龍の都 鬼の城

宮垣 十

文字の大きさ
上 下
23 / 29
第Ⅳ章

南海道  三

しおりを挟む
 柳営の入江を固める炮楼は大騒ぎとなっていた。柳営の海を封じていた安家水軍の船陣を抜けてくる船がある。掲げる旗は青の飛虎旗、南海道英家の旗である。瓢の口に至った先頭の船上に、大陸風の鎧を纏った船将が立つ。
「吾、南海道太守英瑯邪馬の臣、沙張浄照と申す。主が命にて、大君の君恩に報じんがため、兵二千、兵船二十にてここに参じた次第。入城を許されたく、御願い申し上げる」
 崖上にある頴向の大声がこれに応える。
「さても見事な船戦、感じ入り申した。疾く、入江に入られよ。後ろは我等が固め申す」
 船陣を突き破られた安家の艨衝が、舳先を返して追って来ていた。蜈蚣船が次々と入江に入る。安家の艨衝は、龍勢の矢頃まで追いすがったが、陸から一斉に放たれた龍勢を見ると、舳先を返し、沖へと逃れた。

 南海道英家の水軍出現と、味方水軍の敗報は、東の津にいた水軍将陶成、そして本陣にある当主安広起にもたらされた。陶成は報を受けると、急ぎ櫓走の闘艦四艘を率い、柳営の沖に出たが、南海道の蜈蚣船二十艘は入江に入った後であり、時既に遅かった。
 打ち首を覚悟で、当主のもとに報告に上がると、意外にも広起の機嫌が良い。
「腰の据わらぬ臆病者が、やっと去就を決めたものと見える」
 南海道を支配する英家のことだ。武将には似つかわしく無いほど端正な広起の顔に、背筋を凍らせるような、残忍な笑みがうかぶ。これで南海道を攻める口実が出来たということらしい。
「陶成、その船、一艘たりとも、柳営の湊より逃すでないぞ。敵将の首、必ずここに持ってまいれ」
「はっ」
 陶成が、本陣御成ノ間の、冷え切った床に、額を擦りつけた。

 炮楼から城塁にある太宰へ、そして御所へと急を告げる早馬が走った。
 太宰条衛の許しを受けて、入江を塞ぐ鉄鎖が開けられ、二十艘の軍船が、湊の内に入った。太宰の命を受けた、露払いの小舟が、軍船を西の湊に導く。柳営の湊に船らしい船が入るのは実に三月ぶりのことだ。
 陸では、集まった民が盛んに喚声をあげている。敵に囲まれて三月近くなっての援軍である。民の喜びは大きい。柵内に、湊の守備にあたる兵千と、冬門が率いる禁軍三百の騎馬が、船を迎えた。
 先頭を行く蜈蚣船の舳先に立った将に、禁軍黒具足の武者が、声を張りあげる。
「此度の遠方よりの渡海、並びに船戦にて賊船を打ち崩す様、感じ入り候。さすが南海道の水軍、その働き、音に聞こえる以上なり。まずは、陸にて南海道の船大将に酒肴の馳走したく、船を湊につけられよ」
 主将張浄照とともに船将二十人が、湊近くの長楽寺での宴に招かれた。船に残された兵と漕ぎ手にも、酒と餅が振る舞われる。酒と餅を配るため船内に入った守兵が驚いたのは、漕ぎ手の中に百数十の水妖が混じっていたことだ。聞けば、南海で捕らえた西戎の船に囚われていたもので、自由の身になる替わりに、兵船の漕ぎ手として働いているという。水妖は声を発さないが、酒をもらって喜んでいるのは様子でわかる。兵達は、ついこの間、五十もの水妖を網で押し包んで殺したばかりだ。総ての水妖が敵ではないという安堵の一方で、自分たちが無慈悲に殺した水妖の記憶も甦ってくる。
 外では、将家の用意した二十頭の馬に船将を乗せ、長楽寺に向かう行列が、発しようとしていた。周囲を冬門の警護する二百騎の禁軍が警護する。
 歓待の場となった長楽寺では、異例ながら鎧姿の太宰自らが、山門で迎えた。英家は形だけとは言え将家の臣下、その英家の臣である張浄照等は、将家にとって陪臣となる。陪臣には破格の扱い、将家の歓待ぶりを示すと言えた。迎えに出た太宰は、戦時であることを断り、鎧姿である非礼を詫びた。
 水軍将の張浄照は、迎えに出た武者が将家の太宰と知って、あわてて馬を降り、地に片膝を付く。他の将もそれに倣った。そして、むしろ鎧を着たままの太宰を讃える。
「陪臣の身に、将家太宰御自らのお出迎え、畏れ多いことにございます。戦時、戎衣を解かぬは、武門のならい。非礼などとはとんでもない。さすが将家は、東夷の武門を統べる御家というべき」
 条衛は長楽寺の客殿に張浄照等を導く。客殿はがらりとした大広間で、床は板、壁に添って追い回しに茣蓙を敷いた古風な作りである。広間の中央に、焼き蝦・雉の肉を盛った青瓷(あおし)の大皿、餅に橙・金柑・干柿・勝栗・干棗などの菓子を盛った三方(さんぽう)を飾り、それぞれの座の折敷(おしき)に土器(かわらけ)の坏と箸が並べられている。広間の脇には、酒を入れた青瓷(あおし)と白瓷(しらし)の瓶子(へいし)と赤銅(あかがね)の銚子(ちょうし)が置かれ、給仕をすべく、二十人ばかりの兵が、鎧を付けたまま控えていた。質朴とは言え、二月も籠城しているとは思えない宴に、船将達が驚いた。ここにいる兵もそうだが、湊を埋めていた民や警固の兵は痩せておらず、血色も悪くない。兵糧が足りているということだろう。
 押し板を背に、主の席に将家太宰条衛と小弐冬門が、客の席に張浄照が座り、他の船将が下座に座った。南海道の船将達は、主将をはじめ革の地に小札や鉄鋲を打った大陸風の鎧を着ている。南海道は大陸に近いこともあり、東夷に属しながらも、諸事大陸の風に倣うことが多い。そういえば、英家当主の瑯邪馬、水軍を率いて入った主将の張浄照等、三字からなる諱名、その響きも異国風である。
しおりを挟む

処理中です...