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秋の章 人工魔石事件編
幕間 ジークとイド
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「ィイヤッホーーー」
びょんと空を切って、イドが飛んで行った。
10メートル以上の木に絡んでいるツル魔物に、自ら掛かって遊んでいる。
お気に入りの遊びらしく、さっきから何度も繰り返しては、ツル魔物が途切れるまでブランコの要領で飛び移って進んでいる。
本人が楽しそうなのは何よりだが、湿地の苔生して泥濘んだ道無き道を進むジークは苛々が止まらない。
テスタ・ルルーカ湿原は、あちこちに水が溢れ泥濘に覆われている。
通常の湿地帯より数倍背の高い木が密集して、植物魔物が多数集っている。
どちらかと言うと大密林に近い様相だが、地面が水に浸されている分、こっちの方が不快だし厄介だ。
そんな中で2人は、もう2日も手掛かりを求め彷徨っている。
きゃっきゃっと響いた笑い声に、とうとうブチ切れたジークは、尖った枝を拾い上げて全力で上空へぶん投げた。
「わー」
剛速で飛ばした枝は、イドのぶら下がったツルを狙い通り撃ち抜き、イドがくるくると落ちて来る。
音も無く岩の上に着地した姿を見て、ジークがまた苛々を募らせた。
「いい加減、ふざけるのはやめろ、クソガキ」
「あ?クソじじいこそ、何しやがる」
バチバチと睨み合って、ジークはまた歩みを再開した。
イドは濡れたくないのか、器用に色々な足場を見つけては飛び移って行く。
「オッサンも濡れたくなきゃ、飛んでけばいいじゃん」
「うるせー、大体俺はまだ20代半ばだ!お前とそう変わらねーだろうが!」
どうにも生意気で、ペースの乱される男である。
とんでもない獣を押し付けられたと、ジークは恨めしく親友の顔を思い出した。
「えー?歳なんか知らね―よ、俺。アハトの推測だと、まだ成人してないみたいだけどな」
「あ?……ウルクより下だと……?」
ジークは絶句した。タッパも自分とそう変わらない上、態度もふてぶてしく、若くてもせいぜいウルクくらいかと思っていたのだ。
言われてみれば、痩せ型に見える体も成長途中と言われた方がしっくりくる。
「いや、マジのお守りかよ……」
「こっちは介護なんだがぁ?」
こいつ本当に1回ぶちのめしてやろうかと睨むと、イドはべーっと舌を出した。
言い返す前に、後ろに結んだ銀色の髪を流星のように靡かせて、岩から岩へ飛び移っていく。
「はーっ、俺もアルカとコンビが良かったな~」
「なんだってそんなに、アルカに執着すんだよ、お前」
開けた場所に出ると、イドは諦めて地面へ下り立った。
「だってぇー、いい顔するじゃん、アルカって」
挑発するように笑ったイドに、ジークは眉間の皺を深くした。
「……お前が、あいつの何を知ってるってんだ」
「バブ・イルムで、いいもん見せてもらった」
その含みのある物言いが、神経を逆撫でする。
あの日のことはアルカは決して話さないが、反応からするに何が起きたかは察している。
学生時代に何度も見た、フラッシュバックと同じだったから。
知っているからこそ、軽々には踏み込めなかった。
だから、それにイドが関わってるのだとすれば到底許せない。
「わはーっ、こわ!殺気ビンビンじゃん!」
心底愉しそうに笑いながら、イドは身を寄せて来て、顔を覗き込んでくる。
「あんたこそ、なんだってそんなにアルカに執着してんの?」
ジークのこめかみがひくついた。だが未成年と聞いた今、まともにやり合う気は失せている。
「ガキが混ぜっ返してんじゃねーよ。黙って探索に集中しろ」
「あた!」
拳骨を落とすと、イドは唇を尖らせた。
こうすると随分子供っぽい。確かに、妹と同じくらいに見えなくもない。
「はぁ、余裕の無いオッサンだな。そんなんだから、モテねぇんだよ?」
前言撤回。妹はこんなにスレてない。
挑発ばかり繰り返すイドを放って、ジークはさっさと先に進んだ。
「なー、ジーク」
「お前に呼び捨てを許した覚えは無いが?」
「はいはい、じゃあオッサン」
「お前、本当躾け直すぞ」
「めんどくせー奴だな。なあ、あんた」
ピタっと止まったイドが、通り過ぎようとしたジークの腕を掴んで引っ張った。
「こっち」
「何かあるのか?」
「すげー臭いね」
湿原の端の森を指差して、イドが顔を顰めた。
ばさばさと草を掻き分けて進むと、森がダンジョンを形成していた。事前に入れてきた情報では、この辺りに迷宮は無かった筈だ。
「野良ダンジョンかもな」
「すげー魔素、ぶんぶん」
広い迷宮フィールドには良くあるが、人が入らない場所には未発見の迷宮もあり、通称野良ダンジョンと呼ばれている。
ここは湿原の踏破ルートからも外れてはいるが、後で報告して未発見なら、調査を派遣しなければいけない。
ルルーカ湿原付近の村での聞き込みは芳しく無く、ジークたちはひたすら、湿原内で手掛かり探していた。
湿原近くの小屋にいた猟師が、唯一目撃情報を持っていたが、それも湿原に怪しい集団が居たという茫洋としたものだった。
ここに来て漸くの取っ掛かりが見つかって、ジークは顔を明るくした。
「よし、良く見つけたな、イド」
ポンと頭に手を載せてから、ハッとした。つい妹と同じ年頃という認識が染み付き過ぎた。
「……おう」
何だか変な表情をしてから、イドはベロベロバーをした。
もう1回拳骨を落としてから、ダンジョンへと足を踏み入れた。
鬱蒼とした森の中、襲ってくる植物や虫魔物を斬り伏せながら進んでいく。
「あっ、この薬草、高く売れるやつだ!」
「馬鹿!余所見すんな!」
薬草を見つけてしゃがんだイドの背中に、蜂の魔物が襲いかかる。
しかしイドは一瞬姿を消し、片手に薬草を持ったまま蜂の背後に現れ、小太刀で簡単に斬り伏せた。
マイペースが過ぎる。気に掛けたのがアホらしい。ジークは襲って来たマンティコアを斬り倒した。
イドはどういう理屈かは説明しないが、場の違和感を見つけるのが上手い。
異常に勘が良いと言えば良いのか、伊達にサマル王太子に雇われていた訳ではないらしい。
戦闘能力も調査能力も、暗殺稼業だけに使うのが惜しいくらいだ。
イドに導かれて1番魔素濃度の高い場所に辿り着き、ジークは素直にそう思った。
森林ダンジョンの最奥にあるその場所に、大きな倉庫が建っていた。周りを見ると、規則的に配管用の排気口が設えられている。
「おい、ジーク。多分ヤバいの引いた」
「……分かった。ちょっと待て」
神経を集中させて気配を探る。中に人の気配は無い。
「後ろを頼む」
ジークは堂々と正面の入り口の鍵を壊して侵入した。中は既に廃棄されているのか、何も音はしない。
だが、微かに奥から臭いがする。
「死臭だ。腐ってやがる」
イドが首部分に下ろしていた黒い口布を引っ張り上げて、鼻先まで覆った。
「確かめない訳には、いかないだろうな」
惨状を思い浮かべて、奥に進む。
最初の区画は何かのガラスのポッドが整然と並び、あちこちから配管が通っている。外観は倉庫に見えたが、中は何かの工房だ。
こびりついた臭いは、ここからではない。
更に奥へ進むと部屋があった。臭いはそこからだった。幸い小窓が付いていたため、そこから中を覗き見る。
中にはケースで覆われた大きな台が1つ、後は床の排水溝と台の下の鉄格子だけだった。
何かが行われていたことだけは、分かる。
もう少し詳しい情報をと、部屋の扉に手を掛けたところで、後から肩を掴まれる。
「やめとけ。下で腐ってる。相当数だから、近づくのは良くない」
「そうは言っても、誰かが確認しないことには始まらんだろ」
「あんたじゃ無くてもいいだろ」
「他に誰もいないだろうが」
首を傾げると、イドは大きく溜息を吐いた。
「下にあるのは肉片だよ。どうしても確かめたいなら、もう止めねーよ」
さらりと告げたイドは後ろへ下がって、後は口を噤んだ。
肉片だと理由も言わず告げられても、情報室員としては、はいそうですかと報告する訳にはいかない。
ジークは1つ呼吸をしてから、扉を開けた。
耐え難い臭いがする。聞くまでも無く、それが何かはジークも知っている。
素早く台に近付き、鉄格子の下を覗き込んだ。
中を確かめたジークは直ぐに部屋を出た。イドが菫色の瞳を思いっ切り眇める。
「物好きだな、アンタ」
「根拠が無い報告は出来ないんだよ、情報室員ってのは。信用っていうのは、そういう風に積み重ねてく」
「……ふーん」
ジークは収納袋から伝令陣を取り出した。
「取り敢えず、局長に報告だな。どの道、俺らじゃこれは調べられない」
「まあ、ここ間違いないぜ」
イドが辺りを見渡す。何故そうも確信に満ちているのか。
「影に残ってんだ。強い感情って」
疑問の眼差しを受けて、イドは肩を竦めた。どうせ信じないだろうと言う目付きが気に喰わない。
「俺は影使いじゃないから知らないが、お前の勘の良さの理由がそうなら納得はする。だが、情報室員に求められるのはいつも、全員を納得させて黙らせる証拠だ」
「……情報室員ってのは、メンドーなんだな。めんどくせーあんたにぴったりじゃん」
イドはまた変な目付きをしてから、捨て台詞を吐いた。
「このクソガキ、本当に可愛くねえ」
大人気なく応酬してから、伝令陣で情報を伝える。
レグルスたちは当たりを引いた様子だ。こちらにも調査を手配するとの返信があった。
「調査隊が派遣されるって話だから、湿原入り口まで戻って待機するぞ」
「え~、また行ったり来たりすんのぉ?」
「じゃあお前、ここに1人で居るか?」
「それはつまんねーから、ヤダ」
うだうだしているイドを置いて、さっさと引き返す。
「またツルで遊べるだろ」
「あっ、そーか」
イドは何事も無かったかのように、ジークの後について来た。
工場を出て直ぐ傍の沼の畔を歩いて戻る。
イドではないが、また湿地を往復するのはジークとてうんざりだ。
それにあの惨状、一体何があったのか。目にした光景に流石に気が滅入る。
「なー、ジーク」
「だから、お前に呼び捨て」
言い終わらない内に、後から羽交い締めにされる。
そのままイド諸共、大きな音と飛沫を上げて沼に落ちた。憩っていた鳥たちが一斉に飛び立つ。
「おま、お前!何すんだ!」
ぶはっと2人で水面から顔を出す。
頭に藻を載せたイドが、ゲラゲラ笑い出した。水に濡れた美しい銀髪も垂れ下がる藻で台無しだ。
「だって、死臭くせーんだもん!つか、アンタ頭に藻載っててやべー」
「オメーもだろうが!」
ツボに入ったのか、ヒィヒィ笑うイドと岸に上がる。
「あー、笑った。濡れて気持ちわり」
イドはポイッと腰紐を解き、貫頭衣の上衣を脱ぎ捨てた。
口まで覆えるハイネックの黒衣は、袖が無く体に沿った鳩尾までの短いもので、予想外に肩と腹が丸出しでぎょっとする。
引き締まった腹筋と、濡れて艶めく褐色の肌が晒される。
脚半と小手も投げ出して、半裸でズボンを絞るあけすけな姿から気まずく目を逸らす。
何とも調子の狂う男だ。ジークも上衣を脱いで絞る。
「……待て、浄化魔法使えば良かったんじゃないか?」
振り向くと、イドはきょとんとしてからニカッと笑った。
「確かに!」
本当に調子の狂うクソガキである。
びょんと空を切って、イドが飛んで行った。
10メートル以上の木に絡んでいるツル魔物に、自ら掛かって遊んでいる。
お気に入りの遊びらしく、さっきから何度も繰り返しては、ツル魔物が途切れるまでブランコの要領で飛び移って進んでいる。
本人が楽しそうなのは何よりだが、湿地の苔生して泥濘んだ道無き道を進むジークは苛々が止まらない。
テスタ・ルルーカ湿原は、あちこちに水が溢れ泥濘に覆われている。
通常の湿地帯より数倍背の高い木が密集して、植物魔物が多数集っている。
どちらかと言うと大密林に近い様相だが、地面が水に浸されている分、こっちの方が不快だし厄介だ。
そんな中で2人は、もう2日も手掛かりを求め彷徨っている。
きゃっきゃっと響いた笑い声に、とうとうブチ切れたジークは、尖った枝を拾い上げて全力で上空へぶん投げた。
「わー」
剛速で飛ばした枝は、イドのぶら下がったツルを狙い通り撃ち抜き、イドがくるくると落ちて来る。
音も無く岩の上に着地した姿を見て、ジークがまた苛々を募らせた。
「いい加減、ふざけるのはやめろ、クソガキ」
「あ?クソじじいこそ、何しやがる」
バチバチと睨み合って、ジークはまた歩みを再開した。
イドは濡れたくないのか、器用に色々な足場を見つけては飛び移って行く。
「オッサンも濡れたくなきゃ、飛んでけばいいじゃん」
「うるせー、大体俺はまだ20代半ばだ!お前とそう変わらねーだろうが!」
どうにも生意気で、ペースの乱される男である。
とんでもない獣を押し付けられたと、ジークは恨めしく親友の顔を思い出した。
「えー?歳なんか知らね―よ、俺。アハトの推測だと、まだ成人してないみたいだけどな」
「あ?……ウルクより下だと……?」
ジークは絶句した。タッパも自分とそう変わらない上、態度もふてぶてしく、若くてもせいぜいウルクくらいかと思っていたのだ。
言われてみれば、痩せ型に見える体も成長途中と言われた方がしっくりくる。
「いや、マジのお守りかよ……」
「こっちは介護なんだがぁ?」
こいつ本当に1回ぶちのめしてやろうかと睨むと、イドはべーっと舌を出した。
言い返す前に、後ろに結んだ銀色の髪を流星のように靡かせて、岩から岩へ飛び移っていく。
「はーっ、俺もアルカとコンビが良かったな~」
「なんだってそんなに、アルカに執着すんだよ、お前」
開けた場所に出ると、イドは諦めて地面へ下り立った。
「だってぇー、いい顔するじゃん、アルカって」
挑発するように笑ったイドに、ジークは眉間の皺を深くした。
「……お前が、あいつの何を知ってるってんだ」
「バブ・イルムで、いいもん見せてもらった」
その含みのある物言いが、神経を逆撫でする。
あの日のことはアルカは決して話さないが、反応からするに何が起きたかは察している。
学生時代に何度も見た、フラッシュバックと同じだったから。
知っているからこそ、軽々には踏み込めなかった。
だから、それにイドが関わってるのだとすれば到底許せない。
「わはーっ、こわ!殺気ビンビンじゃん!」
心底愉しそうに笑いながら、イドは身を寄せて来て、顔を覗き込んでくる。
「あんたこそ、なんだってそんなにアルカに執着してんの?」
ジークのこめかみがひくついた。だが未成年と聞いた今、まともにやり合う気は失せている。
「ガキが混ぜっ返してんじゃねーよ。黙って探索に集中しろ」
「あた!」
拳骨を落とすと、イドは唇を尖らせた。
こうすると随分子供っぽい。確かに、妹と同じくらいに見えなくもない。
「はぁ、余裕の無いオッサンだな。そんなんだから、モテねぇんだよ?」
前言撤回。妹はこんなにスレてない。
挑発ばかり繰り返すイドを放って、ジークはさっさと先に進んだ。
「なー、ジーク」
「お前に呼び捨てを許した覚えは無いが?」
「はいはい、じゃあオッサン」
「お前、本当躾け直すぞ」
「めんどくせー奴だな。なあ、あんた」
ピタっと止まったイドが、通り過ぎようとしたジークの腕を掴んで引っ張った。
「こっち」
「何かあるのか?」
「すげー臭いね」
湿原の端の森を指差して、イドが顔を顰めた。
ばさばさと草を掻き分けて進むと、森がダンジョンを形成していた。事前に入れてきた情報では、この辺りに迷宮は無かった筈だ。
「野良ダンジョンかもな」
「すげー魔素、ぶんぶん」
広い迷宮フィールドには良くあるが、人が入らない場所には未発見の迷宮もあり、通称野良ダンジョンと呼ばれている。
ここは湿原の踏破ルートからも外れてはいるが、後で報告して未発見なら、調査を派遣しなければいけない。
ルルーカ湿原付近の村での聞き込みは芳しく無く、ジークたちはひたすら、湿原内で手掛かり探していた。
湿原近くの小屋にいた猟師が、唯一目撃情報を持っていたが、それも湿原に怪しい集団が居たという茫洋としたものだった。
ここに来て漸くの取っ掛かりが見つかって、ジークは顔を明るくした。
「よし、良く見つけたな、イド」
ポンと頭に手を載せてから、ハッとした。つい妹と同じ年頃という認識が染み付き過ぎた。
「……おう」
何だか変な表情をしてから、イドはベロベロバーをした。
もう1回拳骨を落としてから、ダンジョンへと足を踏み入れた。
鬱蒼とした森の中、襲ってくる植物や虫魔物を斬り伏せながら進んでいく。
「あっ、この薬草、高く売れるやつだ!」
「馬鹿!余所見すんな!」
薬草を見つけてしゃがんだイドの背中に、蜂の魔物が襲いかかる。
しかしイドは一瞬姿を消し、片手に薬草を持ったまま蜂の背後に現れ、小太刀で簡単に斬り伏せた。
マイペースが過ぎる。気に掛けたのがアホらしい。ジークは襲って来たマンティコアを斬り倒した。
イドはどういう理屈かは説明しないが、場の違和感を見つけるのが上手い。
異常に勘が良いと言えば良いのか、伊達にサマル王太子に雇われていた訳ではないらしい。
戦闘能力も調査能力も、暗殺稼業だけに使うのが惜しいくらいだ。
イドに導かれて1番魔素濃度の高い場所に辿り着き、ジークは素直にそう思った。
森林ダンジョンの最奥にあるその場所に、大きな倉庫が建っていた。周りを見ると、規則的に配管用の排気口が設えられている。
「おい、ジーク。多分ヤバいの引いた」
「……分かった。ちょっと待て」
神経を集中させて気配を探る。中に人の気配は無い。
「後ろを頼む」
ジークは堂々と正面の入り口の鍵を壊して侵入した。中は既に廃棄されているのか、何も音はしない。
だが、微かに奥から臭いがする。
「死臭だ。腐ってやがる」
イドが首部分に下ろしていた黒い口布を引っ張り上げて、鼻先まで覆った。
「確かめない訳には、いかないだろうな」
惨状を思い浮かべて、奥に進む。
最初の区画は何かのガラスのポッドが整然と並び、あちこちから配管が通っている。外観は倉庫に見えたが、中は何かの工房だ。
こびりついた臭いは、ここからではない。
更に奥へ進むと部屋があった。臭いはそこからだった。幸い小窓が付いていたため、そこから中を覗き見る。
中にはケースで覆われた大きな台が1つ、後は床の排水溝と台の下の鉄格子だけだった。
何かが行われていたことだけは、分かる。
もう少し詳しい情報をと、部屋の扉に手を掛けたところで、後から肩を掴まれる。
「やめとけ。下で腐ってる。相当数だから、近づくのは良くない」
「そうは言っても、誰かが確認しないことには始まらんだろ」
「あんたじゃ無くてもいいだろ」
「他に誰もいないだろうが」
首を傾げると、イドは大きく溜息を吐いた。
「下にあるのは肉片だよ。どうしても確かめたいなら、もう止めねーよ」
さらりと告げたイドは後ろへ下がって、後は口を噤んだ。
肉片だと理由も言わず告げられても、情報室員としては、はいそうですかと報告する訳にはいかない。
ジークは1つ呼吸をしてから、扉を開けた。
耐え難い臭いがする。聞くまでも無く、それが何かはジークも知っている。
素早く台に近付き、鉄格子の下を覗き込んだ。
中を確かめたジークは直ぐに部屋を出た。イドが菫色の瞳を思いっ切り眇める。
「物好きだな、アンタ」
「根拠が無い報告は出来ないんだよ、情報室員ってのは。信用っていうのは、そういう風に積み重ねてく」
「……ふーん」
ジークは収納袋から伝令陣を取り出した。
「取り敢えず、局長に報告だな。どの道、俺らじゃこれは調べられない」
「まあ、ここ間違いないぜ」
イドが辺りを見渡す。何故そうも確信に満ちているのか。
「影に残ってんだ。強い感情って」
疑問の眼差しを受けて、イドは肩を竦めた。どうせ信じないだろうと言う目付きが気に喰わない。
「俺は影使いじゃないから知らないが、お前の勘の良さの理由がそうなら納得はする。だが、情報室員に求められるのはいつも、全員を納得させて黙らせる証拠だ」
「……情報室員ってのは、メンドーなんだな。めんどくせーあんたにぴったりじゃん」
イドはまた変な目付きをしてから、捨て台詞を吐いた。
「このクソガキ、本当に可愛くねえ」
大人気なく応酬してから、伝令陣で情報を伝える。
レグルスたちは当たりを引いた様子だ。こちらにも調査を手配するとの返信があった。
「調査隊が派遣されるって話だから、湿原入り口まで戻って待機するぞ」
「え~、また行ったり来たりすんのぉ?」
「じゃあお前、ここに1人で居るか?」
「それはつまんねーから、ヤダ」
うだうだしているイドを置いて、さっさと引き返す。
「またツルで遊べるだろ」
「あっ、そーか」
イドは何事も無かったかのように、ジークの後について来た。
工場を出て直ぐ傍の沼の畔を歩いて戻る。
イドではないが、また湿地を往復するのはジークとてうんざりだ。
それにあの惨状、一体何があったのか。目にした光景に流石に気が滅入る。
「なー、ジーク」
「だから、お前に呼び捨て」
言い終わらない内に、後から羽交い締めにされる。
そのままイド諸共、大きな音と飛沫を上げて沼に落ちた。憩っていた鳥たちが一斉に飛び立つ。
「おま、お前!何すんだ!」
ぶはっと2人で水面から顔を出す。
頭に藻を載せたイドが、ゲラゲラ笑い出した。水に濡れた美しい銀髪も垂れ下がる藻で台無しだ。
「だって、死臭くせーんだもん!つか、アンタ頭に藻載っててやべー」
「オメーもだろうが!」
ツボに入ったのか、ヒィヒィ笑うイドと岸に上がる。
「あー、笑った。濡れて気持ちわり」
イドはポイッと腰紐を解き、貫頭衣の上衣を脱ぎ捨てた。
口まで覆えるハイネックの黒衣は、袖が無く体に沿った鳩尾までの短いもので、予想外に肩と腹が丸出しでぎょっとする。
引き締まった腹筋と、濡れて艶めく褐色の肌が晒される。
脚半と小手も投げ出して、半裸でズボンを絞るあけすけな姿から気まずく目を逸らす。
何とも調子の狂う男だ。ジークも上衣を脱いで絞る。
「……待て、浄化魔法使えば良かったんじゃないか?」
振り向くと、イドはきょとんとしてからニカッと笑った。
「確かに!」
本当に調子の狂うクソガキである。
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そんな彼の作る野菜は、文献にしか存在しない幻の品種だったり、食べた者の体調を回復させたりと、とんでもない奇跡の作物だった。
ある嵐の夜、フィンは一人の男と出会う。彼の名はアッシュ。魔王を倒した伝説の英雄だが、聖剣の呪いに蝕まれ、死を待つ身だった。
フィンの作る野菜スープを口にし、初めて呪いの痛みから解放されたアッシュは、フィンに宣言する。「君の作る野菜が毎日食べたい。……夫もできる」と。
ハズレスキルだと思っていた力は、実は世界を浄化する『創生の力』だった!?
無自覚な追放貴族と、彼に胃袋と心を掴まれた最強の元英雄。二人の甘くて美味しい辺境開拓スローライフが、今、始まる。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
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