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ランプの魔人Ⅲ
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はじめの一週間は怒りが占めた。
考えれば考えるほどに怒りと嫌悪が沸き出でて気が狂いそうだった。
それも時がたつほどに薄れていき、一月する頃には罪悪感に取って代わり、二月目には後ろめたさが加わった。
三か月たった今はそれらがまぜこぜになった重苦しい気持ちでいっぱいで身動きができないでいる。
―戦士の死骸を素に作られたからで、その本質は道具でしかない、か。
死骸を素に作られた人の紛い物。
本質は人に侍るものであり、そうあれかしと望まれたもの。
本人が望んでその形を得たのではなく、男の言葉を借りるならば気も遠くなるような遠い昔に神様の手によって作り上げられたものだという。
何が己の怒りの導火線に火をつけたのか、ここのところ頭を占めるのはその事ばかりである。
人の紛い物であったことか?
―違う。
古い古い遠い昔の人間の遺体を素に作られたことか?
―近いが、本質ではない。
嫌悪感のもとは間違いなくそれだが、怒りを覚えたのはそこではない。
死体が鼓動を得て動き出すのは道理に合わない、その倫理観が嫌悪となって表れたのだろう。
ではなぜあれほどの怒りを呼び起こしたのか。
何が怒りとしてあれほどの所業をさせるに至ったのか。
男の態度だ、とやはりそこに帰結する。
己を道具として扱いないがしろにする、その有り様にどうしようもなく怒りを覚えたのだと、自覚する。
二か月ほどを共に過ごした。
朝夕と男の作った飯を食い、くだらない話に花を咲かせ風呂に入り眠りにつく。
お喋り好きだと知った。
男にしては珍しいほどに大の甘党で子どものようにくるくると表情がよく変わり、落ち着きがないように見えてその実、己の有り様に対しては恐ろしいほど一貫して無関心。
くだらないことに関してのみ良く回る口はしかして己の能力と持ちうる知識に対しては誠実に語ることを由とし、虚飾でもって己を偽ることだけはただの一度もなかった。
はじめからしてそうだった。
己ができることとできぬことをこちらがわかるように語って聞かせ、一つ目の願いを叶えるときは拙いそれをしっかりとした輪郭を持たせ確かなものとして差し出した。
自身のことを考えるならば言われるがままに願いを叶えるだけで良かったはずだ。
それを己が主人に相応しい形に整え差し出す手間を取る必要性は全くなく、そうしたのは男の矜持故か他にも理由があったのか。
少なくとも、俺は大層甘やかされてきたのは間違いない。
男が願いを叶えるために奮うべき力を、生活費を支払わせるためにと普段から当然のように行使させた。
男からすれば我慢ならない扱いだったはずだし、一度は苦言も呈されたが、それだってはじめの一度きりで、以降は文句も言わず定期的に出かけては能力を使って得た金銭を家に入れていた。
飯だって男にとっては必要のないものにもかかわらず、いつだって時間をかけて作ったものを食卓に並べ待っていてくれた。
それに対して充分な礼を伝えたことはあっただろうか。
いいように使うだけ使って碌に労いもしない俺に対して、男は文句のひとつすら溢したことはない。
対等などでは決してなかった。
男の寛大な許しがあってはじめて円滑に回る関係だったのだと今になってよくわかる。
己のあまりの愚かさ具合に目眩がする。
男をランプに押し込みそれごと仕舞った収納棚の前に立って早十分。
震える手が取っ手に触れては戻しを繰り返し、しんしんとした冷たさを伝える金具に手を触れ離してはまた指を伸ばす。
後ろめたく気恥ずかしくだがこのままではいけないことだけはわかり焦りのままに手を伸ばす。
正気に戻っては後悔が胸をつき、何を今更と心の内が囁きかける。
今更謝ったところで許されると思うのか、と。
許されなくても仕方がない。
到底許されないことをしたのだから。
それを許すと言うことは、男が自分を押し殺したことに他ならない。
そうまでさせて謝罪をするのは許されたいからではないのかと囁く声が聞きたくなくて耳を塞ぐ。
そんなことをしたところで内から来る声を遮断なんてできるはずもない。
自然とつむっていた目を開けて収納棚を視界に入れる。
木造のそれは静かに開けられるのを待っている。
唾を飲み、意を決して取っ手に指を絡める。
ゆっくりと力を込めて引っ張れば、少しずつ開かれていく扉にどくどくとうるさいほどの鼓動が耳殻を叩く。
眼球が燃えるように熱くて蒸発してしまいそうな心地になりながら勤めて息を吸って吐いて開いたそこには、叩き込まれたときのままくしゃりとよれた紙袋が奥の方に鎮座ましていた。
揺らさないように静かに紙袋を手繰りよせ、床に置く。
中を探ればガムテープまみれのランプが目に入る。
剥がすことを想定していなかったためにめちゃくちゃに巻かれたそれに苦戦しながら爪を立て引き剥がす。
何度も何度も巻き付けたテープをばりばりと音を立てながら剥がせば、どこかべたつく金属の地肌がようやっと現れ、そっと天辺の蓋に指をかけて開く。
丸窓状の穴から覗いたそこには胎児のように丸まって眠る人形サイズの男がいた。
随分と手荒に扱ったから怪我をしているかもしれないと思ったが、ここから見る限りでは目立ったものはないようだった。
「なぁ、おい。
目を開けてくれ、頼むから。」
口からまろび出たのは祈りにも似た懇願だった。
それ以上は口にすることができず、揺さぶって起こすなんてする気も起きず、飽かずに見つめること幾ばくか。
微かに震えるようにして瞼が持ち上がり、久しぶりに浴びる光にすぐ細められる。
二度三度と瞬いたそれはうろうろと彷徨い、ふと気付いたようにこちらにピントが合うとほころんだ。
なぜ加害者である俺を見て気配が和らぐのか意味がわからず、凪いだはずの心の炉に火がつく心地がする。
これはまずい、と男にばれぬように細心の注意を払い深呼吸をして見つめ返す。
「おはよう。それともこんばんはかな?」
どこか甘さの感じられる高めのテノールは懐かしさすら伴って耳にするりと滑り込む。
狭いランプの中で身を起こした男はごくごく自然な表情と仕草でそう挨拶を口にした。
身じろぐ度に男を彩る金細工がしゃらしゃらと姦しいまでに音を奏でるのですら懐かしい。
三か月前に閉じ込めたままの男がそこにいた。
「すまなかった。
謝って済むことじゃないとは思うが、金輪際、お前を邪険に扱わないと誓う。」
しっかりと男の目を見据えて謝罪する。
赤褐色の双眸がぱちりぱちりと瞬いて、言われたことを理解したと同時に柔らかに細められた。
「謝罪を受け入れます。
まぁよくあるすれ違いというヤツだからそこまで気にしなくていいよ。」
大げさだなぁ君は。と続くそれに、違うだろうと心が吠える。
よくあることだから気にしないなんてのはあまりにも悲しい。
「そうじゃ、ないだろう。
よくあることだからと流すのは止めてくれ。
お前は怒って詰まる権利がある。それを捨て去るような真似だけはしてくれるな。」
かっと込み上げてきた怒りを飲み下して、努めて淡々と告げる言の葉に嘘はない。
自分をないがしろにするなとただそれだけなのに、なぜ伝わらないのか。
伝える権利を持っていないと言われればそれまでだが、それではあまりにも、男が哀れでならない。
哀れまれる筋合いなどないとこいつは怒るのだろうか、それとも呆れるのだろうか。
またも何を言われたのかわからないと言いたげな沈黙が場を包む。
いつもより多く感じる瞬きを繰り返し、鸚鵡返しに怒る権利、と繰り返す男は一等幼く見える。
「君は、一個人として僕を見るのか。
道具でしかない僕を、人間として扱うって、そういうのかい。」
試すようにいっそ嘘であれと願うかのようにそう尋ねる男の声は柔く脆い響きでもって落とされた。
拾われることも省みられることもないであろうと言わんばかりのその言葉をひとつひとつ丁寧に拾いあげ宝物のように優しくしまい込むような気持ちで抱え持つ。
「お前の出自がどうだとかは関係ない。
共に過ごした数か月でお前がどんな奴かを知った。
だから、俺は俺の心のままに、お前を大事にしてやりたいとそう思う。」
口にすると妙に恥ずかしいが本心のままにそう答えれば、くしゃりと泣き笑いのように男の顔が崩れ、見られたくないのかうつむいた。
「なんて恥ずかしいことをなんでもないようにいうんだい。
僕の何百分の一も生きてない人間のくせに、なんで、そんなことを、今更……。」
泣いていないのが不思議なくらいにその声は湿っていた。
ぶるぶると震える肩に指を触れさせる。
静かにゆったりとしたリズムで、慰撫するように優しくなでる。
追い詰めないようにただただ優しくなでるだけのそれに、小さな指が重ねられる。
すがるように柔く握られる五指は見た目通りの力しか込められていなかった。
未だランプの中で座り込んだままの男は遂にべしゃべしゃに濡れきった鼻声で問うた。
「僕はまだ、ここにいてもいいの。」
聞くつもりのなかっただろう言葉。
聞きたくて聞けなくて遂に溢してしまったのだろう言葉。
それに返す言葉なんて決まってる。
「まだ願いは二つ残ってるだろ。
それまでは、ここにいろ。」
存外優しい声音になったが、どうやらそれで良かったらしい。
ずっ、と鼻を啜る音が聞こえ、しばらくして思わず零れたといわんばかりの笑声に変わる。
「仕方ないなぁ。
君が三つの願いを口にするその日まで、側にいてやりますか!」
上げられた相貌は喜色とありあまる自信に満ちていた。
その言いようがあまりにはじめて会った頃のものに似ていたのでつられて笑いが漏れる。
「さて、それでですね。」
そわそわとこちらを見上げる男に視線だけでどうしたかと尋ねる。
「ここから出るのに手を貸してくださらない?
この通り、弾かれてしまうものだから。」
ランプの縁に手を触れさせた途端、ばちんと大きな音がして弾かれた手の平を振って答えた男の前に恭しく五指を揃えて並べれば、よいしょとかけ声ひとつで片足をかけてよじ登るので残った足を摘まんで手の平に乗せた。
そのまま床に下ろせば、瞬きの間に人影が大きくすらりと伸びる。
素の大きさに戻った男は膝を叩くと満面の笑顔でこう言った。
「お腹空いちゃった。
適当に作るからご飯にしよう?」
関係を仕切り直すためのその言葉へと大きく頷き返した俺に、君は存外子どもっぽいなぁと感想を溢された。
深夜に食べたこってりラーメンは、優しく身体を温めるものでとてつもなくおいしかった。
考えれば考えるほどに怒りと嫌悪が沸き出でて気が狂いそうだった。
それも時がたつほどに薄れていき、一月する頃には罪悪感に取って代わり、二月目には後ろめたさが加わった。
三か月たった今はそれらがまぜこぜになった重苦しい気持ちでいっぱいで身動きができないでいる。
―戦士の死骸を素に作られたからで、その本質は道具でしかない、か。
死骸を素に作られた人の紛い物。
本質は人に侍るものであり、そうあれかしと望まれたもの。
本人が望んでその形を得たのではなく、男の言葉を借りるならば気も遠くなるような遠い昔に神様の手によって作り上げられたものだという。
何が己の怒りの導火線に火をつけたのか、ここのところ頭を占めるのはその事ばかりである。
人の紛い物であったことか?
―違う。
古い古い遠い昔の人間の遺体を素に作られたことか?
―近いが、本質ではない。
嫌悪感のもとは間違いなくそれだが、怒りを覚えたのはそこではない。
死体が鼓動を得て動き出すのは道理に合わない、その倫理観が嫌悪となって表れたのだろう。
ではなぜあれほどの怒りを呼び起こしたのか。
何が怒りとしてあれほどの所業をさせるに至ったのか。
男の態度だ、とやはりそこに帰結する。
己を道具として扱いないがしろにする、その有り様にどうしようもなく怒りを覚えたのだと、自覚する。
二か月ほどを共に過ごした。
朝夕と男の作った飯を食い、くだらない話に花を咲かせ風呂に入り眠りにつく。
お喋り好きだと知った。
男にしては珍しいほどに大の甘党で子どものようにくるくると表情がよく変わり、落ち着きがないように見えてその実、己の有り様に対しては恐ろしいほど一貫して無関心。
くだらないことに関してのみ良く回る口はしかして己の能力と持ちうる知識に対しては誠実に語ることを由とし、虚飾でもって己を偽ることだけはただの一度もなかった。
はじめからしてそうだった。
己ができることとできぬことをこちらがわかるように語って聞かせ、一つ目の願いを叶えるときは拙いそれをしっかりとした輪郭を持たせ確かなものとして差し出した。
自身のことを考えるならば言われるがままに願いを叶えるだけで良かったはずだ。
それを己が主人に相応しい形に整え差し出す手間を取る必要性は全くなく、そうしたのは男の矜持故か他にも理由があったのか。
少なくとも、俺は大層甘やかされてきたのは間違いない。
男が願いを叶えるために奮うべき力を、生活費を支払わせるためにと普段から当然のように行使させた。
男からすれば我慢ならない扱いだったはずだし、一度は苦言も呈されたが、それだってはじめの一度きりで、以降は文句も言わず定期的に出かけては能力を使って得た金銭を家に入れていた。
飯だって男にとっては必要のないものにもかかわらず、いつだって時間をかけて作ったものを食卓に並べ待っていてくれた。
それに対して充分な礼を伝えたことはあっただろうか。
いいように使うだけ使って碌に労いもしない俺に対して、男は文句のひとつすら溢したことはない。
対等などでは決してなかった。
男の寛大な許しがあってはじめて円滑に回る関係だったのだと今になってよくわかる。
己のあまりの愚かさ具合に目眩がする。
男をランプに押し込みそれごと仕舞った収納棚の前に立って早十分。
震える手が取っ手に触れては戻しを繰り返し、しんしんとした冷たさを伝える金具に手を触れ離してはまた指を伸ばす。
後ろめたく気恥ずかしくだがこのままではいけないことだけはわかり焦りのままに手を伸ばす。
正気に戻っては後悔が胸をつき、何を今更と心の内が囁きかける。
今更謝ったところで許されると思うのか、と。
許されなくても仕方がない。
到底許されないことをしたのだから。
それを許すと言うことは、男が自分を押し殺したことに他ならない。
そうまでさせて謝罪をするのは許されたいからではないのかと囁く声が聞きたくなくて耳を塞ぐ。
そんなことをしたところで内から来る声を遮断なんてできるはずもない。
自然とつむっていた目を開けて収納棚を視界に入れる。
木造のそれは静かに開けられるのを待っている。
唾を飲み、意を決して取っ手に指を絡める。
ゆっくりと力を込めて引っ張れば、少しずつ開かれていく扉にどくどくとうるさいほどの鼓動が耳殻を叩く。
眼球が燃えるように熱くて蒸発してしまいそうな心地になりながら勤めて息を吸って吐いて開いたそこには、叩き込まれたときのままくしゃりとよれた紙袋が奥の方に鎮座ましていた。
揺らさないように静かに紙袋を手繰りよせ、床に置く。
中を探ればガムテープまみれのランプが目に入る。
剥がすことを想定していなかったためにめちゃくちゃに巻かれたそれに苦戦しながら爪を立て引き剥がす。
何度も何度も巻き付けたテープをばりばりと音を立てながら剥がせば、どこかべたつく金属の地肌がようやっと現れ、そっと天辺の蓋に指をかけて開く。
丸窓状の穴から覗いたそこには胎児のように丸まって眠る人形サイズの男がいた。
随分と手荒に扱ったから怪我をしているかもしれないと思ったが、ここから見る限りでは目立ったものはないようだった。
「なぁ、おい。
目を開けてくれ、頼むから。」
口からまろび出たのは祈りにも似た懇願だった。
それ以上は口にすることができず、揺さぶって起こすなんてする気も起きず、飽かずに見つめること幾ばくか。
微かに震えるようにして瞼が持ち上がり、久しぶりに浴びる光にすぐ細められる。
二度三度と瞬いたそれはうろうろと彷徨い、ふと気付いたようにこちらにピントが合うとほころんだ。
なぜ加害者である俺を見て気配が和らぐのか意味がわからず、凪いだはずの心の炉に火がつく心地がする。
これはまずい、と男にばれぬように細心の注意を払い深呼吸をして見つめ返す。
「おはよう。それともこんばんはかな?」
どこか甘さの感じられる高めのテノールは懐かしさすら伴って耳にするりと滑り込む。
狭いランプの中で身を起こした男はごくごく自然な表情と仕草でそう挨拶を口にした。
身じろぐ度に男を彩る金細工がしゃらしゃらと姦しいまでに音を奏でるのですら懐かしい。
三か月前に閉じ込めたままの男がそこにいた。
「すまなかった。
謝って済むことじゃないとは思うが、金輪際、お前を邪険に扱わないと誓う。」
しっかりと男の目を見据えて謝罪する。
赤褐色の双眸がぱちりぱちりと瞬いて、言われたことを理解したと同時に柔らかに細められた。
「謝罪を受け入れます。
まぁよくあるすれ違いというヤツだからそこまで気にしなくていいよ。」
大げさだなぁ君は。と続くそれに、違うだろうと心が吠える。
よくあることだから気にしないなんてのはあまりにも悲しい。
「そうじゃ、ないだろう。
よくあることだからと流すのは止めてくれ。
お前は怒って詰まる権利がある。それを捨て去るような真似だけはしてくれるな。」
かっと込み上げてきた怒りを飲み下して、努めて淡々と告げる言の葉に嘘はない。
自分をないがしろにするなとただそれだけなのに、なぜ伝わらないのか。
伝える権利を持っていないと言われればそれまでだが、それではあまりにも、男が哀れでならない。
哀れまれる筋合いなどないとこいつは怒るのだろうか、それとも呆れるのだろうか。
またも何を言われたのかわからないと言いたげな沈黙が場を包む。
いつもより多く感じる瞬きを繰り返し、鸚鵡返しに怒る権利、と繰り返す男は一等幼く見える。
「君は、一個人として僕を見るのか。
道具でしかない僕を、人間として扱うって、そういうのかい。」
試すようにいっそ嘘であれと願うかのようにそう尋ねる男の声は柔く脆い響きでもって落とされた。
拾われることも省みられることもないであろうと言わんばかりのその言葉をひとつひとつ丁寧に拾いあげ宝物のように優しくしまい込むような気持ちで抱え持つ。
「お前の出自がどうだとかは関係ない。
共に過ごした数か月でお前がどんな奴かを知った。
だから、俺は俺の心のままに、お前を大事にしてやりたいとそう思う。」
口にすると妙に恥ずかしいが本心のままにそう答えれば、くしゃりと泣き笑いのように男の顔が崩れ、見られたくないのかうつむいた。
「なんて恥ずかしいことをなんでもないようにいうんだい。
僕の何百分の一も生きてない人間のくせに、なんで、そんなことを、今更……。」
泣いていないのが不思議なくらいにその声は湿っていた。
ぶるぶると震える肩に指を触れさせる。
静かにゆったりとしたリズムで、慰撫するように優しくなでる。
追い詰めないようにただただ優しくなでるだけのそれに、小さな指が重ねられる。
すがるように柔く握られる五指は見た目通りの力しか込められていなかった。
未だランプの中で座り込んだままの男は遂にべしゃべしゃに濡れきった鼻声で問うた。
「僕はまだ、ここにいてもいいの。」
聞くつもりのなかっただろう言葉。
聞きたくて聞けなくて遂に溢してしまったのだろう言葉。
それに返す言葉なんて決まってる。
「まだ願いは二つ残ってるだろ。
それまでは、ここにいろ。」
存外優しい声音になったが、どうやらそれで良かったらしい。
ずっ、と鼻を啜る音が聞こえ、しばらくして思わず零れたといわんばかりの笑声に変わる。
「仕方ないなぁ。
君が三つの願いを口にするその日まで、側にいてやりますか!」
上げられた相貌は喜色とありあまる自信に満ちていた。
その言いようがあまりにはじめて会った頃のものに似ていたのでつられて笑いが漏れる。
「さて、それでですね。」
そわそわとこちらを見上げる男に視線だけでどうしたかと尋ねる。
「ここから出るのに手を貸してくださらない?
この通り、弾かれてしまうものだから。」
ランプの縁に手を触れさせた途端、ばちんと大きな音がして弾かれた手の平を振って答えた男の前に恭しく五指を揃えて並べれば、よいしょとかけ声ひとつで片足をかけてよじ登るので残った足を摘まんで手の平に乗せた。
そのまま床に下ろせば、瞬きの間に人影が大きくすらりと伸びる。
素の大きさに戻った男は膝を叩くと満面の笑顔でこう言った。
「お腹空いちゃった。
適当に作るからご飯にしよう?」
関係を仕切り直すためのその言葉へと大きく頷き返した俺に、君は存外子どもっぽいなぁと感想を溢された。
深夜に食べたこってりラーメンは、優しく身体を温めるものでとてつもなくおいしかった。
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