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夏の章 プリトー村編
32 プリトー村の宴
翌日、アルカは午前いっぱいを使って、本当にレグルスを泳げるようにした。
レグルスの身体能力が良かったのもあるが、やっぱりアルカは鬼教官だった。
半分は昨夜の痴態に今更動揺した、アルカの八つ当たりである。
今まで山は1人で過ごしていたから気が付かなかったが、どうもあの洞窟の魔素に当てられていたらしい。
だから毎年ここで飲む酒が異常に美味く、いつもより回りやすかったのだ。
そう言えば1人の時も、洞窟帰りは妙なハイテンションで魚を焼いていた。
昨日のアルカは少々おかしかった。魔素のせいで。
そういうことにする。あくまで魔素のせいなのだ。
ひぃひぃ言いながら懸命に泳ぐレグルスに檄を飛ばしながら、アルカは1人頷いた。
昼過ぎに山から下りると、村人が広場に集まっていた。
中央に焼台が幾つか置かれていて、皆わいわいと食事の用意をしている様子だった。
「アンディさん、どうしたの?何か良いことあった?」
アルカたちが近寄ると、村人たちがワッと沸いた。
「どうしたもこうも、この間トマシュ爺さん助けてくれた礼だよ!見ろよ、爺さん張り切っちまって、樽まで出してきた」
「あんたら、明日の朝には出立だろ?今回は色々、お土産ももらったしねぇ!」
待ち構えていた様子で、アンディ夫妻が笑って手を引いた。
毎年最終夜は、アンディ宅で振る舞いを受けていたが、流石に広場での宴は初めてだ。
「レグも色々ありがとな!」
アンディに肩を組まれて、エールの樽に連れて行かれるレグルスは、何処か面映そうに笑っていた。
「ルカちゃん、あたしの孫、こっち来んさい」
「抜け駆けはしないって、約束じゃないの」
わらわらと姦しい婆様軍団が寄って来る。
「婆さん、浮気じゃて。ルカ坊みたいな鼻垂れより、儂の方が渋いじゃろ」
「爺様、俺がいつ、鼻垂らしたんだよ」
「ルカ坊、こっちゃ来い!この樽全部、お前にやる!」
「やった!俺、トマシュ爺のエールが1番好きだよ」
「なんじゃと!ルカ坊、儂のエールの方が、そいつのより美味いに決まっとる!」
トマシュや他の爺様たちも加わって、途端に笑い声が大きくなる。
「ほらほら、皆!串焼き始めようじゃないか!爺様婆様のおねむの時間になっちまうよ!」
デイジーがパンと手を鳴らすと、皆ぞろぞろと、てんで好き勝手話しながら焼台へと集まった。
「ほら、男衆は焼きに入って、美人の奥様方に誠心誠意お仕えしろよ!」
「さすが色男は、言うことが違わい」
アンディの軽口に、わっははと笑いながら、爺様たちは慣れた手付きで、肉や野菜の串を網に並べていく。
エールが波々と注がれた木製の大ジョッキが、手から手へ渡ってくる。
夕暮れには少し早い時間、辺りに芳ばしい匂いが立ち込めて、乾杯の声が大きく響いた。
採れ立ての新鮮野菜に、地物の鹿肉や猪肉、兎肉などが多数並び、持ち寄りの各家庭料理も並ぶ。
アルカの大好物の、デイジー特製煮込みもあった。
各テーブルに引っ張りだこの、レグルスとは暫く話していないくらいだが、視界に入るレグルスは本当に楽しそうだった。
特に爺様たちから格別に可愛がられているようで、アンディや他の爺様と焚き火を囲んで、秘蔵の地酒を呑まされている。
「あらやだ、レグちゃん大丈夫かしら。アレ呑まされてるわ」
デイジーが心配そうにレグルスを見ながら、隣の席に腰掛けた。
「大丈夫だよ、レグが潰れたの見たことない」
アルカもその様子を眺めながら、エールを呷った。
あの地酒はバーボンなのだが、ここのはどういう訳か、他の産地よりかなり度数が強い。
「アレが出たんなら、相当気に入られたわね、レグちゃん。良い子だもんね」
息子を見るように目を細めたデイジーは、アルカを覗き込んだ。
「良い人見つけたね」
全部見透かす風な瞳に言葉に詰まって、エールを呑んで誤魔化す。
「あんたにも漸く、魂送りを一緒に過ごしても良いって思える相手が、出来たんだね」
そっと肩を抱かれる。柔らかなのに硬くて厚い手の平は、土と生きる人の手だ。
「あんたみたいな子供がずっと、魂送り1人で過ごしてんの、ホントは皆心配してたんだよ」
「俺、もう子供じゃないよ」
「ふふ、息子は皆そう言うね。一番上もこの間そう言ってたわ」
デイジーの長男はもう30歳を過ぎていて、トスカの町で所帯を持っていると聞いたことがある。
「レグちゃんがね、この間、必死だったんだよ。トマシュ爺を村まで連れて来た時にね、アタシたち止めたんだよ、あんたを探しに行くのは危険だって」
雷雨の中、レグルスは馬で飛び出そうとしたのだ。自然の雷が脅威になるのは、魔術師も変わらないのに。
「あんたは賢いからね。ここらに慣れてるし、大丈夫だって止めたんだよ」
内輪の感覚だったと暗に伝えてくれて、素直に頷く。
「でもね、レグちゃん、ルカちゃんが何より大事だから、自分が危険だっていいって、飛び出して行っちゃった」
バチンと焚火の木組みが跳ねた。いつの間にか楽器を鳴らして、わいわいと唄が始まっている。
「ね、ルカちゃん、良かったねぇ。こんな広い世界でさ、たった1人に出会えるってさ、中々無いんだよ」
デイジーが肩を擦って抱擁をくれた。柔らかい日向の温もり、アルカが持ち合わせなかったものだ。
「アタシの可愛い末っ子、来年も必ず2人で帰っておいで」
「……デイジーさん」
「デイジー!ルカちゃんは、あたしの孫だよ!」
ジンとした空気を杖を振り回しながら壊した婆様に、アルカとデイジーは顔を見合わせて、大きく笑った。
宴は遅くまで続き、年寄りたちが眠気に耐えられなくなって、お開きとなった。
皆と就寝の挨拶をして、今日が最後の夜となる借家へぶらぶらと歩く。
明日早朝に村を出て馬車に乗り、夜遅くには王都に戻ることになる。
ギルドは休みだが、帰省用に転移陣だけは短縮営業で稼働させるので、移動も来た道を戻るだけで済む。
「楽しかったね、アンディさんの地酒、美味しかったなあ」
さすがに酒精が回っているのか、レグルスはいつもより緩い口調になっている。
それに、星を見上げて歩いているので、何だか小川に落ちそうだ。
「レグルス、手」
「はぁい」
差し出した手の平に、ぽんとお手をされた。違うそうじゃない。
「レグってさ、わりとぽんこつだよな」
ぐいっと引っ張って握り込む。酔っている癖に、体幹が強くて苛ついた。
「落ちそうだから」
「……ぽんこつ、じゃない、とは言えないけど、……ふふ、手ぇ繋いでもらっちゃった」
「介護の一環だよ」
「えっ……、……えっ?……まさか今までの全部……」
絶望した顔で立ち止まって、ブツブツ考えているレグルスを引っ張って、歩みを再開した。
「レグって、アンディさんに懐いてるな」
長考した結論に更に絶望的な顔になったレグルスを、いい加減引き戻すべく、少し気になっていたことを尋ねてみる。
初対面の時からレグルスはアンディに対して、少し様子が違った。
その下について、もう5年の付き合いになり、今では右腕なのだ。それくらいは分かる。
「……昔、すごく世話になった人に似てるんだ。……懐かしくなっちゃって」
「……そっか」
多分、その人にはもう会えないのだろう。寂寞とした声音に悟る。アルカは不意に握った指を絡めた。
「!?」
闇夜でも分かるくらいに、レグルスが狼狽えている。
「あっ、これも介護か……!?」
まだ引き摺ったままのレグルスに加虐心が湧いて、絡めた指をゆっくりと擽るように上下させた。
「……アルカ、……意地悪しないで」
片手で顔を覆って小さくなったレグルスに口の端を上げて、アルカは上機嫌で家路を辿った。
「後生だから睡眠魔法かけて!お願いしますぅ!」
最終日だと言うのに、またしてもベッド問題が発生した。
今更、何をわやわや言っているのか。
ベッドに先に入ってすっかり寝支度を整えたアルカは、目だけで冷たくレグルスを見ていた。
とうとうレグルスがベッドの端で半泣きで土下座をするので、アルカは横向きに寝返りを打って、レグルスを見上げた。
「あのさ、不眠だからって魔法や薬に頼ると依存しちゃって、ますます駄目になるの知ってるだろ?自力で寝た方が良い」
絶句したレグルスが頭を抱えて、わなわなと顔を上げる。
「寝られないのは本当だけど、ねぇ、アルカ君、君もさ他人のこと言えないよ?いや、本当、俺の言ってること分からないの?分かるよね?」
何だ。何か酷い侮辱を受けた気がする。ムッとした。
「はぁ?何が?ねぇ、俺、眠いの。さっさと寝て。明日早いから」
「ほらね!君って本当、酷い人だ……!」
ぐすぐす泣き言を言いながら、レグルスはベッドの一番端に、ぎゅっと細くなって横になった。
「は?なんでそんな端に?またこの間みたいに落ちるって」
「あ~……、アレはね、落ちたっていうか、……落ちたんだよなぁ……」
「意外と寝相悪いんだな」
「……もうそれでいいよ」
目を閉じて直立不動で固まるレグルスが、何だか面白くない。
あれだけ熱っぽいことを囁いた癖に。揶揄われたのだろうか。何だそれ、全く面白くない。
アルカはごろっと転がってレグルスの体に寄り添い、その腕を引っ張った。
「アアアア、アルカ君!?」
「もう少しこっち、寄って」
「無理です無理」
「……なんで。……嫌になった?」
早口の即答に、心がささくれ立つ。心の割れたところが軋む。
「~~っ、君はもう、そういうとこだって!」
レグルスは少し乱暴に、アルカを腕の中に引き入れた。抱かれた強さと、響いてくる早い鼓動に安堵して息を吐いた。
その胸元に顔を埋めてすうっと吸い込むと、この1週間ですっかり慣れてしまった、レグルスの匂いが肺を満たす。
腰を抱く手の平の硬さも慣れたし、レグルスの呼吸のリズムも慣れた。
髪に差し込まれた指も、埋められた唇の感触も。紅い髪が頬を撫でる時の擽ったさも。
寝起きの悪さも、低く囁く声も。自分だけを見つめる甘い瞳も。
余裕の無い熱も、求める雄の顔も何もかも。
レグルスを知り過ぎてしまった。
知らなかった時は、どうしていたのだろう。明日からは、別の家に帰ることになる。
元の日常に戻るようで、もう戻れないだろう。
明日から始まるのは、全く新しい日々だ。
知る前には戻れないし、レグルスとの関係は決定的に変わってしまった。
「レグ」
「うん……?」
「送魂祭、誰かと過ごしたの、久し振りだった。魂送り、人と見たのも子供の頃以来。誰かと、じゃなくて、レグルスと一緒にいて……すごく楽しかった」
頬を胸に擦り付けると、レグルスの腕がぎゅっと引き寄せて、隙間が無くなるくらいに密着する。
「俺も毎年、この休暇は仕事して1人で過ごしてた。……だから、俺も初めて」
胸に付けた耳に直に伝わる、レグルスの深い声に酔い痴れる。
「アルカと過ごせて、俺もすごく嬉しかった。依頼受けたり、洞窟行ったり、村の人とも仲良くなれて、すごく楽しかった」
まるで元々1つだったようにくっついているというのに、もっと重なりたくなって、アルカは額をぐりぐりとレグルスの胸元へ擦り付けた。
「……幸せだなぁ。……アルカと居ると、俺、すごく幸せ」
微笑んだような声が囁く。ゆっくりと髪を撫でられると、眠気に抗えなくなってくる。
その腕の中で深く呼吸を合わせれば、世界にレグルスの存在だけしか感じない。
「……俺も。……ここ、すごく安心する……」
どこよりも温かくて、安心する場所を知ってしまった。
後悔に似た恐怖が、微睡みに溶けて消えていった。
レグルスの身体能力が良かったのもあるが、やっぱりアルカは鬼教官だった。
半分は昨夜の痴態に今更動揺した、アルカの八つ当たりである。
今まで山は1人で過ごしていたから気が付かなかったが、どうもあの洞窟の魔素に当てられていたらしい。
だから毎年ここで飲む酒が異常に美味く、いつもより回りやすかったのだ。
そう言えば1人の時も、洞窟帰りは妙なハイテンションで魚を焼いていた。
昨日のアルカは少々おかしかった。魔素のせいで。
そういうことにする。あくまで魔素のせいなのだ。
ひぃひぃ言いながら懸命に泳ぐレグルスに檄を飛ばしながら、アルカは1人頷いた。
昼過ぎに山から下りると、村人が広場に集まっていた。
中央に焼台が幾つか置かれていて、皆わいわいと食事の用意をしている様子だった。
「アンディさん、どうしたの?何か良いことあった?」
アルカたちが近寄ると、村人たちがワッと沸いた。
「どうしたもこうも、この間トマシュ爺さん助けてくれた礼だよ!見ろよ、爺さん張り切っちまって、樽まで出してきた」
「あんたら、明日の朝には出立だろ?今回は色々、お土産ももらったしねぇ!」
待ち構えていた様子で、アンディ夫妻が笑って手を引いた。
毎年最終夜は、アンディ宅で振る舞いを受けていたが、流石に広場での宴は初めてだ。
「レグも色々ありがとな!」
アンディに肩を組まれて、エールの樽に連れて行かれるレグルスは、何処か面映そうに笑っていた。
「ルカちゃん、あたしの孫、こっち来んさい」
「抜け駆けはしないって、約束じゃないの」
わらわらと姦しい婆様軍団が寄って来る。
「婆さん、浮気じゃて。ルカ坊みたいな鼻垂れより、儂の方が渋いじゃろ」
「爺様、俺がいつ、鼻垂らしたんだよ」
「ルカ坊、こっちゃ来い!この樽全部、お前にやる!」
「やった!俺、トマシュ爺のエールが1番好きだよ」
「なんじゃと!ルカ坊、儂のエールの方が、そいつのより美味いに決まっとる!」
トマシュや他の爺様たちも加わって、途端に笑い声が大きくなる。
「ほらほら、皆!串焼き始めようじゃないか!爺様婆様のおねむの時間になっちまうよ!」
デイジーがパンと手を鳴らすと、皆ぞろぞろと、てんで好き勝手話しながら焼台へと集まった。
「ほら、男衆は焼きに入って、美人の奥様方に誠心誠意お仕えしろよ!」
「さすが色男は、言うことが違わい」
アンディの軽口に、わっははと笑いながら、爺様たちは慣れた手付きで、肉や野菜の串を網に並べていく。
エールが波々と注がれた木製の大ジョッキが、手から手へ渡ってくる。
夕暮れには少し早い時間、辺りに芳ばしい匂いが立ち込めて、乾杯の声が大きく響いた。
採れ立ての新鮮野菜に、地物の鹿肉や猪肉、兎肉などが多数並び、持ち寄りの各家庭料理も並ぶ。
アルカの大好物の、デイジー特製煮込みもあった。
各テーブルに引っ張りだこの、レグルスとは暫く話していないくらいだが、視界に入るレグルスは本当に楽しそうだった。
特に爺様たちから格別に可愛がられているようで、アンディや他の爺様と焚き火を囲んで、秘蔵の地酒を呑まされている。
「あらやだ、レグちゃん大丈夫かしら。アレ呑まされてるわ」
デイジーが心配そうにレグルスを見ながら、隣の席に腰掛けた。
「大丈夫だよ、レグが潰れたの見たことない」
アルカもその様子を眺めながら、エールを呷った。
あの地酒はバーボンなのだが、ここのはどういう訳か、他の産地よりかなり度数が強い。
「アレが出たんなら、相当気に入られたわね、レグちゃん。良い子だもんね」
息子を見るように目を細めたデイジーは、アルカを覗き込んだ。
「良い人見つけたね」
全部見透かす風な瞳に言葉に詰まって、エールを呑んで誤魔化す。
「あんたにも漸く、魂送りを一緒に過ごしても良いって思える相手が、出来たんだね」
そっと肩を抱かれる。柔らかなのに硬くて厚い手の平は、土と生きる人の手だ。
「あんたみたいな子供がずっと、魂送り1人で過ごしてんの、ホントは皆心配してたんだよ」
「俺、もう子供じゃないよ」
「ふふ、息子は皆そう言うね。一番上もこの間そう言ってたわ」
デイジーの長男はもう30歳を過ぎていて、トスカの町で所帯を持っていると聞いたことがある。
「レグちゃんがね、この間、必死だったんだよ。トマシュ爺を村まで連れて来た時にね、アタシたち止めたんだよ、あんたを探しに行くのは危険だって」
雷雨の中、レグルスは馬で飛び出そうとしたのだ。自然の雷が脅威になるのは、魔術師も変わらないのに。
「あんたは賢いからね。ここらに慣れてるし、大丈夫だって止めたんだよ」
内輪の感覚だったと暗に伝えてくれて、素直に頷く。
「でもね、レグちゃん、ルカちゃんが何より大事だから、自分が危険だっていいって、飛び出して行っちゃった」
バチンと焚火の木組みが跳ねた。いつの間にか楽器を鳴らして、わいわいと唄が始まっている。
「ね、ルカちゃん、良かったねぇ。こんな広い世界でさ、たった1人に出会えるってさ、中々無いんだよ」
デイジーが肩を擦って抱擁をくれた。柔らかい日向の温もり、アルカが持ち合わせなかったものだ。
「アタシの可愛い末っ子、来年も必ず2人で帰っておいで」
「……デイジーさん」
「デイジー!ルカちゃんは、あたしの孫だよ!」
ジンとした空気を杖を振り回しながら壊した婆様に、アルカとデイジーは顔を見合わせて、大きく笑った。
宴は遅くまで続き、年寄りたちが眠気に耐えられなくなって、お開きとなった。
皆と就寝の挨拶をして、今日が最後の夜となる借家へぶらぶらと歩く。
明日早朝に村を出て馬車に乗り、夜遅くには王都に戻ることになる。
ギルドは休みだが、帰省用に転移陣だけは短縮営業で稼働させるので、移動も来た道を戻るだけで済む。
「楽しかったね、アンディさんの地酒、美味しかったなあ」
さすがに酒精が回っているのか、レグルスはいつもより緩い口調になっている。
それに、星を見上げて歩いているので、何だか小川に落ちそうだ。
「レグルス、手」
「はぁい」
差し出した手の平に、ぽんとお手をされた。違うそうじゃない。
「レグってさ、わりとぽんこつだよな」
ぐいっと引っ張って握り込む。酔っている癖に、体幹が強くて苛ついた。
「落ちそうだから」
「……ぽんこつ、じゃない、とは言えないけど、……ふふ、手ぇ繋いでもらっちゃった」
「介護の一環だよ」
「えっ……、……えっ?……まさか今までの全部……」
絶望した顔で立ち止まって、ブツブツ考えているレグルスを引っ張って、歩みを再開した。
「レグって、アンディさんに懐いてるな」
長考した結論に更に絶望的な顔になったレグルスを、いい加減引き戻すべく、少し気になっていたことを尋ねてみる。
初対面の時からレグルスはアンディに対して、少し様子が違った。
その下について、もう5年の付き合いになり、今では右腕なのだ。それくらいは分かる。
「……昔、すごく世話になった人に似てるんだ。……懐かしくなっちゃって」
「……そっか」
多分、その人にはもう会えないのだろう。寂寞とした声音に悟る。アルカは不意に握った指を絡めた。
「!?」
闇夜でも分かるくらいに、レグルスが狼狽えている。
「あっ、これも介護か……!?」
まだ引き摺ったままのレグルスに加虐心が湧いて、絡めた指をゆっくりと擽るように上下させた。
「……アルカ、……意地悪しないで」
片手で顔を覆って小さくなったレグルスに口の端を上げて、アルカは上機嫌で家路を辿った。
「後生だから睡眠魔法かけて!お願いしますぅ!」
最終日だと言うのに、またしてもベッド問題が発生した。
今更、何をわやわや言っているのか。
ベッドに先に入ってすっかり寝支度を整えたアルカは、目だけで冷たくレグルスを見ていた。
とうとうレグルスがベッドの端で半泣きで土下座をするので、アルカは横向きに寝返りを打って、レグルスを見上げた。
「あのさ、不眠だからって魔法や薬に頼ると依存しちゃって、ますます駄目になるの知ってるだろ?自力で寝た方が良い」
絶句したレグルスが頭を抱えて、わなわなと顔を上げる。
「寝られないのは本当だけど、ねぇ、アルカ君、君もさ他人のこと言えないよ?いや、本当、俺の言ってること分からないの?分かるよね?」
何だ。何か酷い侮辱を受けた気がする。ムッとした。
「はぁ?何が?ねぇ、俺、眠いの。さっさと寝て。明日早いから」
「ほらね!君って本当、酷い人だ……!」
ぐすぐす泣き言を言いながら、レグルスはベッドの一番端に、ぎゅっと細くなって横になった。
「は?なんでそんな端に?またこの間みたいに落ちるって」
「あ~……、アレはね、落ちたっていうか、……落ちたんだよなぁ……」
「意外と寝相悪いんだな」
「……もうそれでいいよ」
目を閉じて直立不動で固まるレグルスが、何だか面白くない。
あれだけ熱っぽいことを囁いた癖に。揶揄われたのだろうか。何だそれ、全く面白くない。
アルカはごろっと転がってレグルスの体に寄り添い、その腕を引っ張った。
「アアアア、アルカ君!?」
「もう少しこっち、寄って」
「無理です無理」
「……なんで。……嫌になった?」
早口の即答に、心がささくれ立つ。心の割れたところが軋む。
「~~っ、君はもう、そういうとこだって!」
レグルスは少し乱暴に、アルカを腕の中に引き入れた。抱かれた強さと、響いてくる早い鼓動に安堵して息を吐いた。
その胸元に顔を埋めてすうっと吸い込むと、この1週間ですっかり慣れてしまった、レグルスの匂いが肺を満たす。
腰を抱く手の平の硬さも慣れたし、レグルスの呼吸のリズムも慣れた。
髪に差し込まれた指も、埋められた唇の感触も。紅い髪が頬を撫でる時の擽ったさも。
寝起きの悪さも、低く囁く声も。自分だけを見つめる甘い瞳も。
余裕の無い熱も、求める雄の顔も何もかも。
レグルスを知り過ぎてしまった。
知らなかった時は、どうしていたのだろう。明日からは、別の家に帰ることになる。
元の日常に戻るようで、もう戻れないだろう。
明日から始まるのは、全く新しい日々だ。
知る前には戻れないし、レグルスとの関係は決定的に変わってしまった。
「レグ」
「うん……?」
「送魂祭、誰かと過ごしたの、久し振りだった。魂送り、人と見たのも子供の頃以来。誰かと、じゃなくて、レグルスと一緒にいて……すごく楽しかった」
頬を胸に擦り付けると、レグルスの腕がぎゅっと引き寄せて、隙間が無くなるくらいに密着する。
「俺も毎年、この休暇は仕事して1人で過ごしてた。……だから、俺も初めて」
胸に付けた耳に直に伝わる、レグルスの深い声に酔い痴れる。
「アルカと過ごせて、俺もすごく嬉しかった。依頼受けたり、洞窟行ったり、村の人とも仲良くなれて、すごく楽しかった」
まるで元々1つだったようにくっついているというのに、もっと重なりたくなって、アルカは額をぐりぐりとレグルスの胸元へ擦り付けた。
「……幸せだなぁ。……アルカと居ると、俺、すごく幸せ」
微笑んだような声が囁く。ゆっくりと髪を撫でられると、眠気に抗えなくなってくる。
その腕の中で深く呼吸を合わせれば、世界にレグルスの存在だけしか感じない。
「……俺も。……ここ、すごく安心する……」
どこよりも温かくて、安心する場所を知ってしまった。
後悔に似た恐怖が、微睡みに溶けて消えていった。
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仕事依存だった主人公(20代社畜)は、過労で倒れた拍子に異世界へ転生。目を覚ますと、そこは剣と魔法の世界——。愛読していた小説のラスボス貴族、すなわち原作主人公の宿敵(ライバル)レオナルト公爵に仕える側近の美青年貴族・シリル(20代)になっていた!
原作小説では悪役のレオナルト公爵。でも主人公はレオナルトに感情移入して読んでおり彼が推しだった! なので嬉しい!
だが問題は、そのラスボス貴族・レオナルト公爵(30代)が、物語の中では原作主人公にとっての宿敵ゆえに、原作小説では彼の冷酷な策略によって国家間の戦争へと突き進み、最終的にレオナルトと側近のシリルは処刑される運命だったことだ。
「俺、このままだと死ぬやつじゃん……」
死を回避するために、主人公、すなわち転生先の新しいシリルは、レオナルト公爵の信頼を得て歴史を変えようと決意。しかし、レオナルトは原作とは違い、どこか寂しげで孤独を抱えている様子。さらに、主人公が意外な才覚を発揮するたびに、公爵の態度が甘くなり、なぜか距離が近くなっていく。主人公は気づく。レオナルト公爵が悪に染まる原因は、彼の孤独と裏切られ続けた過去にあるのではないかと。そして彼を救おうと奔走するが、それは同時に、公爵からの執着を招くことになり——!?
原作主人公ラセル王太子も出てきて話は複雑に!
見どころ
・転生
・主従
・推しである原作悪役に溺愛される
・前世の経験と知識を活かす
・政治的な駆け引きとバトル要素(少し)
・ダークヒーロー(攻め)の変化(冷酷な公爵が愛を知り、主人公に執着・溺愛する過程)
・黒猫もふもふ
番外編では。
・もふもふ獣人化
・切ない裏側
・少年時代
などなど
最初は、推しの信頼を得るために、ほのぼの日常スローライフ、かわいい黒猫が出てきます。中盤にバトルがあって、解決、という流れ。後日譚は、ほのぼのに戻るかも。本編は完結しましたが、後日譚や番外編、ifルートなど、続々更新中。