龍の都 鬼の城

宮垣 十

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第Ⅲ章

水軍  七

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 東の津は、柳営東南に突き出た猿賀島の東を画する入江である。間口はおよそ三百間、奥行きはその倍ほど。岸の断崖下に、東の街道に通じる狭い磯と浜がある。
 大陸との行き来が盛んだった時代、さしもの柳営の湊も、船が入りきれず、山の東にあった入江を、柳営の外湊(そとみなと)として開き、東南朱猿門の洞門と切り通しを穿った。この時、猿賀島に多く住む猿が、道普請を邪魔したので、将家の士が、猿たちを率いる巨大な猿神を討ったという言い伝えがある。その猿神の名が、門の名の由来となった朱猿であった。
 今は、数艘の漁船が使うにすぎない入江であるが、猿賀島の東を画する要害であり、朱猿門と東の街道に通じる場でもあるので、入江の入り口に太綱を張って塞ぎ、少数であるが、浜に守兵を配してあった。
 その東の津に、車船を含む安家の闘艦五艘が迫り、入江を封じる太綱を切って入って来たという。

 柳営の海に至った安家水軍、闘艦八番船の船将葉田親は、河内水海の綱主の子である。その操船の巧みさを、安家水軍を率いる紹家に買われ、安家の士となり、船将にまでなった。まだ三十前だが、柳営攻めの水軍将紹家の三子陶成とは、歳も近く信頼は厚い。安家の水軍が、霧深い北地の海を無事越えられたのも、田親の働きに因るところが大きかった。
 前日、安家の本陣から下城してきた陶成を、この田親が待っていた。浜に張った帷幕の中で、陶成に言う。
「急ぎ、どこかの湊に入りませんと、船が危のうございます。」
 船が留まる外ッ浜は、遠浅の海、水軍は相当沖に投碇しているが、一度大風が吹いて海が荒れれば、尽く浜に打ち上げられかねない。
 既に停泊している江和の船は、碇の他にも縄を巻いた多数の大石を海中に投じ、太綱で各船を繋ぎとめてあるが、これさえ大風が吹けば、どうなるものか判らない。ましてや着いたばかりの水軍に、そのような備えなど無かった。
「柳営の沖三里に、遠島と呼ぶ小島がございます。大きくはありませんが、島の東は、風を避けるのに都合良く、万一大風が吹きましても、破船は避けられましょう」
 田親は、綱主の出だけあって海に詳しい。陶成は大きく頷く。
 しかし、遠島は小なりといえども、南海道に属する。うっかりここへ兵船を入れては、いまだ旗幟を明らかにしていない南海道を、敵に廻しかねないという。
「では、いかがいたしまするか」
 外ッ浜は三十里、柳営の東は、十里続く断崖である。柳営の湊に入れない限り、船を泊める場など無い。
「柳営の東の津を陥す」
 江和の船に乗せ、先行させた水妖の物見によって、柳営の湊が、三重の鉄鎖で塞がれていることは、判っていた。両舷十輪の水車輪を回す車船といえど、この鉄鎖を破ることはかなわない。入江の口には、相当の兵も配されているようだった。将家の軍は、入江の口で、水軍を迎え撃つ腹づもりであろう。
 一方、東の津の入り口を塞ぐのは、二本の太綱でしかない。柳営の城からも遠く、守兵も多くは無さそうだ。東の津を陥れば、その報償は莫大である。水軍に泊地ができるばかりではない。江和の船は、荷下ろしがはるかに容易になり、陸の兵糧不足が解消できる。さらには、柳営の湊を固める敵の背面をも脅かすことができるだろう。
「では、この田親に櫓走の闘艦四艘をお貸し下さい。これを使って、柳営の鉄鎖に、敵を引きつけましょう」
 安家水軍主力の車船ならば、その火力によって、苦もなく東の津を陥せるだろう。
「それはならぬ」
「?」
「その方の八番船以下が、東の津を攻める」
 陶成自らが、安家水軍の虎の子である発気車船の闘艦八艘のうち七をもって、柳営に攻め入るという。陶成は言う。
「囮が、囮に見えてはならぬ」
 翌日、田親率いる八番船から十二番船は、安家水軍が柳営の入江を連べ打ちにした黒煙に紛れ、一路沖へと離れる。柳営の入江を守る二つの岬は、車船の吐く黒煙と硝煙に覆れていた。陸が見えない沖で、寅の方位四点、更に申の方位二点に回頭、東の津に回り込んだのである。陸の見えない沖を、狂いもなく回り込むのは、田親ならではの技であった。

 東の津には朱猿門から兵百が出て、守りを固めていた。入江にある漁師の小舟数艘を出して海上を見張り、磯と崖上の兵が、東の街道から海沿いの磯を伝ってくる敵を見張っていた。一度目の城攻めでは、海沿いをつたって来た柴家七千、その十日後にあった二度目の城攻めでは、柴家と中家の兵を、朱猿門からの援兵とともに、崖上と磯、さらには海上の小舟から射すくめ、退けたこともあり、ここを守る兵の士気は高い。
 その東の津の守兵を、予想だにしなかった海中からの敵が襲った。安家の水軍が放った水妖五百余である。小舟に乗って沖を警戒していた兵は、漕ぎ手ごと海中に引きずり込まれ、水中で短刀を突き立てられるか、あるいは息が切れる水底深くまで引き込まれ溺れ死んだ。磯にいた兵も、無数の水妖に取り囲まれた。一匹二匹は切ったが、数ではるかに勝る水妖に飛びつかれ、動きを封じられた上で、首を掻かれるか、鎧の隙間に無数の短刀を突き立てられ惨殺された。山上の兵は弓で応じたが、海中から半弓で射たてられ、持ち矢の数より多い水妖が懸崖を攀じり、同様に殲滅された。
 やがて、守兵と水妖の血で赤く染まった入江に、田親の率いる闘艦が現れる。入江の口を塞いでいた太綱を、熊手を使って舳先に引き上げ、大斧で切断する。陸からは、矢一つ放たれなかった。

 偶然にも、朱猿門から東の津へ、昼餉を運んできた兵十人が、入江を入って来る大船を見た。陸からは、備えてあった龍勢はおろか、矢一つ放たれない。兵糧を投げ捨てて兵達は逃げ戻り、朱猿門に変事が報じられた。
「東の津に、敵大船五艘」

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