彼女の推しアニメがTCGに参戦した時に発動する。僕は先生と呼ばれる。そうした場合、恋は別に始まらなくてもよいものとする

檻井百葉

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『趣味がカードゲームって、ちょっと無いわ』それはごもっともかもしれませんが!

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「てっぺんしか、見・え・な・いーー!!」





 桜の花びらもすっかり散った、少し湿気を含み始めた五月の午後。

 歓楽街のど真ん中にある雑居ビル。

 その三階、年季の入ったカラオケチェーン店の一室で、キッズアニメのOPを熱唱しているお一人様の男がいる。

 僕、木曾川在寿きそがわありすである。





 本当は今日は――彼女の岩本輝いわもとひかるとデートの予定だった。



 昨年、大学進学を機に始めたバイト先で知り合い、半年ほど前に付き合い始めた。

 人間関係に対しては無頓着気味な自分にしては、それなりに楽しくやっていたと思う。

 ……と思っていたのは最初の方だけ。



 会う場所も行き先も、いつの間にか彼女に合わせるのが“当たり前”になっていた。

 デートの誘いは基本的に向こうから。

 僕が気後れして、デートの度に彼女の顔色を伺って――気付けば、まだキスすらしていない。



 もちろん、進みたい気持ちはある。僕とて年頃の男子である。

 だから今日は意を決して、珍しく僕の方から誘ってみた。それなりに気合を入れて臨むつもりだった……のだが。

 今朝、家を出た直後にスマホが震えた。



『ごめん、家の方で急用入っちゃって。また今度でもいい?』



 今日の予定が一気に白紙である。

 マジかよ、街の方にもう出ちゃったよ。と暇になったので、このまま家に帰るのも勿体無いと思い、こうしてヒトカラにやってきた。

 それから三時間。

 小学生時代に見ていたアニメのOP、最近ハマっているアイドルゲームの推しキャラの持ち歌、流行りのドラマ主題歌(ドラマは見てない)――気付けばレパートリーはほとんど歌い切った。



 喉の奥がじんじん痛む。

 そろそろ帰るか、と会計を済ませて店を出た、その時だった。



 カラオケ店の少し向こうの方。

 赤いネオンがくぐもった光を放つ、いかにも“そういう”宿泊施設がある。

 昼の明るさの中で見ると、妙に生々しい。



 そこから二つの影が出てきた。

 若い男女。肩を寄せ合って笑っている。



 おーおー、平日の真昼間からお盛んで。僕もいつかは輝となぁー。とかなんとか考えていた時だった。





「……あれ?」





 ――見間違いだ。

 そう思った。思いたかった。



 彼女が、こんな場所にいるわけがない。



 でも、次の瞬間。

 歩き出した女性の横顔を見て、頭の中が真っ白になった。



 間違いなく、輝だった。



 彼女は、普段より少し明るいメイクをしていた。



 隣の男は、僕より背が高くて、雰囲気も軽い。

 僕が着たら生活感しか出ないであろう白シャツを、モデルみたいに着こなしていた。



 輝は腕を絡ませ、その肩に頭を預けて笑っていた。

 何だよ、それ。





「……輝?」





 気付けば声が漏れていた。



 彼女がぴくりと肩を揺らし、こちらを向く。

 その瞬間、彼女の目に浮かんだのは――驚きではなかった。



 明らかに、バツが悪そうな表情。

 男の方が怪訝そうに僕を見つめる。





「誰?」

「え、いや……あの……」





 咄嗟のことで混乱した僕は、言葉が出なかった。

 すると輝が、まるで深呼吸でもするように小さく息を飲んで――





「……あー、ゴメン。木曾川クン。見られちゃったか」





 その声音は、あまりにも淡々としていた。





「どうして……」





 喉の奥がひゅっと狭まる。

 でも、彼女は平然としたまま言った。





「あたしたち、さ……正直、もう無理だと思ってたの」

「……え?」

「お互い気を遣ってばっかりで、全然楽しくなかったし。

 あたしが誘わなきゃ会わないし。進展する気配もないし」





 止めてくれ。

 そんな言葉を並べないでくれ。

 輝は最後に、トドメとばかりに言い放った。





「それに……趣味がカードゲームって、ちょっと無いわ」

「グハァッ!」





 心臓が、嫌な音を立てた音がした。

 漫画とかアニメなら血を吐いて死んでいただろう。

 僕は否定も、反論もできなかった。

 まるで僕という存在そのものが、軽く指で弾かれただけで壊れる枯れ木で出来た箱のような脆い存在に感じられた。





「じゃ、そういうことだから。元気でね」





 彼女は男の腕を取り、そのまま歩き去っていった。





「あ、よく話に出てくる彼か。すっごい大人しそうな奴だったし悪そうな感じじゃなかったけど」

「大人しいっていうかほぼ地蔵よアイツ。何をするにしても主体性が無いし、こっちに気を遣ってばっかりだからあたしの方もそれに合わせなきゃいけなくて息が詰まりそうだったのよ。

 その点あんたは楽でいいわ。日々の愚痴も吐けるし、猫被る必要も無いし」

「あーあー、愚痴はさっき散々聞いてやったし、慰めてやっただろ?飯行くぞ飯」





 そんな会話の後半は、もうほぼ聞こえてなかった。

 僕は動けなかった。

 声を出すべきなのか、追いかけるべきなのか、何ひとつ分からなかった。

 だからダメだったんだろうな、と思う。

 どれくらい突っ立っていたのか分からない。

 ふと、スマホが震えた。





『講義終わってバイトまで暇なんだが、カドショ来れるか?ケミカルテットのデッキを調整したんだが』
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