぐ柵と壕が造られ始めた。既にあった柵を利用しながら、要所々には井楼が上げられ、兵が詰める。柳営を囲む龍に並行する長城を柵で築こうというのであろうか。
一方で、鴻館の跡に造り始めた安家の仮城もあらかたが出来上がった。石が積まれ、急拵えとは思えぬ巨大な楼閣が幾つも建つ。
これでは、どちらが籠城しているのかわかないというのは、冬門の軽口であった。将家が常から蓄えてあった兵糧が一万四千石、当主欽宗の命で累代の御物の多くを売り払って得た兵糧が三万石、正倉に収めたこれだけでうまく食いつなげば、柳営の兵と民が一年はもつ。さらに僅かながらも城内の民の貯えと城外の民が持ち込んだ糧食があるはずで、兵糧攻めになれば、将家の勝利は疑いない。そもそも寄手は、柳営を兵糧攻めにできる状況ではなかった。
もちろん、知らせを受けた後発の軍は、それなりの荷駄を用意してきてはいるだろうし、先に着陣した諸家も、急ぎ兵糧の手配をしていたが、それにも限りはある。柵を作り、空壕を掘る兵や人夫の動きは、遠目にも明らかに緩慢であった。兵糧が不足しているに違いない。凍てつく冬の大地、山の芋はおろか、草の根まで掘ったとしてもいくらの足しになるものではない。
もっとも、仮に充分な兵糧があっても、三月を過ぎれば、兵の多くを、田畑を耕すために領国へ戻さねばならない。あと一月経てば、参陣した諸家がこぞって浮き足立つはずである。
各家の付け城と柳営を囲む柵の普請が終わると、柳営側に面した各陣所から、再び壁への仕寄り道が伸び始めた。今度は、前回、前々回の城攻めで作られたような簡易なものではない。土俵を高さ六尺から七尺、長さ幅とも五間ほどの凹字形に積み上げた、月城の様な土手を連ねてある。騎馬除けであろう、周囲に柵を結い廻し、念の入った陣では土手ごとに木戸を作り、空壕まで掘ってあった。仕寄りは、平地ばかりではなく、壁に至る山の尾根筋にも伸びてきた。
柳営を囲む柵から伸びてきた仕寄りは二十七本。
冬門がその堅固な作りに感嘆の声をあげた。
「あれはやっかいな。仮に討って出ても、馬は陣前で、徒士も陣に入ったら討ち果たされてしまう。龍勢を撃ち込めませぬか」
「龍勢は大鉄炮のような遠当てがきかぬ。敵がもっと近づいてくれねば何ともならんな。」
龍勢は吐き出す炎と、火薬の炸裂こそ凄まじいが、長い尾を引いて飛ぶので、風の影響を受けやすく、密集した兵や大船ならともかく、小さな的には向かない。また、仮に当たって土手一つを崩せても、次の土手まで壊せるかはわからなかった。
仕寄り作事の進捗は、一日で土手の一つか二つ、距離にして五間から十間と見えた。一方、敵陣から柳営の城壁までは、最も近いところで二百間程。仕寄りが城壁に近づくのは、早くて二十日後となる。敵にとっては時との競争だろうが、城側としても、矢頃となる五十間まで手出しは出来ず、しばらくは様子を見るしかない。
緒戦、菅家の兵を破り「蘭陵君」と讃えられた公子真宗は数え十と四となった。
新たに七、八家の軍が加わった以外、敵方に大きな動きは見られない。新たな攻勢の兆しは無かったが、もちろん退く気配は微塵もない。
諸家の軍とも、山上に構えた陣の柵を厳しく固め、空壕を掘っているのが見える。夜になると煌々と火を燃した。城方の夜襲を警戒してのことであろう。
条衛は、土俵を積んで、塁壁を補修、補強させるとともに、夜を待って、壁に縄梯子を下げて兵を城外へ下ろし、敵の遺骸を可能な限り片付けさせた。遺骸は、山際の逆茂木の辺りに集めておく。集めた遺骸は数日の内に無くなっていた。休戦を申し入れた使僧は安家に切られたが、味方の遺骸を放置しておくことは、寄手もやはり忍びないらしい。ある夜など、山際に、濁り酒を入れた太鼓樽が三つ置かれていたこともあった。遺骸を集めてくれたことへの礼であろうか。条衛の元へ届けられたそれは、朱漆の地に黒漆で巴紋が描かれた見事な物で、大身の家の所有を思わせた。万に一つ、安家に洩れ伝わることを怖れたのか、脇胴の家の紋は全て削ってある。おそらくは、寄手となった三家の内、どれかの持ち物であろう。先の城攻めでほぼ潰滅したに近い三家は、その広い陣所を他家に譲り、狭い谷間に陣を移していた。あれだけの被害にもかかわらず、なお帰国は許されていない。太鼓樽の酒は、寒さに震えた兵が、毒味と称して少し飲んだようだが、別に何とも無いという。兵が口をつけた太鼓樽を持ってきた物頭は、何事にも用心深い太宰の怒りを怖れていたのだが、意外にも条衛は笑って、城外で働いた兵に褒美として与えるよう、物頭に言いわたした。
年が明けてからの両軍のにらみ合いは、一月に及んだ。その間も、敵陣にある旗幟は増えていく。遠国の家や、日和見を決め込んでいた家からの着到である。数はすでに十八万は越えただろう。にもかかわらず、どの軍も山上に陣を占めると、壕を掘り、柵をまわして、固く守って出てこようとしない。陣内に高い井楼を上げては、しきりにこちらを窺っている様子である。
やがて、かつての鴻館、安家本陣を軸として、その東西に諸陣を繋ぐ柵と壕が造られ始めた。既にあった柵を利用しながら、要所々には井楼が上げられ、兵が詰める。柳営を囲む龍に並行する長城を柵で築こうというのであろうか。
一方で、鴻館の跡に造り始めた安家の仮城もあらかたが出来上がった。石が積まれ、急拵えとは思えぬ巨大な楼閣が幾つも建つ。
これでは、どちらが籠城しているのかわかないというのは、冬門の軽口であった。将家が常から蓄えてあった兵糧が一万四千石、当主欽宗の命で累代の御物の多くを売り払って得た兵糧が三万石、正倉に収めたこれだけでうまく食いつなげば、柳営の兵と民が一年はもつ。さらに僅かながらも城内の民の貯えと城外の民が持ち込んだ糧食があるはずで、兵糧攻めになれば、将家の勝利は疑いない。そもそも寄手は、柳営を兵糧攻めにできる状況ではなかった。
もちろん、知らせを受けた後発の軍は、それなりの荷駄を用意してきてはいるだろうし、先に着陣した諸家も、急ぎ兵糧の手配をしていたが、それにも限りはある。柵を作り、空壕を掘る兵や人夫の動きは、遠目にも明らかに緩慢であった。兵糧が不足しているに違いない。凍てつく冬の大地、山の芋はおろか、草の根まで掘ったとしてもいくらの足しになるものではない。
もっとも、仮に充分な兵糧があっても、三月を過ぎれば、兵の多くを、田畑を耕すために領国へ戻さねばならない。あと一月経てば、参陣した諸家がこぞって浮き足立つはずである。
各家の付け城と柳営を囲む柵の普請が終わると、柳営側に面した各陣所から、再び壁への仕寄り道が伸び始めた。今度は、前回、前々回の城攻めで作られたような簡易なものではない。土俵を高さ六尺から七尺、長さ幅とも五間ほどの凹字形に積み上げた、月城の様な土手を連ねてある。騎馬除けであろう、周囲に柵を結い廻し、念の入った陣では土手ごとに木戸を作り、空壕まで掘ってあった。仕寄りは、平地ばかりではなく、壁に至る山の尾根筋にも伸びてきた。
柳営を囲む柵から伸びてきた仕寄りは二十七本。
冬門がその堅固な作りに感嘆の声をあげた。
「あれはやっかいな。仮に討って出ても、馬は陣前で、徒士も陣に入ったら討ち果たされてしまう。龍勢を撃ち込めませぬか」
「龍勢は大鉄炮のような遠当てがきかぬ。敵がもっと近づいてくれねば何ともならんな。」
龍勢は吐き出す炎と、火薬の炸裂こそ凄まじいが、長い尾を引いて飛ぶので、風の影響を受けやすく、密集した兵や大船ならともかく、小さな的には向かない。また、仮に当たって土手一つを崩せても、次の土手まで壊せるかはわからなかった。
仕寄り作事の進捗は、一日で土手の一つか二つ、距離にして五間から十間と見えた。一方、敵陣から柳営の城壁までは、最も近いところで二百間程。仕寄りが城壁に近づくのは、早くて二十日後となる。敵にとっては時との競争だろうが、城側としても、矢頃となる五十間まで手出しは出来ず、しばらくは様子を見るしかない。
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