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夏の章 バカンス編
48 夜の中
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月明かりが差し込む窓辺のソファに座って、レグルスは魔石ドライヤーで、アルカの髪を丁寧に乾かしていく。
何が楽しいのか、向かい合ったレグルスは嬉しそうに微笑んでいた。
深夜を過ぎている頃合いだろう。だが、どうしても話しておきたい。
アルカのドライヤーが終わると、レグルスは自分には風と火魔法を組み合わせて掛けて、あっという間に髪を乾かした。
ならこちらもそうしてくれればと思わないでも無かったが、取り敢えず口を開く。
「……レグルス」
「うん?」
「少し話したい」
「うん、じゃあこっち」
手を引かれてあっという間に膝の間に抱えられ、後ろからそっと包まれる。
両手も緩く握られていて、顔は見えないのにレグルスの存在を良く感じる。
背中を預ければ、ふわりと近づいた匂いが同じことに気が付く。
そうか、香水だと思っていたが、レグルスのバスアメニティの匂いだったのだと知る。
すう、と深く息を吸い込む。今は自分も、レグルスと同じ香に包まれている。
「何から、話せばいいかな……」
レグルスの温かな体温に安らぎを覚えて、すっかり身を委ねてしまう。
「眠くなったら、無理しないで寝て」
「ううん、話したい。あの日のこと」
背後のレグルスが微かに頷いた。大きく取られた窓から、夜空を眺める。
「あの日、俺が魔力暴走を起こしかけた時、俺はすごく……取り乱して、かなり抵抗したんじゃない?」
朧気な記憶が戻って来ている。
この部屋に急いで運び込まれて、ベッドに寝かされて。
レグルスは、緊急の魔力調整が必要だったアルカの服に手を掛けた。
かなり曖昧だが、意識が混濁しながらも、かなり泣き叫んで抵抗した気がする。
その合間に必死に何度も宥める、レグルスの優しい声も覚えている。
『大丈夫、俺だよ。君を傷つけたりなんかしない、絶対』
『俺を見て、先輩じゃない。レグルスだよ』
『お願い、俺を受け入れて。このままだと死んじゃうから……!お願いだ、アルカ』
『そんなこと、忘れていい。全部忘れていいんだ』
たくさんの言葉が次々に、記憶の底から浮上してくる。
『大丈夫、君のこと、怖いものから俺が守るから。絶対傷つけさせないから、もう大丈夫だよ。絶対に助けるから、大丈夫』
何度も繰り返される大丈夫と言う言葉が、レグルスの温かな魔力と流れ込んで来る感覚。
本能に溺れてねだり続けて、何度も魔力を交わしたこと。
肉体的に抱かれてはいないが、それ以上の感覚に何度も2人で果てたこと。
切れ切れに断片的だけれど、思い出した。
「……ごめん。俺は君に何があったか、大体はあの時察してしまってた……。それなのに何度も君に、容易く触れた。俺は、すごく図に乗ってて、俺だったら君に赦してもらえるんじゃないかって。……卑怯で図々しい下心を持ってた」
離れかけた指を強く掴む。だが、体を離そうとせずにアルカの背もたれを続けるレグルスは、何処か開き直って居座っている。
「ごめんね、でも俺、君に触れてたい。あんなに苦しむ君を見てるのに、酷いよね」
懺悔というよりは自嘲だった。月明かりが沈黙を照らし出す。
「レーヴァステイン学園に入学して、1年経つか経たない頃だったかな……」
アルカはぽつりぽつりと、過去を話し出した。
アルカは、旧く歴史はあるが、2代前から衰退を辿るメイヤー伯爵家の次男に生まれた。
両親は男性同士の同性婚、5つ離れた兄と8つ離れた妹が居る。
アルカの兄は生まれながらに優秀で、現在は既に若くして伯爵家を継いで、領地経営の立て直しに奔走している。
アルカは、本来は作る予定の無かった子供だそうだ。
だが1度、兄が流行病で命の危機に見舞われた際に、周囲に強く勧められ、後継ぎのスペアを持つことになった。
それがアルカだ。
貴族的な考えから言えば、後継用のスペアを持つことは当然だ。
だが、病から回復して、めきめきと実力を伸ばしていく長子だけが優遇され、予備だった筈のアルカは見向きもされなかった。
常に後回し、どちらかと言えば持て余し気味だった。
アルカも使用人の口さがない噂を聞いて育つ内に、そんなもんかと思って過ごしていたが、転機は妹が産まれた時に訪れた。
培養器から取り出された妹は、それまでのメイヤー家を一変させる程愛らしかった。
両親はもちろん兄までも、愛らしいくりくりした瞳で笑う赤子をそれは溺愛した。
妹の産まれた理由は、政略結婚の駒である。
衰退の一途を辿るメイヤー家と、有力貴族を繋ぐためだけの駒。それだけの筈だった。
後継の予備品の自分と、政略結婚の駒の妹。何の違いがあったのだろう。
だがこの世には絶対的に及ばぬものがあること、無償の愛は必ずしも、生まれながらに持つものではないことだけは、アルカは齢8歳で理解していた。
食事が与えられない、などということは無い。
最低限ながら、身の回りもきちんと使用人が調えてくれた。飢えることなく、必要なものだけは与えられた。
ただ親の愛情のリソースだけが割かれず、誰にも構われず、持て余されて生きてきただけである。
そんな背景があって、アルカは平民に混ざって駆け回り、魔法や魔術は市井の魔術師に教えてもらった。
幸いながらアルカにも、魔術素養は充分にあった。
街の治療院で師事していた治療士が、国中から才能ある者が集う王立レーヴァステイン学園への入学を強く勧めてくれた。
その頃にはアルカにはもう、心理的な親への依頼心は消え去り、否応無く高められた独立心で入学金・授業料免除の特待生の座を勝ち取り、学園に入学したのだ。
唯一、実費負担の寮費だけは、親から借金という形で肩代わりしてもらい、途中からは冒険者登録をして自分で稼いできた。
そうやって死に物狂いで、学園初等部へ入学を果たしたアルカは、毎日が新鮮で楽しくて、気の合う寮の隣室の友人も出来て充実していた。
その内に合同委員会でいつも優しくしてくれる、中等部の先輩の男に淡い想いを抱くようになった。
子供らしい憧れだろう、兄と同じ5歳上の上級生は酷く大人に見えた。
優しく勉強を教えてもらう内、委員会の終わりに親しく話す内に、いつも満たされず空っぽだった部分が擽られていった。
冬になる頃にはすっかりと彼に懐いて、絶大な信頼を置くようになっていた。
だから、まんまと騙された。
試験休暇の誰もいない夕方の学園に、2人きりで勉強しようと呼び出されたのも、何故かとも思わずに、のこのこと出向いてしまった。
呼び出されたのは校舎裏手の倶楽部ハウスで、浮かれながら扉を開けると、そこに上級生と知らない男がもう1人。
薄暗い室内と男たちのギラついた目付きに、異様なものを感じた。
そこに至って漸く、本能的な危険を感じてアルカは逃げ出した。
しかし、後ろから男たちは執拗に追ってくる。必死で手足を動かして、喉が切れるくらいに走った。
だが、所詮は子供の足。息が止まりかけた時、入学前から魔術師らしくと伸ばして、後ろに結んでいた髪を掴まれ引きずり倒された。
あの痛みは、生涯忘れないだろう。
結局アルカは寮への道すがらに、敢え無く2人に捕らえられた。
それからのことも忘れられない。
逃げ出したアルカに酷く興奮した2人は、手始めにアルカの足首を折って逃げられなくした。
絶叫して抵抗する度にあちこちを殴られ蹴られ、漸く大人しくなったところから、本当の地獄だった。
抑え込まれ、口に汚い物を突っ込まれ、身体を弄られ、未発達な穴を無理やり裂かれた。
何の準備もされていなかったため、半分も収まらなかったが、確かに中を犯されたのだ。
あの屈辱を、煮え滾った憎悪を。血が逆流する程の殺意を。
生涯忘れることは、無いだろう。
それらは今も身の内にあり、アルカの奥底を焼き続けている。
この身を滅ぼすまで、尽きない業火だ。
腹の中に侵入されてすぐ、倶楽部ハウスの扉を蹴破ったのは、寮の隣室の友人だったジークだ。
ジークはあっという間に上級生を打ちのめし、アルカを救い出した。
それが余計に惨めだった。本当に、惨めだった。
一番見られたくない姿を友人に見られ、剰え自分で対処も出来ず、木偶のように助けられ震えるばかり。
同い年の友人は易易と、自分の殺したい相手を打ち倒せたのに、自分は無様に凌辱されただけ。
そのジークが、未遂だ何も無かったと慰めるのすら、心底惨めだった。
結局、上級生2人組は、常習的に新入生を同じ方法で騙して暴行していたことが判明し、事態の重さを鑑みた学園から退学処分となった。
アルカを騙した上級生は侯爵令息で、身分が下の貴族ばかりを狙っていたため、これまでは誰も声を上げられなかったが、ジークがそれを有耶無耶にしなかった。
被害者の名誉を守るため、彼らは秘密裏に処分され、被害者たちには慰謝料が幾ばくか渡されて終わり。
やり返すどころか1発殴る暇も無いまま、アルカが療養していた1週間の間に全てが終わっていた。
体の傷は治療士に直ぐに治してもらったが、精神のダメージは計り知れなく、高熱が続き恐慌状態は暫く続いた。
フラッシュバックも、悪夢による不眠も発作も経験した。
それでも時は流れ、学友たちと日々を過ごす内に、じくじくと膿み続ける傷を抱えたまま、仮面を被れるようになったのはいつからだろうか。
アルカが自らの命を簡単に賭けるようになったのも、その頃からだ。
ぶつける先を失った分、己に向いた怒りによる自傷行為に違いない。
「だから、俺、今も人に触られるの、怖い時がある」
アルカは力なく笑った。
ジークとの媚薬の1件で、性行為自体に対しては、ある程度吹っ切れたところはある。レグルスとだって触れ合えた。
「肝心な時に、……思い出しちゃうんだ」
抱きたいとか抱かれたいとか、そういうことの前に、無理に裂かれた感覚や口の中の生臭さ、痛みや恐怖が、どうしようも無いところから湧き上がって抗えない。
「レグルスが怖いとか、嫌じゃないんだ。むしろ、レグルスには触りたいし触られたい。だけど、俺が役立たずで、そう反応しちゃうだけ」
冷や汗が流れて、指先が冷たい。レグルスの声を聞くのが怖かった。
「ごめん、こんな俺で。あの時も助けてくれようとしたのに。……こんな、情けなくて惨めで、普通のことが出来ない俺で、ごめん。信じることも分かんなくなっちゃって、傷つけてばっかで、愛とか恋とかも分からないし、セックスだって上手くできないかも知れない。普通のこと、何にもできないんだよ。俺には価値なんて何もなくて……!」
愛も恋も知らない。人のことも信用出来ない。誰かと繋がることも出来ない。
「だけど俺は、レグルスと一緒にいたい……、1番傍にいたい……!」
「アルカがいい。他の誰でもなく、君がいいんだ」
ぎゅっと冷たくなった指先ごと、力強く抱きすくめられた。
「俺もアルカの傍にいたい。他は要らない。君だけが、俺の唯一のひと」
回された腕にしがみつく。ずっと聞きたかった言葉が、他でもないレグルスから与えられた。
「ねぇ、アルカ。俺たちは多分よく似ている。きっと。俺も愛も恋も知らなくて、魔力調整だってちゃんと出来たのは、君が初めて。俺も分からないことばっかで、普通のことなんか出来ないよ」
お風呂爆発させるところだったし、と付け加えてレグルスは笑った。
「これまでも俺が出来ないことは君が、君が出来ないことは俺がってやってきたじゃない。俺も、……俺なんかでも赦されるなら、君と一緒にいて、2人で色んなこと知りたい。色んなものを一緒に見て、困った時は君の1番の味方になりたい。アルカと同じものを一緒に背負いたい」
「レグルス……!」
真摯な声が、心の中の業火に降り注いでいく。
内側を満たして溢れた雫が1つ、2つとソファに染みを作った。
何が楽しいのか、向かい合ったレグルスは嬉しそうに微笑んでいた。
深夜を過ぎている頃合いだろう。だが、どうしても話しておきたい。
アルカのドライヤーが終わると、レグルスは自分には風と火魔法を組み合わせて掛けて、あっという間に髪を乾かした。
ならこちらもそうしてくれればと思わないでも無かったが、取り敢えず口を開く。
「……レグルス」
「うん?」
「少し話したい」
「うん、じゃあこっち」
手を引かれてあっという間に膝の間に抱えられ、後ろからそっと包まれる。
両手も緩く握られていて、顔は見えないのにレグルスの存在を良く感じる。
背中を預ければ、ふわりと近づいた匂いが同じことに気が付く。
そうか、香水だと思っていたが、レグルスのバスアメニティの匂いだったのだと知る。
すう、と深く息を吸い込む。今は自分も、レグルスと同じ香に包まれている。
「何から、話せばいいかな……」
レグルスの温かな体温に安らぎを覚えて、すっかり身を委ねてしまう。
「眠くなったら、無理しないで寝て」
「ううん、話したい。あの日のこと」
背後のレグルスが微かに頷いた。大きく取られた窓から、夜空を眺める。
「あの日、俺が魔力暴走を起こしかけた時、俺はすごく……取り乱して、かなり抵抗したんじゃない?」
朧気な記憶が戻って来ている。
この部屋に急いで運び込まれて、ベッドに寝かされて。
レグルスは、緊急の魔力調整が必要だったアルカの服に手を掛けた。
かなり曖昧だが、意識が混濁しながらも、かなり泣き叫んで抵抗した気がする。
その合間に必死に何度も宥める、レグルスの優しい声も覚えている。
『大丈夫、俺だよ。君を傷つけたりなんかしない、絶対』
『俺を見て、先輩じゃない。レグルスだよ』
『お願い、俺を受け入れて。このままだと死んじゃうから……!お願いだ、アルカ』
『そんなこと、忘れていい。全部忘れていいんだ』
たくさんの言葉が次々に、記憶の底から浮上してくる。
『大丈夫、君のこと、怖いものから俺が守るから。絶対傷つけさせないから、もう大丈夫だよ。絶対に助けるから、大丈夫』
何度も繰り返される大丈夫と言う言葉が、レグルスの温かな魔力と流れ込んで来る感覚。
本能に溺れてねだり続けて、何度も魔力を交わしたこと。
肉体的に抱かれてはいないが、それ以上の感覚に何度も2人で果てたこと。
切れ切れに断片的だけれど、思い出した。
「……ごめん。俺は君に何があったか、大体はあの時察してしまってた……。それなのに何度も君に、容易く触れた。俺は、すごく図に乗ってて、俺だったら君に赦してもらえるんじゃないかって。……卑怯で図々しい下心を持ってた」
離れかけた指を強く掴む。だが、体を離そうとせずにアルカの背もたれを続けるレグルスは、何処か開き直って居座っている。
「ごめんね、でも俺、君に触れてたい。あんなに苦しむ君を見てるのに、酷いよね」
懺悔というよりは自嘲だった。月明かりが沈黙を照らし出す。
「レーヴァステイン学園に入学して、1年経つか経たない頃だったかな……」
アルカはぽつりぽつりと、過去を話し出した。
アルカは、旧く歴史はあるが、2代前から衰退を辿るメイヤー伯爵家の次男に生まれた。
両親は男性同士の同性婚、5つ離れた兄と8つ離れた妹が居る。
アルカの兄は生まれながらに優秀で、現在は既に若くして伯爵家を継いで、領地経営の立て直しに奔走している。
アルカは、本来は作る予定の無かった子供だそうだ。
だが1度、兄が流行病で命の危機に見舞われた際に、周囲に強く勧められ、後継ぎのスペアを持つことになった。
それがアルカだ。
貴族的な考えから言えば、後継用のスペアを持つことは当然だ。
だが、病から回復して、めきめきと実力を伸ばしていく長子だけが優遇され、予備だった筈のアルカは見向きもされなかった。
常に後回し、どちらかと言えば持て余し気味だった。
アルカも使用人の口さがない噂を聞いて育つ内に、そんなもんかと思って過ごしていたが、転機は妹が産まれた時に訪れた。
培養器から取り出された妹は、それまでのメイヤー家を一変させる程愛らしかった。
両親はもちろん兄までも、愛らしいくりくりした瞳で笑う赤子をそれは溺愛した。
妹の産まれた理由は、政略結婚の駒である。
衰退の一途を辿るメイヤー家と、有力貴族を繋ぐためだけの駒。それだけの筈だった。
後継の予備品の自分と、政略結婚の駒の妹。何の違いがあったのだろう。
だがこの世には絶対的に及ばぬものがあること、無償の愛は必ずしも、生まれながらに持つものではないことだけは、アルカは齢8歳で理解していた。
食事が与えられない、などということは無い。
最低限ながら、身の回りもきちんと使用人が調えてくれた。飢えることなく、必要なものだけは与えられた。
ただ親の愛情のリソースだけが割かれず、誰にも構われず、持て余されて生きてきただけである。
そんな背景があって、アルカは平民に混ざって駆け回り、魔法や魔術は市井の魔術師に教えてもらった。
幸いながらアルカにも、魔術素養は充分にあった。
街の治療院で師事していた治療士が、国中から才能ある者が集う王立レーヴァステイン学園への入学を強く勧めてくれた。
その頃にはアルカにはもう、心理的な親への依頼心は消え去り、否応無く高められた独立心で入学金・授業料免除の特待生の座を勝ち取り、学園に入学したのだ。
唯一、実費負担の寮費だけは、親から借金という形で肩代わりしてもらい、途中からは冒険者登録をして自分で稼いできた。
そうやって死に物狂いで、学園初等部へ入学を果たしたアルカは、毎日が新鮮で楽しくて、気の合う寮の隣室の友人も出来て充実していた。
その内に合同委員会でいつも優しくしてくれる、中等部の先輩の男に淡い想いを抱くようになった。
子供らしい憧れだろう、兄と同じ5歳上の上級生は酷く大人に見えた。
優しく勉強を教えてもらう内、委員会の終わりに親しく話す内に、いつも満たされず空っぽだった部分が擽られていった。
冬になる頃にはすっかりと彼に懐いて、絶大な信頼を置くようになっていた。
だから、まんまと騙された。
試験休暇の誰もいない夕方の学園に、2人きりで勉強しようと呼び出されたのも、何故かとも思わずに、のこのこと出向いてしまった。
呼び出されたのは校舎裏手の倶楽部ハウスで、浮かれながら扉を開けると、そこに上級生と知らない男がもう1人。
薄暗い室内と男たちのギラついた目付きに、異様なものを感じた。
そこに至って漸く、本能的な危険を感じてアルカは逃げ出した。
しかし、後ろから男たちは執拗に追ってくる。必死で手足を動かして、喉が切れるくらいに走った。
だが、所詮は子供の足。息が止まりかけた時、入学前から魔術師らしくと伸ばして、後ろに結んでいた髪を掴まれ引きずり倒された。
あの痛みは、生涯忘れないだろう。
結局アルカは寮への道すがらに、敢え無く2人に捕らえられた。
それからのことも忘れられない。
逃げ出したアルカに酷く興奮した2人は、手始めにアルカの足首を折って逃げられなくした。
絶叫して抵抗する度にあちこちを殴られ蹴られ、漸く大人しくなったところから、本当の地獄だった。
抑え込まれ、口に汚い物を突っ込まれ、身体を弄られ、未発達な穴を無理やり裂かれた。
何の準備もされていなかったため、半分も収まらなかったが、確かに中を犯されたのだ。
あの屈辱を、煮え滾った憎悪を。血が逆流する程の殺意を。
生涯忘れることは、無いだろう。
それらは今も身の内にあり、アルカの奥底を焼き続けている。
この身を滅ぼすまで、尽きない業火だ。
腹の中に侵入されてすぐ、倶楽部ハウスの扉を蹴破ったのは、寮の隣室の友人だったジークだ。
ジークはあっという間に上級生を打ちのめし、アルカを救い出した。
それが余計に惨めだった。本当に、惨めだった。
一番見られたくない姿を友人に見られ、剰え自分で対処も出来ず、木偶のように助けられ震えるばかり。
同い年の友人は易易と、自分の殺したい相手を打ち倒せたのに、自分は無様に凌辱されただけ。
そのジークが、未遂だ何も無かったと慰めるのすら、心底惨めだった。
結局、上級生2人組は、常習的に新入生を同じ方法で騙して暴行していたことが判明し、事態の重さを鑑みた学園から退学処分となった。
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被害者の名誉を守るため、彼らは秘密裏に処分され、被害者たちには慰謝料が幾ばくか渡されて終わり。
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「ごめん、こんな俺で。あの時も助けてくれようとしたのに。……こんな、情けなくて惨めで、普通のことが出来ない俺で、ごめん。信じることも分かんなくなっちゃって、傷つけてばっかで、愛とか恋とかも分からないし、セックスだって上手くできないかも知れない。普通のこと、何にもできないんだよ。俺には価値なんて何もなくて……!」
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「だけど俺は、レグルスと一緒にいたい……、1番傍にいたい……!」
「アルカがいい。他の誰でもなく、君がいいんだ」
ぎゅっと冷たくなった指先ごと、力強く抱きすくめられた。
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無自覚な追放貴族と、彼に胃袋と心を掴まれた最強の元英雄。二人の甘くて美味しい辺境開拓スローライフが、今、始まる。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
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