創られし命と灰の研究者

都丸譲二

文字の大きさ
11 / 65
第1巻 理を識る者たち

第9章 監視の眼

しおりを挟む
 翌朝のオルデンは、夜の静けさを振り払うように再び活気に包まれていた。
 石畳を踏みしめる人々の足音、果物を並べる商人の掛け声、鍛冶屋の槌音――すべてが溶け合い、街全体がざわめきに揺れていた。

 宿を出たアーレンは外套の襟を正し、隣を歩くリュミナのフードを深く被せた。
「今日は宿に籠もるはずだったが……物資を整えねばならん」

 リュミナは視線を泳がせながら、歩みを合わせる。
「……ひと、いっぱい……」
 まだ見慣れない光景に、不安と好奇心が入り混じった声。

 通りを行き交う人々の間から、ちらりと視線が刺さる。
 「銀の髪」という噂は既に街中を駆け巡っており、見慣れぬ二人組への好奇の目が注がれていた。

 アーレンは足を止めず、淡々と歩を進める。
 だが、その背後に――もう一つ別の視線が混じっていることを見逃さなかった。

 商人の声に紛れ、露店の影から。
 振り返れば消える気配。
 だが確かに、同じ間合いで付いてくる何者かがいた。

「……リュミナ、決して俺の手から離れるな」
 その声は低く抑えられていた。

 リュミナは戸惑いながらも頷き、彼の袖を強く握った。

 アーレンは足を止めず、人混みから裏路地へと入った。
 石畳は割れ、壁の影が濃く落ちている。
 リュミナは袖を握りしめ、不安そうに囁いた。
「……どこへ?」

「確かめる」
 その声は低く硬い。

 背後に重なる気配は、もはや疑いようがなかった。
 人の流れに紛れるでもなく、一定の間合いを保ち、確実に後を追ってくる。
 アーレンは路地の角で立ち止まり、振り返った。

 そこに、ひとつの影。
 外套のフードを深くかぶり、顔は闇に沈んでいる。
 体格さえ判別できないほど意図的に輪郭を隠していた。

「……何者だ」
 アーレンの問いに、影は沈黙で応じた。
 ただ微かに首を傾け、彼を見ている。

 警告なのか、試しなのか。
 いずれにせよ――“存在を隠すはずの追跡者が、あえて姿を見せた”ことが答えだった。

 リュミナが怯えて彼の腕にすがりつく。
「アーレン……」

 その瞬間、影は石壁を蹴り、音もなく屋根へと跳んだ。
 一瞬で姿を消し、残されたのは風に揺れる外套の裾だけ。

 アーレンは追わずに息を吐いた。
「……監視していると示したか。あるいは、力を測ったか」
 低く呟き、リュミナの肩を抱き寄せる。

「どちらにせよ、この街に長くはいられん」

 街の喧噪の裏で、見えない網が静かに絞られていくのを、彼は確かに感じていた。


 二人は急ぎ足で宿へ戻り、部屋の扉を閉ざした。
 リュミナは椅子に腰を下ろすなり、袖を強く握りしめる。
「……さっきの、ひと。こわかった」

 アーレンは外套を脱ぎ、窓辺に立って通りを見下ろした。
 人の影は多い。だが、その中に確かに異質なものが混じっていた。

「恐れるのは正しい。だが忘れるな――本当に危険なのは、ああして影に紛れて動く連中だ」

 リュミナは小さく頷き、それから窓の外を見た。
「でも……このまち、すき。ひとが、いっぱいで……にぎやかで」
 その声は幼い憧れを含んでいたが、すぐに曇る。
「……でも、みられてるの、いや」

 アーレンは窓を閉ざし、背を向けて言った。
「だからこそ、ここを発つ。長く留まれば確実に足を掴まれる」

 リュミナは少し唇を噛んだあと、アーレンを見上げた。
「……いっしょなら、いい」

 アーレンは短く息を吐き、彼女の肩に手を置いた。
「明日の朝、出る。次の街へだ」

 その言葉に、リュミナは不安と安堵を半分ずつに宿した瞳で、静かに頷いた。
 宿の外、石畳を渡る冷たい風が、夜の闇に不穏な気配を運んでいた。


 宿の灯が落ち、オルデンの街路は闇に沈んでいた。
 石畳を渡る風が窓を揺らし、遠くで犬の鳴き声が一度だけ響いた。

 リュミナはベッドに潜り込み、もぞもぞと枕を抱き寄せる。
 目を閉じては開き、また閉じては開き――落ち着かない。
「……ねないの?」
 椅子に腰掛け、窓を見つめたままのアーレンに、布団の中から問いかけた。

「眠る。……だが今はまだその時じゃない」
 アーレンは低く答えた。声は静かだが、硬さがあった。

「どうして?」
 リュミナは上体を起こし、銀の髪を揺らしてじっと見つめる。

 アーレンはしばし黙り、やがて言葉を選んだ。
「影に潜む者は、音を立てない。気配だけが残る。……今夜もそうだ。誰かがこちらを見ている」

 リュミナの肩が震えた。
「……いや。みられてるの、いや」

 アーレンは窓辺から彼女を振り返り、視線を和らげた。
「大丈夫だ。目はただの眼差しだ。刃でも鎖でもない。俺たちを縛ることはできない」

 リュミナは唇を噛み、やがて小さく尋ねた。
「……アーレンは、こわくないの?」

 短い沈黙。
 そして彼は答えた。
「恐怖はある。だが、俺はそれを知識で押さえ込む。恐怖は目に見えぬ“敵の輪郭”だ。見えるならば、対処できる」

 リュミナは布団をぎゅっと抱き締め、やがて布団の中に潜った。
「……わたしは、まだ……」
 その声は震えていたが、どこか安心も混じっていた。

 やがて寝息が部屋に広がる。

 アーレンは窓を閉ざし、夜風を遮った。
 しかし瞳は闇に潜む“監視の眼”を探り続けている。
 誰かが確かに見ている――その確信がある限り、眠りなど訪れはしなかった。



 


 夜のオルデン。
 石畳に落ちる灯火は少なく、月光だけが路地を照らしていた。

 宿の二階の窓。その奥に、小さな光が揺らめいていた。
 影は屋根の上に身を潜め、その光をじっと見つめていた。

 耳に残るのは、酒場で聞いた噂の断片。
 ――銀髪の少女。
 ――学院が探している。
 ――魔女か、あるいは奇跡か。

 影は懐から一枚の羊皮紙を取り出す。
 月明かりに浮かぶ文字。
 「銀髪の少女、発見次第、報せよ」
 その一文が、すべての命令を物語っていた。

 視線は窓に戻る。
 銀色の髪が灯りの縁にかすかに光るのを確認すると、影の胸にかすかな鼓動が走った。

 ――学院の言う通り、危険なのか。
 ――それとも……。

 思考を切り捨てるように、影は羊皮紙を折り畳んだ。
 外套の袖に隠された指先がわずかに震えたが、その動きを見ている者は誰もいない。

 影は屋根を蹴り、夜の闇へと溶けていった。
 宿の窓に灯る淡い光だけを、瞳の奥に焼き付け
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

正しい聖女さまのつくりかた

みるくてぃー
ファンタジー
王家で育てられた(自称)平民少女が、学園で起こすハチャメチャ学園(ラブ?)コメディ。 同じ年の第二王女をはじめ、優しい兄姉(第一王女と王子)に見守られながら成長していく。 一般常識が一切通用しない少女に友人達は振り回されてばかり、「アリスちゃんメイドを目指すのになぜダンスや淑女教育が必要なの!?」 そこには人知れず王妃と王女達によるとある計画が進められていた! 果たしてアリスは無事に立派なメイドになれるのか!? たぶん無理かなぁ……。 聖女シリーズ第一弾「正しい聖女さまのつくりかた」

企業再生のプロ、倒産寸前の貧乏伯爵に転生する 

namisan
ファンタジー
数々の倒産寸前の企業を立て直してきた敏腕コンサルタントの男は、過労の末に命を落とし、異世界で目を覚ます。  転生先は、帝国北部の辺境にあるアインハルト伯爵家の若き当主、アレク。  しかし、そこは「帝国の重荷」と蔑まれる、借金まみれで領民が飢える極貧領地だった。  凍える屋敷、迫りくる借金取り、絶望する家臣たち。  詰みかけた状況の中で、アレクは独自のユニーク魔法【構造解析(アナライズ)】に目覚める。  それは、物体の構造のみならず、組織の欠陥や魔法術式の不備さえも見抜き、再構築(クラフト)するチート能力だった。  「問題ない。この程度の赤字、前世の案件に比べれば可愛いものだ」  前世の経営知識と規格外の魔法で、アレクは領地の大改革に乗り出す。  痩せた土地を改良し、特産品を生み出し、隣国の経済さえも掌握していくアレク。  そんな彼の手腕に惹かれ、集まってくるのは一癖も二癖もある高貴な美女たち。 これは、底辺から這い上がった若き伯爵が、最強の布陣で自領を帝国一の都市へと発展させ、栄華を極める物語。

【完結】ご都合主義で生きてます。-商売の力で世界を変える。カスタマイズ可能なストレージで世の中を変えていく-

ジェルミ
ファンタジー
28歳でこの世を去った佐藤は、異世界の女神により転移を誘われる。 その条件として女神に『面白楽しく生活でき、苦労をせずお金を稼いで生きていくスキルがほしい』と無理難題を言うのだった。 困った女神が授けたのは、想像した事を実現できる創生魔法だった。 この味気ない世界を、創生魔法とカスタマイズ可能なストレージを使い、美味しくなる調味料や料理を作り世界を変えて行く。 はい、ご注文は? 調味料、それとも武器ですか? カスタマイズ可能なストレージで世の中を変えていく。 村を開拓し仲間を集め国を巻き込む産業を起こす。 いずれは世界へ通じる道を繋げるために。 ※本作はカクヨム様にも掲載しております。

第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。

黒ハット
ファンタジー
 前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。  

【完結】異世界で神の元カノのゴミ屋敷を片付けたら世界の秘密が出てきました

小豆缶
ファンタジー
父の遺したゴミ屋敷を片付けていたはずが、気づけば異世界に転移していた私・飛鳥。 しかも、神の元カノと顔がそっくりという理由で、いきなり死刑寸前!? 助けてくれた太陽神ソラリクスから頼まれた仕事は、 「500年前に別れた元恋人のゴミ屋敷を片付けてほしい」というとんでもない依頼だった。 幽霊になった元神、罠だらけの屋敷、歪んだ世界のシステム。 ポンコツだけど諦めの悪い主人公が、ゴミ屋敷を片付けながら異世界の謎を暴いていく! ほのぼのお仕事×異世界コメディ×世界の秘密解明ファンタジー

神様の忘れ物

mizuno sei
ファンタジー
 仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。  わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。

元公爵令嬢は年下騎士たちに「用済みのおばさん」と捨てられる 〜今更戻ってこいと泣きつかれても献身的な美少年に溺愛されているのでもう遅いです〜

日々埋没。
ファンタジー
​「新しい従者を雇うことにした。おばさんはもう用済みだ。今すぐ消えてくれ」  ​かつて婚約破棄され、実家を追放された元公爵令嬢のレアーヌ。  その身分を隠し、年下の冒険者たちの身の回りを世話する『メイド』として献身的に尽くしてきた彼女に突きつけられたのは、あまりに非情な追放宣告だった。  ​レアーヌがこれまで教育し、支えてきた若い男たちは、新しく現れた他人の物を欲しがり子悪魔メイドに骨抜きにされ、彼女を「加齢臭のする汚いおばさん」と蔑み、笑いながら追い出したのだ。 ​ 地位も、居場所も、信じていた絆も……すべてを失い、絶望する彼女の前に現れたのは、一人の美少年だった。 ​「僕とパーティーを組んでくれませんか? 貴方が必要なんです」  ​新米ながら将来の可能性を感じさせる彼は、レアーヌを「おばさん」ではなく「一人の女性」として、甘く狂おしく溺愛し始める。  一方でレアーヌという『真の支柱』を失った元パーティーは、自分たちがどれほど愚かな選択をしたかを知る由もなかった。  ​やがて彼らが地獄の淵で「戻ってきてくれ」と泣きついてきても、もう遅い。  レアーヌの隣には、彼女を離さないと誓った執着愛の化身が微笑んでいるのだから。

【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活

シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!

処理中です...