【R18】攫われ聖女は敵国の大魔術師の執愛に溺れる?

チハヤ

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9話 後宮はもふもふパラダイスでした

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 緊張しながらその建物の前に立った。
 元は薄暗いゴシック建築を私の好みに合うようにと宮廷魔術師総出で白亜の宮殿に作り変えてくださったそうだ。それもなんと一日で。

「玄関ホールに集まってルシア様の到着を心待ちにしていますよ」
「歓迎してくれているのね」

 最初の顔合わせが肝心だ。小国出身だからと下に見られないよう立ち振る舞いには気を付けなければ。
 口元を引き締め、背筋を伸ばす。

 脇に立っていた近衛兵が真っ白な両扉を同時に開ける。
 眩しい光の下で待っていたのは――

「わふっわふっ」
「きゅうううん」
「ガウガウガウッ」

 ふわふわもふもふの山でした。

 うさぎサイズから牛より大きい子まで、姿形も様々な魔獣たちが玄関ホールを埋め尽くしている。
 それら全てが私がもふもふと呼んでいる生命体だ。

「か、かわ……かわっ、可愛いっ!!」

 私は辛抱たまらず毛玉の山に両手を広げて飛び込んでいった。
 巨大なテディベアのようなもふもふに抱き着いてふっくらしたお腹に顔を埋めると、近くの小型のもふもふたちが私の頭や肩に次々と乗っかってくる。

 あっという間に全身をもふもふに囲まれた。確かな体温、獣の香り。これぞもふもふ。毛布や毛皮とはまた違う。

「ルーシー、後宮の住民はこいつらと君の身の回りの世話をする侍女だけだ。気に入ってくれたか?」
「ええ、とっても!」

 ここは地上の楽園。
 もふもふパラダイスだ――!

「うっ、うっ……ルシア様が来てくださって本当によかった。このまま陛下が魔獣しか娶らないようであれば歴史ある王家の血が途絶えるところでした」
「おい。娶った覚えはない」

 アンドレイはわざとらしく仮面の上からハンカチを押し当てて鼻をすすっているけれど、多分泣き真似だ。
 私は顔を上げて、足元にいたキツネ耳の白いもふもふを抱き上げる。ふっくらした頬をつまむと頬袋がどこまでも伸びる。

「ふ、ふふ、ふふふ……」

 我ながら奇妙な笑いが漏れる。

「陛下もこちら側の人間だったんですね。もふもふハーレムを作り上げるとはいいご趣味をお持ちのようで……」
「も、もふもふハーレム? 誤解しないでほしい! 俺は魔獣の研究とルーシーを迎える今日の日のために捕まえていただけだ」
「研究ですか?」
「……まあ、大したことじゃない。気にしないでくれ」

「きゅぅ、きゅぅ」

 私を見上げるキツネ耳のもふもふの額の真ん中には紫色の結晶が輝いている。
 魔獣の体にはこうやって魔石が埋まっている。魔力を持たない動物や家畜との見分け方はこの魔石の有無です。
 ざっと見渡してみるとここには闇属性の紫色の結晶を持つ子が多いようだ。

「この子たちのお名前は?」
「ないよ。いちいち覚えていられない。ルーシーが好きに呼ぶといい」
「ええっ、どうしましょう。まずはキツネ耳のこの子から! えーっと」

 抱きしめてみるとサイズ感と抱き心地が少しクゥちゃんに似ている。

「んー……迷います! でも必ずみんなにぴったりな名前を付けてあげるからね!」
「ルーシー、嬉しそうだな」
「はい! もふもふパラダイスなんですよ? はしゃいでしまいます!」
「そうかそうか」

 ヴィルヘルム王国に来てからこんなに楽しい気持ちになったのは初めてだ。
 ここにクゥちゃんがいたら完璧でしたね。

「……喜びすぎじゃないか?」

 急にクロノスの声音が変わった。

「ルーシーはもふもふなら何でもいいの?」

 先ほどまではにこにこしながら私を見守っていたのに……今は顔に青筋を立て、唇の端をぴくぴくさせている。真っ直ぐの黒髪もなんだか逆立って見えた。
 もふもふは皆等しく尊い存在であることは間違いない。
 しかし、この様子はまさか、嫉妬しているの? もふもふ相手に?

「俺は用事を思い出したから先に寝室にいってくれ」
「えっ……」

 クロノスはそう言って、煙のようにふっと消えてしまった。

 後宮というものの存在、そしてもふもふのインパクトで忘れていた。
 "先に"ということは、クロノスは今夜も寝室を共にする気なのだ。また昨夜のように迫られるのだろう。

 ――見てなさい。今夜こそ門前払いしてやるんだから。
 そう考えながらも体の中心が火照っていることには気づかないふりをした。


 ***


 寝室全体に結界を張ってから結構な時間が経つが、クロノスは現れない。
 用事があると言っていたし、今夜は来ないのかもしれない。
 私は青いリボンで髪をゆるく括る。普段は前髪を編み込むのに使っているこの青いリボンは、先代様からもらった宝物だ。

 これで寝支度は整ったので先に寝台に横になった。

 ――先に?
 これではまるでクロノスが来るのを待っていたみたいじゃないですか!

「ハァ……」

 ラグランジアの守護結界は維持できている。もう寝て、明日は朝から聖堂に行って結界の強化に務めよう。
 ヴィルヘルム王国にいても私はラグランジアの聖女。やることは変わらない。

「くぅん」

 ベッドの下から小さな鳴き声がした。
 クゥちゃんの声だ。
 恋しいからって幻聴まで聞こえるようになったのね。ヴィルヘルム王国にクゥちゃんがいるわけないのに。

「くぅっくぅっ」

 しかし、幻聴とともに黒い毛玉が私のお腹の上に飛び乗ってきた。

「クゥちゃん!?」
「くぅーん!」

 クゥちゃんは羽の形をした耳を広げて、パタパタと羽ばたかせる。
 嬉しい、楽しい、遊んで、そういう気持ちを伝えるときにこうするのだ。
 同種の別個体の可能性も一瞬よぎったけれど、私のことを知っているように見えるし、この子はやはりクゥちゃんだ。

「あなたって本当に神出鬼没ね……」

 クゥちゃんと初めて会ったのは私が聖女になる前、国境付近の森の中だった。
 以来、この子は私の前に突然現れてはまたふらっといなくなる。

「どうやってこの国に……あ。私が連れ去られるときにくっついてきたの?」
「くぅんっ!」

 クゥちゃんは得意気にくるんっと一回転してから私の首元に飛び込んできた。

「あははっ、ありがとう! あなたがいてくれたら心強いよ」

 いつも通りに唇を舐め回してくるクゥちゃんの小さな体をわしゃわしゃ撫でる。どこを触ってもクゥちゃんの体から魔石は見付からない。
 微弱ではあるが魔力を感じるから魔獣の類には違いないと思うけど……他の魔獣たちとは違い、クゥちゃんは私の結界をすり抜けることができるのだ。
 多分、私がクゥちゃんを外敵と見做していないことが理由だけれど。

「でも、変なの。他のもふもふたちは入ってこられないのにね……」
「くー……」
「ううん、クゥちゃんは私が初めて出会ったもふもふだもの! 特別なんだよね。今日はもう寝ようか」
「くぅんっ」

 耳をパタパタ動かされるとくすぐったい。クゥちゃんはしばらく喜びを伝えてくれてから私の肩に体をくっつけて丸まった。

「クゥちゃん、もういなくならないでね。ずっとそばにいて。お願いだよ」
「くぅ」

 クゥちゃんの小さなぬくもりを感じながら明かりを消した。


 ***


 半透明の薄いヴェールの向こう側は真っ白な世界が広がっている。
 "雪"と言うらしいそれは、ぬいぐるみに詰まっている綿に似ていた。

 いいなあ。触ってみたい。きっとふわふわしていて、あったかいんだ。
 手を伸ばしたら届く距離なのに、私はこの守護結界の外には出られない。

「ルーシー、ほっぺた」

 ふに。優しい声の主が、私の頬を細い指でつっついた。
 また片側の頬を膨らませてしまっていたらしい。聖女は無闇に感情を表に出したらいけないと叱られたばかりなのに。

「どうしてむくれてるの?」

 顔を上げると聖女の正装である白いドレスを着た綺麗な女性が立っていた。
 凛とした碧い瞳。ゆるいウェーブがかった長い銀の髪は青いリボンで一つにまとめられている。

 懐かしい姿に、目の奥が熱くなる。
 私が大好きだった人。私が憧れた先代の聖女様。

「だって雪を触ってみたいんだもん!!」

 先代様!
 そう言おうとしたけれど、髪の短い少女は私の意思に反する言葉を紡いだ。

「エレノアがね、雪は冷たいって言うの。本に書いてあったんだって。おかしいよね!」
「うーん。どうかしら。私も触ったことがないからわからないわ」
「きっとあったかいよ! だってもふもふしてるもん!」

 これは夢だ。聖女候補として国境付近の施設で暮らし始めた頃の私の記憶。
 私の脳は睡眠中でも結界を維持するために働き続けているから、夢なんて見るのは久しぶりだった。

「ルーシーはもふもふが大好きなのね」
「うんっ! わたしね、いつかこの結界の外に出るの! それでね、もふもふがいーっぱいの国を作るの!」

 キラキラした瞳の少女は短い腕を広げて、大きな夢物語を語る。

「あら。聖女にはならないの?」
「あっ、もちろん聖女様になってから!」
「それならお勉強頑張らないとね」
「ううっ……」

 毎日のように似たやりとりをしていた。
 でも一度だけ、先代様は言った。

「私はルーシーが聖女に選ばれなければいいのにって思ってるの」
「そんな! ひどいよ!」

 いつもは花のように朗らかに笑っている先代様が、寂しそうに悲しそうに目を細めて。不機嫌に膨らむ私の片頬に手を添える。

「だって聖女になったらルーシーの夢は叶わなくなっちゃうもの」


「ゔっ!」

 ――ドスンとお腹に衝撃がやってきて、私は目を覚ました。

「お、重い……」

 ベッドの上には昨日会ったもふもふたちが大集結していた。
 部屋の結界が壊れて入れるようになったからだろう。まぶたの裏で日差しを感じて、無意識に解いてしまったらしい。

「くぅん」
「おはよう。大丈夫だよ」

 クゥちゃんがしょんぼりしながら目元から頬にかけてペロペロ舐めてくれている。
 私、泣いていたのね……。

 幼い私は聖女に相応しくないと言われた気がしてショックを受けていたけれど、今ならわかる。
 聖女ルシアじゃない。
 王太子の婚約者という肩書でもない。
 私は私のままで自由に生きてほしい、ってあなたが思ってくれていたこと。
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