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冴えない彼の目に映る私の色は何色か
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大してそこまで親しいとまでは言えず、言葉を交わしたのも一度きりの関係を持った喫茶店で働く同じ大学の男の子がいる。
薄く丸い眼鏡を掛けてボサボサに伸びきった髪は整えたところを見たことが無く、ジャージにパーカー、まさに冴えない男の代名詞を集結したような人だった。
その日は確か、先日参加していたインターンシップの打ち上げと打ち合わせを兼ねた集まりがあって、あまり気分は乗らなかったのだけれど仕方なく足を運ぶ事にした。
そもそも事業体験をしてきなさいという親からの指示があったが為に厄介ごとに巻き込まれてしまうことになるのだけれど、結果論としては良かったと思っている。
周りは私の事を才女や令嬢などと捲くし立てているけれど、昔から一企業の実業家として働く父の背中を見て育ち、あらゆるところへ顔を出してきたことによる副産物の、仮初の姿である。
本当の私は面倒ごとは避けたいし声を上げて遊園地で遊んでみたいし、ファーストフード店に入ってみたいと常日頃から思うような至極一般的な女子大生なのだから。
しかし仮初である姿に周囲は好意を持ち、私という人格が他者によって確立され、仕舞いにはミスコンのグランプリを受賞してしまうという意図しない出来事にまで発展してしまうことになってしまった。
親は鼻を高くして私を自慢しているようだけれど、私にとっては災いにしか捉えられないから辞めて欲しいばかりである。
大学で過ごしている時もそうだけれど、過剰なまでに注目され人気を博してしまったのだと、もう元の学生生活には戻れないのだと酷く後悔した。
結果的にこのインターンシップに参加した内、15名中8名が男子で一人を除いて他大学から来ているにも拘らず私のことを知り、傍を離れようとしない。
もう男性に囲まれることに慣れてしまった私は感覚が麻痺しているのだろうと自虐でもなく、本能がそう告げている。
どうやら各々が自己の容姿に多少なりとも自信があるらしくあれが得意だのこれが好きだのと周囲360度を囲まれて猛アピールを受けているようだ。
そろそろ愛想笑いが苦笑に変わりつつあるのを察して欲しいところだけれど、気の利かない彼らにそんなことに気が付くような余地はないんだろうなと諦めていた。
あぁ、早く帰りたい。
家に帰ったら親に内緒で購入した電子版のライトノベルや漫画を読みたいな。
帰宅したら何をしようかと現実逃避を始めてからしばらく経つと、視界には男の体ばかり映るがどうやらリードされるがままに歩いていたらボーリング場に着いたようである。
最早どの道を歩いてきたのかすら判らないというのもどうかと思うけれど、肉体以上に精神的な疲れを覚えた私は男子にお願いをして椅子に腰をかけた。
大丈夫?何か買って来ようか?という当たり前の愁眉を寄せてくるが、この原因が貴方達だってことを理解していただきたい。
そしてボウリングのレーンを決めるクジが始まりようやっと開放された私は一息つけると思ったのだった。
愛想笑いを絶やさずクジへ掛けていく男の子達に手を振りながら最後の一人を見送ると一気に肩の荷が降りたような感覚に陥る。
(あぁ……疲れた……)
もう何も考えたくないなと一息ついているとこちらをじっと見ている一つの視線に気がついた。
ボサボサの頭に丸い楕円の眼鏡、ジャージにパーカーを身に纏い私の事を"興味が無さそう"に見ていたのである。
しかし、ぼーっとしているものの目がしっかりとこちらを向いているのだから私の事を見ていることくらい、自意識過剰かもしれないけれど判るというものである。
きっと気の小さな人なんだろうと、失礼な事を思いながらもその冴えない男の子に小さく手を振ってやると何故か観念したかのように気だるそうにペコペコと頭を下げ始めた。
思っていたのと違う彼の反応に違和感を覚えた。
気がつけばリーダーをしていた津田さんがクジの入った抽選箱を両手にこちらへと駆けてきた。
「それじゃあ、次は遠藤さんね!ごめんね、最後で」
「いいえ、大丈夫ですよ」
そう言って津田さんがズイと出してくる箱に手を入れてみると残ったカードは本当に1枚だけだった。
取り出してみると2番というカードがそこにはあった。
「私は2番ですね」
私が引いた数字を提示するとさっきまで囲っていた男の子たちが阿鼻叫喚と声を上げていた。
さっきのぼさぼさの人が気になって見てみるとどうやら彼も私と同じく2番を引いたようである。
せっかくだし何か声を掛けてあげようかなと思っていると随分と橋爪君とは親しいようで、カードを交換するや否や話……交換?
あろうことか私の耳に飛び込んできたのは、自ら2番のカードを明け渡そうとする声だった。
これに関しては自意識過剰と思われるかもしれないけれど、正直なところ男性を振り向かせるくらいの自信があった。実際その様に扱われ育ってきたのだから感覚的にも根付かないわけが無かったのである。
誰もが一度はこちらを向いてから改めて振り返ってしまうかのような、こちらがそんなつもりじゃなくても周囲の視線を集めてしまう。
一度でも対象に愛想を良くしようものならその気になって話しかけてくる、そんな日常をこれまで何度も体験してきた。
だけれど今、私の中で確立していた常識がコレという目立った容姿をしているわけでもない一人の冴えない男子に覆されようとしているのだから、これまで味わった事のない"屈辱"に呆然としてしまう。
先ほどのまるで興味が無いようにこちらを向いていたあの素振りは、振りではなく本当に興味がなかったというのか。
ただただ観察し見透かされたかの様な感覚を私は冴えない一人の男子に覚えた。
ぞくりと背筋から心臓にかけて冷たい血液が流れる。
あの薄いメガネを通して私のナニを見ていたのだろうか。
観念したかのようにペコペコとしていたあの行為の意味は……?
これまで思うがままに、ただ少しの猫を被るだけで男性の視線を我が物に出来ていた私が獲物を仕留め損ねたかの様な、全くをもって"面白くない"状況のまま2番のレーンへと移動を開始する。
他大学の男子たちが次々と自分達のボールを選びに行き一般女性では決して持上げられないような重たいボールを次々と手に取っていく。
気になるあの冴えない男子は何を選んだのだろうと気になり、見てみれば女性でも持てる8ポンドを揚々と手に取っているではないか。
非力か、非力なのか彼は。
いやしかし、顔や髪型、服装は全く冴えていないが体つきは何かスポーツをやってたかのような感じはする。
力自慢という一般的な男性としての見栄すら張らないということなのかと、遠藤晴香は独りでに疑心暗鬼に陥っていた。
周りのチームが次々と投球を始めていく中、私たちの2番レーンだけは未だに動き出していなかった。
「それじゃ、まずは自己紹介からいこうか」
皆が行動を起こすに起こせない状況の中、まず声を上げたのはインターンシップの時はしっかりと黒髪だったと記憶している江坂君だ。
「あ、すみません。助かります」
「気にすんなって!まだ居辛いだろうけどさ、今日は気楽にやっていこうぜ!」
細くお礼を言う冴えない男の子の肩を組んでにんまりと笑顔を作る江坂君。
対してあまり乗り気ではないのだろうか、若干男の子の顔は引きつっていた。
そして江坂君が自己紹介を終えると流れを切らさない様にすかさず男の子が声を出した。
「ども、斉藤です。せっかくの集まりにお邪魔する形になりますが、今日はよろしくお願いします」
名前まで名乗る事はなかったがどうやら冴えない男の子の苗字は斉藤というらしい。
「間口です。橋爪君と同じ大学ってことは遠藤さんとも同じってことでいいのかな?」
続いて間口さんが自己紹介をすると共に、斉藤君への質問を投げかける。
確かに、橋爪君が連れて来た知り合いなのだから同じ大学であるという可能性が高い。
行方を見守っていると斉藤君が口を開き、短く肯定した。
そうして普段の私はどうなのかなど、他大学である間口さんは気になったのか話題づくりなのかは判らないけれど斉藤君へ二度目の質問を投げかける。
さて彼は私の事を大学でどのように見ていたのか、これには私にも少々興味のあるところなので"興味が無さそうな振り"をしながら耳を澄ませていた。
しかしなかなか口を開かず数秒経ったところで
「実は、今日初めて知ったんです」
と言ってみせたのだ。
「おいおい、嘘だろー」
「うんうん、だって遠藤さん、新聞やニュースでもちょっとした話題にもなってたしミスコン受賞っていえばアナウンサーとかの登竜門とも言われるくらいに難所だって言われてるしさ」
これにはさすがに江坂君も間口さんも悪い冗談は寄せよといった具合でフォローに入るが先ほどよりも間髪入れずに斉藤君は答えてみせた。
「あ、でも噂には聞いていたんです。顔を合わせる機会が全く無くて」
まるで付け足しても当たり障りのない返事という形で。
「だよなぁ!!びっくりしたぜ」
「そうだよねー!」
笑顔が戻る二人であるが、私にはどうしてもさっきの言葉が冗談だとは捉えられず、本当にこの人は同じ大学であるにも関わらず私の事を知らないのだと認識した。
「じゃあもう知っていると思うけど、最後は我らが遠藤さんだ」
何が我らなのか、いつ代表になったのかさっぱり理解出来ないけれど私の自己紹介の番だと江坂君が振ってきた。
ゆっくりと立ち上がるついでに斉藤君を見て見ると、またも半目で気だるそうにしていた。
これには不甲斐無くも少々腹を立ててしまった私はあろうことか、正面から堂々と斉藤君の方向を向いてしまったのだ。
(どうしよう)
正直内心焦っていた。が、それもこれも彼が悪いのだと責任転嫁している自分に情けなさを覚える。悉く彼にはしてやられているような……いや、彼は文字通り何もしていないのだけれど……。
覚悟を決めてコレでもかというくらい印象付けてやろうと思い切って今、自分が出来る最高の笑顔を作って自己紹介をする。
ど、どうだ!?と、彼の反応を待つが「あ、ども。よろしくお願いします」と、これまた腹ただしくも気の抜けた返事が返ってくるだけであった。
もしかして男性がちやほやとしてくれていたのは気のせいなのではないだろうかと、これまでの事を思い出すが全て偶然だったのではと突如として謎の不安に襲われる。
一投目から気合の入った投球をする江坂君が見事にストライクを出して間口さんとハイタッチを交わしていた。
「一投目からストライク、凄いですね。ふふ、いきなりプレッシャーを掛けられちゃいました」
そう言って私も江坂君にハイタッチを交わしてあげると、「おぉおおおお!」と歓喜の声を上げた。
この反応を見る限りやっぱり私がおかしかったわけではないのだと江坂君を利用して確認をする。
(つまり斉藤君、あなたがおかしいのね)
順番が来てレーンに立つ斉藤君の背をジッと見つめて思念を送るが彼に届く事はないだろう。
そんな彼の一投目は左角の2本を掠めただけであった。
つくづく冴えない男の子である。
これまでまるで無色透明な何色にも染まっていなかった彼に対する私の印象が一変したのは、投球を始めてしばらく経った頃だった。
これまで何度も、そう何度も体験してきた事があるのだけれど藤堂家の雇われが強襲してきたのだ。
藤堂家の同い年のデ……少し豊かな体型のご子息が随分とあり難迷惑な事で私にお熱の様なのだ。大方手に入れたいとか愚直で欲望に素直なものだとは思うけれど。
しかし、これには「またか」と思わずにはいられなかったけど今日は私の護衛兼執事の桜子は傍におらず生憎と文武両道として育てられた私でも大柄の男をねじ伏せるような力は持っていない。
それでも今日は7人も私の周囲をひたすらに囲っていた男子たちがいるのだから持ち前のポテンシャルでなんとかしてくれるだろうと期待していたのだが、全員が否定的な感情を露わにしているではないか。
ちょっと待って。私、凄く訳ありな感じの子になっているじゃない。
こら、そこの男子なに目を逸らしているのよ。さっきまで力が自慢だとかなんだとかぬかしていたじゃないの。
頼れるべき人……基使える人がいないと判った上で平然とした態度だけは崩さず保ってはいたけれど、そうも言っていられない状況へと刻一刻と事態は進行していく。
ヘルメットを被った男の一人がじりじり歩み寄ってきていよいよ手が私に届こうかとした時、私の最も信頼出来る執事が見事な飛び蹴りを放ちながら登場したのである。
さすが桜子!と歩みよって抱きつきたかったのだけれど、桜子から叱責されてしまうものだからタイミングを逃してしまった。
ふふん、見ていなさい藤堂の回し者め。私の桜子がいれば百人力よと緊張の糸が解れてしまった私は数人の男相手に一切の余暇を与えない攻防を行っている桜子に見入ってしまった。
ここからが今回の肝となる出来事で、完全に私の執事がヘルメットたちを熨のしてしまい事態は収束したかと思っていた矢先、冴えない斉藤君が唐突にスッと私の横に移動してきたのである。
え?何……?
正直、この時は何故彼がこのタイミングで隣に来たのかさっぱり判らず彼の気の抜けたような顔を凝視してしまう。
心なしか残念そうな眼で彼に見られているような気がしたが、今思えばそれは彼なりの配慮、警告だったのかもしれない。
この場を桜子が完全に占めていたと思っていたのだけれど、実はもう一人が秘密裏に行動していた事に斉藤君は気が付いていたのである。
「おぉおおおおお!!」
「えっ……!?いやっ、きゃぁっ!?」
いきなり大声を上げながらバットを片手に勢いよく突進してくる男に驚いて我ながらなかなかに女々しい悲鳴を上げてしまったものだった。
「お嬢様!?」
遠くのロビーの方から桜子の声が耳に届くが、距離からして彼女の脚力を持ってしても間に合うものではない。
男の手袋に包まれた手が私の視界目一杯に広がった。
迫り来る恐怖から咄嗟に目を閉じて助かる気力すら削がれ、いや何も思考することが出来ずにいたが数秒経っても来るべきはずの鈍い痛みが訪れない。
「なんだてめぇ……」
低い唸り声のような籠もった男の声が聞こえてくる。
恐る恐る目を開けてみれば、斉藤君が細い右腕一本でヘルメット男の伸ばした腕を止めているではないか。
この間に物凄い力が行き来しているはずなのに、斉藤君は相変わらずぼけっとしたような表情をしていた。
「あー……、えっとー……女の子に手を上げるのはさすがに良くないかなーと思ったりしましてですね、その」
歯切れ悪く、少々ドモリながら男に言ってみせた。
「えぇ?女にカッコいいところ見せたいってか?はっ、笑えるぜこりゃ!!がはははっ」
「――そこをどけ、クソガキ」
その瞬間、ゾワッとするほどに覇気を感じ、間近であることもあってその重圧は半端じゃなかった。
「……離したいけど、なんか離しちゃ駄目な気がするんで、すみません」
「殺すぞ?」
「いやぁ、それはちょっと……嫌ですね」
それなのに面倒くさそうな表情を一切変えずに男とやり取りを繰り広げる斉藤君。
彼の心理状況は一体どうなっているのだろうか。
薄く丸い眼鏡を掛けてボサボサに伸びきった髪は整えたところを見たことが無く、ジャージにパーカー、まさに冴えない男の代名詞を集結したような人だった。
その日は確か、先日参加していたインターンシップの打ち上げと打ち合わせを兼ねた集まりがあって、あまり気分は乗らなかったのだけれど仕方なく足を運ぶ事にした。
そもそも事業体験をしてきなさいという親からの指示があったが為に厄介ごとに巻き込まれてしまうことになるのだけれど、結果論としては良かったと思っている。
周りは私の事を才女や令嬢などと捲くし立てているけれど、昔から一企業の実業家として働く父の背中を見て育ち、あらゆるところへ顔を出してきたことによる副産物の、仮初の姿である。
本当の私は面倒ごとは避けたいし声を上げて遊園地で遊んでみたいし、ファーストフード店に入ってみたいと常日頃から思うような至極一般的な女子大生なのだから。
しかし仮初である姿に周囲は好意を持ち、私という人格が他者によって確立され、仕舞いにはミスコンのグランプリを受賞してしまうという意図しない出来事にまで発展してしまうことになってしまった。
親は鼻を高くして私を自慢しているようだけれど、私にとっては災いにしか捉えられないから辞めて欲しいばかりである。
大学で過ごしている時もそうだけれど、過剰なまでに注目され人気を博してしまったのだと、もう元の学生生活には戻れないのだと酷く後悔した。
結果的にこのインターンシップに参加した内、15名中8名が男子で一人を除いて他大学から来ているにも拘らず私のことを知り、傍を離れようとしない。
もう男性に囲まれることに慣れてしまった私は感覚が麻痺しているのだろうと自虐でもなく、本能がそう告げている。
どうやら各々が自己の容姿に多少なりとも自信があるらしくあれが得意だのこれが好きだのと周囲360度を囲まれて猛アピールを受けているようだ。
そろそろ愛想笑いが苦笑に変わりつつあるのを察して欲しいところだけれど、気の利かない彼らにそんなことに気が付くような余地はないんだろうなと諦めていた。
あぁ、早く帰りたい。
家に帰ったら親に内緒で購入した電子版のライトノベルや漫画を読みたいな。
帰宅したら何をしようかと現実逃避を始めてからしばらく経つと、視界には男の体ばかり映るがどうやらリードされるがままに歩いていたらボーリング場に着いたようである。
最早どの道を歩いてきたのかすら判らないというのもどうかと思うけれど、肉体以上に精神的な疲れを覚えた私は男子にお願いをして椅子に腰をかけた。
大丈夫?何か買って来ようか?という当たり前の愁眉を寄せてくるが、この原因が貴方達だってことを理解していただきたい。
そしてボウリングのレーンを決めるクジが始まりようやっと開放された私は一息つけると思ったのだった。
愛想笑いを絶やさずクジへ掛けていく男の子達に手を振りながら最後の一人を見送ると一気に肩の荷が降りたような感覚に陥る。
(あぁ……疲れた……)
もう何も考えたくないなと一息ついているとこちらをじっと見ている一つの視線に気がついた。
ボサボサの頭に丸い楕円の眼鏡、ジャージにパーカーを身に纏い私の事を"興味が無さそう"に見ていたのである。
しかし、ぼーっとしているものの目がしっかりとこちらを向いているのだから私の事を見ていることくらい、自意識過剰かもしれないけれど判るというものである。
きっと気の小さな人なんだろうと、失礼な事を思いながらもその冴えない男の子に小さく手を振ってやると何故か観念したかのように気だるそうにペコペコと頭を下げ始めた。
思っていたのと違う彼の反応に違和感を覚えた。
気がつけばリーダーをしていた津田さんがクジの入った抽選箱を両手にこちらへと駆けてきた。
「それじゃあ、次は遠藤さんね!ごめんね、最後で」
「いいえ、大丈夫ですよ」
そう言って津田さんがズイと出してくる箱に手を入れてみると残ったカードは本当に1枚だけだった。
取り出してみると2番というカードがそこにはあった。
「私は2番ですね」
私が引いた数字を提示するとさっきまで囲っていた男の子たちが阿鼻叫喚と声を上げていた。
さっきのぼさぼさの人が気になって見てみるとどうやら彼も私と同じく2番を引いたようである。
せっかくだし何か声を掛けてあげようかなと思っていると随分と橋爪君とは親しいようで、カードを交換するや否や話……交換?
あろうことか私の耳に飛び込んできたのは、自ら2番のカードを明け渡そうとする声だった。
これに関しては自意識過剰と思われるかもしれないけれど、正直なところ男性を振り向かせるくらいの自信があった。実際その様に扱われ育ってきたのだから感覚的にも根付かないわけが無かったのである。
誰もが一度はこちらを向いてから改めて振り返ってしまうかのような、こちらがそんなつもりじゃなくても周囲の視線を集めてしまう。
一度でも対象に愛想を良くしようものならその気になって話しかけてくる、そんな日常をこれまで何度も体験してきた。
だけれど今、私の中で確立していた常識がコレという目立った容姿をしているわけでもない一人の冴えない男子に覆されようとしているのだから、これまで味わった事のない"屈辱"に呆然としてしまう。
先ほどのまるで興味が無いようにこちらを向いていたあの素振りは、振りではなく本当に興味がなかったというのか。
ただただ観察し見透かされたかの様な感覚を私は冴えない一人の男子に覚えた。
ぞくりと背筋から心臓にかけて冷たい血液が流れる。
あの薄いメガネを通して私のナニを見ていたのだろうか。
観念したかのようにペコペコとしていたあの行為の意味は……?
これまで思うがままに、ただ少しの猫を被るだけで男性の視線を我が物に出来ていた私が獲物を仕留め損ねたかの様な、全くをもって"面白くない"状況のまま2番のレーンへと移動を開始する。
他大学の男子たちが次々と自分達のボールを選びに行き一般女性では決して持上げられないような重たいボールを次々と手に取っていく。
気になるあの冴えない男子は何を選んだのだろうと気になり、見てみれば女性でも持てる8ポンドを揚々と手に取っているではないか。
非力か、非力なのか彼は。
いやしかし、顔や髪型、服装は全く冴えていないが体つきは何かスポーツをやってたかのような感じはする。
力自慢という一般的な男性としての見栄すら張らないということなのかと、遠藤晴香は独りでに疑心暗鬼に陥っていた。
周りのチームが次々と投球を始めていく中、私たちの2番レーンだけは未だに動き出していなかった。
「それじゃ、まずは自己紹介からいこうか」
皆が行動を起こすに起こせない状況の中、まず声を上げたのはインターンシップの時はしっかりと黒髪だったと記憶している江坂君だ。
「あ、すみません。助かります」
「気にすんなって!まだ居辛いだろうけどさ、今日は気楽にやっていこうぜ!」
細くお礼を言う冴えない男の子の肩を組んでにんまりと笑顔を作る江坂君。
対してあまり乗り気ではないのだろうか、若干男の子の顔は引きつっていた。
そして江坂君が自己紹介を終えると流れを切らさない様にすかさず男の子が声を出した。
「ども、斉藤です。せっかくの集まりにお邪魔する形になりますが、今日はよろしくお願いします」
名前まで名乗る事はなかったがどうやら冴えない男の子の苗字は斉藤というらしい。
「間口です。橋爪君と同じ大学ってことは遠藤さんとも同じってことでいいのかな?」
続いて間口さんが自己紹介をすると共に、斉藤君への質問を投げかける。
確かに、橋爪君が連れて来た知り合いなのだから同じ大学であるという可能性が高い。
行方を見守っていると斉藤君が口を開き、短く肯定した。
そうして普段の私はどうなのかなど、他大学である間口さんは気になったのか話題づくりなのかは判らないけれど斉藤君へ二度目の質問を投げかける。
さて彼は私の事を大学でどのように見ていたのか、これには私にも少々興味のあるところなので"興味が無さそうな振り"をしながら耳を澄ませていた。
しかしなかなか口を開かず数秒経ったところで
「実は、今日初めて知ったんです」
と言ってみせたのだ。
「おいおい、嘘だろー」
「うんうん、だって遠藤さん、新聞やニュースでもちょっとした話題にもなってたしミスコン受賞っていえばアナウンサーとかの登竜門とも言われるくらいに難所だって言われてるしさ」
これにはさすがに江坂君も間口さんも悪い冗談は寄せよといった具合でフォローに入るが先ほどよりも間髪入れずに斉藤君は答えてみせた。
「あ、でも噂には聞いていたんです。顔を合わせる機会が全く無くて」
まるで付け足しても当たり障りのない返事という形で。
「だよなぁ!!びっくりしたぜ」
「そうだよねー!」
笑顔が戻る二人であるが、私にはどうしてもさっきの言葉が冗談だとは捉えられず、本当にこの人は同じ大学であるにも関わらず私の事を知らないのだと認識した。
「じゃあもう知っていると思うけど、最後は我らが遠藤さんだ」
何が我らなのか、いつ代表になったのかさっぱり理解出来ないけれど私の自己紹介の番だと江坂君が振ってきた。
ゆっくりと立ち上がるついでに斉藤君を見て見ると、またも半目で気だるそうにしていた。
これには不甲斐無くも少々腹を立ててしまった私はあろうことか、正面から堂々と斉藤君の方向を向いてしまったのだ。
(どうしよう)
正直内心焦っていた。が、それもこれも彼が悪いのだと責任転嫁している自分に情けなさを覚える。悉く彼にはしてやられているような……いや、彼は文字通り何もしていないのだけれど……。
覚悟を決めてコレでもかというくらい印象付けてやろうと思い切って今、自分が出来る最高の笑顔を作って自己紹介をする。
ど、どうだ!?と、彼の反応を待つが「あ、ども。よろしくお願いします」と、これまた腹ただしくも気の抜けた返事が返ってくるだけであった。
もしかして男性がちやほやとしてくれていたのは気のせいなのではないだろうかと、これまでの事を思い出すが全て偶然だったのではと突如として謎の不安に襲われる。
一投目から気合の入った投球をする江坂君が見事にストライクを出して間口さんとハイタッチを交わしていた。
「一投目からストライク、凄いですね。ふふ、いきなりプレッシャーを掛けられちゃいました」
そう言って私も江坂君にハイタッチを交わしてあげると、「おぉおおおお!」と歓喜の声を上げた。
この反応を見る限りやっぱり私がおかしかったわけではないのだと江坂君を利用して確認をする。
(つまり斉藤君、あなたがおかしいのね)
順番が来てレーンに立つ斉藤君の背をジッと見つめて思念を送るが彼に届く事はないだろう。
そんな彼の一投目は左角の2本を掠めただけであった。
つくづく冴えない男の子である。
これまでまるで無色透明な何色にも染まっていなかった彼に対する私の印象が一変したのは、投球を始めてしばらく経った頃だった。
これまで何度も、そう何度も体験してきた事があるのだけれど藤堂家の雇われが強襲してきたのだ。
藤堂家の同い年のデ……少し豊かな体型のご子息が随分とあり難迷惑な事で私にお熱の様なのだ。大方手に入れたいとか愚直で欲望に素直なものだとは思うけれど。
しかし、これには「またか」と思わずにはいられなかったけど今日は私の護衛兼執事の桜子は傍におらず生憎と文武両道として育てられた私でも大柄の男をねじ伏せるような力は持っていない。
それでも今日は7人も私の周囲をひたすらに囲っていた男子たちがいるのだから持ち前のポテンシャルでなんとかしてくれるだろうと期待していたのだが、全員が否定的な感情を露わにしているではないか。
ちょっと待って。私、凄く訳ありな感じの子になっているじゃない。
こら、そこの男子なに目を逸らしているのよ。さっきまで力が自慢だとかなんだとかぬかしていたじゃないの。
頼れるべき人……基使える人がいないと判った上で平然とした態度だけは崩さず保ってはいたけれど、そうも言っていられない状況へと刻一刻と事態は進行していく。
ヘルメットを被った男の一人がじりじり歩み寄ってきていよいよ手が私に届こうかとした時、私の最も信頼出来る執事が見事な飛び蹴りを放ちながら登場したのである。
さすが桜子!と歩みよって抱きつきたかったのだけれど、桜子から叱責されてしまうものだからタイミングを逃してしまった。
ふふん、見ていなさい藤堂の回し者め。私の桜子がいれば百人力よと緊張の糸が解れてしまった私は数人の男相手に一切の余暇を与えない攻防を行っている桜子に見入ってしまった。
ここからが今回の肝となる出来事で、完全に私の執事がヘルメットたちを熨のしてしまい事態は収束したかと思っていた矢先、冴えない斉藤君が唐突にスッと私の横に移動してきたのである。
え?何……?
正直、この時は何故彼がこのタイミングで隣に来たのかさっぱり判らず彼の気の抜けたような顔を凝視してしまう。
心なしか残念そうな眼で彼に見られているような気がしたが、今思えばそれは彼なりの配慮、警告だったのかもしれない。
この場を桜子が完全に占めていたと思っていたのだけれど、実はもう一人が秘密裏に行動していた事に斉藤君は気が付いていたのである。
「おぉおおおおお!!」
「えっ……!?いやっ、きゃぁっ!?」
いきなり大声を上げながらバットを片手に勢いよく突進してくる男に驚いて我ながらなかなかに女々しい悲鳴を上げてしまったものだった。
「お嬢様!?」
遠くのロビーの方から桜子の声が耳に届くが、距離からして彼女の脚力を持ってしても間に合うものではない。
男の手袋に包まれた手が私の視界目一杯に広がった。
迫り来る恐怖から咄嗟に目を閉じて助かる気力すら削がれ、いや何も思考することが出来ずにいたが数秒経っても来るべきはずの鈍い痛みが訪れない。
「なんだてめぇ……」
低い唸り声のような籠もった男の声が聞こえてくる。
恐る恐る目を開けてみれば、斉藤君が細い右腕一本でヘルメット男の伸ばした腕を止めているではないか。
この間に物凄い力が行き来しているはずなのに、斉藤君は相変わらずぼけっとしたような表情をしていた。
「あー……、えっとー……女の子に手を上げるのはさすがに良くないかなーと思ったりしましてですね、その」
歯切れ悪く、少々ドモリながら男に言ってみせた。
「えぇ?女にカッコいいところ見せたいってか?はっ、笑えるぜこりゃ!!がはははっ」
「――そこをどけ、クソガキ」
その瞬間、ゾワッとするほどに覇気を感じ、間近であることもあってその重圧は半端じゃなかった。
「……離したいけど、なんか離しちゃ駄目な気がするんで、すみません」
「殺すぞ?」
「いやぁ、それはちょっと……嫌ですね」
それなのに面倒くさそうな表情を一切変えずに男とやり取りを繰り広げる斉藤君。
彼の心理状況は一体どうなっているのだろうか。
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