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最終章 旅路の涯
幕間 ジーク
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初めて見たのは、春。入学式の1日前。
国の保護のおかげで、王国1番の王立学園に特待生として入学出来た。
おまけに寮費も免除になって、本当にギフテッドに生まれて良かった。
そんなことを考えながら、ジークはトランク一つにも満たない私物を持って、割り当てられた寮の部屋へ着いた。
反対側の階段を上って来た小柄な少年と鉢合わせる。
廊下の窓から差し込む光に、後ろで括られた白灰の髪が靡いて透けるように煌めいた。
色素の薄い紫の瞳と、薔薇色の頰と薄い唇。どこか怠そうで、儚い印象だ。
何となく妹と似ているなと、ついじっと見てしまった。
隣室の扉に手を掛けた少年は、不躾に見過ぎたのだろう、綺麗な顔を歪めてぶっきらぼうに睨み付けて来た。
「何か用?」
儚げな美しさとは裏腹な斜でぞんざいな口調に、直ぐにさっきの感想を取り消した。
一目見て分かる上質な服を着ているのに、近所の平民の悪ガキのようなその少年は、初めは貴族の庶子かと思った。
恵まれたいけすかない貴族野郎。
父亡き後、食うや食わずでやって来たジークに取って、その少年、アルカはそう見えた。
妹と似た雰囲気だから目で追った。実は2人とも特待生で成績はいつも1番違い、その上負けず嫌いだから、何かとちょっかいをかけた。
話してみると、中々気が合って楽しかったから一緒に居た。半年もすれば、親友だと思うくらいに仲が良くなった。
同時に親友の話が憧れの先輩ばかりになってきて、もやもやし出した。
今まで友達らしい友達が居なかったせいで、独占欲が過剰だったのかも知れない。
妹と重ねて、庇護欲が過剰だったのは自覚している。
「そう、そうだよ。お前はアルカが大好きなんだよ」
「……初めて出来た友達だったんだよ。だからすごく好きで、幸せだったんだ。……あの日までは」
そのアルカが憧れの先輩に襲われた日、ジークの感情は爆発した。
元々危なっかしいと、ずっと思っていた。
下町のガキみたいに斜かと思えば、純なところがあってホイホイ騙される。
ジークからすれば、あの男はずっと胡散臭かった。
もっと自分が忠告して、守っていれば。妹があんな目にあったら、相手は殺してやる。
それなのに、組み敷かれて犯されているアルカの姿が、脳裏に鮮明に焼き付いて離れない。
上も下もグロテスクなものを突っ込まれている美しい親友が、脳を焼いたように忘れられない。
事件の翌朝、濡れた感触に起きると精通を迎えていて愕然とした。
親友はそれから1年フラッシュバックに苦しみ続けて、自分を再構築して、翌年以降は別人のようになった。
全て閉じ込めたように、ひたすら強く己を鍛え続ける彼は、いつも鬼気迫っていて生き急いでいた。
その癖、夜中に吐いていたり、酷く魘されていたのを知っている。
1つ1つ己を作り変えていく親友を見る度に、後悔ばかりが募る。
守ってやれば良かった、守ってさえいれば、何度そう思ったか。
数年経って級友たちとも馬鹿をやれるようになって、前よりも仲が良くなって毎日笑って過ごした。
それなのに脳裏に焼き付いて離れない、親友の姿がジークを苦しめた。
だから全くの事故だったが、アルカを抱いた時は酷く満たされた。
何度妄想で犯したか分からない体は、最高に良かった。
そうしたら増々ぞっとした。やっぱり自分は、アルカを無理やり犯した奴らと同じだったのかと。
何が親友か。親切な顔で厭らしい下心を持っていたのは、自分だって同じじゃないかと。
愛だの恋だの高尚な言葉で取り繕うんじゃなくて、あの体を好きにヤりたかっただけだろ。
頭の何処かで、そう聞こえた気がした。
「脳が焼かれちゃってんだよなー。まあ、ガキには刺激がつぇーわな」
「俺、ずっと……守らなきゃと、思って。だけど俺は、……結局あいつらと同じだったのかもって」
「しょうがねえよ。誰だって性欲はあるんだからさ」
「でも、そっからよく分かんなくなった。好きだった筈なのに、悪いって気持ちと、自分だけが特別でいたい気持ちと、守んなきゃってのと、……純粋だったものが消えてった気がする」
「ふうん。俺は恋とかよく知らんけどさ、大人はどろどろしてんのは知ってる。お前も大人になったんじゃない?」
「そうかな……。俺もよく分かんねーや……」
「なあ、もっと聞かせて。俺が聞いた話は他にさ……」
ジークの世界は狭い。母、妹、アルカ、それ以外。アルカを追ってギルドに入職してからは、情報室員が追加された。
情報室に入ってからアルカは久し振りに、人に特別な感情を抱き出した。
顔に出さないが、ジークには良く理解った。
ふとした時に目で追ってる。聴こえてくる声に意識が集中している。話しかけられると嬉しそうに、ほんの少し口の端を上げる。
そんなの長年、あの事件以来誰にも向けていなかった。自分にだって。
そしてその対象、直属の上司に当たる情報局長レグルスもまた、アルカを自分と同じ眼で見ていた。
熱情と執着と、どこか狂気を孕む視線。
レグルスの外面は完璧だ。大貴族なのに全く鼻にかけず、いつも冷静、公明正大、間違えない早い判断。
見た目の美貌に、柔らかな話し方と絶やさぬ笑顔。
誰もが騙されるが、ジークだけはちゃんと嗅ぎ取っていた。
この男にアルカを渡すのは、我慢ならない。
何でも持ってる癖に。別にアルカじゃなくたって良い筈だ。恵まれたボンボンに、自分の唯一を盗られたくない。
同類の対抗意識に似た感情に、気が付けなかった。
「あれか、縄張り争いみたいな」
「縄張りってな、お前……。まあ、確かに渡したくなかったよ。俺はもう特別じゃないって、知ってたのにな。……結局、俺はガキだったのかも。子供じみた友達ごっこの延長だったのかもな……」
「でもさ、お前、あの時走っただろ。後ろからやべーの来てるって分かってて、真っ直ぐアルカを守りに行っただろ」
「……ああ、そうだったな。あいつのことしか頭に無かった」
「だよな!俺は正直、お前は頭がおかしいから、もう捨てて逃げようかと思ったわ」
「は、そうかもな。もう随分おかしいんだよ、俺」
「なあ、でもさ、性欲だけでさ、死ねるなんてよっぽどじゃね?少なくとも俺には、お前がそれだけで走ったようには見えなかったぜ」
「俺、俺は……、何で走ったんだかな……」
「だからさ、好きだったんだよ。お前はお前の形で、アルカが好きだった、きっと。好きって1個じゃ無いんだぜ、多分」
「俺は俺の形で……」
「俺はさ、ばあちゃんとばーちゃんとアルカと猫と、お前とお前の家族と、ギルドの奴らと、それからアハトも、多分好きなんだと思う。だけど、それぞれ好きの形が違う気がする」
「皆、形が違う……」
「なあ、随分長いこと、お前の話したな。母ちゃんから見たお前の形、妹から見たお前の形、アルカから見た形、俺から見た形。たくさんあったけど、お前はお前の形、どう思う?」
「俺、俺は……、やっぱり、アルカが大事だ。歪んでても、きっとずっと、どんな形であれ想い続けたい」
「うん」
「あと、母さんとクレアを幸せにしたい。金稼がなきゃ……」
「もう、妹は治ったぜ」
「治った……?嘘だろ、あんな酷い病気……、あ、違う、治った……、そうだな、誰かが助けてくれた……」
ふと暗い闇の中に、美しい銀の流れ星が輝いた。
「なあ、お前、お前、誰だっけ……、何か大事な名前だった気がする」
「俺?俺はね、イド」
「イ、ド……。俺、知ってるな。その声、よく知ってる」
「そっか。なあ、何で知ってんの、俺のこと」
「だって、クソ生意気で……、躾なってねぇにも程があって」
「なんだと、クソじじー」
「ほら、それだ。そんで、俺たち、クレアを助けてくれて……」
銀色が形を結んでいく。知っている。この形を。
毎晩流れて来た魔力と、唇と肌の感触、眠そうな声を。
「そうだ、お前はイド。お前は俺じゃない、イドだ」
真っ暗だった世界が、ヒビ割れて崩れていく。
「正解だ。そうだよ、俺はお前じゃない。お前が視てた記憶は俺のもので、お前のじゃない」
「そうだ、俺はサマルの暗殺者じゃないな。俺はギルド職員で、情報室の一員で、家族とアルカが大好きで、お前の躾係の」
バキバキに割れていく暗闇の向こうに、見慣れた懐かしい顔がある。
「俺は、ジーク」
「そうだ。お帰り、ジーク」
目の前のイドが、初めて見る表情で笑った。
「ジーク!」
久し振りに感じた光に網膜が上手く反応しないが、母の声だと直ぐに分かった。
「母さん……」
「ああ、ジーク!良かった、目が覚めて!待ってて、今、薬を」
「レディ、貸して。俺が飲ませるよ」
「イド君!お帰り、良く無事に戻って来たね……!」
「まあね。約束したからな。あといつものココアちょーだい」
「ココアね!直ぐ用意するからね、薬お願いね」
まだ視界が戻らぬせいか聴覚が嫌に過敏な中、パタパタと足音が去ってから、きゅぽんと瓶が開く音がする。
「よし、覚悟しろよ」
「!?」
ふにっと良く知る感触に唇を塞がれ、温い液体が流れて来る。
薬が舌に触れた瞬間、あまりの苦さと不味さに体が跳ねたが、がっちり抑えられている。
「不味い!!!」
全て嚥下させられて飛び起きると、クリアになった視界の中、直ぐ近くでイドが悪戯っぽく笑っていた。
「でも効くだろ、ばーちゃんの薬」
「イド……」
寝ていたとは思えない程軽い体に、衰えていないどころか漲る力。この苦い薬を飲んでからだ。
「また、お前に助けられたな」
「……違うよ。悪かった。俺のせいでこんな目に合わせて」
少し俯いて唇を尖らせたイドの頭に手を置く。
「お前が俺を見捨てずに助けたから、生き延びれた。ありがとう、イド」
「……おう」
黙って頭をぐしゃぐしゃにされるイドは新鮮だ。暫くされるがままだったイドは、ふと顔を上げた。
「つーか、今相当ヤバいんだよな。せっかく生き延びたと思ったところだけど、アルカの話通り大災厄級のスタンピード起きてるわ、これ。すげーやべー魔物の気配すんだわ」
「は!?馬鹿、早く言え!直ぐ行くぞ、やべー奴のところ!」
「おお、そこにアルカも皆居るから、助けに行こうぜ!」
2人でニッと笑って立ち上がる。
「待ちなさい。これだけでも飲んで行きなさい!」
戸口に立っていたエレンが、ココアとマシュマロをそれぞれに手渡す。
「イザベラさんとナンちゃん、クレアが今この家と周辺を守ってくれてるの。必ず会ってから行くのよ」
「分かった、あつ!」
「レディ、ちょっと急いでるから、冷たい牛乳ちょーだい!」
2人でひぃひぃ言いながら熱いココアを冷まして、マシュマロで喉を詰まらせてから仕度を済ませた。
「じゃあ行ってくる!」
「2人で、いえ、皆で無事に帰って来るのよ!母さん、ここで待ってるからね!」
頷いてイドと2人で外に飛び出ると、北の雪原が真っ暗な闇に覆われていた。
「まさか、あれ全部魔障か!?」
「うう、ヤバい、来るぞ。下から上って来る。地獄が開いてる……!」
「イド!ジーク!」
「お兄ちゃん!」
イザベラたちが気付いて駆け寄って来る。
「クレア、何やってんだ!危ないだろ!?家に入れ!」
「お兄ちゃん、私も戦ってるの。皆、頑張ってるの」
「でもお前、戦ったことなんて」
尚、言い募ろうとしたところを、イドに腕を引かれる。
「こいつ、今じゃ氷の上級使えんだ。貴重な戦力だ」
「ジークや、皆、やれることを精一杯やる。逃げずに覚悟したあんたの妹は、もう一端だよ。徒に守られるだけじゃ、人は成長しない。信じてやりな」
杖を持ったイザベラがきっぱり告げた。とても老婆とは思えない迫力だ。
酷く刺さった言葉に俯きかけたが、背後から一撃、鋭い殴打が入った。
「ナン!」
「腹黒猫……」
「ナンナァ!?」
猫にまで発破を掛けられて、下を向く訳にはいかない。顔を上げるとイザベラが頷いた。
「ジーク、時間が無い。あんたに女神の加護を授ける。剣に光属性追加、それから魔障がかなり効きづらくなるから、安心して戦うといい」
イザベラが杖で引っ掛けるように、ジークを屈ませて額に手を当てた。
触れた場所から、温かい光を感じる。
「いいかい、ジーク坊や。あそこにゃ死竜がいる。だがお前なら倒せる。だから、竜殺し成し遂げておいで!」
「っ、了解!必ずやり遂げます!」
「ばーちゃん、行ってくるな!」
イドと2人並んで、迷うことなく北へ走り出した。
国の保護のおかげで、王国1番の王立学園に特待生として入学出来た。
おまけに寮費も免除になって、本当にギフテッドに生まれて良かった。
そんなことを考えながら、ジークはトランク一つにも満たない私物を持って、割り当てられた寮の部屋へ着いた。
反対側の階段を上って来た小柄な少年と鉢合わせる。
廊下の窓から差し込む光に、後ろで括られた白灰の髪が靡いて透けるように煌めいた。
色素の薄い紫の瞳と、薔薇色の頰と薄い唇。どこか怠そうで、儚い印象だ。
何となく妹と似ているなと、ついじっと見てしまった。
隣室の扉に手を掛けた少年は、不躾に見過ぎたのだろう、綺麗な顔を歪めてぶっきらぼうに睨み付けて来た。
「何か用?」
儚げな美しさとは裏腹な斜でぞんざいな口調に、直ぐにさっきの感想を取り消した。
一目見て分かる上質な服を着ているのに、近所の平民の悪ガキのようなその少年は、初めは貴族の庶子かと思った。
恵まれたいけすかない貴族野郎。
父亡き後、食うや食わずでやって来たジークに取って、その少年、アルカはそう見えた。
妹と似た雰囲気だから目で追った。実は2人とも特待生で成績はいつも1番違い、その上負けず嫌いだから、何かとちょっかいをかけた。
話してみると、中々気が合って楽しかったから一緒に居た。半年もすれば、親友だと思うくらいに仲が良くなった。
同時に親友の話が憧れの先輩ばかりになってきて、もやもやし出した。
今まで友達らしい友達が居なかったせいで、独占欲が過剰だったのかも知れない。
妹と重ねて、庇護欲が過剰だったのは自覚している。
「そう、そうだよ。お前はアルカが大好きなんだよ」
「……初めて出来た友達だったんだよ。だからすごく好きで、幸せだったんだ。……あの日までは」
そのアルカが憧れの先輩に襲われた日、ジークの感情は爆発した。
元々危なっかしいと、ずっと思っていた。
下町のガキみたいに斜かと思えば、純なところがあってホイホイ騙される。
ジークからすれば、あの男はずっと胡散臭かった。
もっと自分が忠告して、守っていれば。妹があんな目にあったら、相手は殺してやる。
それなのに、組み敷かれて犯されているアルカの姿が、脳裏に鮮明に焼き付いて離れない。
上も下もグロテスクなものを突っ込まれている美しい親友が、脳を焼いたように忘れられない。
事件の翌朝、濡れた感触に起きると精通を迎えていて愕然とした。
親友はそれから1年フラッシュバックに苦しみ続けて、自分を再構築して、翌年以降は別人のようになった。
全て閉じ込めたように、ひたすら強く己を鍛え続ける彼は、いつも鬼気迫っていて生き急いでいた。
その癖、夜中に吐いていたり、酷く魘されていたのを知っている。
1つ1つ己を作り変えていく親友を見る度に、後悔ばかりが募る。
守ってやれば良かった、守ってさえいれば、何度そう思ったか。
数年経って級友たちとも馬鹿をやれるようになって、前よりも仲が良くなって毎日笑って過ごした。
それなのに脳裏に焼き付いて離れない、親友の姿がジークを苦しめた。
だから全くの事故だったが、アルカを抱いた時は酷く満たされた。
何度妄想で犯したか分からない体は、最高に良かった。
そうしたら増々ぞっとした。やっぱり自分は、アルカを無理やり犯した奴らと同じだったのかと。
何が親友か。親切な顔で厭らしい下心を持っていたのは、自分だって同じじゃないかと。
愛だの恋だの高尚な言葉で取り繕うんじゃなくて、あの体を好きにヤりたかっただけだろ。
頭の何処かで、そう聞こえた気がした。
「脳が焼かれちゃってんだよなー。まあ、ガキには刺激がつぇーわな」
「俺、ずっと……守らなきゃと、思って。だけど俺は、……結局あいつらと同じだったのかもって」
「しょうがねえよ。誰だって性欲はあるんだからさ」
「でも、そっからよく分かんなくなった。好きだった筈なのに、悪いって気持ちと、自分だけが特別でいたい気持ちと、守んなきゃってのと、……純粋だったものが消えてった気がする」
「ふうん。俺は恋とかよく知らんけどさ、大人はどろどろしてんのは知ってる。お前も大人になったんじゃない?」
「そうかな……。俺もよく分かんねーや……」
「なあ、もっと聞かせて。俺が聞いた話は他にさ……」
ジークの世界は狭い。母、妹、アルカ、それ以外。アルカを追ってギルドに入職してからは、情報室員が追加された。
情報室に入ってからアルカは久し振りに、人に特別な感情を抱き出した。
顔に出さないが、ジークには良く理解った。
ふとした時に目で追ってる。聴こえてくる声に意識が集中している。話しかけられると嬉しそうに、ほんの少し口の端を上げる。
そんなの長年、あの事件以来誰にも向けていなかった。自分にだって。
そしてその対象、直属の上司に当たる情報局長レグルスもまた、アルカを自分と同じ眼で見ていた。
熱情と執着と、どこか狂気を孕む視線。
レグルスの外面は完璧だ。大貴族なのに全く鼻にかけず、いつも冷静、公明正大、間違えない早い判断。
見た目の美貌に、柔らかな話し方と絶やさぬ笑顔。
誰もが騙されるが、ジークだけはちゃんと嗅ぎ取っていた。
この男にアルカを渡すのは、我慢ならない。
何でも持ってる癖に。別にアルカじゃなくたって良い筈だ。恵まれたボンボンに、自分の唯一を盗られたくない。
同類の対抗意識に似た感情に、気が付けなかった。
「あれか、縄張り争いみたいな」
「縄張りってな、お前……。まあ、確かに渡したくなかったよ。俺はもう特別じゃないって、知ってたのにな。……結局、俺はガキだったのかも。子供じみた友達ごっこの延長だったのかもな……」
「でもさ、お前、あの時走っただろ。後ろからやべーの来てるって分かってて、真っ直ぐアルカを守りに行っただろ」
「……ああ、そうだったな。あいつのことしか頭に無かった」
「だよな!俺は正直、お前は頭がおかしいから、もう捨てて逃げようかと思ったわ」
「は、そうかもな。もう随分おかしいんだよ、俺」
「なあ、でもさ、性欲だけでさ、死ねるなんてよっぽどじゃね?少なくとも俺には、お前がそれだけで走ったようには見えなかったぜ」
「俺、俺は……、何で走ったんだかな……」
「だからさ、好きだったんだよ。お前はお前の形で、アルカが好きだった、きっと。好きって1個じゃ無いんだぜ、多分」
「俺は俺の形で……」
「俺はさ、ばあちゃんとばーちゃんとアルカと猫と、お前とお前の家族と、ギルドの奴らと、それからアハトも、多分好きなんだと思う。だけど、それぞれ好きの形が違う気がする」
「皆、形が違う……」
「なあ、随分長いこと、お前の話したな。母ちゃんから見たお前の形、妹から見たお前の形、アルカから見た形、俺から見た形。たくさんあったけど、お前はお前の形、どう思う?」
「俺、俺は……、やっぱり、アルカが大事だ。歪んでても、きっとずっと、どんな形であれ想い続けたい」
「うん」
「あと、母さんとクレアを幸せにしたい。金稼がなきゃ……」
「もう、妹は治ったぜ」
「治った……?嘘だろ、あんな酷い病気……、あ、違う、治った……、そうだな、誰かが助けてくれた……」
ふと暗い闇の中に、美しい銀の流れ星が輝いた。
「なあ、お前、お前、誰だっけ……、何か大事な名前だった気がする」
「俺?俺はね、イド」
「イ、ド……。俺、知ってるな。その声、よく知ってる」
「そっか。なあ、何で知ってんの、俺のこと」
「だって、クソ生意気で……、躾なってねぇにも程があって」
「なんだと、クソじじー」
「ほら、それだ。そんで、俺たち、クレアを助けてくれて……」
銀色が形を結んでいく。知っている。この形を。
毎晩流れて来た魔力と、唇と肌の感触、眠そうな声を。
「そうだ、お前はイド。お前は俺じゃない、イドだ」
真っ暗だった世界が、ヒビ割れて崩れていく。
「正解だ。そうだよ、俺はお前じゃない。お前が視てた記憶は俺のもので、お前のじゃない」
「そうだ、俺はサマルの暗殺者じゃないな。俺はギルド職員で、情報室の一員で、家族とアルカが大好きで、お前の躾係の」
バキバキに割れていく暗闇の向こうに、見慣れた懐かしい顔がある。
「俺は、ジーク」
「そうだ。お帰り、ジーク」
目の前のイドが、初めて見る表情で笑った。
「ジーク!」
久し振りに感じた光に網膜が上手く反応しないが、母の声だと直ぐに分かった。
「母さん……」
「ああ、ジーク!良かった、目が覚めて!待ってて、今、薬を」
「レディ、貸して。俺が飲ませるよ」
「イド君!お帰り、良く無事に戻って来たね……!」
「まあね。約束したからな。あといつものココアちょーだい」
「ココアね!直ぐ用意するからね、薬お願いね」
まだ視界が戻らぬせいか聴覚が嫌に過敏な中、パタパタと足音が去ってから、きゅぽんと瓶が開く音がする。
「よし、覚悟しろよ」
「!?」
ふにっと良く知る感触に唇を塞がれ、温い液体が流れて来る。
薬が舌に触れた瞬間、あまりの苦さと不味さに体が跳ねたが、がっちり抑えられている。
「不味い!!!」
全て嚥下させられて飛び起きると、クリアになった視界の中、直ぐ近くでイドが悪戯っぽく笑っていた。
「でも効くだろ、ばーちゃんの薬」
「イド……」
寝ていたとは思えない程軽い体に、衰えていないどころか漲る力。この苦い薬を飲んでからだ。
「また、お前に助けられたな」
「……違うよ。悪かった。俺のせいでこんな目に合わせて」
少し俯いて唇を尖らせたイドの頭に手を置く。
「お前が俺を見捨てずに助けたから、生き延びれた。ありがとう、イド」
「……おう」
黙って頭をぐしゃぐしゃにされるイドは新鮮だ。暫くされるがままだったイドは、ふと顔を上げた。
「つーか、今相当ヤバいんだよな。せっかく生き延びたと思ったところだけど、アルカの話通り大災厄級のスタンピード起きてるわ、これ。すげーやべー魔物の気配すんだわ」
「は!?馬鹿、早く言え!直ぐ行くぞ、やべー奴のところ!」
「おお、そこにアルカも皆居るから、助けに行こうぜ!」
2人でニッと笑って立ち上がる。
「待ちなさい。これだけでも飲んで行きなさい!」
戸口に立っていたエレンが、ココアとマシュマロをそれぞれに手渡す。
「イザベラさんとナンちゃん、クレアが今この家と周辺を守ってくれてるの。必ず会ってから行くのよ」
「分かった、あつ!」
「レディ、ちょっと急いでるから、冷たい牛乳ちょーだい!」
2人でひぃひぃ言いながら熱いココアを冷まして、マシュマロで喉を詰まらせてから仕度を済ませた。
「じゃあ行ってくる!」
「2人で、いえ、皆で無事に帰って来るのよ!母さん、ここで待ってるからね!」
頷いてイドと2人で外に飛び出ると、北の雪原が真っ暗な闇に覆われていた。
「まさか、あれ全部魔障か!?」
「うう、ヤバい、来るぞ。下から上って来る。地獄が開いてる……!」
「イド!ジーク!」
「お兄ちゃん!」
イザベラたちが気付いて駆け寄って来る。
「クレア、何やってんだ!危ないだろ!?家に入れ!」
「お兄ちゃん、私も戦ってるの。皆、頑張ってるの」
「でもお前、戦ったことなんて」
尚、言い募ろうとしたところを、イドに腕を引かれる。
「こいつ、今じゃ氷の上級使えんだ。貴重な戦力だ」
「ジークや、皆、やれることを精一杯やる。逃げずに覚悟したあんたの妹は、もう一端だよ。徒に守られるだけじゃ、人は成長しない。信じてやりな」
杖を持ったイザベラがきっぱり告げた。とても老婆とは思えない迫力だ。
酷く刺さった言葉に俯きかけたが、背後から一撃、鋭い殴打が入った。
「ナン!」
「腹黒猫……」
「ナンナァ!?」
猫にまで発破を掛けられて、下を向く訳にはいかない。顔を上げるとイザベラが頷いた。
「ジーク、時間が無い。あんたに女神の加護を授ける。剣に光属性追加、それから魔障がかなり効きづらくなるから、安心して戦うといい」
イザベラが杖で引っ掛けるように、ジークを屈ませて額に手を当てた。
触れた場所から、温かい光を感じる。
「いいかい、ジーク坊や。あそこにゃ死竜がいる。だがお前なら倒せる。だから、竜殺し成し遂げておいで!」
「っ、了解!必ずやり遂げます!」
「ばーちゃん、行ってくるな!」
イドと2人並んで、迷うことなく北へ走り出した。
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【本編完結】最強魔導騎士は、騎士団長に頭を撫でて欲しい【番外編あり】
ゆらり
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帝国の侵略から国境を守る、レゲムアーク皇国第一魔導騎士団の駐屯地に派遣された、新人の魔導騎士ネウクレア。
着任当日に勃発した砲撃防衛戦で、彼は敵の砲撃部隊を単独で壊滅に追いやった。
凄まじい能力を持つ彼を部下として迎え入れた騎士団長セディウスは、研究機関育ちであるネウクレアの独特な言動に戸惑いながらも、全身鎧の下に隠された……どこか歪ではあるが、純粋無垢であどけない姿に触れたことで、彼に対して強い庇護欲を抱いてしまう。
撫でて、抱きしめて、甘やかしたい。
帝国との全面戦争が迫るなか、ネウクレアへの深い想いと、皇国の守護者たる騎士としての責務の間で、セディウスは葛藤する。
独身なのに父性強めな騎士団長×不憫な生い立ちで情緒薄めな甘えたがり魔導騎士+仲が良すぎる副官コンビ。
甘いだけじゃない、骨太文体でお送りする軍記物BL小説です。番外は日常エピソード中心。ややダーク・ファンタジー寄り。
※ぼかしなし、本当の意味で全年齢向け。
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【土壌改良】スキルで追放された俺、辺境で奇跡の野菜を作ってたら、聖剣の呪いに苦しむ伝説の英雄がやってきて胃袋と心を掴んでしまった
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ある嵐の夜、フィンは一人の男と出会う。彼の名はアッシュ。魔王を倒した伝説の英雄だが、聖剣の呪いに蝕まれ、死を待つ身だった。
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無自覚な追放貴族と、彼に胃袋と心を掴まれた最強の元英雄。二人の甘くて美味しい辺境開拓スローライフが、今、始まる。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
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オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
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