創られし命と灰の研究者

都丸譲二

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第1巻 理を識る者たち

第8章 囁かれる街影

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 薬草採取を終え、オルデンの街門をくぐった頃には、空は茜色に染まっていた。
 石壁の影が長く伸び、街路には人々の声と露店の呼び込みがあふれている。

 宿に戻ると、リュミナは外套を脱ぐアーレンを見上げ、小首を傾げた。
「……これから?」

「ああ。ギルドへ行って依頼を報告し、報酬を受け取る」

 その答えに、リュミナは小さな声で言った。
「わたしも、いく」

 アーレンはかすかに眉を寄せ、椅子に外套を掛ける。
「駄目だ。人が多すぎる。君の髪は目立つ。目立てば……噂になる」

 リュミナは唇を結び、視線を落とした。
「……でも、ひとりで……」

「必ず戻る」
 アーレンの声は静かだが、強い響きを帯びていた。
「ここで待て。約束だ」

 リュミナはしばし黙り込み、やがて小さく頷いた。
「……やくそく」

 アーレンは彼女の頭に手を置き、短く息を吐いた。
「いい子だ。すぐ戻る」

 宿を後にし、街の中央区画のギルドへと足を向ける。
 夕暮れの石畳を踏みしめるごとに、彼の瞳は冷えた決意を帯びていった。



 冒険者ギルドの重い扉を押し開けると、昼間と変わらぬざわめきが迎えた。
 酒の匂い、笑い声、掲示板に群がる人影。

 アーレンは受付に布袋を置いた。
「〈青葉草〉だ。規定量は揃っている」

 受付嬢は確認し、笑みを浮かべた。
「さすがです、錬金術師殿。仕事が早いですね」

 報酬の銀貨二枚がカウンターに置かれる。
 アーレンがそれを懐にしまうと、周囲からちらりと視線が注がれた。
 「学院帰りの錬金術師だとよ」「街に来たばかりらしい」
 囁きは酒場のざわめきに紛れ、確かに広がっていく。

 アーレンは一切振り返らず、扉を押し開けた。


 オルデンの夕暮れ。
 石畳の通りにはまだ人の波が続き、果物を売る商人の声や、楽師の奏でる笛の音が混ざり合っていた。
 アーレンはギルドを出ると外套の襟を立て、足早に宿へ戻る道を選んだ。

 すれ違う商人たちの会話が耳に入る。
「森で盗賊がやられたって話、知ってるか?」
「いや、それよりも――銀色の髪の娘だ。目撃した者がいるらしい」
「王都の学院が探してるとか……」

 噂は尾ひれをつけ、既に街路にまで広がっていた。
 アーレンは眉をひそめ、歩みを速める。



 その頃、宿の二階。
 リュミナは窓辺に座り、夕日を受けて輝く街を眺めていた。
 子供たちが走り回り、露店の灯が次々と灯っていく。
「……きれい」
 彼女の呟きに、廊下を通りかかった宿主の女が思わず足を止めた。
 ちらりと見えた銀の髪に目を奪われ、しばらく動けなかった。

 女は慌てて階下に降り、帳場の仲間に囁く。
「二階の部屋、見た? 銀の髪の子がいるんだよ……」
「まさか、あれが噂の……」
 声はすぐに酒を酌み交わす客たちの耳に届き、笑いと驚きの中で囁きはまた広がった。



 やがてアーレンが宿に戻った時、帳場の空気は妙にざわついていた。
 視線を避けるようにして階段を上がり、扉を開ける。

 リュミナはベッドに腰掛け、ぱっと顔を輝かせた。
「……かえった」

「ああ」
 アーレンは短く答え、扉を閉めた。
 その背中には、階下からいくつもの好奇心に満ちた視線が突き刺さっていた。


 夜のオルデン。
 酒場には灯が揺れ、冒険者たちが杯を打ち鳴らしていた。

「銀の髪の娘を見ただろう?」
「森で盗賊を吹き飛ばしたらしい」
「学院が探している、危険な存在だって噂だ」

 笑い混じりの声が飛び交い、尾ひれのついた話は火の粉のように広がっていく。
 「魔女の再来」「王家の血筋の隠し子」――真実はどうでもよかった。
 彼らにとっては、ただの酒の肴だ。

 だが、薄暗い隅に座るひとつの影は違った。
 外套のフードを深く被り、杯を手にしていたその人物は、噂の言葉ひとつひとつに耳を澄ませていた。

 視線は鋭く、無駄な仕草は一切ない。
 笑うこともなく、ただ静かに酒を置く。

「……銀髪、か」
 低く抑えられた声が、独り言のように漏れた。

 影は音もなく立ち上がり、店を後にした。
 夜風が外套を揺らし、足取りは迷いなく街の外れへと向かっていく。

 懐から取り出した羊皮紙には、王立学院の印章と共にただ一文。

 ――銀髪の少女、発見次第、報せよ。

 街のざわめきから遠ざかるほどに、その歩みは冷徹さを帯びていった。

 夜が更け、オルデンの街路に静けさが戻り始めていた。
 石畳を照らす灯火がひとつ、またひとつと消え、人々の声は酒場の奥へと吸い込まれていく。

 宿の二階の部屋。
 リュミナはベッドに膝を抱えて座り、窓から夜空を覗いていた。
「……ひとが、いなくなった」
 昼間の賑やかさを思い出すように呟く。

 アーレンは机に腰を掛け、手のひらで銀貨を転がしていた。
「夜は別の危険が動く。だから静かにしているだけだ」

 言いながらも、彼の意識は窓の外に向けられていた。
 路地を流れる風――その音に混じる、もうひとつの気配。
 足音ではない。
 視線だ。
 薄闇の中から、じっと注がれている。

 アーレンは立ち上がり、窓の外を一瞥した。
 しかし人影は見えない。
 だが確かに、そこにあった。

「……リュミナ、今夜は灯を消す」
 声に滲む硬さを悟ったのか、リュミナは小さく首を傾げた。
「……なにか、いるの?」

「気にするな。だが、眠るときは俺の傍から離れるな」

 リュミナは不安げに彼の袖を握った。
 外では、風に紛れるように石畳を擦る足音が一度だけ響き、すぐに消えた。

 宿を包む夜の闇は、確かに彼らを見つめていた。



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