創られし命と灰の研究者

都丸譲二

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第1巻 理を識る者たち

第7章 森に潜む牙

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 オルデンの石壁を背に、二人は街道を歩いていた。
 街道はよく踏み固められ、行き交う荷馬車や旅人で賑わっている。
 冒険者たちの姿も目に入り、鋼の鎧や槍を携えた彼らが時折巡回していた。

「街道は安全だ」
 アーレンは歩きながら静かに言った。
「冒険者たちが魔物や盗賊を掃討している。商人や旅人が安心して行き来できるのは、彼らのおかげだ」

 リュミナは横を歩く荷車を見つめ、首を傾げた。
「……まもってる?」

「ああ。だが――」
 アーレンの視線は森の奥へと向けられる。
 木々が密集し、薄暗い影が口を開けていた。
「ひとたび街道を外れれば別だ。森や遺跡は人の目が届かない。そこは魔物や獣の縄張りだ。無防備に入れば命はない」

 リュミナはごくりと唾を飲み込み、アーレンの外套を握った。

 やがて二人は街道から外れ、森の入口に足を踏み入れた。
 陽光は枝葉に遮られ、湿った空気が肌を撫でる。
 鳥の声が遠ざかり、聞こえるのは落ち葉を踏む自分たちの足音だけだった。

「……ここで薬草を探す」
 アーレンは腰の袋から刃物と布袋を取り出し、慎重に周囲を見渡した。
「気を抜くな。街道の外は、一歩ごとに危険と隣り合わせだ」

 リュミナは不安そうに頷き、彼の背中を追った。
 森の奥には、まだ見ぬ気配が潜んでいた。

 森の奥は湿り気を帯び、苔むした岩が点々と転がっていた。
 アーレンは膝をつき、葉の裏を丹念に確かめていた。
「……あった。〈青葉草〉だ。発熱を下げる薬になる」

 刃物で茎を切り取り、布袋に収める。
 リュミナは興味津々に覗き込み、指先で葉を撫でた。
「これが……くすり?」

「ああ。人の命を救うものだ」
 アーレンは短く答え、次の株を探す。

 その時だった。
 茂みの奥で、低い唸り声が響いた。
 リュミナがぴくりと肩を震わせる。
「……なに?」

 葉を揺らして現れたのは、狼に似た獣だった。
 ただし眼は赤く濁り、牙には黒い涎が泡立っている。
 人里には近づかないはずの魔物――〈森狼〉。

 アーレンは素早く立ち上がり、リュミナの前に出た。
「下がれ」

 獣は背を丸め、唸り声を深くした。
 その一歩ごとに落ち葉が散り、緊張が張り詰めていく。

 アーレンは腰から小瓶を取り出した。
 中の液体が光を帯び、蓋をひねると鼻を刺す刺激臭が漂う。
 瓶を地面に叩きつけると、白い煙が立ち上った。

 狼は鼻を鳴らし、狂ったように顔を振る。
 それでも牙を剥き、煙の中から飛び出してくる。

 リュミナが短く悲鳴を上げた瞬間――
 周囲の空気が震え、木の葉がざわめいた。
 彼女の髪がふわりと揺れ、目の奥に光が宿る。

「……いや……!」

 不可視の力が、狼の体を弾き飛ばした。
 獣は木の幹に激突し、呻き声を上げて森の奥へと逃げていった。

 リュミナは膝をつき、肩で息をしている。
「……わたし……また……」

 アーレンは彼女の肩を支え、静かに言った。
「恐れるな。あれは魔物だ。君がいなければ、俺が噛まれていた」

 リュミナはまだ震えていたが、その目に涙はなく、代わりに強い光が宿り始めていた。

 静寂が戻った森に、リュミナの荒い息遣いだけが響いていた。
 彼女はまだ地面に膝をつき、両手を胸に押し当てている。
 赤く濁った狼の姿はもうなく、折れた枝と散乱した落ち葉だけが残されていた。

「……こわかった……」
 絞り出すような声だった。

 アーレンは彼女の肩に手を置き、落ち着いた調子で言う。
「当然だ。街道の外では、ああいう連中が獲物を探している。恐怖は、君が生きている証拠だ」

 リュミナは顔を上げ、かすかに震える声で続ける。
「でも……わたし、また……」

「力を使ったことか」
 アーレンは周囲に視線を巡らせ、折れた木や土に刻まれた衝撃の跡を確かめる。
「暴発ではあったが、今回は明確に対象を弾き飛ばしていた。……無意識とはいえ、形を持ちはじめている」

 リュミナは目を見開き、彼の顔を覗き込む。
「……わたし、こわい?」

 アーレンは一瞬だけ言葉を探し、それから静かに答えた。
「恐れるべきは君ではない。君を狙う者たちの方だ」

 その言葉に、リュミナは小さく唇を結び、視線を落とした。
 その肩はまだ震えていたが、瞳には先ほどまでとは違う色が宿っている。
 恐怖の奥に芽生えつつあるのは――守る意志。

 アーレンは腰の袋を整え、薬草を拾い上げた。
「立てるか。依頼はまだ終わっていない」

 リュミナは深く息を吸い、ゆっくりと立ち上がった。
 森の空気は冷たいが、彼女の胸の奥には小さな熱が灯り始めていた。

 リュミナの呼吸が落ち着くと、アーレンは再び地面にしゃがみ込んだ。
 折れた枝葉の間に目を凝らし、青緑の小さな葉を摘み取る。
「……〈青葉草〉はまだ必要だ。依頼を果たさねばならん」

 リュミナは彼の隣にしゃがみ、恐る恐る葉を撫でた。
「これ……まもるため?」

「そうだ。病人を救う薬になる」
 アーレンの声は淡々としていたが、その手つきは慎重で、どこか優しさを帯びていた。

 それからしばらく、二人は黙々と薬草を摘み取った。
 鳥の声が戻り、風が枝葉を揺らす。
 先ほどまでの緊張が嘘のように、森は静かな表情を取り戻していた。

 袋が半分ほど満ちたところで、アーレンは立ち上がった。
「十分だ。戻るぞ」

 リュミナは布袋を抱え、胸にぎゅっと押し当てる。
 まるで宝物のように大事にしながら、アーレンの後を追った。

 森を抜け、再び街道に出ると、陽射しが二人を包んだ。
 人々の声、荷馬車の軋む音、冒険者の笑い声――。
 街道はやはり、安心を約束する場所だった。

 リュミナは振り返り、暗い森を見つめた。
 そこには恐怖の記憶もあったが、それ以上に「自分が守った」という確かな実感が残っていた。

「……かえろ」
 小さく呟いた声に、アーレンは頷いた。

 二人は肩を並べ、オルデンの街門へと歩みを進めた。
 夕日が石壁を照らし、影を長く伸ばしていた。

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