龍の都 鬼の城

宮垣 十

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第Ⅳ章

南海道  一

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二月も末、攻城側の仕寄りはその多くが、塁壁からの矢頃五十間に達していた。廻船と水軍の着到により、兵糧が補われたらしく、仕寄りの小塁を築く兵や人夫の動きも格段に良くなっている。矢頃となったことから、塁壁から矢石を放って、仕寄りを築く兵に浴びせたが、仕寄りの側からも鉄炮を放ってくる。大戦(おおいくさ)こそ無いが、敵味方で毎日のように矢玉に倒れる者が少なくない。
 寄手は夜のうちに井楼を上げ、ここから塁上の守兵を鉄炮で狙い撃つようになった。まだ五十間あり、鎧こそ貫けないが、守兵の大半は鎧を持たない百姓兵である。仕寄りの迫った塁上の守兵は、石築地や土俵の裏を這うように進むしかない。林立する井楼は、二十七伸びる仕寄りの先だけで百を数えた。条衛は、炮楼から多数の龍勢を放って、その幾つかを倒した。敵も幾分か怯んだようで、井楼から放たれる鉄炮の数も明らかに減じた。もっとも、龍勢は、後背の海側にも備えねばならない。無限に放てるものでもなかった。仕寄りの後方、柵の向こうには、多数の鉄炮塚が築かれているのが見える。そのうちあれに、子母砲を運び込むつもりであろう。真綿で首を絞めるよう、じわじわと敵が迫る。
 こうした中、再びの変事が、海側から伝えられた。漁師達が、湊の柵を乗り越えようとした水妖を殺したという。
 城塁を副将に任せ、条衛が湊に駆けつけると、水妖が、身の丈四尺ばかりの屍をさらしていた。報を聞き、御所から駆けつけてきた小弐が、屍の傍らにあった。水妖の肌は白く、少し透けて、鱗のない魚を思わせた。手足の指は人の倍あり、水掻きと鋭い爪を持つ。
 元来、水妖と人が深く係わることはほとんど無い。条衛や冬門も、屍とはいえ、これほど間近に見るのは初めてだった。ある者は、水妖とは水底深くに棲むと言い、あるいは南海道の浅海で多く見かけることから、大海中のどこかの島に水妖の村があるとも言う。とはいえ、人と水妖に全く係わりが無い訳でもない。水妖の欲する小刀や針・鍋などの鉄の道具や酒の類は人にしか作れないし、何に使うのかは分からないが、牛の角、馬の蹄を欲することもあった。人の側は代価として、深海の紅赤の珊瑚、鼈甲、刀の柄に巻く鮫の皮、鯨の肉や油を得た。
 柳営の漁師達も、沖三里に浮かぶ無人の島に漕ぎ出しては、決まった岩の上に、欲しい物を示す符牒を置き、水妖から品を受け取っては、代価となる品物を置いてくるということを繰り返していた。水妖と品物を交換する岩場と、使う符牒は、漁師の間でも秘密とされ、親から子へと受け継がれるという。
 柳営の湊は、海から寄手の忍びが入ることを恐れ、周囲を柵で封じられている。殺された水妖は、夜この柵を乗り越えようとしたところを、老漁師に見つかり、漁師の家の老人や女達に追い回されたあげく、棒で殴り殺された。
 話を聞いた冬門の顔色が変わる。太宰の方を向くと、条衛も頷いた。
「網だ。湊に網をうつ。兵に出している漁師を呼び戻して参れ」
 太宰条衛の命で、漁師だった兵千ばかりが湊に呼び戻され、女子供、老人達の手も借りて、湊を封じる大網が用意された。そのままでは網を切って逃げられるという老漁師の知恵で、網には無数の釣り針が掛けられた。網に水妖が触れると、その身が針に掛かる工夫である。
 まずは、入江の入り口を封じ、入江の東側を網で囲むと、西の刀金岬の崖に向け、徐々にその輪を狭めていくことにする。柵内に入った漁師に老人・女も混ざって網を引いた。岬の崖下は、冬門の率いる禁軍の兵百と漁師が、鑓や銛を持って固め、網の周りは、銛をかまえた漁師の小舟が見張った。
 網が狭まると、その中に巨大な魚を思わせる影が動く。水妖だ。五十はいるだろうか。更に網を狭め、陸にいた漁師が、次々と銛を打ち込んだ。網の中が赤くなり、その赤は、網の回りにも広がっていく。逃げ場を失い陸に上がった水妖は、禁軍の鑓に刺された。兵を率いた冬門も、その長巻で何匹もの水妖を切り、突き殺した。それでも数匹の水妖は、網を飛び越えて逃れ、また、小舟で銛をかまえる漁師を、水中に引きずり込んで、その咽を掻き切った。
 やがて、網が陸に引き上げられると、海に引きずり込まれた漁師の遺体と、水妖の屍に混じり、なお二十ばかりの水妖が、もがいていた。網に下げた無数の釣り針が、その身に掛かり、痛々しい。漁師や兵が、無慈悲に銛や鑓を突き立てる。網の中に動く物が無くなり、血に酔った人々は、ようやく腰を下ろした。仲間の身体と水妖を網からはずしながら、漁師達の多くが溜息をつく。殺した水妖の中には、自分たちが代々にわたって物を交換してきた者がいたかもしれない。陸が飢饉で魚も不漁の時、頼んでもいない鯨肉の塊が置かれていたことがあった。逆に、代価とは別に、水妖の喜びそうな酒樽を置いていったこともある。永い付き合いのある者を殺したのかもしれなかった。
 条衛は、水妖を狩る一方、海側の守将頴向に命じて、入江を塞ぐ鉄鎖を確かめさせた。案じた通り、三本の鉄鎖に二十ものヤスリの痕があった。急ぎ、鍛冶番匠を呼んで直させなければならない。また、水妖の侵入に備え、鎖の外に網を張ることとした。漁師から徴した兵は、そのまま海に留め、網と湊の守りに充てる。安家の大船に東の津の失陥、これに続いた水妖、柳営にとって、海はかつてのような天嶮ではなくなっていた。
 柳営の沖は相変わらず安家の水軍に封じられている。常に闘艦四艘、艨衝十五艘が碇を投げ、半円に陣取っている。東の津を泊地にした水軍は、船を入れ替えながら、入江の口を見張り、時々船を陸近くに近づけては、大鉄炮を放つ。威嚇と牽制に過ぎないのはわかっているが、海側の守りに手を抜くことはできない。これに水妖の騒ぎである。万に一つ入江の鉄鎖が破られれば、子母砲の弾が柳営の街に降ることとなるのだ。
 陸にも海にも逃げ場は無くなった。
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