氷は存外簡単に溶ける

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アンナ・ワーズワース2

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 14歳になった貴族は王都にある学院へ入ることを義務付けられている。魔法について学びながら寮生活を送り、社交界デビューするための準備を整えるのだ。
 学院はプチ社交界だ。どのように振る舞うか、どのように知識を使うか学んでいく。

 虐待は母からだけになり、アンナとララは僅かだが心休まる時間を得た。
 休暇でギュンターと姉が帰ってきたときは以前より酷い暴力を振るわれ何度も意識が飛んだが、回数が減ったぶん楽だった。

 それに、長い休暇となる夏と冬は、王都で社交が盛んになる時期だ。社交に連れて行かないのが罰だと置いていかれたが、アンナにとってはご褒美だった。


・・・


 アンナが14歳になると、学院へ入らなければならなかった。手入れしていないせいで髪と肌は荒れ、痩せこけた体はみすぼらしい。
 学院では人目があり殴られなかったが、誰かと喋ると怒鳴られるので始終口を閉じていた。
 おかげで友人もおらず、姉のクラリーチェとギュンターが吹聴する悪意ある噂のせいで、アンナの評判は最低だった。


 ララのことだけが気がかりで毎日を過ごしていたアンナは、ある日エレナ・リドマンに出会った。

 リドマン子爵の一人娘エレナは、ひとりぼっちのアンナでも聞いたことがあるほど有名だった。
 金髪に桃色のひとみを持つエレナは非常に愛らしい外見をしていて、皇太子であるアルベルトの行く先々にあらわれる。
 情報が漏れていると言われるほどピンポイントに出現し、手作りのお菓子を渡していくのは不気味ですらあった。

「あれ、あんた……辛気臭い顔の、誰だっけ。まあいいか、あんた喋れないのよね? ちょうどいいわ」

 放課後、クラリーチェに見つからないようにひっそりと隠れていたアンナを見つけたエレナは、にんまりと笑った。
 アルベルトの前でふりまく可憐さはどこにもない。

「わたしに向かって魔法を撃ってみてよ。火魔法だとわかりやすいんだけど」

 エレナからは、ギュンターと同じく人を傷つける者のにおいがした。
 震えながら首をふるアンナの腕を乱暴にねじりあげ、襟元についたブローチの色を確認したエレナは鼻で笑った。

「茶色……あんた、土属性なの? 道理で陰気くさいわけだわ」
「や、やめて……」
「まあいいわ、土は操れるんでしょう? アルベルトの前でわたしの足に土でも巻きつけてちょうだい。わかったわね」

 乱暴に蹴られて息が止まったアンナを、エレナは冷たい眼差しで見下ろした。

「やらなかったらもっと酷いことするから。わたしは水魔法が使えるのよ。水責めは拷問に使われるほど苦しいけど、乾いてしまえば証拠は残らないもの」

 久々の痛みにもだえるアンナを置いて、エレナは去っていった。
 震える拳を握りしめる。

「どうして……どうしてわたしばかり!!」

 産まれただけで、なぜここまで蔑まれ暴力を振るわれ続けなければならないのか。

 逃げたかったが、アンナが逃げ出したり誰かに助けを求めれば、ララの弟の面倒はみないと、はっきり宣言されている。
 ララの弟は病弱で一日のほとんどをベッドで寝て過ごす。ワーズワース家からの薬と、ララの給金がなければ生きていけないだろう。

 アンナの唯一の心の拠り所であるララを苦しめることは、アンナには出来なかった。

「うっ……うぅ……もう嫌……はやく、はやく……」

 その先は言葉にならなかった。薄暗い階段に、アンナのか細い泣き声だけが響いていた。



 それからエレナは自分に意地悪をするよう言ってきたが、アンナが実行することはなかった。そのたびに蹴られ、息ができないよう顔を水で塞がれた。
 意識が薄れる寸前で解放することを繰り返す。

「あはは、きったない顔! 涙? 鼻水? 貴族のする顔じゃないわ!」
「うえっ! ごぼっ!」
「アルベルトの前でわたしをいじめるの。わかった?」
「や、やらないっ……!」
「あらそう。まあいいわ、あんたちょうどいいサンドバッグだもん。生意気な目を絶望で染めたくなる」

 ギュンターやクラリーチェにも言われたことがある言葉だった。
 どんな目に遭わせてもひとみに炎を燃やすアンナは、いじめる者の加虐心を煽った。

「母親にも嫌われてるんでしょ? わかるわ、あんた気持ち悪いもの」

 母のヴァレリアーナは、アンナが成長するにつれ憎んでいる姑に似てくると、率先して虐待するようになった。

「家族に憎まれて」

 姉のクラリーチェは母の思想を継ぎ、アンナを好き勝手にいじめる。跡が残らないように陰険に、しかし心身に傷はしっかりと残していく。

「婚約者もあれでしょ? あんたの人生終わってるわね」

 いまはまだ婚約者だからこの程度で済んでいるが、嫁いで子を産めば、用済みのアンナはもっと酷い目に遭うだろう。いくら殴っても傷が残っても、ギュンターにとっては構わないのだから。

「わたしはアルベルトに見初められて王妃になるの。あんたを取り立ててやってもいいわよ」

 にやりと口が歪む。

「ストレス発散の相手にしてあげる。そうそう、もうすぐしたらわたしは窓から落ちるから、グラツィアーナが落としたって言いなさい」
「なっ、なんてことを!」
「うるさい!」
「ぐぅっ!!」

 腕が鈍い音をたてた。うずくまって脂汗を流し、あまりの痛みに声さえ出せないアンナの背に痛みが走る。

「しくじったら、今度こそ殺す。死体が見つからなかったら、逃げたとでも思われるでしょ。あんたを探す人はいない」

 事実が冷たくアンナに染み込んでいく。

「ううん、やっぱりなんでもありの娼館に売ろうかな。手足を斬っていいプレイって高いんだって。稼げていいじゃない」

 逃げたい。
 こんなときでも気がかりなのはララだけだ。痛みで思考がまとまらなかった。

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