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大和神国編 〜陰と陽、血を吸う桜葉の章〜
いつか桜散る頃に
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その人骨を見ても、除霊師は一切の涙を見せなかった。最初の動揺、それ以上のものは無かった。
「…除霊師さん、どうする?」
弑する筈の者はとうにこの世を去り、真秀場は闇に落ちようとしている。撤退するしか無い、そう言おうとしたその時だった。
「このままでは真秀場だけでは済みますまい」
そう言って除霊師は朽ちた人骨の一部を手に取った。
「どうする?時空魔法で隔離すれば良いのか?」
しかし、それではその空間から皇帝が干渉してこないとも限らない。
除霊師は立ち上がると、骨を持ったまま部屋の奥にある棚を開けた。そこには銅鏡と勾玉、剣が収められている。
除霊師はそれを見て安堵の溜息を吐いた。
「…良かった、まだ残っている」
除霊師はそれを慌しく持ち出すと、アレン達に向かって言った。
「先程、九尾の妖の話をしましたね」
二千年前に皇女表春が九尾との戦いの果てに敗北し、交わったという話。
黒い魔力が侵食する空間を見て、除霊師は言った。
「私は明神の残滓を持ちながら、闇に属する者の力を持っています。闇を制御しながら光で満たす…秩序の維持を行う帝の代替案としては最適な筈です」
「じゃあ、此処から離れて即位の儀式でもやるか」
そうアレンが言うと、除霊師は僅かに目を見開いた。
「此処から…ふふっ、おかしな事を仰いますね、閣下は」
アレン達が怪訝そうな顔をすると、除霊師は微笑んだ。
「苏安の帝は自由にあっちこっちへ出掛けられますが…大和の帝は、とある英雄の呪いによって真秀場に縛り付けられるのです」
つまり、真秀場に何かが起きても離れられない。骨と化した皇は、迫り来る闇から逃げられずに飲み込まれて果てたのだろう。
(とある英雄とは…)
フレデリカが拳を握った。
「それはシュルーク?」
シュルークは学の無い弱者を選んで新世界へ送った。しかしその中に、明神の末裔が紛れている。これは偶然ではなく、彼が意図的に行ったのだ。
「ええ。今思えば、こうなる事はお見通しだったのでしょう」
しかし、残れば除霊師は此処から二度と出られない。
部屋の外からいつの間に盗み聞きをしていたのか、コンラッドが凄い形相で飛び込んで来る。
「おい除霊師!もっと他に方法は無いのか!?」
「コンラッド…いつの間に此処へ…⸺」
「今はそんな事どうだって良い!」
コンラッドは自分より小柄な除霊師の肩を掴んで揺すった。その拍子に除霊師が愛用している烏帽子が落ちて髪が解ける。
「お前、それは本当にお前の望みか?なぁ、此処に留まったら死ぬかも知れないんだろ?皇は死んだ。お前まで巻き添え食ってどうする!」
除霊師はいつもの狐のような笑みを浮かべた。
「コンラッドや、私を心配してくれているのですか?安心してください。何も失敗するって最初から決まっている訳では…⸺」
「アーサーが死んで、お前が消えて!アレンとフレデリカを置いて逝くつもりか!私や彼らは人のように短命じゃない。何百年も生きるんだぞ。お前達が消えて、その後の時間を何百年もだ!」
アレンはその言葉に拳を握った。もうこれ以上、親しい者を失うのは御免だ。
「除霊師さん、他に手は⸺」
しかし、除霊師は取り合わなかった。
「ええい、執拗い!他に手段があればやっています!それに、只残るだけじゃありません。皇という存在が乱れた世を安定させる手段の一つだからこうしているのです」
こうしている間にも侵食と火災は進む。除霊師はアレン達を外へ押し出した。
「早う、去ね!」
そう言って燃え始めている襖を勢い良く閉めようとするが、コンラッドはそれを両手で防いだ。
「コンラッド…!いい加減に、なさいッ!此処を清めなくてはならぬのです!ほれ!」
しかしコンラッドは効率的な勉強を行う為に普段から鍛えている。男女での筋力差やコンラッドの祖先に海竜が居る事もあり、襖は簡単に開けられた。
「コンラッド、お前⸺」
そう言って抗議しようとした除霊師の紅い唇を、コンラッドが乱暴に奪う。
除霊師が目を見開いたまま硬直していると、コンラッドは顔を少し赤らめて言った。
「…お前は、言い出したら聞かないからな。それに、何を言ってものらりくらりと躱される」
その遣り取りを見たネメシアは俯きながら問うた。
「除霊師の姉ちゃん。外に出て、ちゃんとこの口から続きを言わせなくて良いのかよ」
アレンとフレデリカがその言葉に頷いているのを見て、除霊師は笑った。
「続きは、この戦の果てに聞きましょうかね」
少し照れながらそう言うと、除霊師はコンラッドに向かって言った。
「私に失敗はありません。続きはこの戦いの果てに、この頑固な愛らしい口から聞かせてもらいますよ。だからそれまでに、文章で口説き文句を考えて来なさい」
そう言ってコンラッドを抱き締める。
「…名残惜しや…この頑固者が人を口説く様を見るには、もう暫らく待たねばならぬとは。コンラッドや、今直ぐ口説けぬのですか?」
「…残念ながら今は、何も思い付かない」
除霊師は笑った。かつて自分の夫だった男も、不器用で言葉足らずだった。そしてその男からはある季節に恋文を貰った。
除霊師は腕を解くと、自分の刀を渡した。
「戦の果てに桜散る頃、真秀場の大広間にて。私は待ちます。その時にこの刀を持って来なさい」
「…分かった。なるべく早く終わらせよう」
コンラッドの言葉を聞いた除霊師は襖に手を掛けた。
「今後の〈桜狐〉は鶴蔦と桑名に任せます。…さあ皆さん、もうお行きなさい。私が即位した後、この都は浄化されるまで結界で封印されます。あなた方に明神の加護があらん事を」
もう時間が無い。アレン達は頷くと、短い別れを告げてその場を去った。
一人残された除霊師は静かに襖を閉じると、小さな骨を口の中に入れて飲み込んだ。
「兄上、独りは寂しかったですか?」
兄の声はもう聞こえない。だが幼き頃の思い出は、二千年以上が経った今も鮮やかに蘇る。
二人で習い事をさぼって抜け出し、街へ繰り出してお菓子を買い漁ったりもした。
御殿に出入りしていた大臣に悪戯したりもした。しかし、その大臣達の子孫は先程の殺戮で全て殺され、かつて自分と繋がりのあった者は既に死に絶えた。
「私は…今、孤独です」
桜に包まれた都は、貴族街で安穏とした腐敗を貪る貴族をも巻き添えに広がり続ける。この街は人の住めぬ都となり、大和に更なる戦乱を巻き起こすだろう。その都で悠久の時を生きるには、人を辞めるしか無い。
三種の神器が光を放つと、除霊師はかつて九尾に犯された自分の胎に触れた。そこはかつて抉られた痛みを忘れさせまいとしているのか、じくじくと痛みを伴って熱を発する。
「協力してくれるのですか?狐や」
そう言って横を見ると、白い九尾の狐が立っていた。
九尾は答えないが、目を細めて尻尾をゆっくり振る。
「…肯定、と捉えましょう」
除霊師が御祓棒を持つと、九尾は除霊師の身体に自分の身体を擦り寄せた。
そして、かつて兄が即位の際に神器の前で唱えた呪文を唱える。
「現人神と成りて、闇堕つる真秀場を治めん。払い給え、清め給え」
闇はもう真秀場を飲み込んだ。だがこの呪文を唱え終わると、自分は現人神となって二度と外に出られない。
一瞬言葉に詰まるが、除霊師は最後の呪文を唱えた。
「…急急如律令」
白い清らかな光が天に昇り、暗い都を照らす。同時に、真秀場を隔離するように結界が張られた。
(さよなら、皆さん。次に会うのは…果たしていつになるやら)
その頃には、自分はとうに人ではなくなっている。コンラッドは果たして、人ではなくなった自分を分かってくれるだろうか。
自分の身体が人という種族を超越したものに変化するのを感じながら、除霊師は人の生の終着点で目を閉じた。いつか桜散る頃に刀を持った頑固者と再会する事を願って。
「…除霊師さん、どうする?」
弑する筈の者はとうにこの世を去り、真秀場は闇に落ちようとしている。撤退するしか無い、そう言おうとしたその時だった。
「このままでは真秀場だけでは済みますまい」
そう言って除霊師は朽ちた人骨の一部を手に取った。
「どうする?時空魔法で隔離すれば良いのか?」
しかし、それではその空間から皇帝が干渉してこないとも限らない。
除霊師は立ち上がると、骨を持ったまま部屋の奥にある棚を開けた。そこには銅鏡と勾玉、剣が収められている。
除霊師はそれを見て安堵の溜息を吐いた。
「…良かった、まだ残っている」
除霊師はそれを慌しく持ち出すと、アレン達に向かって言った。
「先程、九尾の妖の話をしましたね」
二千年前に皇女表春が九尾との戦いの果てに敗北し、交わったという話。
黒い魔力が侵食する空間を見て、除霊師は言った。
「私は明神の残滓を持ちながら、闇に属する者の力を持っています。闇を制御しながら光で満たす…秩序の維持を行う帝の代替案としては最適な筈です」
「じゃあ、此処から離れて即位の儀式でもやるか」
そうアレンが言うと、除霊師は僅かに目を見開いた。
「此処から…ふふっ、おかしな事を仰いますね、閣下は」
アレン達が怪訝そうな顔をすると、除霊師は微笑んだ。
「苏安の帝は自由にあっちこっちへ出掛けられますが…大和の帝は、とある英雄の呪いによって真秀場に縛り付けられるのです」
つまり、真秀場に何かが起きても離れられない。骨と化した皇は、迫り来る闇から逃げられずに飲み込まれて果てたのだろう。
(とある英雄とは…)
フレデリカが拳を握った。
「それはシュルーク?」
シュルークは学の無い弱者を選んで新世界へ送った。しかしその中に、明神の末裔が紛れている。これは偶然ではなく、彼が意図的に行ったのだ。
「ええ。今思えば、こうなる事はお見通しだったのでしょう」
しかし、残れば除霊師は此処から二度と出られない。
部屋の外からいつの間に盗み聞きをしていたのか、コンラッドが凄い形相で飛び込んで来る。
「おい除霊師!もっと他に方法は無いのか!?」
「コンラッド…いつの間に此処へ…⸺」
「今はそんな事どうだって良い!」
コンラッドは自分より小柄な除霊師の肩を掴んで揺すった。その拍子に除霊師が愛用している烏帽子が落ちて髪が解ける。
「お前、それは本当にお前の望みか?なぁ、此処に留まったら死ぬかも知れないんだろ?皇は死んだ。お前まで巻き添え食ってどうする!」
除霊師はいつもの狐のような笑みを浮かべた。
「コンラッドや、私を心配してくれているのですか?安心してください。何も失敗するって最初から決まっている訳では…⸺」
「アーサーが死んで、お前が消えて!アレンとフレデリカを置いて逝くつもりか!私や彼らは人のように短命じゃない。何百年も生きるんだぞ。お前達が消えて、その後の時間を何百年もだ!」
アレンはその言葉に拳を握った。もうこれ以上、親しい者を失うのは御免だ。
「除霊師さん、他に手は⸺」
しかし、除霊師は取り合わなかった。
「ええい、執拗い!他に手段があればやっています!それに、只残るだけじゃありません。皇という存在が乱れた世を安定させる手段の一つだからこうしているのです」
こうしている間にも侵食と火災は進む。除霊師はアレン達を外へ押し出した。
「早う、去ね!」
そう言って燃え始めている襖を勢い良く閉めようとするが、コンラッドはそれを両手で防いだ。
「コンラッド…!いい加減に、なさいッ!此処を清めなくてはならぬのです!ほれ!」
しかしコンラッドは効率的な勉強を行う為に普段から鍛えている。男女での筋力差やコンラッドの祖先に海竜が居る事もあり、襖は簡単に開けられた。
「コンラッド、お前⸺」
そう言って抗議しようとした除霊師の紅い唇を、コンラッドが乱暴に奪う。
除霊師が目を見開いたまま硬直していると、コンラッドは顔を少し赤らめて言った。
「…お前は、言い出したら聞かないからな。それに、何を言ってものらりくらりと躱される」
その遣り取りを見たネメシアは俯きながら問うた。
「除霊師の姉ちゃん。外に出て、ちゃんとこの口から続きを言わせなくて良いのかよ」
アレンとフレデリカがその言葉に頷いているのを見て、除霊師は笑った。
「続きは、この戦の果てに聞きましょうかね」
少し照れながらそう言うと、除霊師はコンラッドに向かって言った。
「私に失敗はありません。続きはこの戦いの果てに、この頑固な愛らしい口から聞かせてもらいますよ。だからそれまでに、文章で口説き文句を考えて来なさい」
そう言ってコンラッドを抱き締める。
「…名残惜しや…この頑固者が人を口説く様を見るには、もう暫らく待たねばならぬとは。コンラッドや、今直ぐ口説けぬのですか?」
「…残念ながら今は、何も思い付かない」
除霊師は笑った。かつて自分の夫だった男も、不器用で言葉足らずだった。そしてその男からはある季節に恋文を貰った。
除霊師は腕を解くと、自分の刀を渡した。
「戦の果てに桜散る頃、真秀場の大広間にて。私は待ちます。その時にこの刀を持って来なさい」
「…分かった。なるべく早く終わらせよう」
コンラッドの言葉を聞いた除霊師は襖に手を掛けた。
「今後の〈桜狐〉は鶴蔦と桑名に任せます。…さあ皆さん、もうお行きなさい。私が即位した後、この都は浄化されるまで結界で封印されます。あなた方に明神の加護があらん事を」
もう時間が無い。アレン達は頷くと、短い別れを告げてその場を去った。
一人残された除霊師は静かに襖を閉じると、小さな骨を口の中に入れて飲み込んだ。
「兄上、独りは寂しかったですか?」
兄の声はもう聞こえない。だが幼き頃の思い出は、二千年以上が経った今も鮮やかに蘇る。
二人で習い事をさぼって抜け出し、街へ繰り出してお菓子を買い漁ったりもした。
御殿に出入りしていた大臣に悪戯したりもした。しかし、その大臣達の子孫は先程の殺戮で全て殺され、かつて自分と繋がりのあった者は既に死に絶えた。
「私は…今、孤独です」
桜に包まれた都は、貴族街で安穏とした腐敗を貪る貴族をも巻き添えに広がり続ける。この街は人の住めぬ都となり、大和に更なる戦乱を巻き起こすだろう。その都で悠久の時を生きるには、人を辞めるしか無い。
三種の神器が光を放つと、除霊師はかつて九尾に犯された自分の胎に触れた。そこはかつて抉られた痛みを忘れさせまいとしているのか、じくじくと痛みを伴って熱を発する。
「協力してくれるのですか?狐や」
そう言って横を見ると、白い九尾の狐が立っていた。
九尾は答えないが、目を細めて尻尾をゆっくり振る。
「…肯定、と捉えましょう」
除霊師が御祓棒を持つと、九尾は除霊師の身体に自分の身体を擦り寄せた。
そして、かつて兄が即位の際に神器の前で唱えた呪文を唱える。
「現人神と成りて、闇堕つる真秀場を治めん。払い給え、清め給え」
闇はもう真秀場を飲み込んだ。だがこの呪文を唱え終わると、自分は現人神となって二度と外に出られない。
一瞬言葉に詰まるが、除霊師は最後の呪文を唱えた。
「…急急如律令」
白い清らかな光が天に昇り、暗い都を照らす。同時に、真秀場を隔離するように結界が張られた。
(さよなら、皆さん。次に会うのは…果たしていつになるやら)
その頃には、自分はとうに人ではなくなっている。コンラッドは果たして、人ではなくなった自分を分かってくれるだろうか。
自分の身体が人という種族を超越したものに変化するのを感じながら、除霊師は人の生の終着点で目を閉じた。いつか桜散る頃に刀を持った頑固者と再会する事を願って。
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