愛があれば、何をしてもいいとでも?

篠月珪霞

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記憶の欠片

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ああー…。そうだった、そうだった。
何故も何も、あのときは痛みで意識失う寸前だったわ。そりゃ、判断力以前の問題よねえ…。
一気に過去のアレコレが脳内を駆け巡り、軽い眩暈がする。

差し伸べられた手が誰のものかなんて、連れ出されて治療を受けた後に知ったことだ。天蓋付の寝台の上で目が覚めて、顔を合わせてから。
状況を聞きたくとも、傷が癒えるまでは些事は気にするなとばかりに、質問自体を封じられた。甲斐甲斐しく世話を焼く男に、何とも言えない複雑な気持ちを抱いたものだ。
あの場から連れ出して治療してくれたことに対する感謝はあった。恩も感じていた。男が望んでいるのが、そういった感情でないことを知っていてもそれだけだった。

「番、と言われましたわね。つまり、わたくしに求婚していると思ってよろしくて?」

片鱗は、確かにあったのだ。鍵は内からではなく外から掛けるものであったり、手の届く位置には窓がなかったり。医師以外はあの男しか姿を見なかったり。
──完治しても、安静にと部屋から出ることを、許されなかったり。

「はい。どうか、この手をとっていただきたい」

今の私は、大国ラジュワルド皇国、皇女の1人。何の因果か、神があのような形で命を絶つことになった私を哀れに思ったのか、前世とは違い、両親、2人の兄に愛され、1つ下の妹にも慕われている。容姿も、皇族特有のシルバーブルーの髪にヴァイオレットの瞳と、ティエラだった時の茶髪碧眼と比べれば華やかな色彩に様変わりした。
変わった環境で最も大きな差は、望む望まないに関わらず、学ぶことが義務であること。教養や礼儀は前提として、自国は言うに及ばす、他国についても。
要は、この男の国、獣人国もそれに含まれるということだ。
当時、唯一とされる番である私が息も絶え絶えの状況で、何故無理やりにでも連れ出さなかったのか疑問に思っていたのだ。傷が癒え、平常心を取り戻した私が、異常な環境に放り込まれてからだったが。
答えを、他国の歴史、事件として知ることになるとは思いもせず。

「あなた方、スビアナイト国では番は運命だとか」
「その通りです」
「生憎、わたくし、既に婚約しておりますの。隣国ベリエラの王太子殿下と」
「…なっ」

驚愕のまなざしを向けてくる男に、知らなかったことにこちらが驚きだ。
まあそれも無理はないかとは思い直す。ここ数年、かの獣人国の情勢は決して穏やかとは言い難かったようであるし。
情報戦で後れを取っても仕方ないのかもしれない。とはいえ、私たちの婚約が発表されたのは昨年のことなのだが。
パーティも欠席の返信のみであったし、だから出逢うこともなかったと言える。幸いなことに。

「それは…っ」
「はい、そこまで」

何か言いかけた男を遮ったのは、2つ上の兄だ。私と同じシルバーブルーの髪、ヴァイオレットに母の瞳の色のブルーが混じった涼し気な目元は、僅かに険を帯びている。どこから聞いていたのだろう。

「フェリオスお兄様」

見慣れた兄が現れ、ほっと安堵の息が漏れる。何事かと周囲がざわつきだしたので、早めに気付いてくれて助かった。
ちなみに、本日は各国要人を招いた建国記念パーティである。
挨拶が一通り済み、各々歓談していた中での出来事である。ただでさえ、主催の皇族とあって注目されているのに、皇女に跪いた男がいれば衆目を集めない方がむしろおかしい。
兄の登場で、多くの女性の視線も一緒についてきたのはさておき。

「セレスリア、ひとまず場所を変えようか。そちらの」
「スビアナイト国、ガネーシュ公爵が嫡子、アイドクレスと申します。第二皇子殿下」

この男、公爵家だったのか。そういえば、あのとき宛がわれた部屋の調度は、確かに高級品だった気がする。気遣うところが違うだろうと言いたい。
さりげなく視線を向ければ、あれから10数年経過したとは思えないほど、変わりない姿だ。獣人は長寿で緩やかに年を取ると聞いていたが、加齢を感じさせるほどの年数ではないということか。まさかまったく同じ姿で再会した上に、再び番認定してくるとは。

「王太子も交えて後程場を設けよう。それでよいか」
「…承りました」

肯定以外の返事はなく、未練がましく私だけをちらちらと見ながら、不承不承といった体で離れていく男。
ああ、面倒なことになりそうと今後の展開を思うと頭痛がする。

「──リア」
「はい」
「番がどうとか言ってたけど、リアが嫌ならもちろん断っていいからね。エラルド殿は関係なく」

権力や地位に比例して、個人ではなく家や国単位の利益を、血による結びつきによって求める傾向にある。王族や皇族、貴族が政略による結婚が常であるのは周知のことだ。
私の婚約も当然であるが、政略によるもの。望んだからとて簡単に破棄などできない。
しかし兄は、私に選択の余地をくれる。この件に限らずいつでも。
”私が”選択したという名分を盾に、逃げ道を完全に塞ぐような、あの男のようなやり方は決してしない。

「そうですね、もし彼と婚約してなくてもお断りしてましたわ」
「だろうねえ」

微笑む兄の顔は先ほどと違い穏やかだ。見惚れる女性たちが視界の端に映る。
かく言う兄には婚約者がいない。2人ともだ。
身内の欲目抜きにも、長身美形、文武両道、性格も穏やかで、国内外から縁談が殺到しているのに。
選考基準が厳しいのか、理想が高いのか。
兄たちはどんな女性を選ぶのだろうと埒もないことを考えていると、これまた聞きなれた美声が耳をくすぐった。

「──私が少し離れていた間に、よからぬ虫が湧いたそうだね」

言うまでもないが、私の婚約者、隣国の王太子である彼も招かれていた。飲み物を取ってくると言って離れた数分の隙に、あの男が来たのだ。湧いて出てきたと言い換えてもいい。
エラルドはフルートグラスを手に、内心を悟らせない微笑みを浮かべている。

「エラルド様」
「セレス、違うだろう?」
「…今はまだ公務中ですので」
「つれないな」

手にしたグラスを渡され、私は笑う。エラルドも対外的なものではない、柔らかい笑みでこちらを見ている。どこからか、痛いほどの視線を感じるが敢えて知らぬふりを装った。

政略結婚であるのは違いないが、エラルドとは幼い頃から交流を重ね、心を通わせてきた。お互い切磋琢磨し、国を豊かにしようと誓った信頼のおける唯一と決めた人。
突如として現れたただの本能でしかない番など、積み重ねた年月と信頼に敵うはずがないのだ。













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