刻限

都丸譲二

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第8話 輪郭

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 土曜の朝。
 桐ノ宮県警本部の会議室は、前日よりさらに張り詰めた空気に包まれていた。
 予告メールにあった「七日後」から数えて、残り二日。
 九重誠治郎の目には、街にあふれる赤い数字が 〈2d〉 へと減っているのが見えていた。
 秒単位で減り続けるそれは、まるで警鐘の音のように彼の意識を支配していた。

 一課長が資料を掲げた。
「昨夜、新たな通報が二件あった。だが、どちらも確認の結果は空振りだ。市民の不安が膨らんでいる。虚偽通報も混じっている可能性が高い」

 報告の声が淡々と響く。
 だが九重は、空振りの報告の裏に“別の影”を感じていた。
(奴らは俺たちの動きを知っている。偽の情報で翻弄している……)

 ⸻

 会議後、廊下に出ると背後から呼び止められた。
「九重巡査部長、少しよろしいか」

 声をかけてきたのは監察課の職員だった。
 柔らかな口調に隠された、冷たい視線。
「最近、あなたが単独で不審な動きをしていると聞きまして。捜査の一線を越えていないか、確認を――」

(監察……俺の動きが本部に筒抜けになっているのか)

「問題はありません」
 九重は短く答え、職員の視線を振り切るように廊下を歩き去った。
 だが背中に貼りつく視線が、しばらく消えなかった。

 ⸻

 昼。
 国木署に戻った九重は、街に設置された監視カメラの映像を端末で洗っていた。
 昨夜見失った黒いパーカーの男。
 あの影を追うためだ。

「桐ノ宮駅前、23時台……」
 映像をコマ送りで追う。
 雑踏を歩く無数の人々、その頭上に重なる赤い数字。
 そして――一瞬だけ、数字の“ない”人物が横切った。

(いた……)

 だが次の瞬間、別の人物の影に紛れて消えてしまった。

 ⸻

 画面を凝視していると、不意に別の異変に気づいた。
 人波の中に、赤い数字がひときわ短いものを背負った人物がいたのだ。

 〈08h 41:22〉

 八時間。
 他の人々が〈2d〉を背負う中で、その人物だけ極端に短い刻限を刻んでいた。

(なぜだ……? 他の全員は二日後なのに、なぜ一人だけ)

 映像を拡大する。
 買い物袋を下げた若い女性。
 特に怪しい様子はない。
 だが、その数字だけが異質だった。

 ⸻

「おい、九重」
 背後から若林が声をかけてきた。
「また一人で何を見てるんだ。監察が目を光らせてるの知ってるか?」

「……ああ」

「本部はお前を疑ってる。無茶な単独行動が多すぎるんだよ。正直、俺もどうフォローしていいか分からん」

 若林の声には苛立ちと戸惑いが入り混じっていた。
 九重は答えず、ただ画面に視線を落とした。
 女性の頭上で、〈08h 41:00〉 が減り続けていた。

(あの数字は……偶然じゃない。事件と直結しているはずだ)

 ⸻

 夜。
 九重は街に出た。
 人混みの中を歩きながら、再び数字の雨を見渡す。
 ほとんどが 〈2d〉。
 だが視線を彷徨わせるうちに――あった。

 〈08h 15:32〉

 昼に映像で見た女性が、実際に歩いていた。
 買い物袋を提げ、足早に通りを渡っていく。
 背後に赤い数字の尾を引きながら。

(間違いない。奴らと関わっている)

 九重は人波に紛れ、女性の後を追った。

 九重誠治郎は、夜の街で女性を見つけた。
 二十代前半ほど、買い物袋を下げた姿はごく普通に見える。
 その頭上には、周囲と同じく 〈2d 06:14:21〉 が浮かんでいた。

(やはり他と同じ……? だが、昼に映像で見たときは〈8h〉だったはずだ)

 訝しみながらも尾行を続ける。
 女性は川沿いの古い集合住宅に入っていき、三階の一室の灯りが点いた。
 時計を見れば、残り二日と数時間――。

 九重は違和感を抱えたまま、その夜は帰路についた。

 ⸻

 翌朝。
 始発の電車に乗り、豊浜埠頭へ向かう。
 前夜に見た女性の行動が頭から離れなかった。
 もし本当に〈8h〉の数字を見間違えたのでないなら――彼女の運命は変動している。

 朝の港町は霧に覆われ、潮と鉄の匂いが肺を刺した。
 工業地帯のバス停で、九重は再び彼女を見つけた。
 同じコートに、昨夜と同じ型の買い物袋。
 だが頭上の数字を見た瞬間、息が詰まった。

 〈07h 42:55〉

(やはり……短縮している!)

 前夜は確かに〈2d〉だった。
 それが今は残り七時間台。
 彼女がどこかで“選択”をしたことで、運命が変わったのだ。

 ⸻

 女性は工業団地行きのバスに乗った。
 九重も距離を取って同じ車両へ。
 車窓に流れる倉庫群が近づくにつれ、胸が重く沈む。

 バスを降りた女性は、迷いなく豊浜の第3倉庫へ向かった。
 昨日九重が張り込んだ、あの不審な倉庫。

(……ここか)

 彼女は裏口で立ち止まり、携帯を確認する。
 ほどなくして、シャッターの隙間から黒いパーカーの男が現れた。
 ――昨夜、九重が見失った影。

 二人は言葉を交わすことなく、倉庫の奥へと消えていった。

 ⸻

 九重は建物の角に身を隠し、呼吸を抑えた。
 その瞬間、女性の頭上の数字が赤く滲み、切り替わった。

 〈07h 39:12〉 → 〈07h 08:47〉

 三十分以上が一気に削られたように見えた。
 まるで倉庫に足を踏み入れたことで、運命がさらに縮められたかのようだった。

(……条件によって、寿命が変わる? ただのカウントダウンじゃない……!)

 背筋が冷たくなる。
 だが同時に、確信が深まった。
 彼女は実行犯の一端に利用されている。

 ⸻

 倉庫の内部では、フォークリフトのエンジン音が響いた。
 荷が動いている。
 九重はポケットからスマートフォンを取り出し、シャッターの隙間にレンズを差し向けた。
 暗闇の中、青いドラム缶と人影が映る。
 昨日と同じ光景。

 そのとき、背後からパトカーのサイレンが近づいてきた。
 倉庫の内部の音がぴたりと止まり、裏口から二つの人影が飛び出した。
 黒いパーカーの男と、例の女性だ。

 女性の頭上で数字が赤く点滅していた。

 〈06h 58:03〉

(もう一時間近く消えている……!)

 男は女性の背を押し、暗い路地へと駆け込んだ。
 九重もすぐに追いかける。
 潮風の中、秒を刻む赤い光が霧を照らし、街の崩壊へと一直線に進んでいた。

 霧に煙る豊浜の倉庫街。
 九重誠治郎は、裏口から飛び出した二人の影を必死に追っていた。
 黒いパーカーの男と、買い物袋を抱えた女性。
 彼女の頭上に浮かぶ数字は赤く点滅し、無情に減り続けている。

 〈06h 41:59〉

 足音がアスファルトに響き、息が白く千切れた。
 倉庫街の路地は入り組み、コンテナが迷路のように積み上がっている。
 二人の姿を見失えば、二度と追いつけない。

 ⸻

 曲がり角の先、トラックの影に身を潜める二人を見つけた。
 男が女性の腕を掴み、荒々しく何かを囁いている。
 言葉までは聞き取れない。
 だが、女性の肩が震えているのが分かった。

(脅されている……いや、利用されているのか)

 九重が一歩踏み出そうとしたそのとき、ポケットの携帯が震えた。
 画面に表示されたのは、若林の名前。

(今かよ……!)

 無視するわけにはいかない。
 通話を押すと、怒声が耳を打った。

「おい九重、どこにいる! 本部が大騒ぎだぞ! 監察まで動いてる!」

「……外で確認中だ」

「確認? ふざけんな! お前が勝手に動いてるって報告が上がってるんだ! 上からは“監視対象”に指定されてるぞ!」

 心臓が重く脈打った。
 監察の冷たい視線が頭をよぎる。
 組織の中で、完全に孤立させられつつあった。

 ⸻

「若林……頼む。今は何も聞かずに待ってくれ」

「待てるか! お前、何を掴んでるんだ!」

 答えられない。
 数字のことを言えば狂人扱いされる。
 黙れば裏切り者扱いされる。
 どちらを選んでも道は閉ざされていた。

「……すまん」

 短く呟いて通話を切った。
 その瞬間、路地の奥で人影が動いた。
 二人が再び走り出したのだ。

 ⸻

 九重はトラックの陰から飛び出し、距離を詰めた。
 工場の排気音に混じって、女性の泣き声が微かに聞こえる。
 刻限はさらに削られていた。

 〈06h 12:07〉

(……ゼロになる前に、この女を救わなければ)

 倉庫街を抜け、国道へと飛び出す。
 午前の交通が流れ、トラックのクラクションが轟いた。
 男は車列の隙間をすり抜け、女性を無理やり引き連れて歩道へ押し込んだ。

 九重も続き、信号を無視して追う。
 歩道橋の上に駆け上がったとき、背後から別のサイレンが鳴り響いた。

 ⸻

 振り返ると、警察車両が数台、倉庫街へと滑り込んでいくのが見えた。
 その中には監察課の車も混じっていた。

(……俺を捕まえに来たのか?)

 汗が背筋を伝う。
 尾行は続けたい。
 だが、捕まればすべてが終わる。

 前方を走る二人の姿が揺れ、視界の端で数字が点滅する。

 〈05h 58:44〉

 赤い数字は確実に未来を削っていた。

(監察か、犯人か……どちらに背を向ける?)

 九重は一瞬、呼吸を止めた。
 そして迷いを振り切るように、歩道橋を駆け下りた。

 ⸻

 背後からはサイレンの音。
 前方には数字を背負った人間と、その影を操る男。
 九重は、自分が警察からも犯罪者からも追われる存在になったことを悟った。

 だが――足を止めることはできなかった。

 国道沿いの歩道橋を駆け下り、九重誠治郎は人混みを突き抜けた。
 前方を走る二人――黒いパーカーの男と若い女性――を見失わぬように。
 女性の頭上には赤い数字が浮かび、異常な速さで減っていった。

 〈06h 41:59〉 → 〈05h 05:10〉 → 〈04h 12:33〉

(……減りが早すぎる! これは“時間経過”じゃない……状況で削られている!)

 刻限は、ただの寿命ではなく「事件に関与した瞬間に変動する」――その恐怖が九重の背筋を凍らせた。

 ⸻

 二人は廃ビルの裏口に消えた。
 錆びた鉄扉は内側から閉ざされ、九重は壁際に張り付いて耳を澄ませる。

 中からは物の擦れる音、女性のすすり泣き。
 そして低い怒声。

「お前には最後の役目がある。黙っていろ」

(最後の……役目?)

 数字はさらに縮んだ。

 〈03h 38:02〉 → 〈02h 15:19〉

 呼吸が詰まる。
 まるで見えない手に寿命を削られているようだった。

 ⸻

 九重は外壁をよじ登り、二階の割れた窓から内部を覗き込んだ。
 埃まみれの床に青いドラム缶が並び、コードが這っている。
 フォークリフトの爪痕が、昨夜の倉庫街と同じだった。

 椅子に縛られた女性が涙に濡れ、必死に首を振っていた。
 黒いパーカーの男が、その前に小さな装置を置く。
 赤いランプが点滅し、電子音が鳴った。

 その瞬間――女性の頭上の数字が跳ねるように変わった。

 〈00h 27:59〉

(……残り三十分!?)

 ⸻

 九重は息を呑んだ。
 女の寿命と爆弾のタイマーが完全に連動している。
 つまり、装置が爆発すれば彼女は死に、そして街も巻き込まれる。

 窓枠を握る手に汗が滲む。
 銃を抜き、照準を合わせる。
 だが距離があり、撃てば彼女を巻き込む危険が高い。

 赤いランプが無情に点滅を刻む。
 秒ごとに寿命を削り取る、冷たいカウントダウン。

 〈00h 27:32〉 → 〈00h 27:31〉 → 〈00h 27:30〉

 九重の喉が焼けるように乾いた。
 選択の余地は、ほとんど残されていなかった。
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